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「経済学とは」(『ビジネススクール案内』より) 投稿者:宮尾 投稿日:2010/10/15(Fri) 02:34 No.380

「経済学とは」(英エコノミスト誌『ビジネススクール案内:2010-2011』より)

英国の経済誌「エコノミスト」が発行している『ビジネススクール案内(Which MBA?):2010−2011』で、「経済学とは何か」が簡単に紹介されている。もちろん欧米のビジネススクールは、学部を卒業してから行く大学院ではあるが、ビジネススクールに入って初めて経済学を勉強する人も多く、授業でも入門レベルから始めるので、その解説は、ちょうど日本の高校生向きともいえるであろう。
この解説は、スタンフォード大学ビジネススクールのポール・オイヤー(Paul Oyer)教授によって書かれたもので、その概要は以下の通り。

「経済学とは、市場がどのように機能するか(あるいは機能しないか)、希少な資源がどのように生産、消費、分配されるか、経済の参加者がどのように最適な決定をするかを研究する学問である」

言うまでもなく、これが欧米での経済学のスタンダードな解説である。同様な解説が先日東京部会で講演したコマナー教授によってもなされている(以下を参照):
http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/2010-09-18

さらにオイヤー教授は以下のように書き加えている。

「最近の金融危機は、経済学に対して有益な教訓を提供してくれている。それは金融業における誤ったインセンティブがどのように信用不安をもたらしたかを分析することで、ミクロ経済学における洞察力が得られるということである。またマクロ経済学の分野では、金融危機によって、政府が金融機関の救済をどの程度まで行うべきか、またどうしたら景気を刺激して失業問題に対処できるかといった議論が盛んになり、新しい研究を推進して景気回復に資することが期待されている」

またオイヤー教授は、最近注目を集めている経済分野の問題として、以下のことを指摘している。

「経済学は、これまで市場における既存の制度や組織の性質を研究してきたが、最近ではもっと積極的に新しい市場制度を設計したり、これまでの市場制度を改善したりする役割も担い始めている。たとえば、オークションやマッチングなどの制度の研究がそれである。優秀なビジネススクールでは、このような新しいアイデアを経済学のコースに取り入れつつある」

以上、ご参考までに。
TM



授業で役立つ本 71回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/10/11(Mon) 19:01 No.379

前回から一か月たってしまいました。この間、経済教育学会に出たり、いくつかの仕事の準備をしたり、なんとなく気忙しく過ごしてしまいました。リタイアしたはずなのに、あまり仕事(といっても学会や、このネットワークは「趣味」の範疇と妻からは分類されています)の量は変わらずで、ちょっと困ったものです。

さて、今回は書店でのブックハンティングで引っかかった本を紹介します。松本保美『オペラと経済学』(勁草書房刊)です。

松本さんという人は、初めて知った人ですが、早稲田の政経(入試問題では私たちの「敵」!)の先生をやっている人です。タイトルに惹かれたことと、腰巻に「早稲田大学実験的講義、経済研究講義録」とあったので、興味をそそられました。

この本は、早稲田の政経学部での「経済研究」の講義録をもとに、補足の記述や巻末の二つの付録からなっています。したがって、15回のシラバスに従って編集された本で、現代の大学講義の内容がうかがえるようになっています。ただし、サンデル教授のような対話講義をもとにした本ではないので、語り調で書いていますが、それなりの覚悟で読まなければいけない部分があります。それでも、講義の雰囲気はありますから、この頃の大学の講義を知りたいという人にも役立つかもしれません。

講義は、オペラを見て(DVDでの鑑賞)、そこから経済の考え方を引き出し、解説するというスタイルですが、現代の主流派経済学の再構築を目指すというものですから、現代経済学批判という内容でもあります。

松本さんの基本的視点は、アマルティアセンの厚生経済学であり、その観点から、アローの一般可能性定理の重要性と解説がかなりの部分をしめています。その部分は、素人はカットしてよいということですから、どんどん飛ばして読むほうが良いように思います。

取り上げられているオペラは9本です。順番に紹介すると、レオンカバレロの『道化師』、マスカーニの『カヴァレリア・ルスチカーナ』、モーツァルトの『魔笛』、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』、ベリーニの『ノルマ』、ヴェルディの『ナブッコ』、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、J.シトラウスの『こうもり』です。そして最後のテストでは、ドヴォルザークの『ルサルカ』が使われています。これで計9本。そして、それぞれの作品に関連した経済学が語られます。

例えば、最初の『道化師』では、制度の意味、自由と平等のトレードオフが語られ、次の『カヴァレリア・ルスチカーナ』では、正直の意味、戦略的意思決定の重要さ、ゲーム理論、実験経済学の意味などが語られるといった調子です。ただし、先にも触れましたが、松本さんのねらいは現代経済学批判ですから、この講義で経済学の基本がわかるということではなく、経済学を一通り学んだ人(学生)が、もう一段、経済学のメタ原理を知り、そのよって立つところを知るためのものと位置付けるとよい講義です。

現代経済学批判がなぜオペラなのか。松本さんに言わせると次のようです。つまり、現代の経済学は、ギリシャ哲学と一神教であるユダヤキリスト教の基盤から成立しており、それはいわば昼の世界のものである。オペラの荒唐無稽さがヨーロッパ人を魅了したのは、それが非理性の夜の世界のものだからで、その両方を見ることで、西欧的な基盤から出発した経済学の強さと弱点を知り、そこから次の時代の経済学を構想することができるのではないかということです。

なかなか意欲的な講義ですが、ではそれは成功しているのでしょうか。私見ですが、ちょっときびしいなというのが正直な感想です。一つは、松本さんの経済学批判が、特に画期的な新しさを持っているわけではないということだろうと思います。経済人批判などは、少々耳たこ状態であり、常識的なものからかなり理論的なものまですでに紹介されています。センの厚生経済学も、センの本をストレートに読むほうが良いかもしれません。

もう一つは、オペラの非理性の部分を遺伝子問題と絡めて説く部分が、やや強引かと思われるからです。愛情、性欲、利己的な遺伝子という論理の説明をするのですが、そんなにストレートに説明されても、そうですかという納得にならない部分が結構あります。これも、直接、ドーキンスの本を読むほうが良いかもしれないなと思わせます。

とはいえ、とても意欲的な本だし、オペラと経済学なんてとっても素敵なコラボだと私は思っていますので、上の批判的言辞は少し差し引いて、手に取られるとよいと思います。

私は、オペラは苦手で、やっと最近、モーツァルトのオペラを中心に手を染め始めたところなので、扱われている作品をほとんど見ていないのです。ですから、これを手がかりに、オペラと経済というより、オペラを手がかりにした西欧理解を深めたいと思っています。

ちなみに、オペラを扱った本では、私をモーツァルトのオペラにいざなった、水林章『モーツァルト≪フィガロの結婚≫解読』(みすず書房刊)や、音楽学者岡田暁生さんの一連の音楽史から迫るオペラの本がお勧めです。例えば「啓蒙」という言葉一つとっても、それらの水準に、この松本さんの本が届いていないのが、経済学に関心を持つものとしては少々残念です。



授業で役立つ本 70回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/09/13(Mon) 09:29 No.377

台風一過で少しは涼しくなったと思ったら、残暑がぶり返し、いささかうんざりのこの頃です。東京では、文化祭を行っている学校も多く、この暑さの中での熱演が続けられています。若さですね。

世の中では民主党の代表選挙が繰り広げられ、これもうんざりですが、菅対小澤の体質なり構図の違いがかなりはっきり出てきて、判断材料が増えたと考えると、消夏法になるかもしれません。

さて、今回の役立つ本は、橋洋一『日本の大問題が面白いほど解ける本』光文社新書を紹介します。

著者橋氏は、知る人ぞ知る元大蔵官僚で、小泉内閣、竹中平蔵氏の懐刀の一人たった人です。最近では「埋蔵金」を発掘して有名になった人です。小泉改革関連の人たちは続々といっていいほど、スキャンダルに巻き込まれますが、橋氏も退職後、「事件」に巻き込まれ、在職中の大学を退職しましたが、現在は、嘉悦大学という大学で復職しています。

