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授業で役立つ本 94回 投稿者:新井 明 投稿日:2012/05/13(Sun) 20:41 No.513

 今回は、経済の本の紹介ではなく、芋づる式読書法について書いてみようと思います。
このテーマでは何回か書いていますが、今年は久しぶりに「倫理」を担当して、それを本格的に実施しています。

 教科「倫理」では、最初に青年期をテーマとします。ここでは、青年期の一般的特徴や課題をまとめ、生徒に「大人になるために今何を考えるべきか」という問題をなげかけます。親学問でいえば、心理学や社会学の領域です。

 経済学でも、行動経済学のように心理学との接点の領域が注目されてきたり、社会学では経済社会学、経済思想などがあり、全く経済とは違う領域ではありませんが、高校の授業ではそこまでは語れないので、授業では、初歩の心理学や社会学の領域を噛み砕き紹介することがメインとなります。したがって、授業準備では大学の一般教養のテキストなどが手がかりとなります。それでも、既存のテキスト以上にシャープに、現代風の問題提起をする場合、ヒントとなるのは、新しい本です。今回の青年期では、3.11以降の社会のなかで青年期を迎える高校生に一番近い、若い評論家の本を手がかりにしようと考えました。

 そんな場合は、本屋の新書などのコーナーを重点的に見て回ります。そこであたりをつけて何冊か本を買い込みます。立花隆さんなどは、何万円か分を一挙に買ってそこからあたりをつけるそうですが、我々貧乏教員は、まずは三冊程度でいいと思っています。なぜ三冊かは根拠はないのですが、だいたいそれであるテーマへのあたりがつきます。これは経験則です。

 今回の一冊目。まず目に付いたのが、宇野常寛・濱野智志『希望論』NHKブックスという対談本です。濱野さんははじめてですが、宇野さんは『ゼロ年代の想像力』や『リトルピープルの時代』で、サブカルを切り口に現代社会を読み解く本を書き、注目していたので早速購入しました。本を購入するときに役立つのが、腰巻の文句です。この対談集は「日本の現在に切り込む!若き俊英の徹底討論」とあります。それだけで一読してみようと思わせるものがあります。また、編集部作成のかなり充実した注があり、それを手がかりに文献のあたりをつけることができそうです。

 『希望論』の内容や注からは、北斗の拳、風の谷のナウシカ、フェイスブック、鉄腕アトム、ドラえもん、見田宗介、東浩紀、村上春樹、岩井克人などの言葉や人物が登場します。また、宮台真司、小熊英二などの社会学者やエヴァンゲリオン、AKIRAなどもでてきます。古いところだろ清水幾太郎、最近では「倫理」の教科書にもでてくるフーコーなども登場します。こう見てゆくと、現代を考える手がかりがこんなところ辺りにあるのだとあたりがつきます。芋づる式の始めです。

 一冊だけでは不安なので、おなじようなものをもう一冊入手します。二冊目ですね。今回は、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社、です。この本の腰巻は「26歳社会学者による2011年最大の話題作、全国紙制覇!」となっています。入手した本が7刷でしたから、新聞の書評や著者インタビューなどで注目を浴びていることがこれでわかります。かくいう私も、NHKのクローズアップ現代で登場した古市さんをみて、買うつもりになっていましたので、制覇された一人ということになりそうです。著者は、東大院生、上リストにでてきた小熊英二氏の慶應でのお弟子さんで、そのながれで東大大学院に進んだ若者?です。ピースボートの体験記を書き注目され、今回の若者論でさらに注目された人物です。

 若者の意識調査もあり、また、筆者自身も現代の若者であるがゆえに、「倫理」の教科書で取り上げられる若者論との比較もでき、この本は授業作りに直接役立ちそうです。

 このあたりの探索で、だいたい授業にふりまく現代風の調味料はできますが、それだけでは単に時代を追っただけとなるので、次に、少し本格的な評論や本にあたります。最後、三冊目に購入したのは、三浦雅士『青春の終焉』講談社学術文庫です。この本、ハードカバーが出されたときに、学校の図書館で借りて読んだことがあったのですが、その時は問題関心があわなかったのがほとんど心に引っ掛かりませんでした。学術文庫で新刊のコーナーでタイトルを見た時になにかひっかかるものがあり、思い切って購入しました。

 結論的に言えば、三浦さんの本が一番胸に響きました。前の二冊の若手がいかにまだうすっぺらいかがわかったと言ってもよいでしょう。ちなみに、三浦さんは雑誌『現代思想』の編集長などをしていた評論家です。
この本、タイトルは青年期を扱っているように見えるけれど、内容は文芸評論、特に小林秀雄とその周辺を扱った本です。だから、これは授業には直接は役立たず、なのですが、それでも私のような一次リタイア人間が16歳の若者に何を語るかを考える時に、大いにヒントになりました。

 ここから芋づる式読書がはじまります。
 まずは村上春樹。高校生が背伸びをして読む本の一冊として10年近く前に買っていた『海辺のカフカ』を引っ張り出します。再読して、「親殺し」「エディプス的状況」など授業と関連させて使えると改めて確認します。この本は授業プリントに「ちょっと危険な小説、でも読んでごらん」という形で書き込みます。

 次は、三浦本で中心的に登場する小林秀雄です。一番手っ取り早い『考えるヒント』から読み出します。そうするとなんと小林はユングの熱心な読者であることが分かりました。ユングがなくなった1962年にユング心理学に触れているんです。私たちは、河合隼雄さんの紹介のユングでユングを知っていたのですが、それ以前に小林秀雄が注目していたことが分かりました。

 ユングは今や教科書でも扱われていますから授業準備もかねてユングの再読をはじめます。何といっても面白いのは『自伝』です。これに関連して、ヘッセの『デミアン』に手を伸ばします。二つの世界というのがキーワードです。これは村上春樹ともつながります。ユングの原本にも挑戦。原本では、中公の「世界の名著」シリーズに性格論の一部が翻訳されていますので、それを読んでみます。このシリーズは40年前に購入していたもので、私の青春の思い出の本です。さらに、準備室の本棚をひっくり返してみると、『元型論』の翻訳があり、ほこりを払って読んでみます。このあたりは授業で使えるなと読んで感じました。

 ついでに、「世界の名著」シリーズのフロイトの『精神分析入門』も読み直してみます。科学主義のフロイトに対して、ユングとの違いがはっきり分かり、なぜ小林がユングなのかがおぼろげながら理解できます。

 そこから三浦本に戻り、今度はドストエフスキーに注目です。最後の勤務校の西高に異動した時に、カラマーゾフを読む少女がいて文化の違いを感じました。それに刺激され、私も挫折したカラマーゾフを通読したのですが、今回は『白痴』に挑戦。これは失敗。購入したのが岩波文庫版の米川正夫訳で、いかんせん古くてちょっと閉口しました。でも、読み切ってしまうのが年の功かもしれません。連休中に読了。授業には役立たないとしても、なぜこの作品が青春の書であるかは納得できます。また、ロシアの社会状況をしるための参考書にはなります。

 芋づる式は続きます。次に手に取ったのは、太宰と三島。家にある二人の作品を眺めます。三島では「仮面の告白」、太宰では「人間失格」。青年期に読む本としては、現代的ではないけれど、ぜひ紹介したいと改めて思います。

 さらに、太宰は落語であるという三浦さんの指摘で、落語に向かいます。このあたりは、メルマガ5月号で触れてあります。落語から学ぶ授業つくりを学べたのが成果です。

 三浦本からインスピレーションを受けた読書は続きます。三浦本の後半では、1960年代から70年代が扱われています。そこで登場するのが学生運動、新左翼です。新左翼の理論的、心情的バックボーンにルカーチが挙げられています。これも、学校の準備室の書棚の奥から『マルクス主義と実存主義』という本がでてきました。ほこりを取り、読んでみます。サルトル批判、メルロ・ポンティ批判などが出てきます。「倫理」の教科書で登場する人物たちがブルジョワ的、帝国主義の時代精神の反映として批判されているのを見て、時代のながれを感じます。それでもルカーチは公式主義者ではない魅力を感じます。このあたりは、実存主義的マルクス主義にいかれたことがある団塊世代しかわからない感覚かもしれません。

