[使いかた] [ファイルの投稿方法] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ Eメール(任意)
URL(任意) アイコン  (ファイルの参照はクリアされます)
タイトル
発言内容

ファイル 1 各種のファイルを投稿できます。
ファイルの数 投稿するファイルの数を変更できます→ (ファイルの参照はクリアされます)
削除キー ←英数字で8文字以内。自分の投稿内容を修正・削除する場合に使うパスワードです。
文字色
・・・枠のある画像はクリックすると拡大表示します・・・

非常勤日記 51回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/06/18(Wed) 21:27 No.679

6月某日
前回の投稿を読み直して、「ちなみに」が三か所もあって赤面。くせとは自分では自覚していないものとあらためて感じる。実は、わが息子が「ちなみに」を使うくせがあり、気になっていたのだが、親子ともども同じくせをもっていたというわけ。多分、授業でも多発しているんだろうな。

6月某日
介護保険の保険証が送られてきた。そうだ今月は65歳になるんだと自覚する。それにしてもがっくりくる保険証だ。とはいえ、財政的には破綻にちかいのだろうが、日本の保険制度は世界に誇るべきものと感じている。これを持続可能にするには、我々の世代が勝ち逃げをせずに、どこまで全体的な視野でこれから起こるであろう「改革」を受け入れてゆくかとも感じる。いろいろ感じた一日だった。

6月某日
快晴の日曜日だが一日会議。会場から国会がきれいに見える。60年安保の時は小学校5年生だったが、テレビで安保のデモをみて興奮した記憶がある。本日は、そのピークだった日。こんなにさわやかで静かな国会周辺。一方地下鉄には、サッカーのワールドカップのイベントに出かけようとする青いユニフォーム姿の若者や家族連れ。日本は「幸せな国」になったんだと思う。

6月某日
前日寄贈をうけた『都公社研紀要』の50号記念号を読む。戦後の全国社会科研究会の資料を集めた部分が特筆すべき仕事だと思う。研究会の記録だけでなく、研究会関係の先生が関係した教科書や、東京都の教員採用の数字まで調べてあり、貴重な記録である。主に大田正行先生(ネットワークのメンバーでもある)がまとめたと仄聞しているが、この種の記録を集めるのは大変な労力が必要で、敬意を表したい。
「ちなみに」、私が都の試験をうけた年の記録もあり、現在に比べると随分倍率も低く、入りやすかったのがわかり苦笑してしまった。要するにもぐりで教員になったのがよくわかる。でも、数はパワーだと居直りの気持ちも涌いてきた。
同誌の前半部分はいろいろな先生方の文章が掲載されている。やはり、具体的な事例があったり、思いがストレートに出ているものは面白い。文は人なりなのかもしれない。

6月某日
区の選挙管理委員会にでかける。授業で模擬投票をしようと思い、投票箱を借りる手続きのためである。選挙管理委員会でも、若者の投票率を挙げるためもあり学校教育に注目していて、大変協力的である。今回も投票箱だけでなく、先方のすすめで記載台まで借りることになった。経済教育もそうなのだが、学校外部の支援は確実に厚くなっている。それを授業のなかで取り入れ、活用するのが現場のわれわれ(とはいえ私は来年三月までだが)であるということを感じて帰宅した。

6月某日
病院へ。やっと一連の検査が終了。腫瘍はあったが、良性との診断。これにて一件落着ではなく経過観察ということだからいわば執行猶予かもしれない。この間、本人は意外と平静だったが、家族の心配が大きかったようだ。申し訳なくかつ有難く思う。
検査を通じて感じたことは、現在の医療技術の進歩が一つ、もうひとつはお金がかかるなあということである。健康保険で3割負担でも検査に結構なお金がかかった。私のような年寄りにこんなにお金をかけるよりもっと必要な人が、もしくはかかりたくてもかかれない人がいるのではという思いを抱いた。
丁度、『子どもの貧困U』(岩波新書)という本を読んだばかりだったので、特にそう感じたのかもしれない。この本の紹介などは次回にまわしたい。



非常勤日記 50回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/06/10(Tue) 07:33 No.678

6月某日
粕谷一希氏の本を学校の図書館から借りてくる。粕谷氏は旧制都立五中、私が今勤めている小石川の卒業生で、5月末に逝去された。図書館では関連の本のコーナを作って紹介していたので、そこにあった何冊かを借りたというわけである。未読だった『対比列伝』(新潮社)という本が面白い。戦後の思想界や文学界や政界などで活躍した人物を対比させて論じたもの。このなかで一人だけ対比されていないのが和辻哲郎。この本のもとになったのは、いまは無き雑誌『諸君』連載の文章。編集者としてもまだ油の乗っている時期のもので文章の勢いが違うと感じる。また、今の保守派の雑誌や論調にはこの種の知性がなくなっているなと感じる。
ちなみに、粕谷氏が編集に加わった小石川の同窓会による創立70周年誌『立志、開拓、創作』という本は、この種の記念誌の中では出色の出来だと思っている。校内にはごろごろあって埃をかぶっている。もったいないことだ。