この本、タイトルからすぐ解るように、ある種のぞっき本です。長期の生命を保つ本ではありません。内容も、テレビの解説風で、データや理論を踏まえて、しっかり書かれた本ではなく、ひょっとするとインタビューを文章にしたものかもしれません。

そういう本をなぜ紹介するかというと、ある程度、ざっくりと問題を捉えるのには結構役立つからです。まさに、授業のネタ本として手軽に役立つ本です。

前書きで、八つ場ダムを事例に出し、グローバルスタンダードとコスト・ベネフィット分析で問題を分析すると宣言します。その上で、サンクコスト(埋没費用)の考え方と、地方分権をミックスして、問題の捉え方を示します。

このスタイルで、後から出てくる問題をばったばったと切ってゆくというのがこの本の売りです。だからサブタイトルが「シンプロ・ロジカルに考える」となっているわけです。

全体は4章にわかれています。しかし、中心は第1章のテーマである「民主党の政策の大問題」すなわち民主党の政策批判です。

ここでは、高速道路無料化、子ども手当など問題になった政策が一つずつ取り上げられてゆきます。また、財源問題にも言及しますが、この部分はやや自分の仕事の自慢話が多すぎるきらいはあります。

橋氏の使う理論には、上記の二つ以外には、マンデルフレミング理論や購買力平価説などがあります。でも、それほど難解な説明が書かれているわけではなく、標準経済学の範囲の話で、政策を評価、代替案を提言してゆきます。

例えば、デフレと円高の関係では、バーガノミックスで知られている購買力平価説にもとづき、デフレが円高をまねくといい、デフレ脱却には、デフレギャップ40兆円を埋めるためにはインフレターゲット論が主張されます。

これらの議論はたぶん専門の経済学者ではちょっと怖くてできないような議論なのかもしれせんが、逆に、経済が苦手な先生たちでもわかりやすいというのがこの本の特徴です。国際金融のトリレンマやっプライマリーバランスの説明などはよくわかります。また、体験から語る部分は、やはり説得力があります。

日本郵政に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏が就任した人事をめぐる問題を扱った箇所などは、体験者でなければわからない皮膚感覚に訴えるものがあります。

第2章は、福祉問題が扱われ、第3章は、税金の問題が取り上げあれ、最後の第四章では、地方分権が取り上げられ、それぞれ明確に主張が書かれています。例えば、福祉では、社会保険番号制度が、税では負の所得税が、地方分権では道州制が政策提言されます。

この本、まだ鳩山内閣が存命中?の時期に書かれましたが、菅内閣は特に何もやっているわけではないので、これまでの民主党内閣の政策を判断するのに、本当にそれでよかったのかを考えるヒントになるでしょう。また、これからどうすべきかを考えるヒントにはなります。その際には、筆者の見解はあくまでも一つの見解として、自分の頭でどうなるかを考えながら読み進めると、トレーニングになるはずです。

かつて新書本は、しっかりした教養書としての位置づけでしたが、本書のような本は雑誌と同じで、一年たったら誰も読まない、古本屋も二束三文でも引き取らない可能性があるような本が多くなっています。大学の講義も、たぶん橋さんなどはこの本と同じ内容を語っているのだと思います。

今、同時並行にケインズの『説得論集』の新訳を読んでいますが、ケインズの論が時論で有りながら、半世紀以上の命をもっているのに比べると、日本の官僚なり政策当事者のある種の薄っぺらさが気になるところです。

とはいえ、この種の批判は全部自分に返ってきますから、心中穏やかではないのですが、時代の変化というのはこういうものなのでしょうね。

なお、前回のコーヒーの本で、かつて紹介したのは、辻村秀之著「おいしいコーヒーの経済論」でした。訂正しておきます。



授業で役立つ本 69回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/09/02(Thu) 21:51 No.375

だいぶ、役立つ本の紹介の間隔があきました。

とにかく、残暑という言葉からは、秋の気配が感じられるのですが、現在の暑さはそんなことを言っていられないくらいの猛暑です。そんな中、新学期が始まってしまいました。

普段だったら、東京では夜は虫のすだく音がうるさいほどに聞こえるのですが、聞こえるのはセミの声。やっとここ数日で虫の声が聞こえてきました。どうなっているのでしょうか。

さて、この間、夏の「経済教室」で飛び回っていたら、ぎっくり腰になってしまい、一週間以上苦しみました。病院にいって薬を処方してもらったらなんとか普段の生活に戻れましたが、暑さと痛みで二重苦でした。

痛くて本が読めないということではないのですが、やはり通常の生活ができないと生産性はがくんと落ちます。そんなななかで、読んだ本を2冊紹介してみたいと思います。

まず紹介するのは、ヘンリー・ハズリットの『世界一シンプルな経済学』日経BP社刊です。この本は、本屋でブックハンティングをしているときに偶然見つけた本です。著者は知らないけれど、タイトルに惹かれて手に取ってみて、面白そうなので購入しました。

ハズリットという人は、著名なジャーナリストだったようですが、1993年には亡くなっている人です。なくなった今もアメリカでは有名なのだそうですが、全く知りませんでした。日本でも、ほとんど話題になる人ではなかったようです。

なぜなら、ハズリットはかなり強固なリバタリアンで、この本、ハイエク、ミーゼスなどオーストリア学派の影響を受けた市場主義に基づいて書かれた本なのです。したがって、日本では最近までリバタリアンやオーストリア学派は注目されていませんでしたから、知られていないはずです。

全体は3部構成、26章にわかれています。各章は数ページ、とてもシンプルです。タイトル通りです。内容は特に紹介する必要もないでしょう。ケインズ政策には反対だし、ニューディール的な政策はことごとく反対の本です。累進課税も反対、当然増税などは許せないということです。それをジャーナリストらしく具体例をいれながら、図や数式は一切使わずにきわめて簡明に書いています。

この本、アメリカでは未だ信者にちかい読者がいるようで、解説の早稲田大学の若田部昌澄さんによると、自動車にこの本を積んで、これはと思う人には、無料で寄贈する大学院生までいるのだそうです。書かれてから半世紀以上前の本が、このような形で息づいているというのがアメリカなのかもしれません。

アメリカにオーストリア学派がどのように影響していったのか、一つの興味深いテーマですが、ここではそれより、この種の「シンプル」さが持つ強さと問題、リバタリアンの発想方法、すなわちアメリカの共和党保守派の発想方法をこの本から確認するには手ごろな本かなと思いました。オバマ政権が経済に関しては立ち往生している現在、次のアメリカをだれがどのようになってゆくか、温故知新のための本として役立つと思います。

早稲田の若田部さんの解説は、簡を得て要であり、解説の見本のような内容で、この本の内容の要約と特色、さらには弱点をしっかり指摘しています。これだけ読んでもお得な感じがしました。

次は、小澤拓也著『コーヒーのグローバルヒストリー』ミネルヴァ書房刊という本です。この本は、新聞の広告で目に付いたので買ってみました。サブタイトルに「赤いダイヤか、黒い悪魔か」とあります。これもなかなかタイトルやサブタイトルの付け方が上手だと思いました。なにしろ、つられて買った人間がここにいるのですから。

小澤さんという人は、立命館を出た若手の歴史研究者のようです。奥付けを見ると、非常勤講師でいろいろな大学で教えているようです。

コーヒーに関しては、この欄でも『おいしいコーヒーの真実』という本を以前紹介したことがありました。南北問題の教材となるし、フェアトレードの素材ともなります。チョコレート(カカオ)やお茶とならんで実物教材の一つにもなります。

さて、この本、全体が3部7章に分かれています。第T部では、コーヒーに関する総論が述べられます。

コーヒーはアフリカの高地での原住民の飲み物からはじまり、それがアラビア、トルコのイスラム圏で薬品として飲まれ、さらには飲料となります。ヨーロッパ人がコーヒーと接したのは東西交易や17世紀のオスマン軍によるウイーン包囲の勝利などがきっかけと言われています。その後、ヨーロッパに渡ったコーヒーは、生産地をブラジルに移し、植民地経営の柱の一つとして貢献するという興味深い話が展開されます。

また、コーヒーは、アラビカ(高級)とロブスタ(中低位)が二大種類で、それらが手摘み、落下、機械のいずれかで収穫され、乾燥もしくは水洗で精製され、8段階に分けられた焙煎を経て、消費者の手に入るというルートも紹介されています。あらためて知った知識も多く、これで蘊蓄を傾けることができそうな部分です。