 授業で役立つ本を探すと言う当初の目的から、どんどん離れてしまってゆきます。これが芋づる式読書法の醍醐味であると同時に問題点です。どこかで見切りをつけることが大事になります。

 見切りの話題は、三浦本の解説で丸谷才一さんが書いている文章です。丸谷氏曰く、ウエーバーは『職業としての学問』で、学問が必要とするものは「体系的な研究作業、偶然的な思いつき、情熱的な問いかけ」の三つということを紹介した後に、エッセイが必要とするものは「芸としての文体、展開のための構成、効果的な演出」の三つであり、小林秀雄はこの三つを備えていた。ということは、よい授業で必要なものは「芸としての話術、展開のための構成、効果的な演出」の三つかなということにしたいのですが、これだと「授業内容」がなくなり、まさに落としどころではなく落し物になってしまいそうです。

 こんな読書遍歴を踏まえた授業の実際はどんなものか。それはまた別の機会に紹介したいと思います。

 ということで、横道ばかりの役立つ本は終了です。まとめると、あたりをつけるのは三冊。新しい傾向、ベストセラーに近いものが二冊。そして最後にやや古いもの、評価の定まっている本を一冊、計三冊です。そこからは皆さんの興味関心でどこまでもということになります。

 紹介しませんでしたが連休中に関連して読んだ本のタイトルだけをあげると、ゲーテ『ファウスト』、清水幾太郎『倫理学ノート』、高橋巌『ヨーロッパの闇と光』などなど。経済学に関しての本や話題がここには全く登場しないところをみると、私は本当は経済がきらいなのかもしれませんね。



 消費税は、逆進税ではない?大竹文雄説 投稿者:菅原晃 投稿日:2011/05/31(Tue) 08:45 No.411   HomePage

読売H23.5.31記事『税制 全体像見えず』
 消費税は、高所得者よりも低所得者の方が負担が重いとされる逆進性を指摘する声がある。食料品など生活必需品に使う支出が全体の所得に占める割合は低所得者ほど高くなるためだ。
 だが、報告書は、消費税の逆進性について、「それほど大きなものではない」と結論付けた。…生涯所得でみれば「不公平ではない」とした。
…報告書は…消費税に食料品など生活必需品に対する軽減税率を導入したり…する制度の是非にも触れている。軽減税率については「高所得者まで負担軽減が及ぶので、逆進性はそれほど是正されない」と指摘した。

 以上、消費税を巡る逆進性はあるかないかについて、内閣府と財務省が出した報告書です。この、「逆進性はない」は大竹文雄教授の説によるものです。

http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~kohara/shohizei.pdf#search='消費税 大竹文雄'
『消費税は本当に逆心的か』

また、同教授は、日経『経済教室』でも、報告しています。

『経済教室:消費税と所得税 どう違う』日経H22.9.6 

…消費税には「低所得者の方が税負担が重くなるという逆進性がある」との批判が根強い。…一方、消費税の逆進性については、最近の経済学ではかなり懐疑的な意見が多い。消費税に関する食料品への軽減税率や非課税も、研究者の間では有効性が低いとされる。

 このことについて、拙ブログでも取り上げました。「生涯(長期)で考えると、消費税は定額住民税などと同じように、逆心的ではない」と説明いたしました。

http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-category-149.html
『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』

 ですが、一方で、大竹説は、数字を恣意的に操作しているとの批判もあります。

 http://81251650.at.webry.info/200904/article_16.html 
『大阪大学社会経済研究所教授 大竹文雄 「消費税は本当に逆進的か」のゴマカシ』

 高等学校の資料集・教科書では「逆進性がある」という解説がスタンダードです。この「逆進性があるか否か」については、授業をする上で、大変重要な点です。専門家の先生の客観的ご意見を頂戴したいのですが。



Re:  消費税は、逆進税ではない?大竹文雄説 ステレオ - 2012/05/06(Sun) 22:10 No.509   HomePage

通説は「消費税は逆進的」です。
「消費税は逆進的ではない」とする説は、大竹文雄の説だけです。
「消費税は逆進的ではない」と主張する他の論者も大竹文雄の説を元にしています。

大竹文雄の説がゴマカシを使っていることが分かれば、通説を正しいとすれば良いのです。
http://81251650.at.webry.info/200904/article_16.html
の表を御自分で検証なされば、大竹文雄の説がゴマカシを使っていることが分かると思います。
表には数字の根拠も書かれていますので、検証は簡単だと思います。



授業に役立つ本 93回 投稿者:新井 明 投稿日:2012/05/02(Wed) 14:27 No.508

 四月は一度も投稿なしでした。

 非常勤生活3年目になり、特に新学期だから忙しくて大変ということではないのですが、時々襲う老人性「うつ」(逆に、暇なのでいろいろ考えると、うんざりすることが多いという程度のことなのですが)もあり、ご無沙汰してしまいました。ゴールデンウイークになり、少し気を取り直して100回を目指して投稿再開。今回は本読みながら考えたことをまとめて書いてみます。

 紹介する本は、山形浩生訳、ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』講談社学術新書です。
 この本、かの有名なケインズの新訳です。一般理論の訳には、2008年に間宮陽介訳が岩波文庫で刊行されています。また、それまでの定訳といわれた、東洋経済新報社の塩野谷祐一訳もまだ刊行されていますから、入手できるのは三種類ということになります。

 先行訳があるのに、あえて山形さんが翻訳を試み、刊行した理由は巻末の解説に書かれています。箇条書き風にまとめると以下のようになります。
 @ これまでの翻訳に不満がある。誤りもあるし、なにより遂語訳で日本語として読むに堪えない。
 A だから、これまでの訳を全く参照せず、訳語も特に踏襲しなかった。その例がmoneyを「お金」と訳した点である。
 B それに関しては批判も受けたが、日常語と日常語を特に分けなくてもよいと考えている。したがって、他の部分でも業界のジャーゴンではない、一般で使われている日本語で訳した。
 C ケインズのこの本分かりにくいのは、ケインズ自身の文体が悪い、つまり英語の悪文であるからだ。古くさい文体であり、思いついたことをなんでも付け加えるという重症例だからだ。
 D したがって、遂語訳では内容が通じないし、ケインズの真意が伝わらない。

 また、今なぜケインズなのかについては、これも箇条書き風にすると以下のようになります。
 @ ケインズは古くなったと言われているが、欧州金融危機などの対策はケインズ理論そのものであり、決して古くなっていない。
 A その中核はIS=LM理論であり、当のヒックスによって否定され、ケインズ本家、右派、左派、また批判派からぼこぼこにされているが、その有効性はあるのではないか。
 B その意味では、現実問題への処方箋として読むことができる。また、ケインズの寄り道や人間性が出ている個所に注目して楽しんでもよい。
 C ケインズのこの本が、本当の意味で古典になるように、経済学者は現実を理論に合わせるのではなく、理論を現実に合わせるような新しい理論を提示すべきではないか。
 まとめると、こんなところになると思います。

 山形さんの翻訳は、このシリーズでも何回か紹介していますが、取り上げる本はなかなか面白いし、授業に役立つものも多数あります。では、この新訳はどうでしょうか。
 結論は、授業では無理だが、読むには面白いというところです。

 なぜ授業では無理かというと、日常語と専門語の違いは、そう簡単に乗り越えられないということです。その一番の例は、タイトルです。『雇用、利子、お金の一般理論』では、教科書には掲載されないし、入試では正解とされない現実があるからです。

 それを越えればよいというのが山形さんの主張でしょうが、長い時間と、吟味が必要というのが今の判断です。まず、マネーですが、これは英語では確かに日常語でしょうが、それでも多義性があるはずです。ストックとしてのマネーなのか、フローとしてのマネーなのかによっても違うし、金属貨幣としてのマネーと紙幣としてのマネーでも違うはずです。その多義性を学術用語では、いろいろ訳し分けているということではないかと思うのです。似たような例に、marketがあります。「いちば」なのか「しじょう」なのかを考えると、一律に「いちば」としてしまっていいのかという問題です。