6月某日
中学生の授業で調べ学習と発表学習に入る。まだ政治の授業で、人権関係の裁判例をグループで調べさせ、それを発表するという流れにした。ちなみに、裁判例は中学の教科書では扱われていない。
図書館で調べ学習をさせる予定だったのだが、他の学年のバッティングをしてしまい、急遽PC教室での調べ学習となった。この学年でははじめての試みだったが、生徒のPC操作能力は大したもので、すぐにしっかり調べ学習にはいったのは驚き。こんなことは当節当たり前なのかもしれない。ただし、ネット情報ではウイキペディアにアクセスするものが多く、これは課題かと感じる。大学生でも同じであるが、ウイキペディアをどう乗り越えて、情報を吟味できるか、情報化時代の教育の在り方として宿題を与えられた感じである。

6月某日
二日間にわたって病院で検査を行う。遠い病院だったら入院検査ということになるのかもしれないが、近くの病院なので年休をとって通いである。
アイソトープを注射し、6時間後と24間後の動きを観察すると言うRI検査(ラジオアイソトープ検査)というものだそうだ。とにかくこの間いろいろな検査をやってきた。念のためということを信じるしかないが、検査技術も進歩しているので、ちょっとでもおかしいと検査となる次第。結果は、来週わかる。

6月某日
雑誌の『経済セミナー』で、名古屋市立大学の横山先生が日本経済史に関するエッセイを書いている。それに複利計算の重要性が取り上げられているのを読む。金融リテラシーのポイントは複利の感覚がしっかり持てているかが重要ということを律令時代から歴史的に説いている。内容も興味深いのだが、そのなかで猪俣津南雄『踏査報告 窮乏の農村』岩波文庫が取り上げられていた。懐かしい名前なのでホーッと思ってしまった。猪俣なんて今の人はほとんど知らないかもしれないが、昭和の初期の日本資本主義論争のなかで労農系として活動した人物。むかし猪俣にちょっと関心があって岩波文庫の『窮乏の農村』を買った記憶があるのだが、どこかに行ってしまったかもしれない。家探しをして再読もよいかと思う。
ちなみに、横山先生のエッセイには、大竹先生の『競争と公平感』中公新書も引用されていた。

6月某日
関東が梅雨入りをする。5月末から6月上旬は30度を超える暑さだった。それが一転して低温の状態となる。体を調整するのが結構大変である。通勤の電車ではエアコンを入れ出したのだが、これが寒い。体感温度は年齢と共に変化するのかもしれないが、自然に逆らわず生きられればいいなと感じる。
本日、かっこうの声を聞く。かっこうとあじさいは、梅雨の象徴で、私は嫌い。



非常勤日記 49回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/05/31(Sat) 21:27 No.677

この日記も一年たちました。投稿ページを自分のブログのように使い申し訳ないと思いつつ、こんな記録もまたよしと居直っています。来年3月の第二次リタイアまで続けて、変わりゆく学校現場の報告としようかと思っています。

5月某日
中間考査の採点をする。予想より出来が良く、ちょっと焦る。とはいえ、中学生それも公立の一貫校の生徒だから当たり前なのかもしれない。予告した問題はよく準備されていた。出来が悪かったのは、効率と公正に関する事例をあげて分析させる問題。何を基準とした効率なのか、どんな公正なのかの詰めが甘く、もっと時間をかけて丁寧に説明する必要があるなと反省。まあ一年かけて繰り返し登場させて定着させればよしと覚悟を決める。
使用している「作る会教科書」についての感想を聞いた部分(採点は字数で、内容は問わない)では、多くの生徒は押しつけがましいと違和感を表明。ごく一部だったがこれでよしとする見解もあり興味深かった。授業の感想では、新井の授業は左翼的というコメントが登場しておいおいと思ったり、生徒の動向なども分析できる考査だった。

5月某日
甲状腺の検査結果がでる。一応現在の数値は悪性ではないが、経過観察というグレーな結果。それでも手術をやらなくて済んだわけだから上出来か。とはいえ、無罪放免ではなく、今度は副腎の検査をすることになる。これはアイソトープを使うもので二日にわたって行うことになる。
本人はいたって元気なのだが、検査が続くとややグルーミーにもなる。ただし、これを機会に後期高齢者にむけて何をなすか、なさないかを考えるのは意味があることか。

5月某日
老人ホームの母が読んでいる本を借りてくる。母は90歳を過ぎて耳は遠いのだが、その分新聞を読み、暇つぶしに本を読む。お好みは軽い推理小説と時代もの。今回は時代物で『みをつくし料理帖』というシリーズを借りてくる。人情ものかつ「おいしんぼ」風の料理対決もある内容で、結構面白く読み続ける。いままで小難しい小説を読んできたが、この種の小説もいいかもしれない。でも、母に言わせるとみんな同じで、何を読んだか忘れてしまったとのこと。まあ、それでも活字を読む老人は良しということにしておこう。

