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授業に役立つ本 86回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/11/08(Tue) 22:01 No.436

 前回からかなり時間がたちました。

 本は読んでいるのですが、なかなか紹介をするまでには至らずというところです。10月は授業の稼ぎ時ですが、私の担当している学年は、自然体験と称して農村に稲刈りにでかけてほぼ一週間授業がなく、その間しっかり本をよめばいいのですが、小人のつらさで、締切仕事をばたばたやっていました。したがって、また日記風に何冊か紹介してゆきます。

10月某日
 経済セミナー増刊の『復興と希望の経済学』(日本評論社)を手に入れる。広告を見ていたのだが、本屋さんにいってもなかなかこの種の雑誌はおいていないところが多く、ここならあるだろうと目星をつけていた都心の本屋さんでやっと入手。

 一読、しっかりしている内容でびっくり。ここには、現在の経済学者でこの問題に発言をしている人が多く登場していて、経済学の見地から東日本大震災にどう取り組むかの見通しを得ることができる。対談や執筆は、6月末から7月にかけてのもので、時間的には少したっているが、それでも基本線は変わっていないだろうと思う。

 項目では、復興のための経済原則、財源、雇用、金融、生活支援、教育、東電処理など多岐にわたっている。それぞれの対談や論文は、経済学者がこの災害をどう実感として受け、それから冷静にどう対応しようとしているかがうかがえ興味深い。また、教育まで視野にいれて言及しているところもすぐれた見識だと感心した。ネットワーク関係の先生方も登場して、発言されている。

 残念なのは、私がなかなか入手できなかったように、せっかくよいものが出されているのに、あまり話題になっていないことである。それでも、この内容をコアにして単行本なり社会的発言がされてゆけばと思う。

10月某日
 日曜だが会議があり、都心にでかける。会議が予想より早く終了したので、近くの本屋により新書を何冊か購入。ちなみに、この本屋さんは文庫や新書も分野別に独自に揃えてあり、とても感心している。

 購入した本は、伊藤邦武『経済学の哲学』中公新書、ロナルド・ドーア『金融が乗っ取る世界経済』中公新書、内藤忍『高校生にもわかるお金の話』ちくま新書である。

 伊藤書とドーア書は、現代経済学や現代社会への批判の本である。前者は、19世紀の思想家ラスキンの紹介とそこから啓発された現代経済学批判である。ラスキンは、『このひとつのもの』などの本を書き、当時の主流派経済学である古典派および登場しつつあった新古典派的な経済学を批判して、功利主義的な価値に対して批判した人物である。晩年は、美術批評家としての方が有名で、その経済思想は文化経済学のなかで論じられることがあったが、それでも存在自体を知っている経済学者は少ないであろう。ラスキンの現代的意義を伊藤著では論じているが、理念はわかるが現実は困難という感じは強い。それでも、人間は理念で生きる部分を多く持つ、いや場合によっては理念こそが人間の存立そのものであるとも考えられる。

 ドーア本は、タイトル通りの本である。この30年、新自由主義とともに、アングロアメリカ経済は金融化の道を突っ走ってきた。その帰結がリーマンショックであり、今回のユーロ圏の混乱であろう。学校でも、金融環境の変化を理由に「金融経済教育」の推進が図られている。かくいう、私も、その旗振り役をやってきたのだ。その道が間違っていたとは思えないが、すべてよしとも言えないとの思いもある。そんななか、ドーア本は、新しい知見があるわけではないが、ゆきすぎた金融経済化を考えるためには参考になる。要は、どこまで自由にし、どこまで規制するかである。前回紹介した『新自由主義の復権』などと対比させて読むとよい本。

 内藤本は、高校で実際に「お金」の授業をやった内容を本にしたものである。著者は、投資顧問をやっている若きトレーダー?であろうか。写真をみるといかにも現代風の自由人という顔をしている。でも、この本を読んで、なんて薄っぺらなんだろうと正直いやになってしまった。間違っていることが書かれているとは思わない。お金を稼ぐ、お金を知る、お金を増やす、お金と人生を考えるという四つのテーマは、も授業で扱っている。でもこの浅薄さはなんだろう。お金がないと幸せになれないという表現のなかには、お金がもつ複雑さ、不思議さへの畏敬がない。要は、哲学がないのである。たしかに、お金に関するハウツーをやさしく書いてはあるが、これじゃだめだと思ってしまった本。

10月某日
 突然、古典が読みたくなった。それも長編小説が。そこで、本屋に行き、岩波文庫の棚をざっと見まわして、なんとトルストイ『戦争と平和』を選んだ。どうしてトルストイなのか、全く予期せぬ選択である。多分、前記の内藤本を読んで、その反対に行きたくなったのだろう。また、大学生の時に、トルストイは挫折していので、これを機会に読んでやろうとふっと思ったのかもしれない。大人買いで、岩波文庫6冊を箱入りで買ってしまった。ロックインをして読むしかないという状態に追い込んだともいえる。

 一読、翻訳が新しく、かつ解説などが適宜はいっていて、昔のフランス語と日本語が入り組んだ会話などがすっきりしており、どんどん読める。まさに、40年間トルストイは、私を待っていたのかもしれない。『戦争と平和』は三つの部分によってなりたっている。一つは、主人公たちの成長物語、恋愛小説である。二番目は、物語全体の背景となっているナポレオン戦争に関する歴史物語である。三つ目は、トルストイの歴史論である。よみながら、司馬遼太郎を思い出していた。司馬さんは、恋愛小説が書けなかったが、トルストイは見事な恋愛小説を歴史的背景のもとで書いている。その違いが、司馬ものは世界的展開ができない理由であり、トルストイが世紀をこえ、地域をこえた力をもっている理由だなと感じた。とにかく、読み続ける。

10月某日
 学会で札幌に飛ぶ。今回は、入試プロジェクトの総括を自由研究で発表するため。札幌は今年二回目。新緑の前回と異なり、千歳から札幌までの車窓からは、すでに紅葉がはじまった北の大地が見える。ただし、住宅が結構たてこんできて、壮大という感じはしないが、気分はよい。夜は、一人だったの寿司やに入り、ちょっと贅沢をした。トルストイは、もちろん持参。読み続ける。

 学会発表は、この種の発表がこれまでなかったこともあり、それなりの反響を呼んだようだ。帰りもひたすらトルストイを読む。

10月某日
 『戦争と平和』読了。こんなにしっかり小説を読んだのは久しぶり。なんと鉛筆で線など引っ張りながら、読んだ。ナポレオン戦争では、やはりクトーゾフ将軍が印象的。また、皇帝と貴族、人民の関係も印象的。トルストイはすごいとただただ感心。お金の話がますますうすっぺらに見えて困る。

11月某日
 中間考査も無事終了。実は、この間、トルストイにはまり、『アンナカレーニナ』『復活』を読んだ。『戦争と平和』から文庫本で11冊。我ながらよく読んだと思う。いずれも、大文学にふさわしいと思った。19世紀の時代性、ロシアの特殊性とともに、人間の普遍性がくっきり浮かび上がる。こんな小説を読んでしまうと、ベストセラーを追いかける必要を感じなくなるから不思議。でも、この歳でやっとトルストイを読むのだから、人間の成熟が遅くなったと言うことなのかもしれない。