第U部は、生産国に焦点を合わせた紹介です。取り上げられているのは、ブラジル、コロンビア、コスタリカ、それとベトナムです。ブラジルやコロンビアは有名ですが、コスタリカは結構はじめての知識が多くありました。

特にコスタリカは、平和憲法をもち軍隊のない国として知られていますが、なぜ軍隊をもたなくなったのか、その背景にはコーヒー農園を持つ中間地主層(コーヒーエリート)の存在が大きいことが紹介されています。ロマンや理念だけで国家が成り立っているわけではないことが説得的に紹介されていて、私たちの頭を冷やしてくれます。

同じ事が、ベトナムのコーヒーにも言えます。今や世界第二位のコーヒー生産国になったベトナムですが、本格的生産は1995年以降ということで、まだ15年しかたっていません。この時期のベトナムは、ドイモイ政策の採用など大きな路線変化のなかにありましたが、コーヒーはそのさなかの国策作物として推奨というより、半ば強制的に作られたことが紹介されています。これも私たちにとっては「にがい真実」の一つかもしれません。

実は、つい最近、ベトナムコーヒーを飲むチャンスがありました。ロブスタ種のベトナムコーヒーは、強烈な香りと苦みで、私の趣味ではありませんでした。これがどうして世界を席巻しているかといえば、インスタントコーヒーやカンコーヒーの原料になっているからとのことです。こんなこともこの本で知った知識です。

ちなみに、地理の先生に聞いたら、ベトナムコーヒーが世界二位になっているというのは、センター地理の必須の知識だそうで、何度か出題されたこともあるとのことでした。それも初めての「へー」という知識でした。

第V部は消費国の話で、アメリカと日本が取り上げられています。ヨーロッパは、歴史のところで取り上げているのであらためてまとめる必要無しということらしいのですが、できればもう少しヨーロッパのコーヒー事情などもまとめるとよいかもしれないと思いました。著者がラテンアメリカ史専攻ということがあったのかもしれません。

アメリカでは、なぜアメリカが世界一のコーヒー消費国になったのか、コーヒーが普及してゆく際のアメリカの文化的背景、最近のスタバの進出やフェアトレードの話など興味深い話が多く登場します。

日本では、大衆社会化とコーヒー文化に焦点を合わせて歴史がつづられます。それぞれがなかなか面白い素材がまとめて提供されています。

この本、コーヒーに関する教科書としても雑学的知識を仕入れるネタ本としても十分利用価値ありの本だというのが読後感です。ただ、歴史学専攻の著者なので、現代、現在に関してはやや記述が薄い箇所がありますが、これは仕方ないことで、それ以上のおつりがくるお得な本かもしれません。

授業では、インスタントコーヒーや、いろいろな種類の豆を持ち込んで比較したり、実際に飲んでみたりしながら、コーヒーの経済学を語っても良いかもしれませんね。でも、最近の学校はそんなことをする余裕もないかな。



ハーバード大学よりもよい授業ができる方法 投稿者:宮尾 投稿日:2010/08/04(Wed) 20:30 No.372

中学高校でハーバード大学よりもよい授業ができる方法                     
 
書評『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル著(早川書房、2010年)
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112569.html

 サンデル・ハーバード教授の政治哲学の講義は日米両方でテレビ放映されたこともあり、大きな話題になっており、その講義に基づいて書かれた本書は、日米でベストセラーになっている。確かに、冒頭から災害に便乗した商法への批判や、金融危機の際に行われた金融機関救済への怒りなどの具体例から出発して、「正義」(justice)とは何かを考えさせる手法はとても分かりやすい。また何といっても、すでに広く引用されている衝撃的な「暴走する電車」(1人を殺せば多く人が乗る電車の暴走を止められる)の例によって、我々が漠然と抱いている正義がいかにあいまいで矛盾に満ちたものであるかを暴いて見せる手腕はただ見事という以外にない。
 しかも内容のかなりの部分が、経済哲学ともいうべきもので、ベンサムの功利主義、市場と倫理、ロールズの平等の議論などが具体的に取り上げられており、それだけでも経済学の授業に役立つ内容といえる(これについては、最後に詳しく触れる)。しかし、サンデル教授のすばらしい講義にも一種の「盲点」ないし「弱点」がある。それは、彼の講義が哲学の講義であって、経済学の講義でないということである。つまり、経済学については、ある意味でもっとよい講義ができるのである。それにはどうしたらいいかを、以下で説明しよう。

 「望ましい社会とは:平等対効率」
 実際に、本書で取り上げられているのは、すでに触れた「暴走する電車」のように、1人が死ぬことで多くの人が助かる例や、最後の節で触れられている経済的不平等が進んで金持ちが公的サービスを私的に売買し始めると(例えば私立学校を選ぶと)、公的サービス(公立学校)が空洞化してコミュニティ意識が崩壊する例などである。これらの例は、いわば極端な「0、1」の選択の問題といえる。つまり正義かそうでないかという「質的」な選択の議論である。
 それに対して、経済学的なアプローチは、すべてのものには便益面とコスト面があり、それが「量的」に比較できるというメリットがある。したがって、1人が死ぬことで他の人を助けるという「0、1」の選択だけでなく、もう少し連続的に多くの選択を考えることができる。その典型が、1人(あるいは比較的少数)の金持ちに課税して、それを多くの貧しい人に配る例である。もちろん、単なる所得再分配の例では、多くの学生はできるだけ平等になるように再分配するのが望ましいと答えるであろう。そこで登場するのが、経済学の基本的な概念である効率性の問題である。つまり、「無理」な再分配(非常に累進性の高い所得税など)は能力のある者や働き者のやる気をそぐことによって、社会全体の効率性を低下させる可能性が高いという話をする必要がある。
 実際に、本書の第3章の冒頭で、「ビル・ゲイツから100万ドルを取り上げ、100人の困窮者のそれぞれに1万ドルずつ配る」例を取り上げており、さらにこれに対する功利主義的な批判として、「高率の所得税が、働くことや投資への意欲を減退させ、生産性の低下につながることを懸念する」という点を指摘している。しかし、その後の議論は哲学や道徳の話しになってしまい、この問題をさらに経済学的に展開してはいない。
 そこでこの問題をさらに展開する上で威力を発揮するのが、すでに経済教育ネットワーク関係者によって高校の教室で行われている問いかけ、「どちらが望ましい社会か?:4対4の平等・不効率社会か、8対2の不平等・効率社会か?」という設問に他ならない。これでは極端で、多くの学生はたとえ全体のパイは小さくてもやはり所得分配が4対4の平等社会を望ましいと考え、誰も8対2の社会を選ばないかもしれない。そうであれば、平等・効率の両面でこの2つの社会の中間である6対3といった選択肢を加えれば、さらに議論が発展するであろう。
 公共サービスについても、私的に取引する公的サービス(私立学校)のコストがどこまで下がり、公共サービスのベネフィット(公立学校の質)がどこまで悪化すれば、金持ちが私立学校を選ぶかを数量的に把握すれば、ある程度まで所得の不平等を許しながら、社会全体として公共サービスを提供できるような社会を思い浮かべることができるであろう。
 つまり、経済学の授業では、極端な「0、1」の選択を迫ることができるだけでなく、その中間の選択も提示できるというメリットがある。それに加えて、一見正義と思われる選択が効率を損なうことで社会全体としてマイナスになる可能性を、生徒たちに具体的な数値例で示すこともできる。つまり、「0、1」の選択になりがちな哲学や倫理の講義よりもはるかに多様で、面白い実験が教室で可能なのである。

