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書評:日本の農業問題と経済学の分析について 投稿者:TM 投稿日:2011/01/25(Tue) 10:11 No.397

書評:日本の農業問題と経済学の分析について

『日本の農林水産業』八田達夫、高田眞著、日本経済新聞社2010年:
http://www.nikkeibook.com/book_detail/13396/

このオープン討論室に私が以前投稿した『なぜ日本の農業保護はなくならないか』(2010/11/29:No.388)で、学生たちに対して、
「市場を自由化した上で、それによって利益を得る者(輸出産業)から損失を被る者(農家)への所得再分配を行えば、誰もが現状よりもよりよい生活水準を達成できる」
ということを教えたにもかかわらず、日本人の学生の大多数が、現在の農業保護政策を支持し、さらに保護を強化すべきという考えを持っていることの問題点を指摘したが、私の指摘したような経済学的なアプローチを本格的に適用して日本の農林水産業の問題を検討したのが本書である。
もっとも、上記のような市場経済学的なアプローチに対する反論として、「農業には環境保護のような外部性のメリットがあるので保護すべき」という議論があるが、本書では、逆に日本の農業では生産性を低める「外部不経済」が働いていることが指摘されており、それに加えて「政府の失敗」が著しいことが強調されている。これが、本書の素晴らしいところといえる。
いずれにしても旧態依然たる無原則的で非効率な保護政策を、部分的な外部経済論だけで正当化しようとする経済学の借用に対して明確な警鐘を鳴らしている点が高く評価できる。
農業だけでなく、林業や水産業の問題点も詳しく分析されており、しかも国際比較も行い、問題解決のための経済学的な政策提言も明確で分かりやすい。
単に自由貿易か保護政策かの論争に経済学的な答えを与えるだけでなく、日本が抱える最大級の問題を経済学の手法を使ってここまで分析でき、解決策を提言できることを示した功績は多大といえよう。
(宮尾)



税制による逆インセンティブ 菅原晃 - 2011/01/27(Thu) 08:18 No.398   HomePage

 相続した農地を持っていても、ぜんぜん負担にならないという、税制のインセンティブ問題があります。農地のほか、シャッター通り商店街も同じです。

H22.12.6読売新聞『農業と開国道考える』

明治学院大教授(農業経済学)神門(こうど)義久氏
地産地消や若者の新規就農など、夢いっぱいの農業論が花盛りだ。一方、TPP参加で“被害者”になる国内農業の保護を訴える声もある。
どちらの議論も実態を見ていない。日本の土地利用はいま、無秩序状態。税負担が軽いため節税策や転売目的で農地を持つケースが目立ち、簡単に耕作放棄をする。土地をどう使おうが個人の勝手だという風潮が蔓延し、「まじめに農業するものはバカを見る」のが実情だ。
…背景には、農地の売買や転用を記録する農地基本台帳の記載のずさんさが挙げられる。実際には駐車場なのに農地とされているような例がある。…台帳を作り直さなければならない。
食料自給率を上げるために国内農家を再生保護するなど、国際基準からかい離した農業政策を続けていけば、各国の信頼を失ってしまう。

神門義久『平成検地で農地行政刷新』日本経済新聞H21.8.27
 一般に、農地所有者というと、「米作を中心に生計をなす昔ながらの純朴な農家」をイメージしがちである。遊休農地も、担い手不足や農産物価格の低迷のために泣く泣く耕作放棄していると思いがちである。残念ながら、それらの印象は、現実とかけ離れている。

 日本に稲作農家は200万戸以上あるが、稲作所得を主な収益源にしている農家は8万戸にすぎない。残りの圧倒的多数は…細々と耕作を続けるものの、真の狙いは農外転用などによる「濡(ぬ)れ手で粟(あわ)」の収入であり、いわば「偽装農家」といっても過言ではない。さらに、元農家の子息で、農地を相続したものの、都会暮らしですっかり耕作意欲を失った「土地持ち非農家」も120万戸ある。

…巨額の農業補助金で整形された農地は、住宅地や商業施設の建設の絶好の候補地である。また、産業廃棄物処理場が慢性的に不足しており、不正な投棄の対象としても農地が狙われている。
…参入規制や担い手不足が日本農業を停滞させているのではない。農家であれ、企業であれ、非営農目的での農地の所有や利用がまん延していることこそが真の問題である。

齊藤誠『競争の作法』ちくま新書2010 p205
 例えば地方都市・・・ほとんどの店がシャッターを下ろしたとしよう。…商店の2階部分が住居として用いられていて、宅地扱いとされていると、固定資産税をほとんど払わなくてすむ。だからこそ、土地を有効利用せずに、ほったらかしておくことが出来る。

p233
…通常であれば、経済活動の邪魔になる税金がかえって土地の効率的な利用を促していることである。…経済学の教科書で議論されないのは、標準的な経済学では、「有効な土地資産を遊ばせる」ような地主の存在など、まったく想定されていないからである。



センター試験の経済に関する問題について 投稿者:TM 投稿日:2011/01/21(Fri) 17:23 No.394

大学入試センター試験の経済に関する問題について

2011年1月に行われたセンター試験の問題について、以下の感想を持ちました。

1)今回の「現代社会」に関するかぎり、事実に関する記憶をためす「知識問題」と、表やグラフを機械的に理解する「読み取り問題」だけで、経済的や考え方を使って理解する問題がほとんど出題されていなかったことに失望しました。
昨年の「現代社会」では、内容的にはあまり意味がなかったとはいえ、ある商品の人気がなくなった場合に、価格と取引量がどうなるかを需要曲線と供給曲線の図を使って考えさせる問題が一問だけありましたが、今回はそれに近い問題はまったくありませんでした。
例えば今回第1問で、ここ10年ほどの間にCDが売れなくなり、ダウンロード音楽が増えてきたことについて、単にその事実を表から読み取らせるだけの問題しか出されていないのは非常に惜しいことで、むしろ「なぜか」について経済的な理由をいくつか挙げて、もっとも大きな理由を選ばせるという工夫は十分できたのではないかと思われます。
これはおそらく、出題者の経済的な思考(自信?)のなさと、あくまで世間的に認められた正解がある問題しか出せないという思い込みの結果と思われます。

2)その一方で、例年のことながら、「地理」や「歴史」の問題に、経済学的な内容のものが散見されます。
例えば、地理の第2問で、いくつかの国の産業の比較などについての質問があり、その中でイギリス、日本、韓国の重工業の発展の推移を比較する問題などは、記憶によるよりも、経済発展の見方や考え方を身についていれば、より早く正しく答えられる類の「よい問題」といえます。
歴史の問題はほとんどが記憶を試す「知識問題」ですが、それでも最後の近代日本の経済に関する第6問のなかに、第2次大戦直後のインフレについて、日銀券の発行高と物価指数のグラフからインフレと政策の関係について答えさせる問題があり、基本的に「知識問題」とはいえ、インフレの定義と原因を知っていれば答えがより簡単に出せるという意味で「よい問題」ではないかと思います。