 暴走して、バーリンの『ハリネズミと狐』や、本多修五『戦争と平和論』などにも手をだして読む。遅ればせの古典読書シリーズである。次は、誰に挑戦するか。楽しみである。でも、読んでいる間は、仕事が手に着かず、少々困った。



「価格のメカニズムで電力不足を解決」学生たちの反応 投稿者:TM 投稿日:2011/10/15(Sat) 14:57 No.432

「価格のメカニズムで電力不足を解決?」学生たちの反応

1.大学の授業で起こったこと

私がある大学で担当している「入門ミクロ経済学」のコースで、需給曲線を使った余剰分析を教えた際に、教科書『マンキュー経済学・ミクロ編』に沿って、価格が競争均衡点よりも低く抑えられれば超過需要(財の不足)が起こり、「死荷重」が生じて非効率になることを図で示しました。そこまでは学生たちは十分理解したようだったので、応用問題として、以下の質問をして見ました。

「このところ日本では、電力不足の状態にあるが、いったい何が問題なのか、またどんな解決策があるか需給曲線を使った余剰分析を応用して答えなさい」

当然のことながら、私が学生たちは要求したのは、電力料金を需給曲線が交わる均衡点まで引き上げれば不足も死荷重もなくなり効率性が達成できるという答えでした。ところが誰もそのように考えなかったようで、学生たちからは以下のような答えが返ってきました。

「利用者が電力を節約すれば、需要曲線が左にシフトするので、需要と供給が一致して不足がなくなる」、「電力プラントをもっと作れば、供給曲線が右にシフトするので、需要と供給が一致して不足がなくなる」

そこで私は、需要曲線が左にシフトすれば不足はなくなるかもしれないが、余剰は減少するので社会的には望ましい解決策ではない、また電力プラントを作り供給曲線を右にシフトさせるまでに時間がかかり、それまでは不足が続くので当面の解決策にはならない、といったコメントをしたのですが、それでも価格を引き上げるという答えは出てきませんでした。

その後の議論で、学生たちにとっては、「理論的」には価格を均衡点まで引き上げれば消費者余剰と生産者余剰の合計は最大化することは理解していても、それを日本の電力不足問題に応用した場合は、電力料金の引き上げは、消費者の負担が増えて、電力会社の利益が増えるだけなので解決策にならないと考えていることが分かりました。

確かに学生たちの考えのほうが現実的で説得力があり、教科書の説明は何かおかしいと学生たちが思うのは当然のところがあります。実際に、日本の電力不足を電気料金の引き上げで解決せよと提案している人はごく少数で、経済学者の間でもあまり多くはないような気がします。この場合、はたしてどう考えればいいのでしょうか。どう教えればいいのでしょうか。

以上の教室でのエピソードは、実は高校レベルおよび大学の入門レベルで教えられている簡単な需給曲線を使った余剰分析の説明の基本的な欠陥を明らかにしているのです。以下でそれを詳しく解説します。

2.入門レベルの余剰分析の欠陥

大学レベルのミクロ経済学の代表的な教科書や参考書を見ると、冒頭で「消費者主権」という概念が出てきますが、そこではあたかも消費者余剰がすべてで、生産者の利潤は社会的な余剰ではないかのような説明になっています。

そこで厚生経済学的な分析の箇所を見ると、需給曲線を使って余剰分析を行っている個所はあるにしても、総じて簡単に終わらせ、主要な説明として、まず2人の消費者の「エッジワ―スのボックス」の図で、競争均衡点がパレート最適の点(つまり「契約曲線」の上の点)であることが示されます。

ここでは2人の消費者が出てくるだけで、生産者は出てきません。もっともより中級の教科書や参考書で、この「エッジワ―ス・ボックス」の図に生産を組み込んでより複雑にした分析が説明されているものもありますが、それでも基本的に登場するのはあくまで2人の消費者だけです。

それではより上級の教科書や参考書ではどうなっているのでしょうか。その答えは、生産は出てきますが、そこでの企業はあくまで生産という「機能」を担った活動のことで、消費者のような「主体」ではありません。そこでは、企業は何も保有せず、家計から生産要素(資本、労働、土地)などを借りて、生産を行う機能を持つだけで、もし利益が出れば、その利益は何らかの方法で家計に分配されるというモデルになっています。つまり、もし企業が利益をあげれば、それは家計の所得となって、消費者の効用をそれだけ高めるということになります。

このような枠組みがあって初めて、企業の利潤が社会的余剰の一部であるという簡単な余剰分析が意味を持ってきます。そのような枠組みの説明なしに、消費者余剰と生産者余剰の合計が社会的余剰といっても、それは直感的にも分析的にもおかしいことになり、学生たちが現実への応用問題でそれを受け入れないのも無理からぬことといえます。つまり、高校や大学で教えている余剰分析には根本的な欠陥があるのです。

それでは結論として、教室で高校生や大学生に、需給曲線を使った余剰分析をどう教えるべきでしょうか。以下がその結論です。

3.教室での正しい余剰分析の教え方


第一に、問題は生産者(企業)が出てくることから起こるので、それが出てこない消費者(家計)の間だけでの取引で需給分析を行い、余剰分析を行えば問題はありません。具体的にはある物を売りたい人たちと買いたい人たちがいて取引を行うといった設定です。この場合は、供給曲線は企業の限界費用ではなく、売り手が最低限それで売りたいという希望の価格(最小留保価格)を表わしており、実際に売った価格とその最小留保価格の差が、その売り手の余剰になります。

つまり、この消費者だけの世界では、消費者余剰と生産者余剰ではなくて、「買い手の余剰」と「売り手の余剰」という解釈になり、その合計が消費者(家計)余剰で、その最大化が「消費者主権」の関連から望ましいという結論が自然と出てきます。実はこれが、2人の消費者による「エッジワ―ス・ボックス」の図の分析に完全に対応していることは明らかです。

次に、より現実的に生産活動を考慮した分析では、これまでどおり消費者余剰と生産者余剰が出てきますが、ここで前提として一つ重要な点を学生たちに説明する必要があります。それは以下のような説明です。

「この分析では生産者の利潤が出てきて、それが生産者余剰と呼ばれますが、その理由は、この分析の前提として生産者つまり企業は消費者によって所有されているので、利益は所有者(現実的には株主)である消費者に全額配分されて消費者の所得と効用を増加させ、結局は消費者余剰を増加させるという仮定があるからです」

こう説明すれば、現実的な日本の電力不足を解消する方法として電気料金を需給が一致する点まで引き上げ、それによって増加する企業の利益は全額株主に配分されるか、あるいは政府によって取り上げられ、その全額が消費者に補助金の形で配分されるという案がでてくるはずです。それはおそらく学生たちの多くも直感的に賛成する案になると思われます。

このように考えれば、しばしば当然のようになされる「効率性」対「分配」の問題の説明、つまり「価格メカニズムは総余剰を最大化するが、その消費者余剰と生産者余剰の間の分配は、あくまで所得再分配の問題なので、パレート最適(効率性)の観点からは問題にならない」という説明も誤りであることが分かります。つまり、生産者余剰はあくまで消費者に分配されることが前提となって、この余剰分析が成り立っていることを教える側も教えられる側も理解する必要があるのです。それこそが「消費者主権」の経済学にほかなりません。
以上
(宮尾)



授業に役立つ本 85回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/09/15(Thu) 00:59 No.431