5月某日
会議の前に寄った本屋で、下谷政弘『経済学用語考』(日本経済評論社)という本を入手。日経新聞の書籍広告で見て気になっていたのだが、実物があったので購入。経済学の用語は輸入学問であることを背景として明治になってから作られたものだが、経済学は理財学とも言われていたり、その言葉が定着するまでには歴史がある。そんないくつかの経済用語をとりあげてその由来と経緯を紹介した半分学術的、半分エッセイ風の書物である。
それを読んでいたら、カルテルやトラスト、コンツエルンに関して高校政経の教科書の記述が取り上げられていた。それが清水書院の『新政治・経済』で、私が書いた部分であった。この三つをあたかもお経のように唱えて、教科書の記述を信じてきたがそれは本当かというのが著者の問題提起である。
このような提起をするのだから、答えは正しくないということなのだが、確かに現在の教科書では無批判にそれまでの記述を踏襲している個所が少なからずある。それをゼロベースできちんと書くのは現在の仕組みでは無理というのが私の見解だが、問題提起そのものは重要だと感じる。
この種の語源探索は時間がなければできない面もあり、第二次リタイア後に挑戦するには格好のものかとも感じる。ちなみに、私は機会費用という言葉にこだわりがあり、それの語源探索をしてみたいと考えている。はたして、来年以降、それができるか、健康と気力が大事と改めて思う。



非常勤日記 48回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/05/19(Mon) 21:05 No.676

5月某日
スキャナーを購入する。今頃と思われるかもしれないのだが、ほとんど使ったことがなかった。それが、韓国との原稿送信にからんでPDFファイルを要求されてしまった。通常の原稿をPDFに変換することは簡単なのだが、サインした書類を送れといわれて困ってしまった。職場のスキャナーが使えないかなどいろいろ考えたのだが、それほど高いものではないのだから買ってしまえば困難解決と、やっと決心して購入した次第。
早速書類を作りファイルに変換した。まあ簡単にできてしまう。これならもっと早く準備しておけば良いのにと思った。これと同じようにあればとても便利というものがきっとあるのだろう。でも、ぎりぎりまで文明の利器と距離を置いて暮らすのもまたよしと、居直る気持ちも強い。さて、これからどうなるか。

5月某日
テスト準備に入る。この日誌をはじめた昨年は総合の授業担当だったので、定期テストはなかったのだが、ことしは中学公民。生徒にとっては重大事であると同時に、私の方も中学生がどのくらい理解しているのかを確認する重要なチャンスとなる。書かせる問題を多くするために、知識の確認問題は記号式にして大量の問題を出すことにする。このあたりの事情は「メルマガ」5月号に書かせてもらった。どんな結果がでてくるか。楽しみだ。

5月某日
教室で紙ヒコーキが飛んだ。初めての経験。昼休みのじゃれあいの延長線でやったのだろう。でも、許しがたいということで徹底的に絞り上げる。教室が凍る。「何様だと思っているのだ、授業をなんと思っているのだ、こちらは命がけで伝えたいものがあるからやっているんだ、冗談じゃないんだ」と大声を出す。生徒はびっくりしただろう。多分、本気で教師にこんな風に怒られたことはないのだろう。こちらも少々恥ずかしい思いをする。すぐに気分を転換できずに残りの時間は板書したものを写させるだけで終了。当事者の生徒をあとでフォローする。

5月某日
出入りの本屋さんに頼んでいた本が届く。一冊は、法と経済に関する本、もう一冊は行動経済学の本。両方とも有斐閣の大学生向けのテキスト。法と経済の本は、神戸大学での法学部と経済学部の先生のコラボ授業を基にした本。法学者の発想と経済学者の発想の対照が面白いし、よく分かる。行動経済学の本は中級テキストで、練習問題つきのもの。教科書がでてくると制度化のメルクマールというのは、佐和隆光さんの指摘だが、行動経済学もいよいよ日本の大学でも制度化されて本格的に学ばれる時代になったのだと感じる。こちらは初級のミクロを済ませたことが前提で書かれているので、数式などもありちょっと手ごわい。それでもこの種のテキストがどんどん出てきて欲しいと思う。

5月某日
久しぶりに小説を読む。村上龍『55歳からのハローライフ』。解説者も書いていたのだが、単行本のときには、『14歳からのハローワーク』の延長だろうと思っていた。内容は、高齢者の人生リセット物語である。とても読みやすく、主人公が飲む飲み物がちょっとした小道具になっていてすぐに読了した。テレビドラマにもなると腰巻に書いてあった。村上龍の小説はややオーバーラン気味なのだが、その時代その時代を鋭くえぐる内容のものが多い。それから言うと、いよいよ日本も本格的高齢社会になったんだと思った。



非常勤日記 47回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/05/05(Mon) 11:49 No.668

4月某日
体調不良。かぜがやっと治ったと思ったら、今度はぎっくり腰になる。ぎっくり腰はもう何度もやっている。平均一年に一度くらいはなってしまうようだ。今回は、かぜのくしゃみをしたらなったようだ。ようだと書いたのは、すぐにぎっくと来たわけではなく、一日くらい変だなと思って、そうだこの痛さはぎっくり腰だと気付くというプロセスをたどったからである。なぜそうなったのかと思い出してみたら、あああの時の咳だったんだとたどっていったという次第。
これは医者にいってもすぐに治るものではないので、鎮痛剤としっぷでおとなしくしている。本日が出講日でなくてよかった。