以上のことは、センター試験を超えた重要な問題を提起しているのではないでしょうか。それは、中高生に正しい経済的な見方や考え方を身につけさせる方法として、「現代社会」、「政治経済」、「公民」といった経済を取り扱う教科に注目するだけでなく、ある意味でそれ以上に重視されている「地理」や「歴史」の中で、経済的な見方や考え方を広めていく努力をしたほうが効果的ではないかということです。
(宮尾)



なぜ日本の農業保護はなくならないか 投稿者:TM 投稿日:2010/11/29(Mon) 16:09 No.388

なぜ日本の農業保護はなくならないか
             
今店頭に並んでいる『経済セミナー』(12/1月号[特集]経済学の学び方・教え方)の対談で、大竹先生が中学2年生(西田君)と以下の様な議論を交わしています。

大竹「1年生では地理しかやらないですね。どのようなことを習ったのですか?」
西田「経済に関することでは、たとえば農業とか林業についてです。農産物の輸入が自由化されて農家が打撃を受けました、とかそういうのが多いですね。」
大竹「被害を受けたという側面が強調されるのですね。」
西田「そうですね。あと輸入が自由化されて、日本の農家が立ちゆかなくなって、食糧自給率が下がることが懸念されています、とか。」
大竹「だいたい市場競争で悪くなるということが書いてありますよね。」
西田「とても生産者目線なんですね。」

 これを読んで思い当たる節があります。というのは、私が先週(11月25日)、国際教養大学の「グローバル経済」の授業で、日本の農業政策と自由貿易協定についてのアンケートをとったのですが、その結果は以下のように興味深いもので、それが日本の中学高校での社会科の授業内容に関係しているのではないかと思われたからです。

アンケート結果の要旨:
24人(13人の日本人学生と11人の留学生)の学生に対して、「日本が自由貿易協定を結んで農業市場を開放すべき」か、「あくまで農業を保護して自由貿易協定に参加すべきでない」かという二者択一のアンケートを取ったところ、結果は:
自由貿易支持:11人(日本人3人、留学生8年)
農業保護支持:13人(日本人10人、留学生3人)
となりました。
さらに詳しく意見を聞くために、以下のような質問をしました。
「上の質問に対する答えにかかわらず、日本の農業は少子高齢化の影響などで農作物の需給両面で衰退していかざるをえないので、それをいったいどうしたらいいか、次の5つの中から自分の考え方に一番近いものを選びなさい」
以下がその5つの答えと学生たちの選択結果です。
1)特に対策は不要で、市場が農業の運命を決めればよい。
――1人(日本人0人、留学生1人)
2)農業から製造業などへの労働の移動を促進する策が必要。
――3人(日本人1人、留学生2人)
3)競争力のある輸出可能な農業だけを支援すべき
――5人(日本人2人、留学生3人)
4)必要最小限の農業を保護して維持していくべき
――6人(日本人3人、留学生3人)
5)日本の農業一般を再生させるためにもっと保護すべき
――9人(日本人7人、留学生2人)

以上の答えは、私にとっては意外な結果でした。なぜなら、このアンケートを取る前の数時間にわたって、クラスの授業でFTA、EPA、さらに最近のTPP参加への動きなどを詳しく解説して、(1)理想的にはすべての市場を自由化した上で、それによって利益を得る者(輸出産業)から損失を被る者(農家)への所得再分配を行えば、誰もが現状よりもよりよい生活水準を達成できること、また(2)現実的にも民主党政権下で導入された「農業者個別所得補償制度」が、そのような再分配政策の一環と考えられること、 などを詳しく説明したにもかかわらず、この結果だったからです。

さらにいえば、この国際教養大学ではすべて授業は英語で行われ、日本人学生は1年間の海外留学が義務付けられており、私のクラスでも日本人学生の半数近くはすでに1年間の海外留学を経験している日本の学生の中ではもっとも「国際的」で「開かれた」考え方をもっているはずにもかかわらずです。もちろん、学生の出身地は全国にちらばっており、家庭の背景も多様のはずで、大学が秋田にあるので秋田の農家の出身の学生が多いというわけではありません。

そこで一つ考えられることは、日本の学生たちが中学や高校レベルですでに農業は保護すべきで、自由化は日本の農業に損害を与えるという考え方を学び、そう思い込んでいるので、大学でいくら自由化とともに所得再分配がなされれば、皆に利益を与えるようにできると教えても、そのような議論が理解できないか、理解しようとしないことが原因ではないかと思った次第です。
そこで、冒頭で引用した大竹先生と中学生との対話を読んだときに、ハタと膝を打ったというわけです。
しかし、いずれにしてもこのような保護主義的な態度が日本の若者の間で支配的であれば、日本の農業保護政策は時間がたってもなかなかなくならないのではないかと危惧するものです。

宮尾



Re: なぜ日本の農業保護はなくならないか 新井 明 - 2010/11/30(Tue) 18:37 No.389

宮尾先生

興味深い投稿、読ませていただきました。農業問題は、必ず教えます。独立して教える場合もありますが、現在では貿易問題の一環で教えることが多くなっています。教科書や授業では、多くの場合、農業を保護する立場で教えることは先生のご指摘通り、圧倒的です。

その原因は、複雑だと思っています。
一つは、先生のおっしゃるように、市場経済のメリットがきちんと教えられていないということもあります。それは大きな原因だろうと思います。

それ以外には、農業の外部性の強調もあります。農水省などのHPを見ても、農業の外部性のメリットをかなり取り上げています。環境保護という点では、比較的受け入れやすい論理ではと思います。

この二つ以上にもっと大きいのは、理論と心情のギャップがこの問題には付きまとうことではないかと思うのです。これには二つあると思っています。一つは、農産物に対する畏敬です。私たちは農産物を食べなければ生きてゆけない。貿易のメリットもわかるが、もし輸入がストップしたらという食糧安保論がこの畏敬に加わり、さらに国産品は安全という神話が加われば、理論は吹っ飛びます。

もう一つは、土地に対する信仰です。これは先祖供養もあるのではと思います。例えば、私の家では妻が「不在地主」です。農家出身ですが、両親はなくなり土地が残され、一人っ子だったので妻がすべてを相続しました。本来なら、耕作をしませんから土地は流動化して、生産性を上げるような方向で考えるべきなのでしょうが、よほどのことがない限り、売らないでしょう。

現在は、近所の人にほとんどただ同然の地代で耕作をお願いしています。なぜ売らないか。農民魂というか、これまで営々と耕作してきたご先祖様への畏敬です。まさに心情の問題です。伝統経済の思考が残っているのです。

このような心情は、現在の経済学、市場経済の論理だけでは掬うことができません。高齢化が進み、あと10年で日本の農業はダメになるから、開国をというのは理論ではその通りですが、多分、無理なのではと思っています。土地に対する執着がある限り、零細農業は続くでしょうし、そのDNAをもった人間が圧倒的少数派になるまで、理論と心情のせめぎあいは続くはずです。