 夏休みもあっという間に過ぎ、新学期がはじまりました。でも、私の勤務校は1週間授業をやって、行事週間に入ります。その間に、生徒は、芸能祭、体育祭、創作展という三つの行事を行います。生徒にとっては、青春のピークの行事です。こちらはそんな生徒の活動ぶりを見ながら、授業準備や書類作成、たまった「宿題」の整理などをします。担当の教員を除くと、生徒教師ともに有難い時期です。

 そんな中で読んだ本を紹介します。今回は新書一冊です。でも、ぜひ紹介しておきたいとおもった本です。
八代尚弘『新自由主義の復権』中公新書、がそれです。

 著者八代さんは、労働経済学専攻で、現在ICUの客員教授をつとめていますが、新自由主義の旗頭の一人として、安倍、福田内閣の経済諮問会議の委員として、小泉改革の完成を主張してきた人です。

 本書は、8章+終章の全9章で構成されます。内容は大きく三つに分かれます。
第一部に相当するのが、1章から3章までです。ここでは新自由主義の考え方が確認され、日本経済のなかでの市場の位置づけが歴史的に振り替えられます。
第二部に相当するのが、4章、5章で、小泉改革の総括です。「小泉改革で格差は拡大したか」「小泉改革は行きすぎだったか」のタイトルが内容を象徴しています。
第三部に相当するのが、6章以降で、社会保障改革、労働市場改革、新産業の可能性が論じられ、終章で震災復興とTPPが論じられます。

 著者の主張は明確です。新自由主義は評判が悪いが、市場機能を最大限に活かし、人々の生活を豊かにする政府の役割と一体に考えると、現在の問題は、市場を活かしていない政府の失敗が問題であるという姿勢です。したがって、小泉改革を評価し、現在の問題は改革が中途で終わっているところに問題があるというものです。問題は、規制緩和や撤廃による市場競争の行き過ぎではなく、それと対になるべき政府のセイフティネット構築が不十分だったというのが現状認識になります。

 立場と視点は明確です。そこから、歴史が見直され、小泉改革が評価され、金融、社会保障、労働、農業などの問題が診断され、政策提言がなされ、ビジョンが示されてゆきます。そこでのキーポイントは民間の力の活用であり、規制緩和による既得権層の再編です。これらの主張は、今年の「夏の経済教室」での、大田弘子先生の講演と基本的に同一線上にあることがわかります。

 個別の問題は、ここでは紹介は差し控えて起きます。前回紹介した、盛山和夫『経済成長は不可能なのか』中公新書、と比較しながら、突っ込みを入れながら読むと参考になると思います。

 一つだけエピソードをあげておきます。八代さんはこの本で、民間授業者の活用の事例として、東急田園都市線とつくばエキスプレスが対比されていました。前者は、鉄道敷設と土地開発がセットの外部効果で、鉄道赤字を内部化した例としてプラス評価されています。たしかに、経済的にはそうなのかもしれませんが、田園都市線のラッシュのひどさは、『続鉄道ひとつばなし』講談社新書、で原武史さんが指摘しているように(「イメージと実態の乖離ー−東急田園都市線論−」)、殺人的なレベルです。そこまでいれると、簡単に東急の事例を賛美してよいかは疑問です。
 一方、筑波エキスプレスは、快適ですが、確かに八代さんも指摘しているように、沿線開発は虫食いだし、料金は高いし、宝のもちぐされになりかねないという問題点はあります。でも、利用者にとっては新しい可能性が開けたとも考えられます。

 経済学での診断の明快さは分かりますが、このように生活実感と会わない箇所なども散見されます。とはいえ、そのギャップがなぜ出てきたのかを追究するという形で、さらに問題を深くとらえることができるはずです。その意味では、勇気ある?問題提起の書としてとらえるとよいと思われます。

 編集者が書いたのでしょうが、腰巻の「最も嫌われる経済思想の逆襲」というタイトルが刺激的な一冊です。ぜひ授業にも役立ててください。



行動経済学の応用例:放射線への懸念について 投稿者:TM 投稿日:2011/09/08(Thu) 21:58 No.426

行動経済学の応用例:放射線への懸念について

現在日本でみられるような放射線への過度な恐怖や懸念について、少なくともその現象の一部は行動経済学のよく知られた特性を使って説明できることを以下の論文で書きました。ご参考までに。

日本文「放射線への過度な懸念の克服に向けて」(宮尾尊弘)
http://www.esuj.gr.jp/jitow/jp/contents/0333.htm
英文 "Overcoming Unwarranted Radiation Fears in Japan"
http://www.esuj.gr.jp/jitow/eng/contents/0333.htm

(特に以下のパラグラスに注目ください)
・・・・・・・・・・
また他のよく知られている例としては、校庭で生徒が遊ぶことに対する親の反対がある。これも、校庭で検出される放射線のレベルが政府の暫定基準値より低い場合でも起こっている。その結果として最近、政府の暫定基準値そのものが最も低い水準まで引き下げられることになったが、他方それは生徒が外で運動するメリットと親が心配するような子供の被曝可能性のデメリットの板挟みというジレンマに多くの学校を陥れることになった。
・・・・・・・・・(中略)
一つのありえそうな理由は、よく行動経済学で説明されるような非合理な人間行動に関する最近の研究結果によると、人々は校庭での放射線被曝による健康への影響の可能性というマイナスの効果については、実際の影響より以上に恐れる傾向があり、たとえ校庭で生徒が運動することで被曝による健康被害以上のプラスの効果がある可能性があっても、マイナス面をより強く恐れる傾向があるという。また、人々は被曝による癌発症のリスクというマイナスの事態の可能性は実際の確率よりもより起こりやすいと信じるのに対して、運動することでさらに健康になり癌などにかからなくなるというプラスの事態の可能性は実際に起こるよりも低い確率であると信じる傾向がある。その結果、人々は放射線被曝のリスクについてますます懸念をいだくようになり、客観的情報とは異なっても、自分たちが信じ込んだ放射線によるマイナスの影響を避けようとますます厳しい規制を求めるようになるのである。
・・・・・・・・・・(以下略)

以上



授業に役立つ本 84回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/08/21(Sun) 10:45 No.425

 夏休み経済教室も後半に。先生方の講義を理解するためにも何冊か本を予習で読んでみた。今回は、そんな記録を日記風に。

8月某日
 今日も登校。生徒のいない学校、いや正確には授業のない学校、いやもっと正確には補講やクラブで休業中でも忙しい生徒諸君や先生方を横目で見ながら、一日読書三昧。夏休み経済教室の予習もかねて、二冊の本を読む。

 一つは、鬼頭宏『文明としての江戸システム』講談社学術文庫、である。これは、篠原先生が担当される「経済から歴史を読む」のテーマである、江戸幕府の経済政策に関して適当なものはないかとさがしていたところで、見つけ出した本である。

 この本、講談社の日本の歴史シリーズの19巻として、十年近く前に刊行されていたものを文庫にしたたもので、一般向けの教養書である。鬼頭さんは、歴史人口学を切り開いた速水融さんのお弟子さんのようで、この本も人別帳から浮かび上がった江戸時代の人口の変遷や家族の姿などから江戸のシステムを解くことからはじめている。