4月某日
ぎっくり腰二日目。そろりそろりと歩く。通勤の電車は幸いにして途中から座れるので無理をしないように移動。授業は運よくビデオを使う内容だったので、板書もパワーポイントで代用。生徒は多分、先生がぎっくり腰だったとは思わなかったのではなかろうか。年の功なのかなんなのかである。

4月某日
腰は痛いが、時間の問題と覚悟する。
経済倫理の問題の延長で、ハイエクを読みだす。というのは、『岩波講座政治哲学』という本を大学の図書館から借りて読んだら山中優という研究者の論文があり印象的だったので、山中さんの『ハイエクの政治思想』勁草書房、という本をよんでみたという流れである。いつもの、芋づる式読書である。
山中さんという人物はまったく知らない人だったが、この本は面白い。問題意識としては社会主義なき21世紀にハイエクを読む理由は何かというもので、ファシズムとスターリニズムに対抗しつつ、ケインズ的福祉国家にも批判的だったハイエクが、今評価されていることの意味をさぐり、ハイエクを通して現代の日本を読み解こうという趣旨の本である。結論的には、新自由主義者がハイエクを称賛するけれど、その結果はバブルであり格差社会であり、ハイエクの真意を読み損ねているというものだ。リバタリアンとして市場を受け入れるのであればハイエクの自由や市場に対する厳しいメッセージを読み取るべしという意見は納得できるところが多い。
でも本当にハイエクが山中さんの言うようなことを言っているのか、自分でしっかり確かめることは難しいなと嘆息する。それでも共感を覚える本にぶち当たるのはうれしい体験だと感じる。
ちなみに、山中さんをインターネットで調べてみたら、この春から大学を辞め某宗教団体の専従職員になったとの自己紹介を見つけた。これもびっくり。学問と生き方、それを支える宗教(エートス)の関連を考えさせられた。

5月某日
5月になった。本日はメーデーなのだが、そんな日があっただという感じになってしまった。出講日ではないので、懸案だった内科医院にでかける。学校の集団検診でひっかかり、二次検診でMRまでとったものだ。経過観察ということでほっておけと考えていたのだが、つぶせるものは潰しておいた方がよいのではと思い直して、専門科がある医院にでかける。最終結果はでていないが腺腫があるということは分かった。ほとんどが良性だがまあさしあたりは血液検査をやっておきましょうと言う。
この間、現代の医療の問題を感じることが多かった。一つは、同じ内科でも対象の器官が違うと診断できないということがある。かかりつけの主治医はアレルギーと呼吸器が専門。つまりぜんそくの専門医。今回紹介されていったのは、甲状腺の専門家。以前紹介されていったのは心臓。まったく部品ごとにそこだけを見るという分業である。分業と交換が経済社会の原理だとするとそんなものかと思うが、もうすこし全体を見ることはできないものかとも思う。もう一つは、医療機器の進歩である。二次検診でCTをとったのは明らかに新しい機械の償却のためだと思う。それを言ったら、かかりつけの内科医は色をなして反論し、空気が悪くなった。でも、それは経済の原理だよなと思ったりしている。
とにかく、部分だけ肥大している医療の現状を垣間見た感じである。とはいえ、学校だってそんなものかもしれないとわが身を振り返って考えている。

5月某日
連休の谷間に、生徒と裁判傍聴にゆく。例年の恒例行事。これまでは事前にどんな裁判があるか一週間前から調べることができたのだが、当日にならないと分からないと言われてどうなるかと思っていた。幸い、いくつかの新判の事件があり、生徒を分散させて傍聴ができた。なぜそんな手続きが変わったのか、特定秘密法の成立と関係があるのか、確かめておけばよかった。

5月某日
届いた雑誌のThe Economistを眺めていたら、トーマス・ピッキイという経済学者が論説と記事で紹介されていて読んでみる。彼の『21世紀の資本主義』という本がアマゾンでベストセラーになっていると言うことだそうだ。それだけでなく紹介記事のタイトルがBigger than Marxとなっている。かつてマルクスを学んだ人間にとってはどれどれという気になるタイトルだ。そもそもピッキイという人物そのものを知らなかったので、興味深く読んだ。記事は、批判的なスタンスでの紹介だった。この本では、資本主義はその内部に冨の集中と不平等と不安定を抱えているという主張がされているとのことだが、この手の本がベストセラーとなるアメリカ(原著はフランス)の知的世界の底力のようなものも感じる。きっとどこかから翻訳がでるだろうからそれから読んでみようと思う。



非常勤日記 46回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/04/19(Sat) 15:03 No.664

4月某日
本日から新学期。午前中に始業式、午後は中学の入学式である。
入学式では何回目かの職務命令をもらう。これもあと一回で終了か。あたり前のように管理職は職務命令を出し、教員が受け取るという仕組みが東京ではこの10年でできてしまった。世の中はこんな風に変わってゆくものだという思いと、これもおとなの対応の一つなのかという思いの二つが交錯する。