どのように農業を位置づけるか、国内の経済問題としてだけではなく、世界全体の問題として、経済学ができること、経済教育ができることをもっと考えてみる必要ありですね。



Re: なぜ日本の農業保護はなくならないか 菅原晃 - 2011/01/07(Fri) 20:15 No.391

 宮尾先生が指摘する、「中高の社会科授業」レベルなんてものではありません。実際には、11歳=小学5年生から、農水省の「自給率」作戦が「刷り込まれて」います。しかも、全国いっせいにです。
 社会科教科書は、今では「上」「下」に分かれ、例によって「下」は授業時間が足りないので、3月の学年末までに扱うことは時間的に不可能です。ですが、「自給率」は「上」、つまり、日本全国の生徒が学びます。

教育出版 『小学社会 5上』 平成22年現在使用されているもの

P50〜51
 もし、食料を十分に輸入できなくなったら、わたしたちの食事はどうなるでしょうか。

 ○日本の食料生産は、このまま輸入にたよっていてよいのだろうか。
 ○自分たちの食生活について、見直してみよう。

…世界全体で見ると、人口の増加などによる食料の不足も予想されていることから、国民の食料を安定して確保する必要があります。
 わたしたちは、食料の自給を考えて、生産を進めていくことが大切ではないかと思いました。

 経済学的事実論ではなく、「価値論=意見=べき論」で、扱われているのです。

ブログ「高校生からのマクロ・ミクロ経済学」22年1月7日記事参照


 一方、新井先生の指摘する

<土地に対する信仰です。これは先祖供養もあるのではと思います。例えば、私の家では妻が「不在地主」です。農家出身ですが、両親はなくなり土地が残され、一人っ子だったので妻がすべてを相続しました。本来なら、耕作をしませんから土地は流動化して、生産性を上げるような方向で考えるべきなのでしょうが、よほどのことがない限り、売らないでしょう>

 についてですが、経済学的には、税制度の「プラスのインセンティブ」という問題です。
つまり、固定資産税が安すぎ、持っていても「損しない」制度になっています。

 本来は、「税」は「負のインセンティブ」が働きます。ところが、固定資産税については、「安すぎ」て、「持っていても負担にならない」あるいは、「農地をタダみたいな値段で賃貸しても、損しない」程度に優遇されています。特に農地は、「ただ」みたいなものです。

 また、全国駅前商店街の「シャッター通り」も、同じ問題です。シャッター閉めて、商売を止めても、2階にすめば、「住居」ですので、これまた固定資産税は、べらぼうに安くなります。住んでいても、「損した」とはならないのです。

 これが、適正な(簡単に言うと、固定資産税が適正に高い)状態なら、自宅としても維持できないので、「手放す」ことになります。「流動化」です。

 ですが、「安すぎ」て、「貸す」こともしないのが現状です。
実際の話です。北海道旭川市の駅前通り、通称「買い物公園通り」は、日本発の「終日歩行者天国」でした。
 ですが、今では、例にもれず、郊外型ショッピングモールに押され、「シャッター通り」になっています。

 本来であれば「地価の下落」に伴い、賃貸料も安くなるはずですが、実際に「借りよう」とすると、昔と同じ「賃貸料」になっています。需給法則が働きません。なぜ賃貸料が「安くならない」かというと、「その値段で貸しては、周りの地主さんに迷惑が掛かる(周りより、安く貸すことになる)」という理由です。

 借りたい人はいるのに、値段が高くて借りれないのです。その結果、地主も、「空き店舗」のまま、ずーっと維持します(貸さなくても、負担にならないから)。あるいは、「コインパーキング」にしてしまいます。「税」が安すぎて、まったく負担にならないからです。

 固定資産税が、「安すぎ=優遇されすぎ=プラスのインセンティブ」になっているという、実際例です。

 



追記です。 菅原晃 - 2011/01/11(Tue) 18:05 No.393

インセンティブとは、頑張れば給与が上がるとか、売上がアップしたら、報奨金がでるとか、要するに「やる気が起きる」ことです。
 税金は、本来「負のインセンティブ」が働きます。ですが、農地の場合、「持っていても損をしない」という、「プラスのインセンティブ」が働きます。


 日経H23年1月11日
『三度目の奇跡』
…静岡県沼津市…2004年…「若くてやる気のある人に店を貸して欲しい」…地権者の反応は冷たかった。「1坪当たり2万5千円なら貸してもいい」。当時、都心でも坪2万円出せば店舗を借りられた。
…高齢化など、シャッター商店街が広がる理由は単純ではない。だが、何もしない方が有利になっている制度が背景になっているのも見逃せない。
…シャッターを閉じたままでも「事業用」と取り繕えば、相続税が軽くなることも。住居兼用なら土地にかかる固定資産税の特例もある。資産を活用して価値をあげるより、現状のまま黙って持ち続ける方が何かと好都合なのだ。
…担い手が高齢化し、後継者不足に直面する農業。ここでも税制などは利用よりも所有に有利だ。その結果が埼玉県の面積に匹敵するほど膨らんだ耕作放棄地である。
 本来は経済の活性化につながるはずが、既得権を温存し、新陳代謝を阻んでしまう。そんな例は日本中あちこちにある。


 土地を相続したものの、耕作するつもりはない。持っていても、損をしない税制。うまくいけば、ショッピングセンター、パチンコ店などに、土地を賃貸できる・・・。
 農業の税制は「プラスのインセンティブ」があるのです。



良い経済学への正しい入門書 投稿者:TM 投稿日:2011/01/09(Sun) 11:02 No.392

良い経済学への正しい入門書

パーサ・ダスグプタ『経済学』(植田和弘、山口臨太郎、中村裕子訳)岩波書店、2008年:
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102591286
(原題:Partha Dasgupta “ECONOMICS: A Very Short Introduction” 2007)

2007年に英国(Oxford University Press)で発行され、その1年後に翻訳が日本で出版されたこの「経済学入門書」は、経済学を学ぶすべての大学生と高校生に読ませたいほどの素晴らしい内容といえます。序文にもあるように、最終稿にノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローやロバート・ソローが目を通しただけあり、効率、成長、分配、環境といった問題すべてに、よい意味での経済学的な分析や考え方を貫いて説明がなされています。
しかも、最初から「豊かな米国に住むベッキ―」と「貧しいエチオピアに住むデスタ」という10歳の二人の子供の生活を具体的に比較して、現代の経済学の課題を浮き彫りにするというアプローチを取っている点が、並みの経済入門書と一味も二味も違うところです。
特に私が注目したところは以下の2点です。