 「社会的余剰とは:功利主義の考え方」
 もちろん、すでにビル・ゲイツの例でも分かるように、サンデル教授はこのような経済学的なアプローチをよく理解しているが、哲学・倫理の講義なのであえて経済的な議論に深入りしようとしないことは明らかである。それでも、特に経済学においてもっとも重要であるが、日本の中学や高校で教える際に誰もが苦労する基本的な概念を、第2章「最大幸福原理―功利主義」で以下のようにうまく説明している。
「道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだという」、「市民や立法者はしたがって、みずからにこう問うべきだ。この政策の利益のすべてを足し合わせ、すべてのコストを差し引いたときに、この政策はほかの政策よりも多くの幸福を生むだろうかと」
 このような功利主義的な考え方を進化させ、厳密に定式化したものが、経済的な効率性であり、最適な資源配分であり、社会的余剰の最大化という概念に他ならない。つまり、余剰とは利益(効用)の合計からコスト(費用)の合計を差し引いた差に等しい。それが最大になるのは、限界的な効用を表わす需要曲線と、限界的な費用を表わす供給曲線の交点に対応する数量においてである。
 さらにこの議論を分かりやすくするのが、やはり経済教育ネットワークで広く議論されている「レモンを絞る例」である。つまり、レモンをどこまで絞ったら最適かという問題である。それは最初の一絞りで止めることでもなければ、汁が出なくなるまで絞り続けることでもない。正しい答えは、以下のように考えれば得られる。
 まず最初の一絞りでは、出てくるレモン汁はかなり多く(効用が大きいので需要曲線の高さはかなり高く)、他方絞る努力はかなり少ない(つまりコストは小さいので供給曲線の高さはかなり低い)。その差が最初の一絞りから生じる「余剰」である。さらに二絞り目では、前より多少レモン汁の出方が悪くなる一方(需要曲線の高さが少し低くなる一方)、絞るための力はより強める必要がある(供給曲線の高さは少し高くなる)。このように何回か絞っていくと、やがて絞ることによって出る汁の効用がちょうど絞るための力(コスト)に一致するところまで行くであろう。その点で絞るのを止めれば、総余剰(レモン汁の総量から絞った総労力の差)が最大になる。なぜなら、もしそれ以上絞ろうとすれば、出てくる汁の効用は絞る努力のコストをカバーできず、無駄な努力となり、全体としての余剰はかえって減るからである。以上は、いわば「一人経済」(ロビンソン・クルーソー経済)における最適性の議論で、ハワイ州イオラニ高校のリチャード・ランキン教諭の説明を引用したもの(http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/2008-02-16)。
 これこそが、なぜ完全競争で需要と供給の等しい点つまり均衡点において、資源の最適配分がなされるか(つまり社会的余剰が最大になるか)をもっとも簡単に証明しているのである。このことを理解する第一歩こそ、サンデル教授による功利主義の説明、つまり利益からコストを差し引いた差を最大にするという考え方なのである。

 いずれにしても、本書は哲学書であるにもかかわらず、いつも経済教育ネットワークで話題になるいくつかの基本的な経済問題に明るい光を注いでくれるとともに、どのようにしたら日本の中学や高校の経済の授業を、ハーバードの授業以上によいものにするかのヒントを与えてくれる素晴らしい著書である。その意味で、経済学を学ぶ者や教える者にとって必読の書といえるであろう。
以上



Re: ハーバード大学よりもよい授業ができる方法 新井 明 - 2010/08/15(Sun) 11:08 No.373

宮尾先生

サンデル教授の本の紹介ありがとうございます。実は、テレビも本も話題になっていたのですが、未見、未読でした。

ネットワークの大阪でのセミナーの帰りに購入し、新幹線で読了しました。

講義の方はすばらしいのだろうと思うのですが、本の内容は、話題になっているほどのものではないなというのが感想です。その点では、宮尾先生のご指摘より、少々点数が辛くなるかもしれません。

点数が辛い理由の第一は、幸福、自由、美徳と三つにわけて考察しているわけですが、先生がご指摘になっているように、それぞれの考察が深くないことがあります。

サンデル教授自身は、公平を主張したロールズ批判で登場したコミュニタリアンですが、その主張がこの本では深められているとは思えないからです。最終章で、共通善をとりあげたところで少々触れていますが、それだけです。少々残念。

第二は、取り上げられた事例は、ほとんどどこかで扱われたものです。冒頭の、便乗値上げにしても、代理母にしても、それぞれの領域、たとえば経済学、生命倫理学などではもっと精緻に、分析道具なり概念を使って考察しているはずです。

第三は、一番目と関連しますが、取り上げられた事例は、それぞれの背景となる思想家の理解のための導入素材であるとしても、その思想家の理論で、これらの問題をどう解くのかの道筋、ヒントが十分に展開されているとはいえないというところがあります。もちろん、主要な考察事例では、反論を提示して、考察を深めるヒントをだしていますが、それで十分かどうかは、疑問です。

少々厳しい評価ですが、では、よいところはないのかというとそんなことはありません。

ディレンマ問題を正面から取り上げ、「知の千本ノック」の講義を組織することは、それほど簡単なことではありません。その意味では、これだけの事例をもとに、学生との対話法の授業を展開できるのは、アメリカでも稀有だからこそ、話題になったと思われます。それだけでも賞賛に値します。

その点から言えば、私の評価は、自分のことをさておいた、世評があまりに高すぎる故の反発かもしれません。

さて、宮尾先生のご指摘とは別の観点で、経済学との関連で興味深いのは、費用便益分析への批判部分でしょう。

サンデル教授は、功利主義を紹介する2章で、費用便益分析を取り上げ、それがベンサムの思想に源泉を持ち、効用の個人比較と集計が可能であり、質を無視して量だけを基準とするから成立するとして論をすすめます。そして、ミルを批判者としてぶつけます。ベンサムとミルに関しては、これでいいでしょう。

しかし、功利主義のその後の展開をもう少し述べないと、費用便益分析批判にはならないはずです。

効用の比較可能性に関しては、少なくとも、厚生経済学から新厚生経済学への発展や、パレート最適などの概念を理解させたうえで、問題を考察させないと、粗雑な経済学ないし経済的な見方への批判に陥るだけではないかと思いました。

それが象徴的にでているのが、最後のまとめにある「市場の道徳的限界」の箇所でしょう。市場で決められること、判断できることとそれ以外を区別せせよというのは正しいとしても、ではその市場ができることが明確には書かれていない。そうなると、反市場的意識による判断を誘うだけではないかとの危惧が生じます。

とはいえ、この本は経済学の本ではありませんから、そこまで望むことはできません。しかし、サンデル教授のバイアスをしっかり確認したうえで、この本を参考にする必要があると思っています。

そういえば、朝日新聞がサンデル教授のインタビューを掲載していましたが(8月5日付朝刊)、それによると、参加学生は事前に小グループでの予備討論をして講義に臨むのだそうです。そうすると、1000人の対話講義は大舞台での「演技」なのかもしれません。

うーん、なんだかがっくりですね。



高校の教科書と同じ問題を抱える経済入門書 投稿者:宮尾 投稿日:2010/07/20(Tue) 14:10 No.368

高校の教科書と同じ問題を抱える社会人向け経済入門書

 以前から経済教育ネットワークの会合などで指摘されているように、高校の経済学(政治経済および現代経済)の教科書における最大の問題点は、市場のメカニズムの説明と「効率的」(あるいは最適)な資源配分の説明が欠けているか、あるいは誤っていることである。この点の正しい理解なしに、経済学を語り、市場を語ることはできず、ましてその理解なしに、「市場の失敗」などといってみても、いったい何に失敗しているのかが理解できないので、誤った市場経済に対する認識が広まるばかりである。
 残念なことに、これは高校の教科書にかぎらず、最近書店に並べられている社会人向けの経済学入門書にも共通に見られる問題である。
 以下の最近発行された2つの入門書を取り上げ、問題点を具体的に見てみよう。

『もういちど読む山川政治経済』山崎広明編(山川出版社、2010年)

第2部「現代の経済」の第1章・第3節「市場経済の機能と限界」(p. 125)で、以下のように説明されている。

「市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調整機能といい、アダム・スミスはこれを神の『見えざる手』にたとえた」

 明らかに、これは『神の見えざる手』の正しい理解ではない。これに続いて、「最適な資源配分」について以下のような説明がなされている。

「市場のメカニズムによって資源の最適配分が実現される経済のしくみを市場経済という。市場経済においては、需要が減少している斜陽産業では商品が売れずに価格が下落するため平均利潤が減少する。成長産業では商品の需要が多く価格が上昇し、平均利潤が増加する。そこで資本が斜陽産業から成長産業に移動し、資源の最適配分がおこなわれる」