 篠原先生の担当部分に該当するのは、第6章の「生活を支えた経済システム」の箇所で、幕藩体制の経済システムが、市場と流通、連動する貨幣と物価、江戸時代の経済的達成という三つの区分でコンパクトに説明されている。また、なぜ幕府が倒れざるをえなかったのか、経済の観点からわかるように書かれている。
 
 文庫化に際してのあとがきで、鬼頭さんは、経済系学部での経済史学の軽視、学習指導要領での日本史の選択化による若い人の歴史離れへの危機感を書かれている。そして「これからの日本を支える高校生を中心とする若い人」に読んでほしいと書いている。

 読んでみて、高校生もさることながら、私たち教員も最低このくらいの経済知識で江戸時代を見ることが必要だと思わせる内容である。皆さんに、一読をすすめたいと思った。ただし、高校生が読むには1200円はちょっと高いなあ。

 もう一冊は、林敏彦『大震災の経済学』PHP新書、である。林さんは、昨年の12月のネットワークの年次総会で「効率と公正」の講演をされ、聴衆に感銘を与えている。今回も、震災を踏まえた日本経済の現状の話をされることになっている。この本、本屋でブックハンティングをしていたら目に飛び込んできたので、早速購入したものである。

 内容は、現在の東日本大震災に関する動きを分析した部分、アメリカとの比較、阪神淡路大震災の経験の紹介、最後にそこから抽出される提言となっている。やはり圧巻は阪神淡路大震災後の神戸の経験を書いた部分である。災害の体験者でなければ書けないし、その後の復興計画に参画し提言してきた学者であるからこその視点が随所に光っていると思う。

 今回の東日本大震災に関して、紙幅はそれほど割かれているわけではない。それでも、今回の災害を「デジャ・ヴュ」と書く林さんの発言は、歴史を背負っていると思う。内容的には、移民の導入や、首都圏の移転など大胆な提言がされているが、いずれもどこかの時点で決断しなければならない問題であろう。講演でどんなことを言われるか楽しみである。

8月某日
 本日は、久しぶりに休業日。非常勤教員の8月の勤務日は11日で、それ以外は基本的にお休みなのだが、なにしろ夏の経済教室にかかわってから、お休みが断続的にしかとれない。したがって休日は、もっぱら家族サービスとなる。サービスとはいっても近くのスーパーの買い物に自動車を出したり、家の掃除を手伝ったりするだけだが、それでも猫の手よりはよろしいということになっている。

 とはいえ、活字人間であるから、その隙間をぬって読書となる。本日の読書は、盛山和夫『経済成長は不可能なのか』中公新書である。この本の著者盛山さんは東大の社会学者。主に少子化や社会保障を論じてきた社会学者が経済分野に突撃して、経済学者の処方箋をぶった切りにして、経済を成長させる方法を提言した本である。

 この本、前半は「失われた20年」に関する原因と処方に関する問題を扱っている。後半は、少子化、社会保障費の問題を扱っている。結論は、失われた20年の重要な要因は円高であり、少子化、社会保障費、また震災の復興費などの財政問題の解決は、国債の日銀引き受けである。

 意欲的な本だし、論点はよく整理されているけれど、本当なのかと思うところが多い。いわば突っ込みどころがたくさんある本である。批判された経済学者からは、多分、あなたは経済学が分かっていないのだよという反批判がくるのだろう。

 それでも、異業種交流ではないが、違う分野の学者どうしが意見をぶつけあることはいいことだろうとは思う。でも、この種の啓蒙書を書く学者さんは、なぜ○○の説は間違っていると断定的に書くのだろうかと思う。この自信はどこからくるのだろう。よほど自分に自信があるのだろう。この本を読んで、内容よりも、そんなところに感心した。

8月某日
 本日も休業日なのだが、会議があり都心にでかける。出る時はたいてい本を持参する。電車のなかで読むものだから、軽いものがよい。最も、この頃は本を読むより居眠りをしていることが多いが。

 本日持参の本は、樺山紘一『世界史への扉』講談社学術文庫、である。ちょっとこのごろ歴史づいていて、まとめ読みをしている。樺山さんのこの本は、学術文庫ではあるが、20年ほど前に朝日新聞社が出した、週刊歴史百科『世界の歴史』や『日本の歴史』のコラムに書かれたものをまとめたものだから、一つ一つが短く、かつ、興味深い話題が掲載されている。

 本日は、珍しく寝ないで、往復の電車のなかで、これを一冊読んでしまった。全体は大きく二つにわかれ、前半は時代を読む、後半は事件を読むである。

 前半の時代を読むが役立つ。というのは、世界史の大きな流れをどう一言でいうか、イメージしてゆくのかと言うのはなかなか難しい課題だからである。この本を読んで、特に新しい知見が得られたわけではないが、こんな風にまとめると全体が見えるのだと言うヒントをずいぶんもらった。

 後半の人物もそれぞれ興味深い。ここから授業でのネタを得ることもできるなという感想である。それにしても、これだけのエピソードを書ける材料をたくさん持っているということは、どれだけ歴史家は博覧強記でなければいけないのか、ちょっと恐ろしい。表面だけ海上にでた氷山の風景が思い浮かぶ一冊だった。

 学術文庫はお値段は高いが、これは880円。リーズナブルで、おすすめ本である。



高校教科書のトンデモ論 投稿者:菅原晃 投稿日:2011/08/05(Fri) 09:13 No.422   HomePage

  高校の政治経済・現代社会を教えている先生は、全員が、経済学部出身ではありません。むしろ、経済学部出身の教員は、割合的にはものすごく少数と考えてもらって結構です。

 ところが、高校教科書は、「先生にも教えられないような記述」を、平気で載せています。下記の記述(貯蓄投資差額=ISバランス論)を教えられる先生は、数%もいないでしょう。

清水書院『高等学校 新政治・経済 改訂版』H21.2.15 p146
…国内で生産されたモノが国内で消費されず、また投資されることもなく貯蓄されると、経常収支が黒字となる…。…一方…貯蓄が過少となっている国は、他国から流入する大量の資金によって投資をまかなう必要がある。つまり、経常収支の黒字・赤字は、国際経済の問題であるとともに、国内経済の反映であるととらえることが重要であり、貯蓄や投資・消費・財政支出を含めた一国経済の経済バランスの均衡をはからなければ・・・。

 こんな難しい内容を、きちんと教えられるわけがありません。

そもそも、三面等価の箇所できちんとISバランスについて、扱わなければ、生徒はもちろん、教える先生も、理解できるわけがありません。(扱ったとしても、理解するには相当の時間数が必要です)

にも関わらず、上記教科書では、国際収支のところで、いきなりISバランス論を持ち出しています。

たとえるなら、キャッチボールも、ブルペン投球練習もせずに、いきなりマウンドに登るようなものです。こんなむちゃくちゃな教科書が、出版されているのです。

現場の先生の、おそらく90数%が難しくて理解できない記述を、書いても平気だというのは、単なる出版社(というより執筆者の)暴走です。

ISバランス論を、教員が理解していないので、「貿易黒字はもうけ(正解はお金の貸し借り)」「国債は借金(正解は政府の借金=国民の財産)」と、全国の教室で教えられ、「貿易赤字はまずいこと」「借金で日本国が倒産する」という、トンデモ論(誤解)を生徒がそのまま受け入れるのです。