(1)豊かな国の生活と貧しい国の生活の両方を、同じ経済学的な分析手法で理解しようとする一方で、豊かな国に住む人々がより大きな開かれた機会を持っているのに対して、貧しい国の人々はそのような機会が制限され障害が大きいことを強調し、それぞれが好循環や悪循環に陥っているというダイナミックな視点を取っていること。さらにその上で、結論として「(豊かな)ベッキ―と(貧しい)デスタの生活には途方もない差があるのだが、それにもかかわらず、2人の生活を1つの一貫した見方で考えることができるということ、そして2人の生活を分析する上で経済学が必要不可欠な言語であるということを私たちは見てきた」と述べている点が、実に印象的です。

(2)「市場」を扱った第4章で、完全競争市場における需要と供給およびその均衡について詳しく説明した後に、以下のように述べています:
「ここで述べた市場は、どんな意味で『理想的』なのだろうか。この市場は、均衡における供給と需要が、計画者がいたとしたなら選んでいたようなものになっているという意味で、理想的なのである。ここで計画者とは家計の富の合計を最大化することで家計の利益を促進するという目的を持っており、ただこの目的のみを果たすために、各企業にはX(ある財)をこれだけ生産してくれと、また各家計にはXをこれだけ消費してくれと指示を出す存在であると考えよう」。
そして、これをさらに数ページにわたって説明した後に、「市場の失敗」を取り上げるという実に正しい内容になっています。
現在の日本の高校の教科書のほとんどが、需給の均衡を論じてからすぐ「市場の失敗」を取り上げるという致命的な「失敗」を犯していることを考えると、このような正しい説明をしている本を、少なくとも副読本や参考書に加える必要があると思われます。

その他の点としては、目次を見れば明らかなように、第1章「マクロ経済史」、第2章「信頼」、第3章「共同体」、第4章「市場」、第5章「制度としての科学と技術」、第6章「家計と企業」、第7章「持続可能な経済発展」、第8章「社会的福祉と民主主義的な政府」というように、経済史からゲームの理論さらには公正と民主主義にいたるまでが簡潔にカバーされていて、随所にロバート・ソローやケネス・アローらがコメントしたと思われる含蓄の深い記述がちりばめられています。

なお英語の原題は「ECONOMICS: A Very Short Introduction」、つまり「経済学への手短な入門」となっていますが、私としてはこれを「よい経済学への正しい入門」と読み替えたいと思います。

宮尾



授業に役立つ本 74回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/12/18(Sat) 17:59 No.390

 前回からはや一ヶ月。師走も半ばになりました。メルマガでも触れましたが、今の教員は年中師走です。非常勤の私も、少しは楽になるかと思いきや、期末考査の問題作り、実施、採点、そして平行して授業と結構あわただしくすごしています。常勤の先生はそれこそ目の回る忙しさでしょう。それが学期末まで続きます。

 そんななか、本は結構読みました。目下読んでいるのは、吉村昭さんの歴史小説集成というシリーズ(岩波書店刊)と、そこから触発された何冊かの著作です。でも、これは経済とはあまり関係ないので、またどこかで触れたいと思います。

 ということで、今回も「まじめ」に経済の本を紹介します。本は、岩村充『貨幣進化論』新潮選書です。「成長なき時代の通貨システム」というサブタイトルも付いて。岩村さんは、日銀マンから大学に転出して、現在は早稲田のビジネススクールの先生をやっています。丁度、授業でも金融の箇所をやっていたので、読んでみました。

 この本、全体は4章に分かれています。第一章は、「パンの木の物語」という貨幣のはじまりをお話仕立てにした、おはなしです。南洋ポリネシアにある「パンの木」という植物を素材にして、どのように貨幣や利子や国債がはじまるかを思考実験したものです。第二章は、「金本位制への旅」。利子の問題、金貨から銀行券が生まれ、それが中央銀行の一括管理にはいってゆく歴史的なプロセスをたどります。第三章は、「私たちの時代」で、ブレトンウッズ体制、その崩壊までが扱われます。第四章は、「貨幣はどこに行く」で、貨幣の将来像を提示してゆきます。

 目次の紹介で分かるように、この本は金融論の主要な論点を網羅しています。それを物語風に語っている本です。また、パネルというコラムが全体で51も各章につけられ、本文で扱われていない部分が補足されています。パネルには、「ドーキンスとスミス」「通貨はどこにあるか」などのエピソード風のものから、「フィリップス曲線変異」「テイラールール」などの理論の解説部分、「金解禁のお祭り騒ぎと反動」「ケインズとホワイト」などの歴史関連のものなど多彩で、ここだけでもピックアップしておけば、授業のなかでも使えます。

 本論では、日銀に勤務していたという実務体験からの金融問題への判断がよくも悪くも目立ちます。例えば、第二章で扱われる、中央銀行の歴史では、イングランド銀行やアメリカの連邦準備制度、日本銀行などの設立やその後の推移部分がかなり丁寧に説明されます。また、政府と中央銀行への信頼がなければ貨幣や金融が成り立たないこと、そのための努力をそれなりにしっかりやっているから、危ない綱渡りの金融も現状のところでなんとかなっているという評価が述べられています。これなども実務者だった著者ならではの評価です。

 政策に関しては、第三章で扱われているニクソンショックを見るとそれがわかります。岩村さんは、ニクソンショック後の通貨当局の対応を、対応の遅れと政策判断ミスと二つに分け、前者のニクソンショック後に市場を開けておいて、360円を維持しようとしたことは、予測外の事態に慌てただけであり、金融の世界には起こりうることとします。問題は、その後のインフレへの対応は政策ミスとして断罪します。日銀だけが悪いのではなく、財政政策のほうに問題ありと読めます。こんなところも岩村さんならではの評価かなと思いました。

 また、第四章で扱われている、最近のインフレターゲット論に対しても、岩村さんは批判的です。理由は二つ。この理論はインフレを沈静化させるために導入されたものであるというのが一つ。もう一つは、ターゲット論者が期待する「緩やかなインフレ」ではなく「急激なインフレ」が発生する可能性を否定できないことをあげています。金融の世界では変化は突然やってくるというのが岩村さんの未来予測です。このあたりは、ターゲット論者の岩田規久男さんとぶつけると面白いかもしれません。

 この本、教科書では「俳句」や「短歌」のようにしか書いていない金融の部分の背景にある事実や理論を知るには、とても役立つ本だと思います。不満といえば、語り口がやわらかい分「だまされる」可能性があるという点です。第一章のお話し部分など、軽く読めるかと読みだしても、当然ながら寝ながら読むことはできないということです。しっかり論理を追ったり、事項を確認しながら読む必要があります。経済の本だから当然とはいえ、それだったら教科書的にきっちり書くのも手かなと思ったりします。

 金融政策は現在と将来の価値の交換である、という岩村さんの指摘は、高校教科書にある金融の定義の平板さに比べるとしっかりした専門家の言です。ここから、エンデの『モモ』の時間泥棒、金利の話に進む筆致は、なかなかのものです。また、「ヘリコプターマネー」の効果をクイズの形で出し、解説する箇所なども授業で使えるなと思いながら、読みました。