 また、タイトルも授業と言うことを考えると結構大事な要素になります。スミスでは、さすがに『諸国民の富』では何のことかわからないということで、『国富論』が復活していますが、『お金の一般理論』では市民権を得るのに相当時間がかかるのではと思います。その意味では、意欲はいいのですが、戦略が違っていると私などは感じました。

 山形さんの翻訳上の文体に関しては、「です、ます」調はちょっといただけませんでした。それは、ケインズの雰囲気とはかなり異なるのではと思い、違和感を覚えました。それでも、通読するには、こちらの方が読みやすいことは事実です。

 内容に関しては、私の経済学の理解レベルでは判断できません。このあたりはぜひ専門家の意見が聞きたいところです。特に、間違っていると指摘されている間宮さんの反論を期待したいところですが、多分無視するのでしょう。なお、<ふろく>としてついている、クルーグマンとヒックスの文章は役に立ちます。岩波の宇沢さんの解説銘打っていながらそうなっていない、いかにもある種の権力的子弟関係を想起させる文章よりこちらの方がよほど親切、かつ実際的です。

 それにしても、翻訳を約ひと月で仕上げ、それをネットにアップし、さらに紙ベースで出版する。現代の翻訳や出版事情をうかがわせる出来事です。内容よりそちらのプロセスの方が現代社会の特色を表していると感じています。

 本当に腰をすえて勉強するなら、ケインズの原文を横に置き、間宮さんの訳と山形さんの訳を比較しながら読むのも良しですが、それは学生さん、もしくは院生の仕事かな。

 これにちょっと触発されて、翻訳ということに関連して、鈴木直『輸入学問の功罪』ちくま新書、を購入して読みました。これも紹介しておきます。

 鈴木さんは、最近、マルクス『資本論』を翻訳したドイツ語の先生(ドイツ思想の研究家)です。この新書では、『資本論』の翻訳の体験など自身の体験を踏まえて、日本の思想、哲学書がなぜ読みにくい翻訳なのかを歴史的に読み解いた面白い本です。そこで指摘されているのは、市場から隔離された翻訳、制度としての翻訳文体、輸入学問故のジャーナリズムとアカデミズムの乖離、受験語学の呪縛などです。

 そのなかで特に鈴木さんが指摘するのは、岩波文庫の功罪、特に罪の部分です。遂語訳をアカデミックなものとして良しとする文化、翻訳文体などは岩波知識人の作ったもので、それを現在でも引きずっていることが非難されています。

 遂語訳を批判する鈴木さんですが、長谷川宏さんのヘーゲルの翻訳には異議をとなえるなど、ちょっと一貫していないところがあります。とはいえ、岩波直系間宮訳と民間自由派山形訳のギャップなども、このような広い文脈でとらえると面白いのではと思います。



行動経済学の政策への応用:英エコノミスト誌の記事 投稿者:TM 投稿日:2012/03/30(Fri) 17:59 No.503

行動経済学の政策への応用:英エコノミスト誌のサーベイ記事

“Nudge nudge, think think”
The Economist (printed version: March 26-30; online version: March 24, 2011)
http://www.economist.com/node/21551032

先にダニエル・カーネマンの最新書『Think Fast and Slow』の内容を紹介したが、それがなぜ経済学的思考の「コペルニクス的」な転換を意味するのかを示すサーベイ記事が、英エコノミスト誌の最新号に載っている。
この記事の題名は、「Nudge nudge, think think」というものであるが、この「Nudge」というのは、Cass SunsteinとRichard Thalerが2009年に発表した共著書の題名で、日本語では「それとなく背中を押す」といった意味。
http://www.amazon.com/dp/0300122233

この本では、行動経済学の知見を政府の政策にどのように取り入れるべきかを論じており、出版されてからすでに3年ほど経っているが、そのアプローチの重要性は日に日に増しているといえる。
その基本的な考え方は、人間は理性的・長期的に考えればやるべき、あるいはやりたいことであっても、感情的・短期的にその決断や行動を取らない、あるいは先送りにする傾向が多くの場合に見られるので、政策的にそのような決断や行動を取るよう「それとなく背中を押す」必要があるというもの。

この考え方が、主要各国の政権や政策当局者に広く受け入れられつつあるように見える。実際に、この英エコノミスト誌の記事にあるように、『Nudge』の共著者のうちCass Sunsteinは米国のオバマ政権のアドバイザーになっており、Richard Thalerは英国を始め多くの欧州の国の政策当局のアドバイザーとして活躍しているという。
その結果、行動経済学を応用した政策が各国で採用されるようになっており、その具体例がいくつか挙げられている。

1.英国で、自動車税の滞納者たちに督促状を送る際に、単に支払いを命じるのではなく、税を払わなければ自動車を失うというマイナスの大きさを強調し、場合によっては滞納者自身の車の写真を載せるという工夫をした結果、支払う人がかなり増えたとのこと。
2.英国で、省エネのために住宅の屋根裏に断熱材を入れることを促進する補助金制度を創設したが、申請者が少なかった。その理由は屋根裏を片づけるのが面倒ということにあったようなので、屋根裏を片づけるサービスを組み合わせて補助金を出したところ申請者が3倍増になった。
3.デンマークでは、臓器提供を促進するために、運転免許取得の条件として臓器を提供するかどうかを決めるように法律が改正されつつある。
4.英国や米国では、企業の従業員が退職後に無年金になることを避けるため、企業年金に加入するかどうかを選ぶ書類で、これまでとは逆に「加入しない人は括弧内をチェックすること」として、括弧内をチェックしない「デフォルト」を加入する選択に変えることが検討されている。
5.その他の例は、以下のリンクのReferencesを参照:
http://www.economist.com/node/21551032

これらの例が示すように、行動経済学の知見がいよいよ実際の政策に活かされるような段階に到達したといえる。
実は、日本でも大竹文雄大阪大学教授や中川雅之日本大学教授を始め何人かの経済学者が、積極的に行動経済学的な考え方を政策に応用するアプローチを推進している。したがって、そのような提案が徐々にではあるが、実際の政府の政策に影響を及ぼすと思われる。
学校教育でも、単に従来型の経済理論に基づいた政策を生徒たちに学ばせるだけでなく、なぜ多くの人にプラスになるはずの政策が実際に採用されないのか、あるいは採用されてもあまり効果が上がらないのかを生徒とともに議論し、それを克服するような「背中を押す」方法を考え出すのも面白いのではないだろうか。
(宮尾)



書評:経済学の発想の「コペルニクス的転換」 投稿者:TM 投稿日:2012/03/29(Thu) 12:25 No.502

書評:経済学の発想の「コペルニクス的転換」

"Thinking Fast and Slow"
By Daniel Kahneman (published by Farrar, Straus and Giroux, 2011)
http://www.amazon.com/dp/0374275637

2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの「行動経済学」に関する待望の最新書が出版され、昨年末から米国で大きな話題になっている。この本は英語でも大変読みやすく、分かりやすい具体例が多く挙げられている。以下がその典型的な例である。

「野球のボールとバットの合計額が1ドル10セントで、バットはボールより1ドル高いとする。その場合、ボールとバットはそれぞれいくらか」

以上の質問に正しく答えられたのは、ハーバードやMITやプリンスといった一流大学の学生でさえも半分以下、二流の大学では8割以上の学生が間違えたという驚くべき結果が、この本の最初のいくつかの例の一つとして挙げられている(この例は、米国で大変話題になり、昨年末にテレビのニュースでも取り上げられたほどである)。
それほど、われわれは普段、直観にたよって判断を下しており、それをカーネマンは我々の頭の中にある主観的な直観に基づいた「システム1」の思考法と呼ぶ。これに対して、上の問題をきちんと考えて(場合によっては連立方程式を立て、それを解いて)答えを出すく客観的な論理に基づいた思考法を「システム2」と呼ぶ。