 この説明も正しくない。なぜなら、市場が寡占や独占によって最適な資源配分がなされていない場合でも、斜陽産業から成長産業への資本の移動は起こるので、効率性の意味での最適な資源配分は、生産要素や資本の移動とは別問題だからである。
 なすべきことは、最適な資源配分とは何かを定義して、完全競争市場でそのような配分が達成されることを示すことである。

『経済超入門:ゼロからわかる経済学&世界経済の今』ニューズウィーク日本版編集部編(阪急コミュニケーションズ、2010年)

 この本は最初に、「経済学は『選択』に関する学問」という点を強調して、制約条件下の最適な選択を説明しているので、出だしはなかなかよい感じである。しかし、それに引き続く「需要と供給の基本グラフ」の節で、単に市場での需要曲線と供給曲線の説明がなされ、その交点で価格が決まることが説明されているだけで、その後も効率性や最適性はまったく説明されていない。
 その上で、後半の経済ニュースが取り上げられ、その最初に「オバマ医療保険の『市場の失敗』」(池上彰著)というテーマで、「市場の失敗」という概念が出てくる。しかし、この本の前半では、市場でどのように最適性が達成され、それがどのような条件下では最適性が達成されず、「市場の失敗」が起こるのかがまったく説明されていない。

最も簡単な「資源の最適配分」の定義

 以上のように入門書などで最適性の定義がなされない口実として考えられるのは、読者に理解させるには難しすぎるとか、説明には紙面をかなり取られるので省略したというものであろう。しかし、そのような口実は許されない。なぜなら最適性の説明は、長くも短くもできるし、難しくも簡単にもできるものだからである。以下が短く簡単な説明の例である。

「売り手も買い手も多数存在する完全競争的な市場で需要と供給が一致すれば、社会的にみて最適(効率的)な資源配分が実現される。ここで最適(効率的)な資源配分とは、社会の中で消費者の満足はできるだけ高く、生産者の費用はできるだけ低くなるように財とサービスの生産と消費が行われている状態をいう。」

 こう定義した上で、消費者の満足が需要曲線に反映され、生産者の費用が供給曲線に反映されることを説明すれば、なぜ需給が一致する均衡点が最適(効率的)な資源配分に対応しているかが図を使って証明できるであろう。
 要は、教える側、本を書く側がどこまで最適な資源配分という概念を理解しているがポイントで、もし理解していれば説明はどのようにでもできるはずである。
 以上



Re: 高校の教科書と同じ問題を抱える経済入門書 菅原晃 - 2010/07/29(Thu) 23:21 No.371   HomePage

 市場は、「市場の失敗=寡占や独占」を含みません。この分野では、「市場が寡占や独占によって最適な資源配分がなされていない場合」が必ずあるのです。

 その部分を除いた上で、

「完全競争市場でそのような配分が達成されることを示すことである。」となります。

大きな意味で、「市場の失敗(ロス)」を含みつつ、「市場のメカニズム」を最大限利用することにより、「最適性」が達成されます。

また、「売り手も買い手も多数存在する完全競争的な市場で需要と供給が一致すれば、社会的にみて最適(効率的)な資源配分が実現される。ここで最適(効率的)な資源配分とは、社会の中で消費者の満足はできるだけ高く、生産者の費用はできるだけ低くなるように財とサービスの生産と消費が行われている状態をいう。」

という定義ですが、消費者部分はよいとして、「生産者の費用はできるだけ低くなるように」ではなく、「生産者の満足もできるだけ高く」というのが適切です。「売上−費用=利潤・・・生産者効用」の増大が生産者側の目的なので、「費用が低く」ではなく、「利潤が高く(大きく)」が説明になります。

 消費者効用の最大(満足度の最大)+生産者効用の最大(満足度の最大)により、最適な市場配分が実現されます。

 また、この「市場配分」は、ワルラスの一般均衡理論により、「財市場」「貨幣市場」「資産市場」も同時に均衡していると考えられます。

 デフレについて、財市場で「需要<供給」ということは、同時に貨幣市場で「需要>供給」が成り立っています。

ブログ「高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門」http://abc60w.blog16.fc2.com/ カテゴリ「生産者余剰・消費者余剰」も合わせてご覧下さい。



授業に役立つ本 番外編 投稿者:新井 明 投稿日:2010/07/27(Tue) 23:04 No.370

暑い日が続いています。猛暑日という言葉があるのを初めて知りました。熱帯夜というのは結構使われていましたが,それを超えるものすごいイメージの言葉ですね。

ともあれ,熱中症にならないように,必要最低限の活動しかしないように,冬眠ならぬ夏眠の生活です。

さて,今回は本ではなく,映画を紹介します。番外編としたのは,直接教材として利用するというより,先生方にぜひ見て欲しいと思ったからです。

私は映画館で映画をみるのは,最近は年に数回しかありません。今回の映画は,神田の古本屋にブックハンティングに行った時に,岩波ホールで偶然にポスターを見て,飛び込んで,見た映画です。

タイトルは,『パリ20区,僕たちのクラス』という映画です。

この映画,2008年のカンヌ映画祭の特別賞だったとのことですが,全く知りませんでした。だいたい,私が映画をみるのは,この映画を見に行くというよりも,どんな映画かわからないけれど,まあ見てみるかという「かけ」のような見方です。(本も同じです)。

今回の「かけ」は成功でした。

舞台は,パリの北東にある20区。移民や低所得者が多い街だそうです。そこの公立中学の国語の教師とその生徒たちの一年間が描かれます。いわゆる学校ものの映画です。

原作は,この映画で国語の教師役をやっているフランソワ・ベゴドーという人で,『教室へ』というタイトルで翻訳(早川書房)もでています。私は未読ですが,映画をみれば特に読まなくてもよさそうです。

監督は,ローラン・カンテという人ですが,これも私にとっては関係ありません。

問題は,映画の中身です。多様な民族,宗教の生徒が集まる教室で,国語教師フランソワは,フランス市民として生きてゆくための必須であるフランス語(国語)を教えます。

その苦闘といくつかのエピソードが描かれてゆきます。内容は,いろいろ書くより,ぜひ見てもらいたいと思います。そう,現場の先生ならお分かりでしょうが,予想通りです。生徒は,まず授業にはいらない,はいっても揚げ足をとる。でも,それに負けないで頑張るフランソワ。そして事件が…。

でも,予想ははずれます。映画のなかででてきた問題は,ほとんど解決されません。フランソワと対立して退学になったスレイマンというマリ出身の生徒はどうなったか,映画では説明されません。

最後に,フランソワがクラスの生徒に,クラスの写真とともに一年間の作文をまとめたものを配布してハッピーエンドのように見えますが,そのあと,アンリエットという生徒は一年間「何も学んでいない」,授業の内容が「全部わからない」という。そして,「でも就職はいや」という。

校庭では,教師と生徒がサッカーをやって,和解が成立したようにみえるが,だれもいない教室では机といすが乱雑になったままというシーンで終わります。

現役の先生たちが見ても,元気になる映画ではないかもしれません。でも,学ぶことが多い映画ではとも思います。

学ぶことの第一は,フランスの教育制度です。彼我の違いは大きいけれど,教育のいとなみと困難さは同じ,とわかるでしょう。

第二は,フランス語教育の意味と方法です。フランスで生きてゆくためには,フランス語を母国語として学ぶことがどうしても必要だとフランソワは生徒に言います。その使命感は,フランスという国家のアイデンティティがフランス語にあることを象徴しています。

教育の方法も根本的に違います。対話がベースです。とにかく,語らなければ理解には到達できないという信念が根底にあります。

第三は,良心的な教員が持つ,無自覚な権力性です。それが象徴的に現れるのが,「限界」という言葉と,「下品な女(ペタス)」という言葉を巡る,生徒との対立です。

この映画は,ドキュメンタリー風に作られていますが,実は,すべて演技だそうです。映画つくりの観点からは,その作り方が話題になるでしょうが,私は,そのことより,学校や教室の風景が等身大で描かれたことに敬意を表したいと思いました。

本ではありませんが,シナリオ付きパンフレットを買いました。5人の著名人の解説やエッセイが掲載されていました。土屋さんという映画評論家の文章は,はずれです。彼は,この映画は「最後にまるく収まる」と書いていますが,何をみていたのでしょうか。