 ちなみに、期末考査では、「紙幣がなぜお金として通用するか?理由を二つ上げよ」「お金で買うことができるもっともすばらしいものは?」などの設問を出しました。授業ではほとんど語っていない部分ですが、まあ予測の範囲内でそれなりにできていたのでほっとしました。お金は身近だけれど、よく考えると難しい分野です。電子マネーやポイント制、地域通貨の可能性や通貨の自由発行など、ますます複雑化しています。また、政府や中央銀行への信頼も以前のように万全とは言いがたい予兆もでています。こんななか、魅力的な金融の授業をどうつくるか、そのヒントがつまっている本だと思います。



授業に役立つ本 73回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/11/16(Tue) 13:38 No.387

 秋も深まり、町でも紅葉の季節になりました。銀杏の並木がきれいです。でも、我が家がある武蔵野の名物けやきの木(私はけやきの大木が大好きですが)は、あまりきれいには紅葉してくれず、やたらに落ち葉ばかり多く、困り者になってしまっています。それでも、近くの農家にあるけやきの大木が、毎日変化してゆくのを見ながら登校するのは、よいものです。

 さて、今回は、久しぶりに岩波新書を紹介します。竹内啓『偶然とは何か−その積極的意味』です。今年の9月に刊行されていましたが、気づかず、学校の図書館に入っているのを見て、これは購入して読んだ方がよいと思い、読了しました。

 竹内さんは、東大で長く数理統計学を教えてきた学者です。1970年代から80年代にかけての全共闘運動やエコロジーブームなどの中で、非合理主義的な主張が影響をおよぼしていた時代にも、『近代合理主義の光と影』という本を書いて、冷静、沈着に、合理主義の功罪をといていたのが印象的でした。もう80歳ちかくになんなんとする碩学が、どんなことを書いているかという興味もありました。

 全体は、6章にわかれています。偶然と必然を、九鬼周造の分類から説明して概観する1章が全体の序章になります。2章と3章は、偶然と密接に関係する確率と確率の応用のはなしです。このあたりは、統計学の初歩の知識があれば飛ばして読めます。数学の苦手な人も飛ばして読んでもよい部分かなとも思います。私は、後者なのでななめに見ただけです。ただし「大数の法則」と「中心極限定理」の二つはしっかり理解しておいた方がよいと思います。それは、この二つが19世紀以降の社会の中心原理になるからです。

 面白くなるのは、4章以降です。竹内さんの見解が明快に書かれてゆきます。4章は、本書のサブタイトルにもなっている「偶然の積極的意味」が、生物世界、歴史、人間の自由意志と偶然の三点から論じられます。生物世界では、進化論、突然変異が取り上げられます。歴史では、歴史の大きな必然性と偶然性が、英雄史観やマルクス主義の歴史観などと関連して論じられます。人間の自由意志では、脳科学や心理学と人間の主体性、偶然性が論じられます。いずれも現在までの到達点と限界、これからの展望が簡潔にまとめられている。

 5章は、4章で提起された問題を、具体的にどう対処するかが書かれます。経済との関連でいえば、そこでは新自由主義的な人間観、合理的で完全な利己主義者は、人間社会や人生の不条理からみると「極端に貧しい人間観」と批判されています。また、不運を分け合うことによって、不運をもたらす偶然は防ぐことはできないけれど、そこから生じる「不幸」を減らす理念で作られてきた福祉国家の理念が忘れ去られようとしていることに、警鐘を鳴らしています。

 このあたりは、十分に理解できるのですが、方法論的個人主義に基づく経済理論のモデル世界と、現実の人間社会における実存的個人を混同しているのではという思いもあり、ぜひ先生方が吟味してほしいところです。

 最後の6章は、歴史の中の偶然性ということで、19世紀から19世紀を「大数の法則」の時代、20世紀前半から中後半までを大量技術の時代、大衆化の時代。20世紀最後半を情報技術の時代、量から質への時代として区分して、それぞれの特色が論じられます。

 大量技術の時代に、偶然を飼い馴らすことに成功したように見えた私たちは、現在、質の時代になって、ふたたび偶然から再挑戦をうけているのではないかと竹内さんはいいます。その一つの例として、金融工学が取り上げられています。金融工学が開発したデリバティブは、リスクを解消したと言われていましたが、それは根本的にまちがっていたのではないかと言います。理論は正しかったのだが、使う人間がまちがったということにもならないとも書きます。要は、理論モデルが間違っていたのであり、「効率的市場仮説」に基づく確率モデルがまだ不十分だからだというのが、竹内さんの診断です。

 だからといって、金融工学全部を否定し去るのではなく、より有効になるためには、資産市場における偶然的要素をより適切にモデル化する必要があるとも指摘します。そのあたりが、単純な否定論とは一線を画すところかなと、私は思いました。偶然を扱う数学的モデルとしてのカオス理論も、短い時間では、単純な微分方程式や差分方程式によって表現できるけれど、長期の変動にはまだ表現できていないとして、今後の課題とするところも、冷静だなと感じました。

 偶然は多様であり、偶然が作り出す、大は宇宙から、生物世界、人間世界はダイナミックな世界であり、大数の法則で解消してしまうような世界ではないので、それをどう理解して「飼い馴らし」「折り合う」かは、現代の課題であると、最後に竹内さんは書きます。

 竹内さんは、かつての硬直的なマルクス主義やロマン派的非合理的論議に対しては一貫して批判してきました。しかし一方、最近の新自由主義の合理主義的な議論にも批判的なスタンスをとっています。いわば折衷的なリベラル派とでもいう立場と私は思っています。その意味では、悪く言えば、どっちつかずなのですが、統計学という混沌から秩序を見出そうとする学問を長く続けてきたことと、幅広い教養がこのような立場と主張になったと理解すると、納得できることも多く、授業に直接役立つというより、私たちの経済や社会に対する目をひろくもつことに役立つほんかと思います。

 経済本は、限定された領域での合理的人間行動をモデルに論を進めています。前回紹介した鈴木さんの本などはその種の本です。それも説得的ではあるけれど、このような長いスパン、広い視野での論議も、その内容に対する疑問や批判はあるかもしれないけれど、大切だとあらためて思いました。小さいけれど良い本です。部分に批判はあるけれど、全体としては共感して読みました。



授業に役立つ本 72回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/11/01(Mon) 20:23 No.386

 台風一過秋晴れとはいかず、不順な天気が続いています。なんだか気忙しく生活しているなかで、おもしろそうな本を探すのは楽しみなのですが、いかんせん、興味が拡散していて、経済の本になかなかたどり着きません。

 経済の本は、古本屋では二束三文です。場合によっては引き取ってくれません。対象が変化しているのだから仕方がないといえばそうなのですが、ちょっとさびしい感じはします。だから、その手の本はあまりお勧めではないのですが、今回の本は時事的な問題を扱っていて数年後には対象の変化と共に二束三文に為る可能性がありますが、内容的にはしっかり経済学の基本を踏まえた本だと感じたので、お勧めします。