カーネマンの議論のポイントは、我々がいかに普段意識せずに、時間をかけずに直観的な「システム1」で現実を把握して行動しているか、そのために時間をかけて冷静に考えてみると、いかにしばしば誤った判断と行動をとっているかを指摘することにある。

これはかなり分厚い本(499ページ)であるが、これまでの行動経済学の知見をほとんどすべて網羅して、その具体例が分かりやすく解説されている名著といえる。後半では、単に行動経済学や心理学の範囲を超えて、人間や社会のあり方との関連にも触れている。例えば資本主義という制度が、客観的に見て成功するのが難しいようなビジネスのリスクを進んでとるような非合理なほど楽観的な起業家の存在によって支えられているという。また最近話題になっている幸福度についても、人は幸福かどうか尋ねられた時に、それをじっくり考えて色々な経験や感情を総括して答えるよりは、ごく最近の身近な出来事にもっぱら焦点を当てて、自分が幸福かどうかを判断してしまう傾向があるといった興味深い分析を行っている。

このように早い判断が下せる「システム1」が日常生活で便利ではあるが、しばしば誤った理解や判断を生み、後でじっくり時間をかけて「システム2」で考えてみると、自分でも信じられないようなことをしているというカーネマンの主張は非常に説得力がある。
これは、これまで人間の判断や行動は基本的には「合理的」であり、行動経済学が指摘する非合理な行動はあくまで例外的であると考えがちな多くの経済学者のアプローチに対する「コペルニクス的」な転換といえるのではないだろうか。

我々の日常生活の中でも、「システム1」で当然正しいと判断されてきた「常識」が、「システム2」でじっくり考えてみるとかなり偏って、誤っているという事象や例が多くあると思われる。それらの例を、例えば学校で生徒たちに考えさせるのも興味深い社会学習につながるであろう。
(宮尾)



授業に役立つ本 92回 投稿者:新井 明 投稿日:2012/03/24(Sat) 15:44 No.501

 三月になりましたが、寒い日が続いています。今年は例年になく寒さが身に沁みます。そんななかですが、相変わらず本を読んでいます。今回も、日々のなかで読んだ本を日記風に紹介してゆきます。

3月某日
 学年末考査がはじまる。今回は国際経済の知識問題と、ディベートで各自がとりあげたテーマ(TPP,原発、消費税など)に関する600字エッセイを出題。今年教えている学年は、まじめで勉強を良くするのだが、とびぬけて面白い発想をする生徒が少なく、エッセイではちょっと不満。とはいえ、書き方を指定(序論、本論、結論の三段構成、本論では三つの論拠をあげよという3・3の法則)しているので、望蜀の嘆でもあるのであるが、教員は、いや人間は貪欲な存在なので、どうしてもそんな感想をいだいてしまうのかもしれない。

 考査中は、採点が始まるまで意外と暇になり、本が読める。この期間に読んだ経済の本は、『資本主義が嫌いな人の経済学』、『ノーベル経済学者の功罪』など経済学批判の本である。そういえば、両方とも貪欲がキーワードになっていると気づいて苦笑。

 まず前者の『資本主義が嫌いな人の経済学』NTT出版、は2月に出されたばかりの本。ある編集会議に出る前によった本屋で見つけ、タイトルの面白さに惹かれた。著者はジョセフ・ヒースというカナダの哲学者である。

 哲学者が経済学の本を書くというのも面白いし、内容がまたセンスがよい。全体が二部構成になっていて、第1部が「右派(保守、リバタリアン)の謬見」、第2部が「左派(革新、リベラル)の誤信」と銘打たれていて、それぞれ6章が与えられている。市場主義者と反市場主義者のそれぞれの主張とその問題を、現在の主流派経済学の概念や用語、理論を紹介しながら新たな突破口を見つけようと言う構成の本である。
 
 取り上げられている理論は、需要供給、見えざる手、インセンティブ、公共財、社会的ディレンマ、フリーライダー、囚人のディレンマ、共有地の悲劇、モラルハザード、逆選択、政府の役割、特化と貿易の利益など経済学の基礎理論である。また、経済学者もスミス、マルサス、ミル、リカードなどが出てくるし、最近の行動経済学の知見も紹介される。取り扱われている対象は、サブプラム問題、世界金融危機、地球温暖化、雇用問題、貧困格差など教科書や入試では必出のテーマが扱われている。

 もちろん、体系書ではないので全くこれらの概念や理論を知らない人にとって、易しく書かれてはいるがこれで入門というわけにはゆかない。でも、本コーナーに注目されている先生方なら面白く読めるはずの本である。ただ、二つの立場の問題はしっかり取り上げているが、それをいかに統合してゆくか(ヘーゲル流にいえばアウフヘーベン)は簡単に答えが出てきているわけではない。したがって、あとは自分で考えてねということで、エピローグは、邦訳でわずか15ページ。「ハッピーエンドはない」と著書自らが言っている通りである。それでも、この本はおすすめ。一粒で二度おいしい本とでも言おうか。

3月某日
 『資本主義がきらいな人の経済学』に触発されて、読もうとおもっていたが、なかなか手に取るチャンスがなかった、ディアドラ・マクロスキーの『ノーベル経済学者の滞在』(ちくま学芸文庫)を帰宅中に時々よる乗換駅の本屋で発見、衝動買いをする。

 マクロスキーは、性転換をした女性の経済学者である。単行本は2002年に出版されているからもう10年たった。それが文庫になり、増補版となり2009年に出版されている。手に入れた増補版は、一刷だったので売れていないなあと感じる。

 内容は、タイトル通り、現代の主流派経済学への内部からの批判の書である。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者の半数以上は、現実と対決しない「お砂遊びのぼうやたち」であると言う。その背景、統計に依存する計量経済学、モデルつくりの黒板経済学、そして社会工学的に社会は動かせると考える思い上がりがあると言う。この問題を生み出した元凶は、なんとポールサムエルソンであるというのが、マクロスキーおばさんのご宣託である。そして、新しい経済学はヒュームやスミスの倫理学を包摂した「新しく謙虚なブルジョワの経済学」たるべしと言う。

 あらためて読んでみて、面白いけれど無理と感じた。訳者の赤羽隆夫さんも根井雅弘さんの文章を引用して書いているが、制度化された経済学はこの程度の批判ではびくともしないだろうなというのが正直なところである。でも、経済学を学ぶ人間は経済史と経済学史を必修とすべきというのは、納得。歴史主義は困るが、歴史をきちんとしらないで経済を語るべきではないということは正しい。しかし、高校までは歴史と理論の分業をどう組み合わせるか、教える側にとって難問と感じる。これはわがネットワークの課題でもある。

 翻訳は、時々女言葉がでてきたり、カッコが多く読みづらい。原文はどうなっているのか確かめたくなったが、そこまでの情熱はわかない。

3月某日
 本日は卒業式。底冷えのする体育館は厳しいと覚悟していったのだが、受付を担当したので、式場の指定席ではなかったので有難い。東京では10年前から日の丸君が代が問題になっているが、最近はほとんど話題にもならなくなった。大阪の式典は戒厳令ではないかと、当時を思い出しながら、途中から式場に参加。

 お昼の、親睦会が用意してくれた豪華な仕出し弁当を食べたら、教えていない学年だったので暇になり、読書に励む。今日読んだのは、経済の本ではなく、『近現代日本史と歴史学』、『高校紛争1969-1970』の二冊である。ともに中公新書。

 前者は成田龍一さんという日本女子大で歴史学を講ずる歴史学者の本である。歴史の教員を目指す学生向けの講義を下敷きにした本とあとがきで書かれているので読む気になった。この種の見直し本は、倫理(宗教)でも、世界史でも行われていて、その流れの一冊と言えよう。倫理と世界史はこのシリーズでも取り上げている。