脚本家の小山内美恵子さんの文章も,残念ながらはずれです。「すてきなラストシーンでした」と書いていますが,アンリエットの言葉をどう見たのでしょうか。

なだいなださんも,はずれです。こんな教室で「頭で考えていたら,うつ病になるのはまちがいなし」と書いたつぎに,「実際に飛び込んでやれば,これほど面白い,やりがいのある仕事はない」と書きます。どうぞ,若返って飛び込んでくださいと言いたいですね。

共感をもったのは,教育学者の佐藤学さんの文章と,実際にパリの20区に住んで子どもをそこで育てたエッセイストの浅野素女さんの文章でした。

佐藤さんは,「教室の日常が映し出す教育の限界と希望」というタイトルで,実に的確に問題を整理しています。これまで,佐藤さんの方法など,私は批判的に見ていましたが,しっかり見ている人は見ていると思いました。

浅野さんは,映画から触発された思いをストレートに書いています。「いまでも,20区での生活を思い出すと切なさがこみあげてくる」という文章は,体験者ならではのものと思いました。

私は,一般的に学校や教育を扱ったドキュメンタリーやドラマは好きではありません。金八先生は敵だと思っていました。しかし,この映画は,そんな私でも,佐藤流にいえば「限界と希望」を感じるいい映画だと思いました。

細かいエピソードですが,フランソワが,授業の資料で「アンネの日記」(フランス語訳)を読ませて,そこから自己紹介の作文を書かせようとするところに感心しました。生徒たちは,「アンネの日記」をどう受け止めたのでしょうか。

また,最後に,対立していたエスメラルダという女の子がプラトンの「国家」を読んだというやりとりにも感心しました。

経済教育との観点で言えば,フランソワがフランス語を学ぶ意味を,フランス社会でいきてゆくための必須のものだ,と言った情熱や義務感を,経済教育が持つことができるかどうかが問われているな,と思ったりもしています。

エコノミックリテラシーは,国語と同じだと,言える実質と実践が求められているということだと受け止めました。ちょっと力みすぎかな。

映画は,その時間ほかに何もすることができません。機会費用や埋没費用の事例に良く出しますが,この映画に関しては,十分おつりがきたと言えると感じています。

この映画,全国展開できるとはあまり思えません。チャンスをとらえて,ご覧になることをおすすめします。



授業に役立つ本 68回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/07/21(Wed) 19:15 No.369

夏休み前の3連休です。関東は梅雨明け。真夏の日差しが一日中家に降り注いでいます。

先週の選挙は,民主党が敗北。ねじれ国会が再現されます。出来たての菅内閣は,何もやらず野垂れ死にをする可能性も出てきました。

とはいえ,誰がやっても難問は難問であり,問題は政治的勇気が必要ということなのかもしれません。勇気といっても,かつての日本の総理大臣のように「清水の舞台から飛び降りる」というたぐいのものではなく,戦略をたて,それをしっかりやり遂げるということにつきます。

戦略のためには,冷静な判断が必要で,経済学的な知見は必ず役立つと思うのですが,どうでしょう。

さて,今回紹介する本は,立岩信也他『税を直す』青土社刊、という本です。選挙でも争点になった税制の問題を扱った本です。税というと通常は,経済学者の本となるのですが,この本の著者立岩さんは,介護問題,終末医療,尊厳死問題などひろく共生社会つくりをテーマとして論考を発表してきた社会学者です。

その彼が,なぜ税金か。理由は簡単で,社会保障問題を考える時には,政府が登場するし,その政府の活動資金は税金であるから,税の仕組みを考えてみようということなのです。だから,この本は,経済学者が財政学の観点から税制改革に関して書いた本ではなく,社会学者が自分の関心から,派生して自分なりに考えた税の提言書といえる本です。

その意味では,専門家が書いたものでない分だけ,逆に税の在り方に関する本質がズバリ書かれている本かもしれません。

本書は,大きく2部に分かれています。第1部は,立岩さんが書いた税に関する論考です。第2部は,立岩さんが所属している立命館大学の先端総合学術研究科という,立岩さんにいわせると「意味不明な名前の大学院」に所属している二人の研究者のたまご(大学院生)の書いた,税制改革のシミュレーション結果と,文献案内です。

まず,前半の第1部から紹介してゆきます。

立岩さんの本は,一見やさしそうなのですが,思考の展開にそって書かれている文体なので,経済の人間から見るとぐにゃぐにゃしていてつかまえにくいのですが,本書は比較的すっきりしています。序として「要約的短文」がおかれています。それを展開するものとして,第1章「分配のために税を使う」,第2章「何が起こってしまったのか」,第3章「労働インセンティブ」,第4章「流出」,補として「法人税」という構成がとられています。

立岩さんの基本的立場は,「働く人は働き,とる人はとるのがよい」というものです。つまり,マルクスの共産主義にちかい発想です。したがって,細かい制度設計をするより「みんながてんでんに働き生産し,それを適当に取っていったらうまくゆく」というのがよいと言います。でも,そんな社会はありえない。

したがって,市場は便利なものとして,まずは承認。そのうえで,第一に生産財の所有形態の変更,第二に労働の分割などの労働の調整,第三に所得の分配をできるだけやるべきというのが,立岩さんの経済へのスタンスです。

第一と第二の論点は,立岩さんのこれまでの本、例えば『私的所有論』などのなかで論じられているとのことで,今回の本では,この三番目が議論の対象となっています。所得の分配の方法として,税が登場します。

立岩さんの税への見解は明快です。第1章でそれが展開されます。今の税制は不十分。けれど選挙で過半の同意を得る案は可能である。それは,所得税の累進性をかつての水準に戻すことだというものです。もちろん,相続税の課税強化もとりあげていますが,中心は,所得税の強化です。

その主張を吟味するために,第2章では,近年の税制改革論議が、刊行された文献をもとに整理されます。それを受けて,第3章では,累進性の強化ははたして,労働のインセンティブを弱くするかどうかが,これまでの論者の議論を紹介する中で吟味されます。結論は,それを認める経済学者は多いが,本当はよくわからないということではないかと立岩さんは言います。

このあたりは,財政学者や税務関係者,政治家の言い分(例えば石弘光氏)と,経済学者の言い分(例えば八田達夫氏)の違いなどが紹介されていて興味深いところです。本当はどうなんでしょう。私も疑問に感じました。

第4章では,同じく税率の強化は,人や金や企業が海外へ流出するという議論の吟味がされます。これも結論は,その可能性はあるが,対応は可能であろうということが述べられます。関連して,補章で法人税についても扱って,結論としては法人税はよく性格が分からない税だが,法人税そのものは肯定したものとして扱われています。

では,本当に所得税の累進性を元に戻すことで,必要なお金は国庫に入るのでしょうか。それを試算したのが,第2部の前半です。ここもデータの制約や前提条件など細かい部分は除き,1987年の税率70%に戻したとすると,源泉所得税,申告所得税を合わせて,2007年を基準とすると,約6兆7500億円の増収となると推定しています。

ここまで紹介してきて,今回の選挙で,菅総理大臣が消費税率10%を提唱した際,それが根拠が薄いとか,ぶれたなどと批判されていますが,税率10%でどれだけ財政が改善されるのか,ほとんど数値をあげての議論がなかったことを思い出します。

立岩さんのこの本の推定や論議がどこまで正鵠を得ているかは,私自身も判断できないところや留保したいところもあります。例えば、税制改革は、財政の改革とセットであり、6兆円の増収で福祉関係の予算は確保できたとしても、日本の財政の「危機的」状況を改善できるかどうかは簡単には答えられないだろうということなどが浮かび上がります。そうなると、どうしても消費税との組み合わせが必要になり、それには、どの層を優遇して制度をつくるかというまさに奪い合い状況がうまれるはずです。それをどう調整するか、問題はかなりひろがるはずです。

その点から考えると、立岩さんの本は、ストレートであるがゆえに、その部分はただしくとも、合成の誤謬になりかねないものをもっているのではと思うところがあります。

とはいえ、税の問題を考えるには、過去の制度の変遷やだれがどんなことを言ってきたかの整理があってしかるべきだったように思います。最近の議論は10%が一人歩きをしているような感が多く。この種のきちんとした論理の積み重ねがもっと必要だとあらためて感じています。