4月某日
ちまたではSTAP細胞を巡る論議が沸騰している。
こんなのは簡単で、第三者による再生ができれば存在はあるのだし、それができなければ科学的にはアウトである。少なくとも現在の時点では第三者は確認できていないし、再生もできない。ポパー流にいえば、反証可能性が問題であるので大騒ぎすることではないように思うのだが。
この論議に絡んで、教育論文は科学的かという問題を考えざるをえない。私もそうなのであるが、自分の実践を紹介するだけで「論文」としているが、厳密には単なるエッセイとか実践記録ということになるのだろう。実験ノートもないし、生徒の書いたものをもとに、効果ありなどと書いてきた自身を振り返ると恥ずかしい限り。とはいえ、教育の一回性、個別性を考えるとやむをえないのだろうとの思いもある。

4月某日
はじめて中三の授業にでる。みんなまじめで、この人誰だろうという顔で聞いている。もっと元気かと思ったけれど、意外におとなしい。これから本領が発揮されるのか、しつけの結果なのか、もう少し様子をみようかと思う。
本日は、コミュニケーションとメディアの話に早速入る。なにしろ、テストの間に授業をやっているようなものだから、一時間でも無駄にはできないのだ。
新聞の調査では、やはり朝日と日経購読家庭が多い。作る会教科書の内容を批判的に検討するチャンスは多そうだと感じる。

4月某日
雑誌「The Economist」をながめていたら、A History of Finance in Five Crisisという特集があった。エッセイとなっているから論文ではなく、読み物ということなのだろうと思う。5つの危機とは、1792年、1825年、1857年、1907年、1929年の5つである。1792年はハミルトン時代の第一国立銀行の話。1825年は初めての世界恐慌として高校教科書にも登場するが、ここではメガバンクの登場がメインの話。1857年は、最初の世界金融恐慌という。1907年はアメリカのFEDが形成された恐慌と位置づけている。1929年はご存知のとおり世界恐慌である。これから見ると、100年に一度といわれたリーマンショックなどはまだ序の口ということになるのだろうか。要は、政府が銀行を救済するかどうか、それぞれの恐慌で現在の金融の安定性を維持するためのシステムがこれらの恐慌で生まれてきたというのが、このエッセイのミソのようだ。ただし、最後の貸し手の政府というこの号の論説などを見ると、政府が金融に登場することをそれほど歓迎しているわけではなさそうだ。自由経済擁護の同誌らしいエッセイと言えるのかもしれない。ともあれ、専門家は別として金融というちょっと違った角度から歴史を振り返るのもまた一興だと思うが、何せ英語なのでどこまで正確に読み取れているかは神のみぞ知るということにしておこう。

4月某日
どうも体調が良くない。三月に風邪をひいて、なんとか回復したのだが、気候が不順なせいか、また体調を崩した感じである。下着のシャツを薄いものにしたのが原因かもしれない。年寄りは、体温が低いのでそとが少し暖かくなったからと言って油断してはいけないのかもしれない。いまに、夏でもらくだのシャツを着るようになってしまうかもしれない。



非常勤日記 45回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/04/05(Sat) 20:23 No.662

3月某日
 消費税値上げ前の買い物の一環で駅までゆき、定期を購入。平日の昼だったのですいていたが、構内放送では30日や31日は混雑が予想されるので早めに購入してほしいと呼びかけている。帰宅して、妻と一緒に近所のホームセンターに雑貨を買いにゆく。今年はあかちゃんの紙おむつなども購入。家族構成が違ってくると買うものも変わる。

3月某日
孫のお宮参りに出かける。嵐を呼ぶ男のようで大雨となる。神社内の枝垂桜は満開だったが、雨に濡れそぼり寒そうである。娘夫婦も特別にお祈りをしてもらわなくともよいという事で、簡単に参拝して終了。こんな日でも何組かがお宮参りに来ていた。文化なのか形式なのか、微妙であるが、まあ、子供の成長を祝う通過儀礼として考えればよしということで、納得。
本日で、娘と孫は自宅に帰る。家が急に広くなった。

4月某日
 本日から新年度。最後の一年となる。非常勤で継続なので特に出かけなくともよいのだが、勤務日数の関係で出勤。朝、通勤の電車で目の前の席が空き、今年はついていると思う。単純なものだ。
 昼は韓国からの留学生H君と会い、昼食を食べながらいろいろ話す。彼はお父さんも日本留学をしていて親子二代での付き合いとなる。韓国の経済教科書の内容を教えてもらったり、4月から進学する大学院の話などをする。経済学専攻で労働経済をテーマにするとのこと。ネットワークに誘おうとしたら、大学院は休学にして4月から徴兵で陸軍に入隊するとのことである。
 韓国ではまだ徴兵制度があり、陸軍だと21か月の徴兵の義務がある。日本の若者と決定的な違いだ。2年後に戻ってきたらきっと筋骨隆々の若者になっているのかと思うと複雑な思いである。

4月某日
 このところ、授業準備と並行して以前読んだ本を読み直している。本日は、塩野谷祐一『エッセー 生・徳・善』ミネルヴァ書房である。塩野谷さんのこの本は「授業に役立つ本」でも紹介したことがあるが、規範経済学を比較的易しく述べた本のなかでは再読に値するものだと思う。そのなかで、新古典派批判としてラスキンが取り上げられているので、「この最後の者にも」というラスキンの経済論文を読む。さらにそれを取り上げている、伊藤邦夫『経済学の哲学』中公新書も読み直す。
 ラスキンは言う、「利己心にもとづく政治経済は、すべてその昔、天使政策に分裂をもたらし、天国の経済に廃墟をもたらしたものの再現にほかならない」「生以外に冨は存在しない。生というのはその中に愛の力、歓喜の力、賛美の力をすべてを包含するものである」と。これはミル批判から出てきた言葉であるが、傾聴に値するが、ではどうするかという点ではやはりロマン主義なのかとも思いながら読み進めている。
 ラスキンの非現実性を批判するのはたやすいが、本当に必要なのはこのような人間に対する総合的な視野なのかとも思うところがやわな人間である証拠かもしれない。