 成田さんは、戦後の歴史学研究を、社会経済史をベースにした第一段階、1960年頃から民衆史の観点を強調する第二段階、1980年ごろから、社会史をとりいれた第三段階となったと整理している。そして現在の日本史教科書は第二段階のレベルまでの記述が中心であるとして、歴史学研究の進展と教科書のギャップが存在し、それが教育や一般の人々の歴史認識に問題となると言う。つまり、高校の教科書、大学での専門の講義、歴史家たちの研究の間のギャップがなかなか埋められていないと言うのである。

 これは、経済でも同じだと感じる。そして、近現代史を9つの時代に区分して、それぞれの記述がどう変化したのか、教科書の記述、代表的な研究者の著作を紹介しながら分析してゆく。ネットワークの先生方の中でも、政治・経済だけでなく、歴史も担当させられている方も多いのではと思う。その先生方が一読されると役立つだろうなと思われる本である。

 もう一冊の『高校紛争』は、私の母校の紛争が取り上げられているし、現在勤務している学校の紛争や関係者も取り上げられているという私的興味で購入。

 私の場合は、二年後輩が紛争の担い手となった。彼らは、都立高校学校群一期生で、いろいろな意味で変化の先頭にいたといまさら思う。私の母校では、新聞ジャック(私が所属していた新聞部が、闘争派にのっとられた事件)があったり、バリスト派から、処分者がでてかなり紛糾した。当時、現在エコノミストとして盛んに執筆活動をしている某氏が、彼らを指導していたといううわさが流れていたなど、40年たっても過去にはならない。

 著者の小林哲夫さんは、資料やインタビューを通して、紛争を検証する本をまとめている。力作だと思うが、この本に反応するのは、私のように私的な関心や関係を持った人間だけだろうなとおもうと、ちょっと悲しいし、そんなものだろうとも思いながら読了。卒業式の午後にふさわしい読書であった。

3月某日
 テスト後のおまけの授業の準備をする。昔は、テスト終了後は、生徒は自宅学習、教員も採点期間としてゆっくり採点を行うことができた。今は、納税者が納得しないという論理で、最後まで授業を行う。生徒も教員もある意味、いい迷惑な正論である。とはいえ、お上の命は民の声でもあるので、時間つぶし的でなく、それなりのメッセージ性をもった授業をつくることを目指すのである。うーん教員はまじめだ。

 今年は、二つそんなおまけ授業を用意。一つは、日経新聞に掲載された伊藤元重さんの文章を使ったもの。これは、これからの日本社会における労働に関してのもので、レイバーからワークへ、そしてプレイを含んだものへという趣旨の文章である。それを読ませてプレイを含んだ労働とはどんなものだろうかを考えさせた。

 もう一つは、フィールドワークのすすめというタイトルで、学校のある地域を振り返り、そこにある歴史からさらに学びのこころを植え付けたいという願いの授業である。使ったのは、先の『高校紛争』でも資料として使われていた、学校の周年誌である。私の勤務校は、創立70周年に、同窓会が質の高い、立派な記念誌を作成して、それがあまり注目もされずに校内のそこかしこにころがっている。とてももったいないというのが新参者の私の思いである。なにしろ、粕谷一希さんが中心の執筆者であるという本だからである。

 授業では、記念誌にある4つの地図を手がかりに、簡単なクイズを出しながら話をすすめ、自分たちが今いる場所の歴史、その変遷から発見できるものや現代との関連の話をすすめた。もちろん、わずか45分の授業だから深くは話せないが、たのしく授業ができた。強制の効用かとも思う。

 この授業のために、何冊か東京の地域史の本を読んだ。そこから芋づる式に、岩波文庫の古典に手を伸ばした。最初は横山源之助の『日本の下層社会』。東京貧民の状態、職人社会、手工業の現状、機械工場の労働者、小作人の現状を統計とルポで記述したものである。時は、19世紀末。日本の産業革命の時期である。
昔手に取った時は、旧版で細かい古い活字がごちゃごちゃのイメージだったのだが、改版されて読みやすくなっている。組み方一つでこんなに違うのかと驚く。内容も100年以上前の出来事だが、現在だって世界をみれば同じようなことはたくさんあると改めて思う。古典は、読みやすくどんどん改良すべきと思う。

 気を良くして、『女工哀史』『被差別部落一千年史』と購入。温故知新を確認。先生方もこれらの本をお手をとって読まれるとよいと思った。

3月某日
 本日で終業。非常勤生活2年目。あっという間の一年という感じである。

 午後は、近くの東洋文庫に先生方と研修ででかける。東洋文庫と学校が協定を結び、生徒の見学や研修で連携をすることになっている。私たちは無料で入館できる。今回は、教員向けの研修で、学芸員の方の説明付きで展示室を回る。私は東洋文庫に行くのは三回目だが、説明付きははじめて。現在東インド会社の見たアジアという特別展をやっているので、興味をもって参加。専門家の解説を聞きながら1時間半をかけて巡る。こんな贅沢ができるのも小石川ならではと思う。

 学校に帰ってから、宮崎勇・田谷禎三『世界経済図説第三版』岩波新書、を読む。この本20年ほど前に最初のものが出され、ほぼ10年ごとに改定されてきている。世界経済の現状を10章各10項目に分けて図版と解説で見開きにして、コンパクトにまとめている。

 おすすめは解説である。各項目を1ページでまとめて説明する。これはなかなかの力技である。もちろん、均等割り方式であるから濃淡がある。それは仕方がない。もし自分がその項目を説明するとしたらと考えながら読むと、授業の展開に役立つと思う。図版も新しくなっているので、あと数年は使えるだろう。とにかく全体を俯瞰することが大事だと思う。その手がかりになる一冊。

 帰りの電車のなかで読了。これから短い春休み。それにしても、もう少し暖かくなってほしいものだ。



コメント:中川雅之論文「日経・経済教室:復元優先よ... 投稿者:TM 投稿日:2012/03/12(Mon) 18:30 No.497

中川雅之論文「日経・経済教室:復元優先より集積促せ」へのコメント

日本経済新聞(2012年3月12日朝刊)「経済教室:復興から再生へ・3」
中川雅之著『復元優先より集積促せー住民の負担を最小化:都市政策、人口減見据えて』
「ポイント:○被災前の都市の成長過程が復興過程に影響、○高齢者向けサービスの効率性にも配慮必要、○利用券交付などで収縮地域の人口移動促せ」

この論文は、いうまでもなく大変タイムリーなテーマで、しかも国内外の研究やデータに基づいた議論を展開しており、意味のある政策提言につなげている点で高く評価できます。
特に、東日本大震災後の復旧の過程で、住宅が依然として大きな問題のまま残っていることに鑑みると、この論文の結論部分で提案されている「住宅バウチャ―」の交付は直ちに検討されるべき政策といえるでしょう。この点は、また最後に述べます。

しかしながら、この論文で注意すべきことは、上記の新聞紙上のタイトルやポイントのトーンには、多少ミスリーディングなところがあり、主にこの論文で議論されているのは、衰退しつつある「収縮都市」では、災害前のレベルに復元しようとすると無駄が生じるという点にあるといえます。これは海外の事例研究として、米ニューオーリンズ市のハリケーン災害が取り上げられていることからも見てとれます。

それは確かにそうだとしても、今回の日本の大震災のように非常に広域的で甚大な災害の場合は、そのような議論をしなくても、インフラや住宅の再建は遅れる一方で、その間、「ビッグ・プッシュ」が下方に加わるために、ヌルクセの意味での縮小の悪循環に陥って必要以上に都市や地域が衰退ないし消滅する危険こそ注意しなければならないともいえます。
むしろ、この中川論文の冒頭でも指摘されているように、大震災によって「強制的に除去された古い資本設備が新しい技術を体現してものに切り替わること」で、地域や都市が再生して、再び人口が増加に転じるという部分を、本文中でもっと明示的に議論すべきではないか、またそのような技術、産業、雇用などを論じることなく、ただ収縮の趨勢を与えられたものとして、主に住宅や生活インフラに焦点を当てて、震災前のレベルにもどすのは非効率と論じるのは問題ではないか、といった反論もでることでしょう。