この本は,昨年出された本ですが,経済学者の本ではないということで,腰巻では「画期的提言」と書かれながら,ほとんど相手にもされていなかった?ようで,もったいないと思いました。

財政は,政治と密接に絡み,理論だけではいえないことが多いのですが,それでも,税金のあり方は,フランス革命でもアメリカ独立革命でも,革命の導火線になるくらい重いテーマです。私たちも,現在流布している議論だけでなく,どんな立場の議論でも,この本のようにきちんと文献と実証を踏まえ,かつ,原理的に考えることが必要ではないかと思った次第です。

なお,この本の第2部後半の文献紹介は,格差と貧困をテーマ別に,これまでの論調をリサーチした文献解説と,なんと600冊を超える(ざっとカウントしたら666冊だったと思います)文献表がついたなかなかのものとなっています。税制とは直接関係ない文献が多いのですが,ここを手がかりに格差問題を考えることできるので,お得な本かもしれません。

入試でも,この問題は扱われており,今年の千葉大学後期の総合問題で,効率と公平のトレードオフを素材とした,橘木俊詔さんの文章を読ませる問題がでています。そこでは,橘木さんは,税の累進性をあげても,日本では労働のインセンティブは下がらないとしてあり,立岩さんと同じ結論となっています。ただし、橘木さんは、消費税15%説を提言しています。

私の授業も、二学期には,マクロ経済の領域に入り,景気,金融,財政などを生徒に語らなければいけないので,改めて,もう一度きちんと整理をしておきたいと思いました。

*この文章は,20日に書いてあったものです。



授業で役立つ本 67回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/07/11(Sun) 13:40 No.367

今日は,選挙の日(7月11日)。投票にいってきました。丁度,みんな同じことを考えていた時間帯だったようで,投票場所の前を結構な列ができていて,投票するまでに結構時間がかかりました。

ちょっと珍しい体験だったのですが,並んでいる人たちを見ても,20代の若者は本当にちらほらで,心配になりました。経済教育も大事ですが,選挙にゆく若者を育てることに私たちの教育は失敗しているとすると,先週の齋藤さんの言ではありませんが,この国が心配です。

さて,今日の本は,また経済から離れます。川人博著『過労死・過労自殺ニッポン』編書房刊です。

川人先生は,過労死問題に取り組んでいる弁護士として有名です。岩波新書の『過労自殺』などの著作もあります。出身が経済学部で法学部出身でないところもユニークですが,最近は北朝鮮問題にも取り組んでいて,これも話題になります。

この本,編(あむ)書房という本屋さんが発行元,発売が星雲社となっていて,入手しにくい本かもしれませんが,川人さんのこれまでの取り組みや,現在の問題意識がよくわかる本です。

私は川人先生とは,二回お目にかかっています。第一回目は,前任校のときに,公立高校から東大にもっと学生をいれたいという趣旨の東大の先生方との私的な懇談会があり,そのときに主宰者がわの一人としてお見えになっていました。そのときに,私が高校で担任をしていた生徒が,「川人ゼミ」に入っているという話になり,知り合うきっかけができました。

二度目は,その教え子が結婚した時に,披露宴会場でお目にかかりました。この時は,席が隣同士になったので,披露宴そっちのけで,北朝鮮問題の話を伺うことになってしまいました。

そんなご縁から,この本をお送りいただいたこともあり,紹介しておきたいと思いました。

この本,内容は,若月賞(佐久総合病院元院長の若月俊一氏を記念した賞)受賞の時の講演である「過労死・過労自殺に取り組んで」を序章にして,1章は「過労死・過労自殺」,2章が「拉致・人権問題・その他」,3章が小説,終章が「九条と拉致の集会に参加して」となっています。

タイトルでもわかるように,講演やエッセイ,対談が中心で,気軽に読み通せる本となっています。そして,なんと東大新聞に掲載された小説まで載っています。

川人先生からのメッセージでは,冒頭の講演と,終章がもっとも言わんとすることをまとまって述べている箇所で必読ということです。それに従って,紹介してゆきます。

講演では,なぜ過労死問題に取り組むようになったのか,そのきっかけ,取り組み,現状が述べられています。開業医の息子として生まれ,漠然と医者になるつもりが,色弱のために断念させられ,経済学部へ進学。四大公害裁判や映画「どれい工場」の影響で,司法試験を受験,弁護士となり労働問題,過労死問題と取り組みをひろげてゆく過程が紹介されてゆきます。

川人先生と私は同世代なので,ここでは直接ふれていませんが,東大紛争も進路に大きな影響をあたえたことは,3章の小説でも伺えます。

1988年,「過労死110番」の活動から本格的に川人先生の活躍がはじまります。過労死問題の弁護士が活躍するということは,それだけ問題が深刻であることの反映です。

過労死問題への取り組みは,過労自殺問題へ発展します。現在3万人を超える自殺者をかかえる自殺大国ニッポンに対して,川人先生は企業の在り方,労務管理のずさんさをきびしく断罪します。そして,エコノミストに対しても「GDPが増えるということと,庶民の生活が良くなる,苦しんでいる人の状況が緩和されるというのは別の問題」ことをもっとしっかりと認識しなさいと指摘します。

このあたりは,データを踏まえて議論をする学者と,現実の事例から世の中を見ようとする実務家の捉えかたの違いもあり,心したい箇所です。

このようないわゆる人権派弁護士の川人先生が,北朝鮮問題に取り組んでいる,それもかなり厳しい見解を持っていることに,私自身は当初は困惑を感じていました。だから,結婚式での「議論」になったわけです。

でも,この本も含めて,なぜ川人先生がその問題を看過しえない問題と認識したのかの一端が,2章の「人権の縮図としての中学生時代」に書かれています。三つ子の魂ではありませんが,人間の活動の原点がどこにあるかをうかがわせる文章です。

終章では,2009年のゴールデンウイークに,同じ日比谷公開堂で開催された九条護憲集会と,拉致被害者救出集会の二つに出られた印象記がつづられています。両方とも,リピーターは生み出さない集会であると川人さんは言います。個々のヒューマンな心情を両者とも生かせない。それだけでなく,場合によっては敵対すらする。

この現状をつなぐことはできないか,川人さんの問題提起は重たい課題です。

北朝鮮問題は,人権問題であるとともに,リアルな国際政治の問題です。最近の『The Economist』(英文)でも,北朝鮮の暴発についての警告論説が書かれています。その割には,日本での関心は揶揄的に扱うか,見ないようにしているだけのようです。

経済教育からこの問題に,何が言えるか,何ができるかは簡単には答えられませんが,国民を食べさせられない国家はいずれ崩壊することだけは確かだと思うのです。その場合,「いずれ」の時期が問題だし,「崩壊」の仕方がやはり問題になるでしょう。

65回で紹介した,宮崎市定氏の『中国史』にも,こんな宮崎語録がのっています。「悲惨な底辺の生活者を土台にして,上流には優雅な貴族階級が栄えたのはどうしたことか。これも別に不思議ではない。戒厳令というものは,受ける側にとっては塗炭の苦しみだが,施行する側にはこれほど有り難いものはない。それは我々の戦時中の生活を振り返ってみればすぐ分かる」(上巻p232)

独裁は,いつの時代でもおこりうる問題だし,それを解決しながら人間は進んで(進歩とはあえていいません)きたのであり,この問題も,問題として認識することによって解決ははじまると考えたいと思います。

さて,過労死問題に戻れば,この本のなかでは企業人,派遣労働者だけでなく,教師,看護婦,医師,自衛官,パイロットなどありとあらゆる職業で発生していることが,具体的事例をもとに紹介されています。いずれも胸の痛む事例ばかりです。特に,学校における過労自殺は,まさに教育の現場でいつおきてもおかしくはない事例です。

過労死・過労自殺問題をとおして,人権と経済,豊かさと幸福,マクロとミクロなど様々な観点から,私たち現場の教員は関心をもち,取り上げてゆきたいと思います。

ちなみに,先日行なわれた期末考査で,「労働条件が変だと思ったらどこに相談にゆく?」という趣旨の設問を出しました。正解の「労働基準監督署」を書いた生徒が少なくがっくりしました。ちゃんと覚えておけよ,サバイバル知識だからなと言ったはずなのに,選挙だけでなく,この面でも道遠しです。でも,あきらめずに働きかけることに,教育の可能性有りです。