4月某日
 本日も、授業準備と読書を続ける。なにしろ、今年は教師になって初めて中学生を教えることになっているので、ちょっと緊張気味でもある。それに、使う教科書が「作る会」の公民であるので、よけいかもしれない。あの本のぎらぎら感は、教育には向かないとおもうのだが、教育も政治の一端だと考えると、しっかり使い切ってみるのもお役目かとも思ったりする。
 さて、本日の読書は、加藤哲郎『ゾルゲ事件』平凡社新書である。加藤さんは元一橋の社会学部の先生。ロシア革命と日本人をテーマに、ソ連で粛清された日本人を追いかけている。その一環としてゾルゲ事件に絡む人物、特に伊藤律をテーマにしたのがこの本。
 世のなかにはゾルゲリストと呼ばれるゾルゲ事件に関心を持つ人間がいるという文章をどこかで読んだが、実は私もゾルゲリストの一人。授業で扱ったこともある。その時はゾルゲより尾崎秀実の生き方を扱った。さて、加藤本であるが、結論を言えば、ゾルゲ事件は日本の特高による事件化と、戦後のGHQのG2による事件のとらえ返しという二つの要素があるということが書かれている。そして、米国の公文書館での新資料などから、出発点として米国共産党日本部が事件の出発点にあること、伊藤律は裏切り者ではないことなど興味深い事実が発掘されている。
 結局、コミンテルンが旧ソ連の利益組織であり、それに対抗する様々な情報戦があったこと、さらにそれは冷戦後の現在も続いていることを知らしめたという意味ではとても面白い本だった。ただし、記述に重複が多く、読みやすいとは言えないところが難点。
 特定秘密法案を巡る論議でもゾルゲ事件や尾崎秀実が取り上げられているが、だから秘密法案が必要なのか、そんなものを通して秘密にしたって意味があるのかなど現代的な問題も考えさせられる。

4月某日
 韓国のKDIから依頼された「こんな授業はどうですか」の原稿を書く。一度だけでいいのかと思ったら先方は連載を予定していたみたいで、少々あわてる。第二回目は、金融を体験するというタイトルで、いつもやる貨幣量と物価の関係のオークションを扱う。
 原稿は、比較的簡単に書けたのだが、韓国の金融政策の実態が分からず、韓国銀行のHPを見る。ハングルはわからないので英語版を見ながら原稿を書き上げる。締め切りまでもうすこしあるので、寝かせてブラッシュアップしようと思う。



非常勤日記 43回 44回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/03/27(Thu) 18:52 No.661

今回は、43回と44回の二回分を投稿します。

43回分

3月某日
点票提出日。成績を出すときはいつも迷う。点数をつけてゆくなかで生徒の顔が浮かぶからである。これが入試のように人格と関係なければ純粋点数で付けられるのだが、一年つきあってだんだんと性質や勉強への姿勢がわかるとそうはゆかない面がのこる。だから人物本位の選抜というのはありえないのだろう。
それはさておき、結局は冷酷に出て来た数字をもとに評価を下す。したがって少々厳し目にでてくる。今年持った総合学習などは、最終的には三段階で評価をし、それをもとに文章化するという手続きを取る。よくやったというのが4分の1強である。総合がいかに生徒にとっては「余分で」「無駄な」時間になっているかということだろうと、ここでは書いておく。とはいえ、こんな結果になったのもわが力量のなさの反映と思うと、馬齢を重ねるということばが身にしみる。

3月某日
大学の図書館から借りた、シ−プライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』みすず書房、を読む。この本、著者より訳者に山形浩生さんがいることで読んでみる気になった本。タイトルのつけ方がいかにも山形さんらしく、原本のタイトルはTHE COMPANT OF THE STRANGERSである。要は人間がいかに協力をはじめて経済を形成してきたのかを文明論的に述べた本である。分業と交換がいかにはじまりそれがどこまで続くのか、農業の発達から商業、金融と続き、戦争や経済危機、特に金融危機などを素材として語っている。前回の青木さんが、比較制度分析というゲーム理論をベースにした全体把握をしているのに対して、経済人類学的なアプローチといって良い。大部だが訳がこなれていることもあり、すらすら読める。でも、どんどん忘れれしまい、タイトルのエキセントリックさだけが残る本だった。