 タイトルは、鈴木亘著『社会保障の「不都合な真実」』です。サブタイトルは「子育て・医療・年金を経済学で考える」、日本経済新聞出版社刊です。鈴木さんの本は初めて読みました。丁度、授業で財政をやっているので、関連して社会保障の問題も見ておこうという意図で、本屋さんでの恒例のブックハンティングで目についたので購入したものですが、しっかりした本だと感じています。

 「不都合な真実」は、ノーベル平和賞を受けたゴア元アメリカ副大統領の本のタイトルです。本書もまさに社会保障に関する「不都合な真実」を正面から取り上げています。多くは雑誌などに寄稿された文章がもとになっているので、読みやすく問題がはっきり浮かびあがります。

 著者鈴木さんの立場は明確です。複雑な問題を経済学の視点で分析する。それを踏まえて、最も経済的に適合する制度を提案するというものです。経済学の特色を法学と対比して、鈴木さんは四点あげています。

 第一は、価値判断を一切含まないことであるといいます。理想から離れていても、人道的に耐え難いものでも、まずありのままに受け入れることからスタートするとします。
 第二は、問題の分析にあたって、複雑な因果関係を解きほぐし、システムとして問題の全体像をとらえると言います。ここからは、善悪二元論や勧善懲悪論を排する分析が可能になります。
 第三は、問題解決にあたって、制約条件を前提とした現実的な制作手段を提示する点です。特に、福祉では限りある予算のなかで、最も効果を上げる効率的な方法を提示することが大事ともいいます。
 第四は、個別分野からだけでなく、その分野全体から統一的、整合的な視点で政策を論じることができるといいます。これは、それぞれの分野が良い政策をだしても全体として合成の誤謬になることを避ける提案ができるということです。

 これらの特徴は、経済学を学んでゆくと自然と前提となる思考方法となりますが、なかなか理解してもらえない方法です。特に福祉分野では、経済原理主義とか市場主義というレッテルをはって、経済学からの提案を没にしようとする動きは、多いことは皆さんご承知の通りです。だから、この本も批判派からみれば、原理主義者の「たはこと」とされるかもしれませんが、そう簡単にレッテルを貼らず、虚心に読まれると良いと思います。

 さて、鈴木さんの言う「不都合な真実」とは何か。一つは、日本の人口減少と高齢化です。これは教科書でも指摘されている事実ですが、かつて経験したことのない強烈な世界で、これまでの成功体験は通用しないと言います。

 二番目は、それにも係わらず、高度成長時代に原型が作られた社会保障制度を変えることができていないことです。その結果、世代間の利益の格差が大きく拡大しているという事実です。そのため日本的社会保障の四つの特徴が生じます。四つの特徴とは、@賦課方式の財政方式、A公費・補助金漬け、B高コスト体質、C護送船団方式の統制経済です。これらは社会福祉だけでなく、農業など日本のあらゆる領域に跋扈しているとも言います。

 三番目は、強力な業界団体、官僚、労働者などの利益団体が作られていることです。この利益団体のおこぼれは、実は普通の一般国民にまで及んでいて、これが中間所得層に対する所得再分配の方が、低所得者に対する再分配より大きくなっているという事実です。

 これらの「不都合な真実」を踏まえて、子育て(2章)、貧困(3章)、年金(4章)、介護(5章)、医療(6章)、社会保障財政(7章)と具体的な事例をもとに分析と、政策への提言がなされてゆきます。

 例えば、社会保障財政では、予算制約のもとでは、財政再建をするには、税や保険料を引き上げない代わりに社会保障費を抑制するか、社会保障費を拡大する代わりに税や保険料を引き上げるという二つの選択、ないしそのミックスしかありえないと、指摘します。その意味では、自民党末期や民主党の政策は最悪の選択をしていると鈴木さんは診断します。これが続けば、ハードランディングの財政破綻も起こりうるというのが鈴木さんの警告です。その意味では、財政悲観論にたつ本です。

 また、介護・保育分野で規制緩和がすすまないのは、公費負担率が極めて高い分野であると同時に、既存供給者の既得権益が多く、それが大きな阻止要因であることが、需要曲線と供給曲線を使って説明されます。これは農業などと同じで、入試問題でも問われる理論レベルで、現実をあざやかに説明したものと言えます。

 鈴木さんの本を読んで、私は、実は複雑な思いを抱いています。なぜなら、私自身が「勝ち逃げ」?世代の最後になりそうな?団塊世代の人間だからです。また、これまでの子育てや介護のなかで、日本の社会保障の問題や医療の問題に直面してきて納得できる指摘が多いからでもあるからです。

 例えば、保育園の問題。これって社会主義的割当制だなと当時から思っていました。我が家は割り当てにうまくあたらずに、一年間の苦闘の末に、妻は子育てと仕事の両立を断念しました。今、90歳を迎える母の介護問題なども現在進行形で直面している問題です。介護問題は、今はする側ですが、いずれは我が身に降りかかる問題でもあります。

 また、世代間格差という点では、削られつつあるとはいえ既得権益のおこぼれをいただいている人間でもあるからです。我が身を自ら削るというのは大変な困難があることも感じています。

 この本にとりあげられているテーマは、授業でも使えるし、自らを振り返る手がかりにもなります。しっかり書かれた本は強いと思いました。ただ、気になるのは、正しいことを言っていてもそれがなかなか届かない構造です。それは、私のようなおこぼれ受容層の存在が、無自覚な抵抗勢力となっていることが第一の要因でしょう。それだけでなく、経済の本のある種の「冷たさ」があるからという点も無視できないかもしれません。その種の合理的「冷たさ」が「分かっているけれど受け入れられない」という行動を起こすからかもしれません。

 マーシャルは経済学者に必要なのは、「冷静な頭脳と、暖かいこころ」と言いましたが、「不都合な真実」から目をそらさない、そらさせないためには、論理プラス何かが必要だとも感じています。それは何か、この本を読みながら考えてみるのもよいかもしれません。



ハーバードよりもよい授業ができる方法(続き) 投稿者:TM 投稿日:2010/10/31(Sun) 17:04 No.385

ハーバードよりもよい授業ができる方法(続き)

私は以前(8月4日:No.372)に「中学高校でハーバード大学よりもよい授業ができる方法」というタイトルで、マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』の書評を投稿して、そこでは哲学の講義をしているために正義かどうかという[0, 1]の選択の問題になってしまうところが「弱点」で、経済学では0と1の間で連続的な選択肢があるため、よりよい(興味深い)講義ができるはずと主張しました。
今回、いわばその続編ともいうべき『ハーバード白熱教室・講義録+東大特別授業』(早川書房、2010年)が出版されたので、その中で特に東大での授業の記録を読んだところ、やはりその感を強くしました。