ISバランス論は、三面等価(基礎の基礎)ですので、大変重要なのですが、そこで丁寧に説明すること(でないと、先生も生徒もまったく理解できない)を端折って、国際収支の項目で突然扱うなど、経済教育ではなく、「経済嫌い生徒をあえて育てる(先生が理解できないのに、生徒が理解できるわけがない)」ことをやっているとしか思えません。

 とりあえず、( )を補足してみます。それでもちんぷんかんぷんでしょう。

清水書院『高等学校 新政治・経済 改訂版』H21.2.15 p146
…国内で生産されたモノが国内で消費(C)されず、また投資(I)されることもなく貯蓄(S)されると、経常収支が黒字となる…。…一方…貯蓄(S)が過少となっている国は、他国から流入する大量の資金(貿易赤字=資本収支黒字)によって投資(I)をまかなう必要がある。つまり、経常収支の黒字・赤字は、国際経済の問題であるとともに、国内経済の反映であるととらえることが重要であり、貯蓄(S)や投資(I)・消費(C)・財政(G)支出を含めた一国経済の経済バランスの均衡(ISバランスのこと)をはからなければ・・・。

 S-I−(G-T)=(EX-IM)

貯蓄超過−公債費=貿易黒字 

です。すごく大事ですが、現場で教えられる先生は極少(だから、経済嫌いの先生が多くなる)なのです。

 教科書記述が「暴走」しているのです。



Re: 高校教科書のトンデモ論 新井 明 - 2011/08/13(Sat) 21:28 No.424

菅原先生 ご無沙汰しています。新井です。
先生の上記のご指摘、なかなか鋭いところをついていると思います。
「暴走」を褒め言葉と私はうけとりましたが、制約条件の厳しい中で教科書は書かれていますから、正しいことを書いてもそれが単独では宝の持ち腐れになってしまうことは事実でしょう。
正確でかつ生徒にも教師にも役立つ教科書というのは、絶対矛盾の自己同一ではありませんが、見果てぬ夢かもしれません。でも追求すべき不変の目標です。新しい教科書がどうなるか、その審判は数年後にでてくるはずです。「すぐれた記述の教科書は売れない」という法則?ジンクス?が打ち破られることを期待したいところです。



授業に役立つ本 83回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/08/13(Sat) 21:03 No.423

 夏休みです。この数年、夏休みは「先生のための経済教室」のお手伝いで、なかなかゆっくり休むというわけにはゆかなのですが、それでも各地を訪問することは結構楽しみでもあります。
 今回の本は、そんな旅のなかで読んだ本を日記風に紹介します。

8月某日
 いよいよ今年も教室がはじまる。名古屋までの新幹線のなかで読む本を近くの本屋で探す。
 岩波新書のコーナーに行ったら、島田唱和『渋沢栄一』という本が目に飛び込んできた。今年の教室では、東証の榊原さんに渋沢を取り上げてくださいと言っていたので、偶然の一致に少々びっくり。

 著者の島田さんは奥付を見ると日本経営史の専門家のようだ。この本、サブタイトルが「社会企業家の先駆者」となっているように、渋沢を600近い民間企業のたちあげに関係した社会企業家としてとらえ、その起業と経済との関係、晩年の社会事業家としての活動まで幅広くとらえて描いている。渋沢は最近『論語と算盤』がちくま新書で、現代語で復刻されたりして注目を浴び、その評価は高まる一方である。
 しかし、この本では、金本位制の導入や、鉄道国有化、朝鮮進出などを巡る渋沢の行動も書き込まれ、単純な「士魂商才」の企業家という面だけでない、多面的な渋沢象を提供しているところが特色となっている。
 歴史上の人物をどう見てゆくか、また、現代とのつながりをどう考えるかは一筋縄ではゆかないということを考えさせられる本である。でも、大物は大物としての光と影を持っていると考えると、全体としてその功績を評価しなければいけないとも思いながら読み進めた。

 後半に取り上げられている、教育への支援では、現在の勤務校の近くにある京北学園と渋沢の関係が取り上げられていて、興味深かった。

8月某日
 本日も旅の空である。今回持参したのは『虚栄の市』という小説である。この本、翻訳では岩波文庫で4冊ある。作者はサッカリーというイギリス人で、舞台はナポレオン戦争前後のイギリスを中心とするヨーロッパである。

 なぜこの本を読んでいるかというと、訳者に興味があり、その人の訳本を追っかけているからである。訳者は中島賢二氏というが、すでに鬼籍に入られてしまっている。ある偶然から、中島さんの訳本(その時は、ケストナーの『真昼の暗黒』)を手にして、いたく感心して、その後何冊か岩波文庫で訳されている本を読み続けるという「追っかけ」をやってきた。
 ところが、『虚栄の市』は第3巻が品切れで、ネットでは4000円近くしていた。信山社で1,2、4巻は入手できたのだが、3巻だけがどうしてもてに入らなかったのである。それで、1巻を読んだ段階で中断し、一年近く彫ってあったのである。ところが、文科省で会議があり、近くの本屋をのぞいてみたらなんと3巻が、少々日焼けはしていたが、あったのである。
 岩波の本は買い切りだから、仕入れて売れないとこういうこともあるとは思っていた。だから、ちょっと大きな本屋に入ったら、必ず棚を見ていた。ほとんどは空振りだったのだが、時にはこんな「棚ぼた」もあるのだとうれしくなったしだい。
 それで残りを読み始めて、その3巻を持参して旅にでたという訳である。

 さて、このお話、レベッカとアミーリアという二人の女性を軸として展開される。生まれは賤しいが美貌と才気で上昇を目指すレベッカ。それに対して、ベッキーの学友でシティの裕福な家庭のお嬢さんのアミーリア。二人の運命が、周辺の家族の変遷とともに、禍福はあざなえる縄のごとしの展開をしてゆくお話である。現代だったら十分昼ドラになるようなある種通俗的なお話でもある。
 そういうストーリーの面白さを中島訳は見事に写し取っている。だから、長い小説だが、なかなか面白く読み通すことができる。

 それだけでなく、この小説、18世紀後半から19世紀前半のイギリスの社会史として読み込むことができるすぐれものでもある。例えば、アミーリアの兄は、東インド会社の役人である。また、シティの株式仲買人をやっているアミーリアの父は、ナポレオン戦争のおかげで、国債の投資に失敗し零落してしまう。
それに対して、レベッカが仕留めたロードンという男の実家のクローリー家は、ハンプシャー州の大地主であるジェントルマンであり、准男爵の地位を持つ。そして、その遺産相続を巡り、兄弟一族で騒動を引き起こすのである。

 このあたりの出来事を歴史的に読み解く手がかりの本が、川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書、である。ちょうど、『虚栄の市』と並行して読んでいたので、両者が共鳴して、おもしろいことこのうえなかった。
 川北さんは、世界システム論から近世史(絶対王政から市民革命期)を読み替えてきた人である。川北本のなかでは、ジェントルマン資本主義と言われる、資本主義の起源が書かれているが、『虚栄の市』ではクローリー家がそれにあたる。
 だから、川北本のなかにある、首都ロンドンでジェントルマンやその周辺の人間が、社交を繰り広げるとあり、その場所として、ヴォクソール社交庭園が紹介されているが、『虚栄の市』の第六章に「ヴォクソール遊園」としてしっかり、それが書かれている。
また、シティの人間は、ジェントルマン階級に取り入るために、様々な手練手管をくりひろげることも両者で指摘されている。