3月某日
研修会の講師を頼まれて、仙台へ往復。金融広報アドバイザーの方々の勉強会で、金融教育の広げ方のコツ、手立てなどを語る。仙台へは何度目かだが、途中福島を通過している間に、除染でたまった残土のおき場所を作っている箇所が目に付いた。負の遺産の清算は簡単ではないという風景である。
研修会は少人数だったが、アットホームな雰囲気で進行。地域の課題に根ざした金融教育を進める必要があるという話をする。宮城では震災の復旧のなかで地元志向が強まったとのことだが、親は子どもを出したら帰ってこない、子供は地元にいられれば何とか生活できるから楽だという内向き志向のものなので、本とうにそれでよいかという話題などが出る。グローバルな人材作りと教育界ではカネや太鼓でスローガンを掲げるがそれぞれの場所での課題と上手く結ぶことが大事だとも感じる。

3月某日
妻が発熱。声もがらがらだから、風邪だろうと思う。このところの不順な気候もあるだろうし、出産後の娘と子どもの世話をしてきてちょっと「テンパって」しまったのかと思う。
本日は、老人ホームの母を見舞ったあと、指示された買い物をする。おとこの買い物で、指示通りのものでなく、それを取替えに行ったり結構ばたばたしている。
夜は、何十年ぶりに赤ちゃんをお風呂に入れるのを手伝う。ビニールプールのような空気を入れるベビーバスに入れるのだが、まだ首が据わらないので、おっかなびっくりである。自分たちも経験してきたのだが、子どもを育てるというのがいかにエネルギーを投入する仕事かということを実感。
世情、ベビーシッター事件が報道されているが、SOSが出せる仕組み、それを受け止める受け皿が必要であることが良く分かる。


44回分

3月某日
妻の発熱に続き、娘も発熱。インフルエンザではないようだが、とにかく赤ちゃんに移らないように細心の注意をすることになる。
家庭内ががたがたしているので、年次総会にはゆかないことを決心。記録などの依頼を行う。研究会活動をしていると、家族の変調で活動を停止することがままある。今回もそれと覚悟をする。最初から日帰りの予定だったが、ゆかないことを知らせたら、家庭内にほっとした空気が流れる。家庭と仕事の両立は結構難しいことを実感する日々である。

3月某日
妻が回復。本人いわく。私のバロメータはお酒が飲めなくなることで、さすがに一日はだめだったが、あとは熱があっても飲んだ。女は強いのだという事だそうだ。娘は母乳で育てているので薬が飲めずちょっと大変だったようだが、汗をかき熱が下がってきた。これでひと山越えた感じである。

3月某日
本日は終業式。表彰も行われ、授業でしかけたコンテスト関係の生徒が二組表彰された。生徒はみんなの前で表彰されることを名誉と感じているようで、素直に喜んでいた。私たちが高校生くらいの大昔はこのような表彰は行われなかったし、そもそも表彰を名誉と感じる雰囲気もなかったので、時代の変化を感じる。離任式も同時におこなわれ、英語でスピーチした先生やバック転を披露した先生など、これも時代の変化を感じさせる離任式であった。
午後は、野村ホールディングスが主催するストックリーグのプレゼン大会に生徒と出席。1チーム5分の持ち時間をうまく使ったプレゼンに感心。ここでも英語のプレゼンがあり、学校教育の変化を感じる。野村社員がそれにコメントするのだが、それぞれの社員のコメント力が比較できてこれも興味深い。社員にとっては厳しい場かもしれない。わが小石川チームへのコメントは的確で、こちらの弱点もよさもしっかり指摘してくれていて大変関心。通り一遍のほめ言葉より、課題や問題点をずばりついてくれる方が本当は有難いということを感じる。
私もそんなコメントができるのか、時には試されているんだとの思いも抱く。

3月某日
本日から春休み。回復した娘と妻のアッシー役でメガネ店にでかける。娘はコンタクト派なのだが、子育て中はメガネにするということで検眼と購入をするとのこと。働いている時はファッションや見栄えにこだわっていたが、今回は量販店でよしとなる。
ちなみに、この店は福井県の鯖江が本拠で、メガネフレームと言えば鯖江という地場産業の典型的なケース。海外との価格競争にも負けずに頑張っている。こういう頑張りは応援したくなる。
午後は、大学入試問題の解説の仕事。アルバイトであるが、勉強だとおもって継続してやっている。とにかくなんでこんな問題出すのという私の怒りの源泉でもある。出題者の苦労も分かるが、「どーだ問題」を出さなくともしっかりした学生は選抜できることをもっと知ってほしいものだ。



法と経済に関する2題 投稿者:TM 投稿日:2014/03/19(Wed) 18:45 No.660

法と経済に関する2題                

1.原理的違い
法と経済は基本的に考え方が違うという指摘がある。

1a) まず経済はあくまで効率性の尺度でしかものごとを図れないが、それ以上の価値判断(例えば所得分配など)は政治や法律や倫理の問題として決めるべきこと、という考え方がある。
これによると、法と経済は補完的なもので共存可能とみなされる。

1b) しかしより基本的に考えると、法では何が許されるか許されないかを「先見的・原理的」に決めて、それに照らして現実を判断するのに対して、経済で何かいいか悪いかは「結果的」に経済的な厚生が増しているかどうかで判断するという。
前者は「動機説」ないし「原理主義」と呼ばれ、後者は「帰結主義」と呼ばれる。
しかし、この違いは、必ずしも法と経済の違いに限らず、経済の考え方の中にも存在する。その典型が、極端な自由放任主義であるリバタリアニズム(自由意志論)で、個人の意思が何よりも重要で、政府による介入は一切排除するという思想である。これによれば、例えば自由放任主義で、市場で独占が生じても政府が反独占政策を取ること自体が悪とみなされる。