もうひとつ,ちなみにですが,川人先生の3章の小説は「アチャー」でした。蛇足ですが,付け加えておかなければ公平な紹介にはなりませんよね。



授業に役立つ本 66回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/07/06(Tue) 17:52 No.365

7月になりました。私の勤務校では、期末考査中です。中間と期末の間は授業時間、10時間。この間に教育実習もはいり、学校は落ち着きのない日々です。とはいえ、落ち着いた学校というのもちょっと矛盾した存在かもしれませんが。

さて、今回は経済の本に戻ります。

紹介する本は、齊藤誠著『競争の作法−いかに働き、投資するか』ちくま新書です。齊藤さんは、一橋大学の金融論、マクロ経済学の担当の先生です。この本、なかなかエキサイティングな本です。

この本の言わんとするところは、サブタイトルに集約されています。つまり、現在の状況を打ち破るには、真摯に競争に向き合い、働き、投資をすべきだということです。

内容は、プロローグ、エピローグと4つの章に分かれています。

プロローグでは、近所のバブル時代の廃墟「小豆御殿」の話からはじまり、現在の状況を打破するために、愚直に統計数字と、執拗に経済理論に向き合ってとことん考えてみたいとの言が発せられます。

第1章では、「豊かさと幸福の緩やかな関係」と称して、現在の状況を分析します。齊藤さんの結論は、「戦後最長の景気上昇」では、うわべだけが豊かになったがそれほど私たちが豊かになったわけではないということと、リーマンショック後に失われた豊かさはそれほど大きいものではないという二点です。

ここでは、これまでこの欄でも話題になった、GDP統計が登場しています。限界は十分承知の上での豊かさと幸福の関係が説かれています。その際の、齊藤さんと奥様のやり取りがとても興味深いものがあります。

奥様は、「豊かでない幸福もあるのではないか」と疑問を出します。齊藤さんの解答は、紹介するのは控えておきます。まず皆さんが考えてみて欲しいということと、齊藤さんの解答、すなわち経済学者の解答を確認して欲しいからでもあります。それにしても、吉川先生も奥様が経済学者の知見へ疑問を提示したことを御著書(『ケインズ』)で書かれています。妻を説得できるか否かが経済学者の試金石となっているということでしょうか?

第2章は、「買いたたかれる日本、たたき売りする日本」とタイトルがうたれた章です。ここでは、「戦後最長の景気回復」の背景が、「目に見える円安」と「目に見えない円安」という二つの要因によって説明されます。それがたたき売りする日本になります。それをひきおこした、日銀のゼロ金利政策にも批判の目を向けます。

逆に、円安は買いたたきには格好のえさを与えます。それが買いたたかれる日本、すなわち資産バブルです。この二つの結果、表面的には景気が回復したように見えるけれど、少数の貧困、多数の安堵を生んだと齊藤さんは怒りをこめて書きます。

第3章は、「ゆたかな幸福を手にするための働き方」です。ここでは、格差問題の発生の理由とそれがなぜ流行したのかが分析されます。

齊藤さんに言わせると、格差問題の流行は、少数の貧困(これは現実に生じた)を見た、多数派が自分の安堵感を確認するところから生まれたのではないかということです。2000年前後からの雇用調整は、コストを下げる至上命題を、一番手っ取り早い非正規雇用部門でおこなったというのが齊藤さんの診断です。

その結果、期待の割にはコスト削減はできず,生産現場の荒廃(むなしさ)が進んだと言います。

これを打破するには,生産への貢献にみあったレベルに給与を修正すること,つまり,人々が真正面から競争と向き合い,競争原理の原則にみあった生産性の向上につとめることが必要と言います。

それには,隗より始めよであり,齊藤さんご自身が取り組んだ,大学の高齢教員優遇策への反対運動が紹介されます。このあたりは,こんな教員もいるんだと面白く読めるところです。

第4章は,「豊かな幸福を手にするための投資方法」です。タイトルだけを見ると,お金儲けのハウトゥーを述べた部分のようですが,さにあらずです。結論は,持てる者の責任追及です。それは,「持っているなら使え,使えないなら持つな」です。つまり,資産が有効活用されていないから,成長はできないし,豊かな幸福が実現できないというのが齊藤さんの診断です。

失われた10年の間には,目標が失われたのであり,民間の資本設備はがたがただし,株価は上がらず,地価は下がらずで,資産が塩漬けにされた10年だったというのが診断です。それを象徴する言葉のが上記の「持っているなら使え,使えないなら持つな」です。

ここは実感を持って読みました。というのは,私の妻は耕筰者がいない農地の「大地主」?だからです。いまは近所の人にタダ同然で耕筰をお願いしていますが,これとおなじようなことが日本全体でも起こっているわけです。

最後に,齊藤さんは,競争に向かい合わなければ勝つことなど出来ない。でも,競争なんてあんなしんどいものが善であろうはずはないとも言います。そして,「競争の作法」を本当に身につける,実践することがこれからの日本の,また日本人の課題と結論付けるのです。

冒頭で,エキサイティングと言いましたが,この本,一読すると相当の刺激を受けます。ご自身も書いていますが,かなり経済本での禁じ手の主張,すなわち合理性を肥えたところでの合意形成も提言しています。

正直私自身,かなり納得説得されそうになりました。でも,一晩考えてみると,ちょっと危ないぞという気持ちにもなりました。いくつかあげてみます。

一つには,文体です。エピローグで,中島敦と坂口安吾の影響を語る部分があります。とても情熱的かつ齊藤さんのひととなりがよくわかる部分です。でも,ここまで経済学者として,それを表面化させてよいのか,やや疑問を感じました。私は,経済学者の実存にはとても興味があり,その種の記述には共感を感じす。

もも,ここまで熱がこもった文体は,一つ身をひいてみると,なんでそんなに力んでいるのという感想にも通じます。「冷静な頭脳と暖かい情熱」が求められているのではと思うからです。

もう一つ,神野さんの本でも書きましたが,過剰な形容詞,副詞の多用が目立ちます。例えば,「未熟な工員が好い加減につくった製品」(p112),とか,「労働の現場,金融の現場,あるいは,教育の現場で,多くの人々の能力がどうようもなく低下し,規律が目も当てられないほど劣化してきた」(p133),とか,「本章では,とんでもない主張をしようとしている」(p139)などなど。

この種の表現は,正鵠を得ていることも多いのでしょうが,問題を感情的に扱いかねない怖れもかなりあります。齊藤さんと神野さんは,主張はちがっても似ているのかもしれませんね。

ちょっと待てよという点を加えると,次の二つの視点が欠けていると感じました。

そのひとつは,高齢者の視点です。齊藤さんの主張は,悪意でとれば,生産性をあげない人間は,それに相応しい処遇でがまんせよとれます。生産性をあげていない人間の対象に真っ先になるのは,高齢者です。私ももう高齢者になりましたから,齊藤さんの主張にうなずける点も多いのですが,日本の高齢化という大きな流れをふまえて議論したら,またちがった論の展開もあるかとも思いました。

もう一つは,女性の視点です。奥様の疑問に経済学者として反論し,回答をだしていますが,奥様は本当に納得したのでしょうか。生産性をあげた男性は,はやく帰宅し市民活動をせよと主張をしていますが,ちょっととってつけたような印象も持ちました。

とはいえ,本書は,日本経済のゆくえを本当に心配し,市場や競争に関して,正面から向き合う姿勢をもった,小さいけれど刺激的な本です。参考にしてみてください。

ちなみに,我が家でも,女性の力は強く,私の経済論議などは「自分で体を動かしたことのない,何にもしらない頭でっかちの口舌の徒のたはごと」として奥さんに一蹴されます。つまり,妻を説得,いや納得させることができればこれは大きな力となるということでしょうね。

それにしても,形容詞,副詞の多い奥さんの表現だなあ。



Re: 授業に役立つ本 66回 新井 明 - 2010/07/06(Tue) 17:59 No.366

文章の間違いが何箇所かあります。後半,文体を扱った箇所。「感じます。でも」が変なままになってしまっていました。申し訳ありません。テストでこの種の間違いを発見したら,加点しています。今回は,大幅加点をしなければいけないようです。(私は減点です)

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