 川北さんは、資本主義は、サプライサイドである中産階級からではなく、デマンドサイドのジェントルマンから発達したとしているが、そんなこともうかがわせる記述が、『虚栄の市』には結構ある。
さらに、「会議は踊る」といったウイーン会議の雰囲気なども読み取ることができるというなかなかすぐれものの小説である。
 結局、3巻は福岡で読了した。ちなみに、4巻は大阪で読了。

8月某日
 久しぶりに学校へ。ほかの先生方は休暇で本日は準備室に私一人。音楽をかけながら、セミナーの整理をしたり、持参した本を読んだりする。生徒のいない学校は天国である。

 今日読んだ本は、以前、この欄で宮尾先生が紹介されていた、パーサ・ダスグプタの『経済学』岩波書店、である。この本、オックスフォード大学出版会が出しているA very short Introductionシリーズの一巻である。一年くらい前、原本を買おうかどうか迷って、結局買わなかったいわくつきの本である。宮尾先生の紹介もあったので、やわになって日本語版を購入したが、積読状態だった。
 まあちょっと時間もあるし、ということで読み始める。ところが、日本語版でも、なかなか手ごわい本であることを発見。腰を据えて読み始めた。

 入門書であり、冒頭、アメリカの中西部に住むベッキーと、エチオピアの農村の少女グスタの二人の世界の紹介から始まる進め方は、とても魅力的なのだが、2章の信頼、3章の共同体となって、ちょっと通常の入門書とは違う雰囲気となってくる。
 それは、市場経済を前提として、その前提を疑わない、もしくは前提をあまりしっかり説明していないアメリカ型の入門書に比べて、この本、経済社会が成立する前提である、制度的な前提についてしっかり書かれていることに由来するからであろうと推測する。
 だから、2章の信頼の小見出しでは、お互いの信愛感情、向社会的傾向、法と規範、共同体と市場、財・サービスの分類などがあがってくる。これらは通常の入門書ではほとんどふれられていないメタ的部分であろう。このようなメタ部分をしっかり書いたうえで、共同体と市場の内部の原理を説明するのである。

 これは難しさの質が違うと感じた。私たちが、一般に経済書が難しいというのは、モデル化された世界内の論理がなかなか追いかけられないことが原因であること多い。例えば、セミナーで取り上げられた、ケインズの所得モデル。それがどうしてそうなるのか、また政策によって曲線がシフトして、所得が変化してゆくということを理解するのは結構難しい。でも、所得モデルが成立する前提となる社会そのものが、どうして成立しているかを理解するのは、質の違ったむずかしさではなかろうか。

 イギリスの本は、アメリカの本に比べて、やっかいだなあと感じながら、一応読了。ずーと昔、ジョーンロビンソンの本を読んで、わかったような、わからなかったような不思議な気分になったことを思い出す。だから、サブタイトルにある「一冊でわかる」などと言うのはうそだし。まして一度でわかるなどということはないな、と感じた。それでも、この本は面白い。著者の論理をじっくり追いながら読むには、暑い夏にふさわしい本かもしれない。



授業に役立つ本 82回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/07/05(Tue) 10:29 No.420

 7月に入りました。関東では梅雨がまだ続いています。三学期制のわが校では期末考査が始まりました。あと一息で夏休みですが、今年の夏は節電で暑い夏になりそうです。

 さて、今回は小説です。井上ひさし『黄金(きん)の騎士団』講談社、という本を紹介します。
 井上さんが亡くなったのは、昨年4月で、もう一年以上前になってしまいました。その後、遺作が続々と出版されています。遺作といっても、最後に書いた本ではなく、途中で中座した未完の本です。今回の『黄金の騎士団』もその一つです。

 この本、原作は、昭和63年6月から平成元年7月まで約1年間『夕刊フジ』に連載されていた小説です。中断の理由は、劇作のためということらしいのですが、完成されずに残ったという意味では、完成する時間がなかったというより、別の理由があるような気もします。原作の連載中は、経済的にはバブルの最終期で、昭和の終焉期です。内容は、井上さん得意の孤児院もの、ユートピアものです。

 四谷の聖母の騎士園・若葉ホームで育てられた捨て子だった、外堀公一が主人公、というより狂言回し役。育ての親であるホームの園長は認知症、その奥さんの副園長はけがで入院という情報がはいり、新入社員訓練中の瀬戸内海の島より脱出した主人公。園にかえれば、残されたこどもたちが、「黄金の騎士団」と称する謎の団体から資金援助をうけて、ホームを何とか維持しているのがわかる。

 ところがこの子供たち、自分たちで保険組合を作って稼いだり、何かをたくらんでいる様子。主人公外堀がいろいろ探りをいれてゆくなかで、ホームが「地上げ」に合っていること、子どもたちは何と早老症の天才少年小早川文夫を中心に商品先物取引で数百億円の資金を集めていた。その資金をもとに、長野の山村に子どもだけの共和国をつくろうという計画も立てている。
ざっとこんなストーリです。

 この本を経済教育から見ると三つくらい推奨する点がみつかります。
 一つは、原作が連載されていた20年前の日本の経済状況というか社会状況がわかることです。まだほりえもんや村上ファンドはでていませんが、バブルの最終局面の熱狂が雰囲気として伝わってきます。特に、地上げでどんどん都心部が変わろうとしている状況がわかります。時代史の証言として読むことができるわけです。

 二つ目は、商品先物の知識が得られることです。井上さんは勉強家ですから、そうとう商品相場に関して勉強したことがわかります。小説ですから、読み飛ばされてしまう箇所かもしれませんが、市場の仕組みを、それを商品相場と言う一番すさまじい世界で理解することができます。空売り、空買い、ヘッジなども登場します。このあたりをしっかり読めば、経済通になれます。保険に関しても、こどもたちがつくった保険組合の箇所で、その原理や仕組み、リスク計算の方法などが学習できます。これは学習小説です。

 三つ目は、経済と倫理の関係をじっくり考えることができます。ユートピアをつくるにもお金が必要で、そのお金を得るには、ゼロサムゲームを勝ち抜かなければ得られない。村上さんが「お金儲けはいけないことですか」と問いかけた答えを自分で探さなければいけなくなります。この小説は、経済倫理の教科書でもあります。

 別の視点でこの小説を読み解きます。
 井上さんがなぜ中断したのかということです。新作の劇を書くためと紹介されていますが、私は完成できない必然性があったようにも思います。

 それは、ユートピアの不可能性と同じだからです。つまり、最終的に子どもたちは敗北するだろうということです。敗北を書く小説は多いけれど、子どもたちがいきいき動く小説では、多分作者井上さんは、主人公たちと同化している可能性があります。希望をもった敗北を書くことができなかったのではというのが、私の推察です。つまり、この小説の前後は私の好きな「日本社会40年周期説」でいえば、戦後のピークです。あとは下り坂というなかで、どんなユートピアを構想できるか、難しい、悩ましいテーマです。そこに踏み込んでしまったわけです。

 ちょうどこのころ仕掛けて中断されてしまった井上さんの小説が、いくつか刊行されています。『グロウブ号の冒険』(岩波書店)などもあります。こちらはタックスヘイブンが扱われていますが、基本的にユートピア物語です。やはり書ききれなかったと言わざるをえません。