しかしいずれにしても、この論文の結論部分の提言には、住宅バウチャーの交付など耳を傾けるべき点が多く含まれています。この論文では、住宅バウチャーは収縮地域から成長地域に人口移動を促進されるという意味で提言されていますが、それは結果として起こることであって、実際には震災後の生活のための住宅ニーズに迅速かつ効率的に応えるのにはベストの手段といえるのではないでしょうか。実際に、今回の震災によって全半壊した住宅が37万戸以上なのに対して、2年間だけ滞在可能な仮設住宅がまだ5万戸しかできておらず、20万戸以上が民間の貸家や公営住宅を借り上げて「みなし仮設住宅」にしており、その後長期的に居住する「復興住宅」という公共住宅の建設はほとんど進んでいない現状をみると、最初から住宅バウチャーを配布すべきで、そうすれば震災直後に仮設住宅が建設されるまで避難所などで無駄に被災者を待たせておくことも避けられ、またコストが高く住みにくい仮設住宅の建設も不必要になり、またこの論文で強調されているように、住宅の選択肢を広げることで住民が自発的に成長地域へと移動することを促進する効果も期待できるわけです。

ここで、むしろ疑問に付すべきは、なぜ政府は「仮設住宅」や「復興住宅」といった公共プロジェクトをやりたがるのか、なぜそれを現金の給付やバウチャーの交付といった形で、住民のニーズに応えようとしないのか、ということではないでしょうか。
これこそ大震災後1年たっても復旧や復興がほとんど進んでいるように見えない本当の理由ともいえます。経済学を学ぶものとして、このような「政策バイアス」がなぜ起こるのかも含めて政策を考え、提言することが求められるのかもしれません。
いずれにして、この中川論文は色々な問題を、経済学を学ぶものに考えさせるという意味で必読といえるでしょう。
以上
(宮尾)



授業に役立つ本 91回 投稿者:新井 明 投稿日:2012/02/22(Wed) 22:05 No.489

 1月はやはりあっという間に去っていき、早くも2月到来。1月末から土日もつぶれるスケジュールになり、三週間ほど突っ走りました。忙中暇ありとはよく言ったもので、過密スケジュールの中でも本を読み、考えさせられる何冊かに出会いました。授業に直接役立たなくとも、先生方の参考になればということで、今回も日記風につづります。

1月某日
 授業でディベートを指導するために、図書室から雑誌「中央公論」を一年分借りてきて読み始める。この種の固め読みは意外な効果がある。それは、一つは、論者の予想なり予言の的中率が分かることである。もう一つは、意外な面白い読み物や発言と出くわすことである。前者では、昨年の東日本大震災後の発言がそれにあたる。経済予測などもそれに近い。後者では、次のようなものが目に付いた。
 
「原発という科学技術のガバナンスが失敗した」(佐倉)、「自営業がずっと減り続けることはボディーブローのようにウイークタイを拡大する」(玄田)、「時代の節目には象徴的な事件が起きる」(西垣)、「なでしこは貧乏人のがむしゃらなストイシズム」(橋本)、「MLでものすごい勢いで情報を流すことができるのは、50歳近辺で線が引ける」(御厨)などである。

 ちなみに、来年度からどうも利用効率と予算の関係で、「中央公論」は図書室から消滅しそうなのだが、たしかに総合雑誌を手に取る生徒はもはや希少価値だろうなと思うと、仕方がないのか。

1月某日
 ワークショップのために名古屋に出かける。午後からなので名古屋到着後昼食を計画。名古屋ならきしめんだよねと思っていたのだが、きちんと座って食べたいと思ったのが運のつき、意外に適当な店が探せなく(混んだところやビルの上はいや)、地下街の迷路に迷い込んでしまった。ご存知名古屋は、地下街が発達している。うろうろして結局、チェーン店のごく普通のうどんにありついた。これなら、駅のホームの立ち食いでもよかったと反省。決断力とタイミングが大事ということであろう。

 ワークショップは、地元の研究会と共催で盛会。いつものように本を読みながら帰ることになる。車中で読んだ本は、根井雅弘著『サムエルソン「経済学」の時代』中央公論新社刊、である。この本は、タイトルどおり、サムエルソンの「経済学」の変遷を軸とした戦後アメリカ経済思想史である。ハーバードの秀才サムエルソンが、ケインズに出会い、その後新古典派総合の思想を展開、それがゆきづまり看板をおろしても影響力を持ち続けた理由をさぐった本である。根井さんに言わせると、時代と共に内容を柔軟に変化させてきたが、それでもサムエルソンらしさはコアとして残っていたが、ノードハウスと共著になってからは、マンキューなどの現代的なテキストに近くなってきているという。たしかに、サムエルソンで育った世代からみても、現代のテキストは良くできているが、のっぺりしていて陰影が薄い感じがする。その点を指摘しているという意味では面白い本だった。

 ただし、根井さんの本は、随分と買って読んだが、ほとんどデジャブという感じが強く、強烈な個性を感じない。皮肉な思いをいだいて読了。この内容なら、ずーと昔読んだ、中村達也さんの「経済学における中心と周縁」という論文(岩波講座『社会科学の方法』V分岐する経済学、所収)の新古典派のハードコアについて分析した論文の方がいいなと思ったりした。

2月某日
 早くも2月。本日は節分。子どもが大きくなると、恵方巻きも豆まきもなし。これまで毎年大きな声で節分を祝っていたお隣もお孫さんが来なくなったようで、今年は豆まきの声が聞こえない。

 そんな節分の日に入手したのは次の二冊である。一つは、齊藤誠『原発危機の経済学』日本評論社刊。もう一つは、『最底辺のポートフォリオ』みすず書房刊である。両者とも最近の本で、新聞の書評欄に載っていて、読んでみようと思った本である。

 前者は、マクロ経済学者である齊藤さんが、原発事故を契機として、自らの体験、現地への調査などをもとに考えたことをまとめたものである。この本、経済学者としての知見と自らの生き方がセットになった稀有な本だと思った。

 齊藤さんは、福島原発事故に関して、一号機の古さに注目する。そこから、炉心の融解事故が防げたかと問いかける。結論は、一号機は無理であったというのが齊藤さんの診断である。では、2,3号機の事故はどうか。これはベントの決断の遅れ、東電や政府の対応ミスが重なった人災であるとする。しかし、いずれにしても原発という巨大技術のリスクを正当に評価をして経営に当たらなかった東電の経営者や、政府の関係者の責任は免れないとする。

 そして、今後の原発に関して、気の遠くなるような長期に核のごみをコントロールしなければならない現実を前にして、優秀な人材と費用を提供することが必須のことであると言う。原発の持続性を維持するためには、原発を一般の経済財として扱わない限り無理であるとして、東電の経営形態を論じてゆく。ここには、クールヘッドとウオームハートがある。危機の前で逃げないでそれを受け止めようとする経済学者の姿勢は、胸を打つ。
 
 もう一冊の、『最底辺のポートフォリオ』もクールヘッドとウオームハートが一体となった良書だと思う。ウオームハートは、最貧国の人々の生活を改善したいという想いである。クールヘッドはこの場合、ダイアリー方式という調査方式を生み出した知性である。ダイアリー方式は、底辺の人々のお金のやりくりを日記風に記録してゆく方式である。これをやるとパネルデータ方式ではわからなかった、貧困者の生活ぶりが浮かび上がり、そこから得られた知見が、マイクロファイナンスの新たな政策提言に結びついてゆく。

 聞き書きを利用する方法は社会学や人類学で使われている。この本で取り上げられているのは金融、それもお金のやりくりであり、社会学的方法と経済学、特に行動経済学による分析がミックスされて記述されてゆく。

 この本での内容と方法は、経済教育、金融教育にも示唆を与える。例えば、金融教育がなぜ必要なのかに関して、生活が大変な生徒の家庭でのお金のやりくりを踏まえた、決めの細かい指導が必要であることがここから浮かび上がる。また、どんなに「いい加減な」金銭管理をしているように思えても、実は、与えられた条件のなかで精一杯お金を動かしているのだというのが、ダイアリーの方法から分かる。ここからは、本当に生徒に役立つ経済教育とはどのようなものであるべきかが、暗喩的に浮かび上がる。そんな本として、この本を読んでみた。その意味では、開発経済学の本であるが、多くのヒントを得ることができる本である。