2.ロナルド・コースの議論
いずれにしても、法では「動機説」ないし「原理主義」なので、何かが望ましくないとして禁止した場合、その緩和は基本的に許されない。
しかし、経済ではしばしば規制を緩和(特に経済的取引)によって、誰もが経済的利益を受ける場合が生じる。そこで当事者間の経済的取引で、経済的に効率的な解を求める「ロナルド・コース」(1991年にノーベル経済学賞受賞)の考え方が重要になる。つまり規制によって損害をこうむる側が利益をこうむる側にお金をはらって、少し規制を緩めてもらうことで、両方の側の厚生が増大する場合がある。
ところが問題は、このような取引は経済的に正当化されても、通常法律的には許されないので、実際にやると贈収賄などの法律違反となる。

しかし経済学者が法律家や政治家などと議論して、法律をより経済効率性に合うように変えていくことは可能であり、そうすることが望ましい場合が多い。
たとえば、個々の企業や各国に課された汚染物質の排出基準などは、以前は排出そのものがいけないという考え方であったが、今では全体として排出の総量が一定以下であれば、その負担は企業や国の間の取引で効率的に分配できるようになったというのが一例。
また、建物の高さや容積率の制限に関しても同様に、容積率の取引を許せば、東京駅は4階以上の不要な容量を周辺の高層ビルのデベロッパーに売却して、駅の改修の費用を捻出するなどの工夫が可能になっている。
(宮尾)



非常勤日記 42回 投稿者:新井 明 投稿日:2014/03/14(Fri) 20:54 No.659

3月某日
期末考査終了。これから私の総合はテストを行う。今回は、模擬国連を踏まえた論述がメイン。事前にお題を与えているのでレポート替わりでもある。
今の学校は科目数が多いので、宿題にすると生徒はアップアップで結局提出してもいい加減なものも目立つ。それならいっそのこと授業時間で済ませた方がよいという判断である。
採点をはじめたが、なかなかよく書けている。事前に、英文のエッセイと同じように三段構成(序論、本論、結論)で書けばたいていは大丈夫と言っていたのがよかったのかもしれない。それでも教員は欲張りなので、もう少し具体的に書けばよいのにとか、いいこと書いているけれど所詮は優等生の作文だなどと厳しいコメントを書いてしまう。

3月某日
日経ストックリーグの表彰に生徒と共に出席。高校の部での部門賞は桜修館の高橋先生の教え子たち。わが小石川は第二位の奨励賞。それでも素直によく書いたと思う。表彰後のパネルディスカッションで、高橋チルドレンの生徒が本当の対話をしたいと発言。そうだよな。ディスカッションとなっているけれど、事前に発表者を振っておいたやらせだし、パネリストのご説を伺うという一方的形式のものだものね。その元気な発言に感心。本日の一番の収穫だったかもしれない。

3月某日
昼食はたいていお弁当なのだが、本日は作ってもらえなかったので外に食べに行く。その帰りに本屋により新書を購入。買った本は、青木昌彦著『青木昌彦の経済学入門』ちくま新書である。これが面白い。
青木さんは制度経済分析の一人者だが、各種講演をあつめたこの本、青木理論をきわめて分かりやすく述べたものとなっている。そういう内容面も面白いのだが、ちょっとしたコメントが興味深い。
例えば、経済学を学ぶには数学をしっかり学べと言う箇所では、自分の数学的な素養のバックグラウンドになったのは高校時代の数学であるという。そして、「振り返ってみると、当時の公立高等学校の数学の先生は本当に数学を教えるプロだったと思います」と発言している。英語も同じと言う。青木さんは都立小山台高校(旧都立八中)出身とのこと。都立高校の卒業生である筆者もそう思う。それにくらべて現在の私たちのなかにどれだけプロがいるか、忸怩たる思いである。
もう一つ面白かったのは、自身のマルクス経済学からの転換を述べた箇所で、宇野理論と比較制度分析の似た箇所を述べている個所である。マルクス経済学はいまや死滅しつつあるのだろうが、原理論、段階論、現状分析という宇野理論の発想は構造的にものを考える手がかりになるのだと改めて思う。三つ子の魂は百までもなのかもしれない。

3月某日
本日は卒業式。今回もしっかり職務命令書をもらった。ただし任務が受付なので、うたの場面では会場外で待機していることになる。いまや当たり前になっている式の風景であるが、そうでなかった時代もあったということは記憶にとどめておきたい。
式はパフォーマンスなどがないシンプルなもので一時間で終了。生徒は終了後集合写真をとり名残惜しそうであった。彼らの前途に幸あれである。

[直接移動] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39]
投稿記事のbニ、投稿した時のパスワード(削除キー)を入れると修正・削除ができます
記事の修正では、ファイルの追加削除も出来ます。お気軽にどうぞ。
処理 記事No パスワード

- Joyful Note -
- JOYFULYY v2.45 :Edit by Yamamoto -