 ここまでが本の紹介です。以下は本に絡んだ雑感です。
 一つは、井上さんがこの小説の原作を『夕刊フジ』に連載していたということです。あのフジサンケイグループの新聞です。九条の会の発起人の一人と産経グループの関係がよくわかりません。多分、編集者との個人的付き合いから書くことになったのだろうとは思いますが、どうなんでしょうね。

 カトリックと共産党との関係も面白と思います。井上さんの再婚相手は、共産党幹部のお嬢さんでした。プライベートな家庭生活の話ですが、カトリックと共産党の結婚ともいえます。でも、両者の関係は、解放の神学がありますから分からないことはありません。また、千年王国論、見果てぬ夢を見るという点では両者共通というところがありますから、井上さんがユートピア物語を書き続けたことも理解可能です。

 もう一つ上げると、私は、この小説の舞台となっている四谷とご縁ができて、中に出てくる地名(例えば、「新道どおり」など)やお店(「天金」など)は、あああそこかとわかるようになりました。地名が単なる記号ではなく、自分が行ったことがあるとか知っているという生きた言葉になっていると、理解や思いが大きく違ってくるということを感じています。

 そういえば、小説の中でシカゴの商品取引所が出てきますが、そこに10年前に立ったことがあります。NCEE(現CEE)の年次総会が、9・11テロの直後にシカゴで開かれ、そこに参加したのです。私めも、国際的投機のメッカに立った(ただし夜、フロアを貸し出したパーティでのことですが)ことがあるので、親近感がわきました。

 その意味では、何度も書いていますが、「百聞は一見に如かず」です。小説や本を読むより、歩け歩けです。



<なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないのか> 投稿者:菅原晃 投稿日:2011/06/18(Sat) 23:40 No.414   HomePage

<なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないのか>


 日経H23.6.9『経常収支、悪化は一時的』

…5月月間では経常赤字に転落する可能性もある。
…経常赤字に転落すれば、リーマン・ショック後の2009年1月以来となる。
経常赤字が定着すると、国内で自由に使えるお金が少なくなり…
…ただ、経常収支の悪化が長期化すると見る向きは少ない。

一方、日経ビジネスオンラインでは、法政大学小峰先生がH23.6.8『貿易赤字国転落の誤解』としています。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110606/220468/
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/141.html

 経済の中でも国際経済の分野は、「エコノミストの常識」と「一般の人々の常識」の食い違いが特に多く見られる分野である。その食い違いがあまりに多いので、私は『日本経済・国際経済の常識と誤解』(中央経済社、1997年)という本を書いてしまったほどである。

…その誤解に満ち満ちた国際経済の分野でこのところ話題になっているのが、日本の貿易収支が赤字となっていることだ。このままいくと経常収支も赤字になる可能性があるとも言われている。

 …この貿易(経常)赤字国転落論にもエコノミストと一般人の常識の食い違いがあり、私から見ると、その食い違いの数はちょっと半端な数ではないように見える。以下、詳しく考えてみよう。

 駒沢大学 飯田 泰之先生によると、「相変わらず、貿易黒字は、経済のリトマス試験紙だ」ということです。阪大 大竹文雄によると、リトマス試験紙は、「比較生産費説」だそうですが。

 岩田規久男(学習院大学教授)『日本銀行は信用できるか』講談社現代新書2009 p34,36
「戦前や戦後しばらくの間,日本の大学の経済学部で教えられていた経済学は,現代の金融政策を決定する上で全く役に立たない」
「政治家…世論をリードする大新聞や主要雑誌の経済担当記者などはそれでは困る…最低限,経済学の知識を持って仕事をしてもらいたいものである」
 「日本は,正統派経済学の知見なしには書けないはずの記事が新聞・雑誌に満載されている不思議な国である」

 なぜ、「貿易(経常)黒字はもうけ、赤字は損」という誤解が、(永遠に?)払拭されないか。責任は、高等学校の「政治・経済」「現代社会」(どちらか必修)で、正しい経済(学ともいえないレベルです)が教えられていないことにあります。
 一般の教員が誰でも教えることのできる「正しい経済」知識の普及および、教科書・資料集が必要です。



Re: <なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないの... 菅原晃 - 2011/06/20(Mon) 08:23 No.415   HomePage

読売 『経点観測』H23.6.20

・・・企業の海外移転が進み、貿易赤字が定着すれば、「稼げない国・日本」の国債に対する信認も揺らぎかねない。

 
 この様に、貿易黒字を稼ぎと考える、典型的な誤解論が、読売の経済面に載っています。正しい経済事実の普及が必要です。



Re: <なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないの... 菅原晃 - 2011/06/21(Tue) 21:19 No.416   HomePage

日経H23.6.21『円、貿易赤字でも底堅く』

「外国為替市場で円相場が下げ渋っている。…日本の貿易赤字が膨らみ円安が進むとの思惑が根強い ものの…。…貿易などの実需取引が主導する相場になりにくくなっている。」

 実需(モノ・サービス)取引が、為替相場を主導するなんて、化石のような話です。
 現在は、株・債券・外貨預金などの、「資本取引」が、為替相場を決めているのです。

『公社債売買 外国人が買い越し』
「…5月の公社債投資家別売買高(短期証券を除く)によると、外国人が2兆7936億円の買い越しとなり、買越額は2008年8月以来の高水準だった。」

 外国人の買い越し額は、5月の一月で、短期証券を含むと、12兆6894億円です。

 一方、実需(モノ・サービス)取引です。

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_eco_trade-balance&rel=y&g=tha

 「財務省が20日発表した5月の貿易統計速報(通関ベース)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は、8537億円の赤字となった。
…輸出額は、前年同月比10.3%減の4兆7608億円。
…輸入額は12.3%増の5兆6145億円。」 

 実需(モノ・サービス)取引額(輸出は円買い・輸入はドル買い:差額が貿易収支)なんて、債券取引市場とだけで比較しても、6.7%分しかありません。こんなもので、相場が動くわけではないのです。

 貿易は犬の尻尾なのです。犬の本体は、「資本取引」なのです。この事実が、経済教育で教えられていないのです。



Re: <なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないの... 菅原晃 - 2011/06/22(Wed) 10:56 No.417   HomePage

http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110620/221025/?P=4
小峰隆夫『貿易収支の赤字は日本の競争力の衰えなのか 国際収支を巡る議論 現状編」

―…以上のような説明にもかかわらず、多くの人が貿易赤字を大変気にするのはなぜか、という点も重要な論点だ。

 私は、この点は「言葉遣い」にも大きな原因があると考えている。前回説明したように、貿易収支、経常収支は黒字の方が望ましいとは必ずしも言えない。しかし、普通の人であれば「黒字」の方が「赤字」よりも望ましいと考えるのが自然だ。黒字だったのが赤字になったことを、黒字から赤字に「転落した」と表現されることが多いのも、「黒字が望ましい」という潜在的な価値判断があるからだ。しかし、これは一国全体の経済と家計経済を同一視しているからであり、誤解の元である。私の考えでは、貿易収支、経常収支は、景気、資源価格、貯蓄投資の関係などを反映して動くのであり、その背景を分析して初めて評価することが出来るものだ。結果的な黒字や赤字の大きさだけで「望ましいかどうか」を判断できるものではない。