2月某日
 忙中閑アリではなく、閑はつくるもの。採点で土日に出たので、代休日に、沖縄を駆け足(1泊2日)で訪問した。観光のつもりだったのだが、結局、戦争、基地、文化を見てくる修学旅行となってしまった。

 その間、さすがに本は読めず。飛行機では、中央公論に掲載されていた、超難問クロスワードパズルに挑戦。時間をつぶす。現地では、琉球新報と沖縄タイムスの地元紙を読む。本土の新聞との違いを実感。ネットで現地新聞は読める時代だが、実際に紙面を眺めるのとは大いに違う。紙と活字の大事さを実感。

2月某日
 投稿していた実践論文が、学会誌から掲載不可の通知がくる。これは単なる実践報告であって授業研究の論文ではないというのが理由。うーん、納得できるような、だから社会科の授業はつまらないんだよなと言いたくなるような気分である。それでも、最近読んだ根岸隆さんの『一般均衡論から経済学史へ』ミネルヴァ書房、のなかに大経済学者も投稿論文が不採用だったものが多く、その実態を調査した本まであると書かれていたので、まあそんなものかと思ったりする。ただし、根岸さんのいう不採択論文はハードアカデミズムのもので、やわな教育実践のレポートではないので同一に論ずるのは間違いだが。

 根岸さんのこの本は、マスコミなどには露出度が低いが、重要な業績をあげた経済学者の研究の軌跡とその概略が書かれている本で興味深かった。ただし、後半の「私の経済学研究」の部分はほとんど理解できなかったのは、私程度の経済の知識しか持たない人間にとっては当然か。

2月某日
 知人を通して「読んでください」と本を贈られた。小塩隆士『効率と公正を問う』日本評論社刊、という本である。実はこの本、斎藤さんの本を読み終わったら読もうと思っていた本であったので、有難く頂戴した。
 
 本のタイトルの効率と公正はわが経済教育ネットワークがテーマにしているものであり、また、新学習指導要領の目玉の概念である。興味深く読んだ。感想を書こうとしたら、宮尾先生が投稿されたとのメールをいただき、先をこされたかと嘆息。とはいえ、宮尾先生とは別の角度から感想を書くのも意味があるかと思う。

 小塩さんの本は、斎藤さんの本とは違い、ゆるやかな筆致である。これは性格なのか、それとも経歴なのか興味深いところである。両者に共通しているのは、経済学の知見をもって世の中を良くしてゆこうという思いがあるところである。ウオームハートを表に出す斎藤さんと、それを胸に秘める小塩さんという感じである。
小塩さんの本は、総論的な1,2章と、社会保障を扱った3章、教育を扱った4章、世代間格差を扱った5章で構成されている。一番関心を持ったのは、教育の箇所である。

 教育における効率と公平では、公教育の非効率性と公平性、それに対してバウチャー制度などの市場原理を取り入れた政策の評価、学校の役割などが論じられている。そのなかでも、学校は教育にどこまで貢献できるかという箇所が大変興味深かった。

 学校の取り組みで成績を上げる要因はなにかの分析である。結論は、身もふたもない「成績を上げるには授業時間を長くすればよい」というもので、学級規模や授業の様々な工夫も成績とは有意な関係が見いだせないというものである。入り口がよければ出口もよいというのも現場にいるものとしては納得できる結論で、それを実証的につきつけられ、少々鼻白んだ。でも、子どもの人生が家庭できまるという知見から、子どもの貧困こそ一番の問題というのは納得できた。

 学校選択制やバウチャー制度などに関しては、私は反対派。教育の共同性と地域性を確保しない限り安定した社会はないと思っているが、それに加えて、子どもの貧困=家庭の貧困を緩和する再配分政策が必要とこの本を読んで改めて思う。でも、教育へのこのような共同性を強調するのは、効率性の基準とはぶつかる。その調整をどう考えるか。サムエルソンではないが、新古典派総合が必要と思ったりする。

 なお、小塩さんの本と斎藤さんの本の編集者は同一人である。経済学の知見を活かしたこの種のしっかり書かれた本を世に問うてゆく眼力に敬意。ぜひ多くの人に手に取ってもらえると良いと思った。



Re: 授業に役立つ本 91回 横山 - 2012/03/09(Fri) 00:53 No.494

 こんばんは。新井先生の書評で質問させていただきたいことがあり、初めて投稿させていただきます。

 『効率と公平を問う』ですが、実はこれから読むところです。先生の本書の書評をたまたま見つけ、興味深く読ませていただきました。

 そこで質問なのですが、言い方が悪くて気分を害されたら申し訳ございません。最初に謝っておきます。ただ、あくまでご意見を伺いたいと思いまして投稿したことをご理解いただければ嬉しいです。

 質問は「公立で経済教育は可能なのか?」というものです。本書の書評で先生は「学校選択制やバウチャー制度などに関しては、私は反対派。教育の共同性と地域性を確保しない限り安定した社会はない」ということです。しかし先生は市場の効率性は疑っておられないのですよね?共同性も地域性も需要があるなら実現するはずだ、というのが市場原理の基本的な考え方です。それなら公立は民営化して、学費を払えない家庭はバウチャーで対応する、というのになぜ反対なのでしょうか?競争を嫌う企業すべてが、自らの業界の安定性を言い訳に使うのではないでしょうか。それとも著者の提案するバウチャー制に反対なだけで、仕組みを変えれば競争原理をもっと導入すべきだとお考えなのでしょうか?

 ご存じのとおり、最近の都立高校は、先生の勤務校も含めて中高一貫をどんどん作っています。しかも進学校化し、これまで私立が担っていた分野に遠慮なく参入してきています。そのため、私立に来てほしい優秀な生徒さんが学費の安い都立にどんどん流れており、長引く不況の影響もあって、最上位校を除く多くの私立中学はかなり厳しい状況です。都立が私立と同じことをやり、しかも学費は税金で賄われるから安くなる、というのでは各家庭にとっては当然の選択です。

 でもこれはあきらかな民業圧迫で、経済学的におかしいのは明白でしょう。民間でできることを政府(自治体含む)が行う必要はありません。

 そして、(本当に口が悪くて申し訳ございませんが)市場原理から保護された公立で、市場原理を教えて、生徒は説得力を感じるものでしょうか?これは、太っている人がダイエット法を教えるのと同じような気がします。もちろん、メタボの人だって栄養学やら運動理論やらを勉強すればただしいダイエットプログラムを作ることは可能でしょう。また、意見の正当性はあくまでその内容で判断すべきであり、誰が言ったかは関係ない、というのは分かります。しかし、人は、まして中高生はそんなにドライに受け止められないでしょう。私だったら太った人が書いたダイエット本は絶対に読みません。もし公立での市場の授業に、生徒が説得力を感じるなら、生徒さんは本当に理解できているのか疑うべきではないでしょうか?

 長文になってしまったので、まとめます。

 公立は民業圧迫をすすめており、これは経済学的に問題です。既得権に守られた公立学校で経済教育をしても説得力に欠けるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?(説得力に欠けるからするなというのではないのですが)経済学的にはすべての公立は私立にして、貧しい家庭にはバウチャーなりで学費を直接補助する(今は学校を通じた間接補助と考えられます)形が正しいではないでしょうか?