すでにNHKのテレビで放映もされたので、ご覧になったかたも多いかと思いますが、サンデル教授が東大で取り上げた一つの点は、「イチローの年俸は高すぎる?」という所得再分配が「正義」かどうかという問題です。結論としては、ベンサム流の功利主義ならば、再分配は正義になり、リバタリアン的な立場ならば再分配のための課税は正義に反する強制とみなされ、さらにカント的な社会道徳的な見方から再分配を肯定する見方もあるというもの。
しかしその議論のなかで、ベンサム流の再分配にたいして、ある女子学生が「(高額所得者に対して)ある程度は課税すべきでしょうが、行き過ぎた課税はやる気を失わせます」(上巻、p. 247)という経済学的論点を出したにも関わらず、サンデル教授はそれを取り上げず、「ほかに、税金を不公正だと考える人は?」と他の学生に問いかけて、結局極端なリバタリアン的意見を取り上げています。
実際にどの国でも、所得再分配は色々な形で行われているので、道徳的・原理的な議論は、現実としては、どれだけ再分配するべきか、それが分配の公正と経済活動の効率性にどれだけ影響かという「程度の(量的な)差」として現れていると考えられます。
したがって、前回の私の投稿の結論を繰り返すことになりますが、2人(2種類の人々)の所得分配が、以下の3つの社会の中から、どの社会が一番望ましいかを選択させて、議論の出発点としたほうが、よりよい(興味深い)授業ができるのではないかと思われます。
(1)8対2、(2)6対3、(3)4対4
もちろん、これは中高生(大学も含む?)の経済の授業についての話しですが、時間があれば、この議論のなかで、ベンサム流の功利主義やリバタリアン的立場などの哲学・倫理的な背景を説明することで、分配の公正についての生徒の理解を深めることもできます。
以上、ご参考までに。
宮尾



なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか? 投稿者:宮尾 投稿日:2010/09/01(Wed) 19:37 No.374

なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか?

 今年の8月に行われた「先生のための夏休み経済教室」において、野間敏克同志社大学教授が、「中学教科書で教える金融の仕組み」というテーマで、金融の話しをしたが、その中で以下のような興味深い事実を指摘した。
 「生徒が同級生にお金を貸す場合に要求する利子にくらべて、担任の先生に貸す場合はより高い利子を要求する傾向がある。その理由は、先生は高い給料をもらっているから、というもの」
 実際に、8月10日の東京証券取引所で行われた野間教授の講義の後の質疑応答でも、「クラスで生徒がより高い所得を持つ人には高い利子を要求すると答えるので、それを現実の利子の決定とどう関係付けるかに苦労するがどうしたらいいか」という質問が出た。
 野間教授は講義の中で、この問題について、「利子は借り手の投資収益率を反映しているので、高い稼得力のある人の借りる資金は高い利子がつく場合がある」といった説明をされているが、これはあまり説得力があるとは思えない。
 特に、利子の高低を決めるものとして、利子はよく知らない(危ない)相手には高い利子としているので、よく知っていて同級生よりも安全な相手である先生には低い利子を要求して当然のはずが、生徒の実際の答えはその逆なので、その説明は簡単ではない。
 さらに、今回の金融危機で話題になった「サブプライムローン」は、一般に所得と信用度が低い借り手により高い利子を要求するようなローンという説明がなされるので、そのような現実と教室の実験結果が異なるのは都合が悪い。
 
 それではどう考えたらいいのか。
 一つのポイントは、現実の金融の制度がさまざまな借り手をターゲットとする金融機関や金融商品から成り立っているという事実である。例えば、仲間を対象とする組合(クレジット・ユニオン)や特定の地域を対象とする地域金融機関がある一方で、国際的な企業や投資家を相手にする国際業務を行う大手金融機関もある。さらにリテール・バンキングに特化する機関もあれば、ホールセール・バンキングの機関もある。
これらの制度は、それぞれの金融機関がそれぞれ比較的同質的な借り手を相手にすることで、与信や資格の審査などにかけるコストを最小化し、借り手の要請に適した資金源をみつけて資金調達を行うことで制度全体を効率化する工夫の結果といえる。
 このような制度の結果として、より高い所得と信用力を持つ借り手は、普通の銀行から比較的低い利子で資金が借りられる一方で、より低い所得と低い信用力しかない借り手は、普通の銀行からは借りられず、消費者金融機関などからより高い利子で借りざるをえないということになる。
 このことを、教室での生徒の答えに当てはめると、生徒のお金はもともと生徒の間で貸し借りするためで、先生という「異質」な借り手向けではない。先生が借りたければ他の先生に借りるか銀行に行けばよい。あえて先生が生徒から借りたいというのであれば、それは貸し手と借り手の両方にとって異常事態であるので(比喩としては、名古屋の地域金融機関である信用金庫に大企業のトヨタが資金を借りに来たようなもの)、そもそも貸さないか(無限大の利子か)、貸すとしたら高い金利でも不思議はない。逆に言えば先生は、生徒が高い利子を要求してきたら、生徒から借りずに先生の間で、あるいは消費者金融に行って借りればいい。結果として先生は生徒から借りるよりも低い金利で借りられる資金を見つける可能性が高い。

 ちなみに、このことは「サブプライムローン」の本質にもかかわっている。つまり、もともと銀行は所得も信用度も低い借り手に資金を貸すことを拒んでいたが、古くはカーター政権、最近ではクリントン政権という民主党政権の低所得者(マイノリティ)対策の一環として、法律で無理やり銀行に対して、信用度の低い借り手にも少し高い金利をつけてもぜひ資金を貸すように強要したことからボタンの掛け違いが始まったのである。それが2000年以降、低金利で住宅価格が急騰したため、結果としてサブプライムローンが一見すると安全でもうかる商品へと変質して、それが金融バブルの発生に加担することになったことはよく知られている。
 このため、市場原理主義を信じる共和党に近いエコノミストや評論家たちは、今回の金融危機の元凶は、民主党政権による過剰な市場介入だと論じる向きが多いのである。この議論は、日本ではほとんど理解されていないが、サブプライムローンがそもそもなぜ出てきたかを知るものにとっては、ある程度納得できる面も持っているのである。つまり、もともと市場の行動として銀行は、低い所得で低い信用力の借り手には危険を感じて、どんな高い利子でも貸したくなかったが、政府の政策などで無理やり貸すことになったのが災いのもとだったというのが一つの解釈である。

 いずれにしても、今回の問題のポイントは、ある意味で教室での実験結果のほうが、「金融というものは、相手次第のもので、現実には比較的同質的な借り手を選んで貸すもので、異質な借り手には貸さないか(つまり利子が無限大か)、より高い利子でしか貸さない傾向がある」という現実をよりよく反映しており、教科書的な説明、つまり「より高い所得や信用力のある相手にはより低い金利で貸す」というのは、特定の貸し手の選好や性向を示すのではなく、さまざまな貸し手とさまざまな借り手がお互いにマッチする相手を探した結果として、市場全体として実現されるもの、と説明できるのではないだろうか。
 以上、「なぜ生徒は先生のより高い利子を要求するのか」という問いに対する一つの答えとして参考にしていただければ幸いである。
 TM