 私は、「黒字」「赤字」「転落する」といった表現は、言葉自体に価値判断が含まれたもので、「経済的差別用語」に相当するものであり、撲滅すべきだとさえ考えている。言葉自体に価値判断が入ってしまうと、クールな議論が阻害されかねない。黒字ではなく「輸出超過」、赤字ではなく「輸入超過」、「赤字に転落した」ではなく「輸入超過に転じた」と表現すべきではないか。 ―

 表記を考える必要があります。



Re: <なぜ、経済教育は、正しい情報を伝えていないの... 菅原晃 - 2011/06/30(Thu) 19:44 No.419   HomePage

日経H23.6.29「新しい日本へ」

提言
●海外で稼ぎ国内に再投資する仕組み作る
・・・次に海外の稼ぎをどう還流させるか。10年度に日本企業が海外子会社などから受け取った配当は2兆9129億円。09年度から8%減った。円高のほかに、日本に利益を戻しても、成長を描きにくいという実態もある。・・・

 海外からの所得収支黒字=資本収支赤字のことです。日本国内に還流させることができません。国際収支表を、高校現場で教えていないので、このような暴論が堂々と日経に載ります。経済教育が適切になされていないのが原因です。



授業に役立つ本 81回 投稿者:新井 明 投稿日:2011/06/28(Tue) 09:18 No.418

 関東では梅雨の最中。私が一番嫌いな時期です。私はこの時期の生まれです。したがって、誕生日にさわやかだった記憶があまりないという損な宿命を背負っています。今回は、そんな中の紹介ですから、あまり意気が上がりません。

 紹介するのは二冊です。結論を言ってしまえば、残念な本、二冊ということになってしまいます。

 最初は、西部忠さんの『資本主義はどこに向かうのか』NHK出版です。
 著者西部さんは、北海道大学の先生です。本とは関係ないのですが、先日札幌のワークショップに参加し、帰りにちょっと時間があったので、北大の校内を散歩してきました。札幌は、湿度も低くからっとしていて、新緑が綺麗でした。一番良い季節に行ったという感じです。こんなすてきなキャンパスで勉強できたらいいなと思わせる環境でした。
 
 閑話休題。西部さんの本です。西部さんは地域通貨の研究家として知られています。どんな系譜の人かあまり気にせずにブックレットを読んでいたりしたのですが、この本でマルクス経済学の系譜の人であることが良く分かりました。

 この本は、全体が5章に分かれています。
 最初の第一章〜第二章で、グローバリゼーションで人間は幸福にならなかったと現状が否定的に紹介されます。さらに古典的な社会主義ではだめ、また現代の新自由主義でもだめというかたちで論が進められています。このあたりは、現代の問題点を理解するうえでは、それなりに役立ちます。
ところが第三章から貨幣が登場するあたりから様相が変わります。それがはっきり出るのは第四章です。マルクスの資本論の西部さん流の読み込みから、資本による倫理なき自由の追求が問題であり、それをアウフヘーベンするのは、貨幣の新たな制度設計であるという論理が導かれます。

 それを具体的な提言としてまとめているのが、最後の第五章です。地域通貨は、エンデの遺言の中にもゲゼルが取り上げられたり、伊藤元重さんの『現代経済入門』でも地域通貨を取り上られたりしています。その意味では、別にマルクスの人でなくとも関心と可能性を追求してよいのですが、いかんせん、この本では、西部さんのマルクス理解から、いきなりといってよいと思うのですが、地域通貨論が引き出され、それが新しい時代の経済の切り札というような形で話が展開しています。

 利子を否定した地域通貨が自生的に分散的に発生し、そのネットワークで新しい社会が切り開かれるというのは美しい夢でしょうが、どのこまで現実性があるのか、読みながら疑問に思いました。その意味では、現代に対する危機感を感じるにはよい本ですが、「なんだかなあ」という初歩的な感想を抱いてしまいました。
また、いろいろなところに機会費用についての言及があり、その部分は興味深く読めます。でも、育児放棄や虐待が機会損失からくるあせりが原因というような記述まででてきてしまうのも「どうかな」という感想です。

 いずれにしても、資本主義批判派の現在の到達点の一つを知るには良いかもしれませんが、授業でどこまで役立つかは疑問です。ちなみに、地域通貨に関しては、今回の震災の復興に地域通貨が生まれるか、それが地域の再生にどこまで資することができるか。試金石かなとも思っています。

 二冊目は、蓼沼宏一さんの『幸せのための経済学』岩波ジュニア新書です。
 この本、日本学術会議が、中学生にも理解できる水準と優しい表現で学術の最先端を理解してもらうためのシリーズ<知の航海>シリーズの一環として出された本です。タイトルを見て、期待して買い求め、札幌への移動期間に読み始めました。

 結論は、これではだめです。内容は、規範的厚生経済学の考え方がしっかり書かれているし、内容もしっかりしているし、批判するつもりはありませんが、とにかく難しすぎる。表現も事例もこれで中学生?これで高校生?というものです。学術会議は何を考えているのだろうと少々きつい言葉も出てきてしまいます。

 実例を挙げておきましょう。
「平等等価配分の中にはパレート効率的でないものがあります。すべてのモノ・サービスを人々に均等に分割した配分は、平等等価配分でもあります。物理的に同じモノは、各個人の選好で評価しても、もちろん等価だからです。しかし、均等分割は一般にパレート効率的ではありません。」p128
もちろん、パレート効率的、平等等価配分ということばは、これ以前に定義、説明されています。それにしてもです。

 つまり、中高生にやさしくということ、理解させるということが筆者には分かっていないということだと思います。このシリーズは、査読者がいて、蓼沼さんの先生にあたる鈴村興太郎氏であることがあとがきに書かれていますが、査読者は何を読んだのかと思います。多分、内容的な正確さだけを読んで、高校生や中学生に何を理解させたいのか、また、理解させるには何が必要かということが、鈴村先生にも分かっていないのだろうと感じました。これと同じスタイルがジュニア新書で出てきたら、ジュニア新書の自己否定じゃないかとまで思いました。

 ちょっと悪口を書きすぎたので、内容の紹介をしておきます。
 全体は10にわかれています。冒頭のチリの鉱山事故が扱われます。1で経済とは何かが定義され、2で人の福祉とは、幸福とは何かが定義、説明されます。このあたりは読める部分です。
 3の無駄のない経済システムあたりから、私たちでもしっかり鉛筆をもって読まなければいけない部分に突入します。効率と公平だけでなく、分配における衡平性を考えなければ現代の経済学ではないというメッセージは伝わります。
 以下、4で市場システムの効率性、5で格差の無い社会、と続き、9で経済学の役割を総括し、10で文献紹介をしてゆきます。

 この紹介でわかるかと思いますが、大学での厚生経済学の講義そのものがこの本なのです。その講義内容に、ちょっとわかりやすいと筆者が判断している事例をいれて説明しているという本です。その意味では、私たちが現代の厚生経済学とは何かを「勉強」するためには役立つかもしれませんが、前に触れたように、中高生が理解できる本ではありません。

 先日の札幌のワークショップで発表された奥田先生が教えられている生徒にこの本の文章をぜひ読ませたいものです。彼ら彼女らは、ボケと突っ込みでなんと表現するでしょうか。そんなことより、そもそも、これでは相手にもされないかもしれませんね。

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