 なお、私立が十分に競争しているかというと、そうではないと思います。補助金ももらっているし、新規の参入も規制されています。したがって、規制緩和をして私立ももっと競争すべきでしょう。

 以上、かなり攻撃的な内容で申し訳ございません。また言葉尻をとらえたような形になってしまっていますが、そういうつもりはなく、経済教育そのものに対して日頃持っていた違和感を述べさせていただきました。どうかお許しいただき、ご意見をうかがえれば幸いです。なお次回の東京部会へは都合により出席できず、かつ部会では経済教室の打ち合わせが中心なようですので、ここで質問させていただきました。



書評:効率と公平の問題を分かりやすく解説 投稿者:TM 投稿日:2012/02/21(Tue) 06:28 No.488

書評:効率と公平の問題を分かりやすく解説

小塩隆士著『効率と公平を問う』日本評論社(2012年1月20日)
http://www.nippyo.co.jp/book/5803.html

経済学の基本テーマである「効率性」と「公平性」の概念と問題点を分かりやすく解説する本が出ました。著者も強調しているように、これは一般向けに書かれたもので、高校生でも十分に理解できる内容です。その上、冒頭の「はじめに」で、全五章でそれぞれ扱うテーマを簡単に説明し、さらに最後の「おわりにー本書のメッセージ」で、各章の内容と結論をうまくまとめてあるのは、まさに至れり尽くせりといえます。

第1章「効率性と公平性」
第2章「公平性の受け止め方」
第3章「日本の再分配の問題点」
第4章「効率性と公平性から見た教育」
第5章「世代間のゼロサム・ゲーム」

ここで後半の第3〜5章では、著者が以前から研究してきた日本の財政・税制・社会保障の問題(特に少子高齢化問題)や教育改革の問題(バウチャー制度や中高一貫教育など)が具体的に詳しく取り上げられています。むしろ、そのような日本の具体的な問題からさかのぼって、「効率性」と「公平性」の抽象的・理論的な議論を前半の第1〜2章で展開しているともいえます。
したがって、この本には理論と現実の間を簡単に行き来して議論できるという強みがあり、そのために抽象的な理論への入門書でもあり、具体的な政策論への入門書でもあり、両面から推薦できます。

ただし、それゆえの弱みもあり、特に理論的な面から見るといくつかの問題点や盲点があるように見えます。
特に大きな問題は、冒頭から「経済学は、効率性と公平性という2つの評価軸を持っている。・・・・この2つの概念はトレード・オフ(二律背反)の関係にあることが多い」と述べていることに表れています。
正確には、理論的にいえば経済学は「効率性」という評価軸は持っているものの、「公正性」という評価軸はそれ自体としては持っていません。さらにこの二つがトレード・オフの関係にあるとも見ていません。むしろ、違う次元の問題とみなしています。

このトレード・オフという点について、著者はさらに以下のような説明を行っています。
「公平性の観点からすれば、所得を稼ぐ能力の高い人ほど税負担を多めにし、得られた税収を社会全体で活用しようと考えるのが普通である。・・・・ところが、働くほど税が高くなると、所得を稼ぐ能力があるのに労働時間を減らしたり、力を抜いたりしようと考えるのが人情である。税引き後の手取り賃金が低くなるので、働こうという気分がそれだけ弱まる」

これはある意味で誤った議論で、所得や賃金に比例して税をかけることが前提になっているようですが、そうである必要はなく、例えば一定額の税(定額税:ランプサム・タックス)であれば上記の問題は生じません。また仮に所得や賃金に比例する税であっても、それで労働時間が短くなるとはかぎらず、変化しない場合(コブ・ダグラス効用関数の場合)もあれば、逆に税で取られる分を稼ぐために余分に働く場合も考えられます。もし労働時間が変化しなければ、効率性は損なわれません。

経済学の強みは、分配の公平性とは切り離して、まず効率性を追求できることで、その最大になった「パイ」をどう分けるかは別に議論できるという立場がとれることです。これを実現するような現実的な政策や制度を設計して提案することが、経済学者の最大の役割といえるのではないでしょうか。その点についての注意を喚起しながら、この本を高校や大学の経済学の授業の副読本や参考書として使うことが望まれます。
(宮尾)



両極化する米経済学者の意見:書評 投稿者:TM 投稿日:2012/02/13(Mon) 14:16 No.487

両極化する米経済学者の意見:書評

書評:
1. John B. Taylor, First Principles: Five Keys to Restoring America's Prosperity (Norton, 2012)
http://www.amazon.com/First-Principles-Restoring-Americas-Prosperity/dp/0393073394
2. Jeffrey D. Sachs, The Price of Civilization: Reawakening American Virtue and Prosperity (Random House, 2011)
http://www.amazon.com/Price-Civilization-Reawakening-American-Prosperity/dp/140006841X

現代のもっとも著名な経済学者の中で、一人は保守系(コンサーバティブ)でもう一人は革新系(リベラル)の二人が最近目を引くタイトルで一般向けの本を書いたが、一見タイトルは似ているものの、実際に内容はまったく異なり、むしろすべて対照的な本といえる。
容易に想像できるように、一方でジョージW. ブッシュ政権の経済諮問委員会の委員であったスタンフォード・フーバー研究所のジョン・テイラーは、政府の役割を限定することを含む経済的自由の基本原則の復活を説いているが、他方、国連事務総長の特別顧問でコロンビア大学のジェフリー・サックスは、自由市場原理主義というべきものを厳しく批判し、「市場の働きと政府の行動を組み合わせることが、3つの目標(効率性、公平性、維持可能性)の同時達成のために必要である」と主張する。

この二つの本がこの時期にほぼ同時に出版されたことは決して偶然ではない。それはこのそれぞれが、今日のアメリカでもっとも注目されている2つの社会的・政治的運動であるティーバーティとオキュパイ・ウォールストリートの運動のそれぞれにとってのバイブル的な本のように見えるからである。前者の本は、アメリカが抱えるすべての問題は政府に責任があるといい、後者の本は、「アメリカの家計の上位約1パーセントである富裕層の社会的責任」が欠如していると非難する。このように根本的に異なる見方は、特に米大統領選挙の年に政治の右派と左派が両極化する現在の傾向を反映しているともいえるであろう。

この二人の経済学者の大恐慌を含む不況を説明する極端な議論を対比させるとかなり面白い。ジョン・テイラーは過度な政府の規制により、またジェフリー・サックスは過度に歪んだ所得分配によって説明しているからである。ロナルド・レーガン元大統領について、この二人の教授の評価は、前者がAで後者がFとまったく異なっているのも驚くに値しない。

この二人の立場はまったく正反対ではあるが、明らかなのは、米経済の現状と動向に重大な懸念を持っており、米経済は間違った方向に進んでいるとする点は共通である。そうであれば、読者はそれなのになぜ米経済が2008年のリーマン・ショック以来緩慢ではあるが着実に回復しているのに対して、EUや日本の経済が今日まで苦み続けているのかと問うのではないだろうか。他国の視点からすれば、米経済は確実に正しい方向に進んでいるように見える。

これはこの二人の経済学者に向けるべき正当で的を射た質問である。というのは、なぜならこの二つの著書では米経済の問題や停滞の原因を探す上で、国際比較のアプローチが欠けており、米国内だけに焦点が当たっているからである。もし米金融危機調査委員会の報告を思い起こせば
http://fcic.law.stanford.edu/report/conclusions)、そこでは少なくとも「少数意見」として、米国よりも欧州のいくつかの国でより大きな不動産バブルが生じたことから今回の金融危機がグローバルな性格を持っていることが主張されており、危機の真の原因が米国内で生まれたというよりも、どこかグローバルな市場で見つかる可能性が高いことが示唆されている。面白いことに、この二人の著者のどちらも、今回の著書では欧州にも日本にも国際比較の視点からは言及していない。この国内バイアスは米国の経済学者の間でよく見られるが、それはこのグローバル化時代に米国を始めどの国でも経済的な病の診断と治療法を見つける上では問題で、致命的ともいえるであろう。

この二人の著者が大統領選挙の熱狂の時期が終わった後に、もっと国際的な視点を持った次の本を書くまでは、彼らの極論を読者はあまり本気にする必要はなく、経済学者が米経済の危機のような問題を取り上げる際にどれだけ違った意見を持ち得るかを読んで楽しむ程度でいいのではないだろうか。

参考:以上の書評の英語版は以下を参照:
http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11

(宮尾)

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