Re: なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか? 力丸  剛 - 2010/09/10(Fri) 21:34 No.376

実際に、8月10日の東京証券取引所で行われた野間教授の講義の後の質疑応答で、「クラスで生徒がより高い所得を持つ人には高い利子を要求すると答えるので、それを現実の利子の決定とどう関係付けるかに苦労するがどうしたらいいか」という質問をした当人です。宮尾先生のご指摘のように、私もどう生徒に伝えたらいいのか、まとまりませんでした。
この授業は、銀行の方をゲストティーチャーにお呼びして行われました。金利について、銀行の方は、「お金持ちには、また借りて欲しいから金利を低くするんだよ。」と話されていました。生徒はそれなりに納得していましたが・・・・
 私は、次のような教え方がいいのではと考えています。
*所得の高い人は、銀行からすれば、融資先として大変安全である。つまり、お金が返ってこないというリスクは少ない。と判断する⇒ゆえにどの銀行も貸したがる。⇒銀行間で競争になる⇒所得の高い人は、一番貸出金利の低い銀行から借りればいい。ということになる。
*所得の低い人は、銀行からすれば、融資先としてお金が返ってこないというリスクが高い。⇒ゆえにどの銀行も貸したがらない。⇒本人は、条件(返済額が増える)が悪くても借りたい⇒消費者金融機関などからより高い利子で借りざるをえないということになる。
 ここでは特に、所得の高い人については、競争という見方・考え方から考えさせるのがいいのではと思います。
 余談になりますが、生徒たちは、所得の低い人を助けて、お金持ちからお金を取ればいいという枠組みから、金利を見ています。金融における金利の働きや意義をしっかり教えて、経済的な見方・考え方をきちんと身につけさせねばと思っています。サブプライムローンをはじめ宮尾先生の解説大変参考になりました。ありがとうございました。授業で、活用いたします。



Re: なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか? 宮尾 - 2010/10/15(Fri) 02:56 No.381

力丸先生

お返事ありがとうございました。
少し間が空いてしまいましたが、お返事のお礼とさらなるコメントを書き添えたいと思います。
高校生に金利の正しい考え方を身に着けさせるために、いろいろとご努力されているとのことで、とても分かりやすい解説を提示いただき、大変参考になります。

そこで力丸先生が言われている「余談になりますが、生徒たちは、所得の低い人を助けて、お金持ちからお金を取ればいいという枠組みから、金利を見ています」という点ですが、私はこれを必ずしも間違っているとは見ておらず、むしろ現実の金融(実際には地域金融や団体金融)にはそのような側面があるということを上の書き込みで指摘したかった次第です。

もともと金融はどの社会でもお金のない人たちが互助的な制度として始めたもので、その場合は通常の(お金のない)メンバーは低い金利か金利なしで借りられるのに対して、お金のある人は通常のメンバーとみなされないため借りられないか、どうしても借りる場合は特別メンバーとして高い金利を払う場合もあったと思われます。
しかしながら、お金のある人たちはそのようなお金のある人たちどおしの互助的な金融機関から通常は借りており、市場では結局お金のある人たち用の金融機関がより低い金利でより多額の資金を調達できるので、結果として、お金持ちでリスクの低い人はより低い金利で借りられるということになります。
このように説明すれば、生徒たちの考え方と現実の金融のあり方がかならずしも矛盾しないことが生徒たちにも分かるのではないでしょうか。
以上、ご参考になれば幸いです。
宮尾



Re: なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか? 菅原晃 - 2010/10/29(Fri) 06:51 No.383   HomePage

「生徒は教師に、生徒間でカネを貸し借りする時よりも、高い金利を要求する」についてです。

あまり難しく考える必要はありません。

 金利は「カネ」という商品の値段なので、「お金持ち」には高く売るという、需要と供給によるものです。
 先生=金持ちなので、供給者(貸し手)は、利潤(金利)が見込めるため、高い値段(金利)で供給しようとします。利潤(金利=値段)が大きければ、供給者(貸し手)は多くいます。つまり、「先生に貸す」と言う生徒(供給)は、多くなります。

注)需給曲線は、「プライス・テイカー(価格は与えられているもの)」として考えます。価格操作は出来ません。

 逆に生徒間の貸し借りでは、値段(金利)が望めないので、「A君に貸そう」という生徒(供給)は、「先生に貸そう」と言う供給よりも、少なくなります。

 一方、先生(需要者)からみてみます。貸し手=生徒(供給)は多く存在するので、一番価格(金利)の安いところから借りることが出来ます。

 つまり、「生徒は教師に、生徒間でカネを貸し借りする時よりも、高い金利を要求する」時は、「供給超過」(需給ギャップ=需給曲線では、上のほう)状態です。貸し手=供給者(生徒)は多く、借り手=需要者(先生)は少ないのです。価格は、高くなっています。

 ですから、実際に先生が借りる場合は、均衡価格に落ち着きます。

教室で、先生(需要者1人)と生徒(供給者多数)でやってみれば、おわかりになると思います。

金利=カネという商品の価格なのです。



補足Re: なぜ生徒は先生に高い利子を要求するのか? 菅原晃 - 2010/10/29(Fri) 07:07 No.384   HomePage

 先生(需要)が完全に1人であれば、需要曲線は垂直になります。

供給線が右側にシフトするので、値段(金利)は下がります。



人口減少デフレ論の問題点 投稿者:菅原晃 投稿日:2010/10/29(Fri) 06:20 No.382   HomePage

藻谷浩介氏の「デフレの正体」という本についてです。

P268
「経済を動かしているのは…現役世代の数の増減だ」。この本の要旨を一言でいえばそうなりましょう。…「生産年齢人口の減少と高齢者の激増」という日本の現実…。

 氏は、デフレの理由について、このように述べるのですが。

イエール大学 浜田宏一先生は、「経済学の知見を踏みにじるとんでもない本だ」と酷評しました。

 この本について、ブログ『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』に解説したところ、飯田泰之先生よりご紹介を受け、シノドス ジャーナル( SYNODOS JOURNAL ) http://synodos.livedoor.biz/ に原稿が連載される運びとなりました。

『人口減少デフレ論の問題点 菅原晃』(2010.10.8〜)です。藻谷浩介氏からのご返事(コメント)についても、解説しています。

論点をかいつまむと、

(1)「稼いだ?外貨なるものを国内に回す」ことは不可能
(2)「高齢者は消費しない」ではなく高齢者は消費の主役
(3)「モノもサービスも売れない」ではなく、モノは売れないが、サービスは売れている
(4)「1400兆円の家計資産を消費に回す」ことは不可能

という、氏の主張とまったく相反する事実に基づいて検証したものです。

氏は、経済学についてはまったくと言ってよいほど知らないと、「私は無精者で、経済書やビジネス書は本当に数冊しか読んだことがないのですがp125」」と書いていますが、改めて、経済学的見方、考え方を普及させる必要性について、検証してはいかがでしょうか。

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