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無題 投稿者:K.I 投稿日:2010/07/01(Thu) 00:07 No.363

いつも読ませていただいています。
宮崎市定は,大学生の時と東洋史で習ったのは覚えているのですが,大学1年のわたしはまったく価値が
わからず(相対化できず),何がおもしろいのだろうとその教官の力説を聞いていました。
新井先生のお話を拝読して,勉強しなおしたくなりました。
でもきっとまだまだ先のことでしょう。
学校の図書館は,出身校のものも含めて昔のものはずいぶんいい本があったのだと,わたしもよく思います。
捨てざるをえないのですが,でも捨てきれない文化遺産。
新刊図書がたくさん出回る時代ではなくても,いいものが精選されてまた共有されていた時代というのは,
すごいと思います。
宮崎市定氏の『中国史』の引用をなさっている部分だけでも,読ませていただいてなんだか力をもらった
ような気がします。
ありがとうございました。



Re: お読みいただき有難うございます 新井 明 - 2010/07/06(Tue) 17:49 No.364

拙文をお読みいただいているとのこと,恐縮です。

第一次リタイア後,多少時間の余裕ができました。活字中毒の雑学でしかないのですが,再読も含めて,いろいろ手を伸ばして本を読んでみようと考えています。

不定期な投稿ですが,今後も何かの参考になればうれしく思います。



授業に役立つ本 65回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/06/27(Sun) 10:19 No.362

今回,紹介する本は,前回ちょっと触れた公民教育学会での講演からインスピレーションを受けた本です。

講演をしてくれたのは,井上章一さん。国際日本文化研究センターの先生をしている人です。

井上さんの話の中で,世界はインドを中心に,パラレルにして理解するとよいという話がでてきました。例えば,ギリシャの都市国家の勝者がローマ。そのローマ,正確には西ローマを崩壊させたのがゲルマン民族という北の蛮族。同じことが中国でも起こっている。都市国家としての殷や周,戦国時代,その勝者が秦や唐。唐を解体させたのが北方の鮮卑や匈奴。そのうち匈奴は西に行き,フン族と呼ばれ,ゲルマンの進入の原因を作るなど。

井上さんの話は,歴史は権力者によって作られる。だから,現在の日本史も世界史も,関東の人間,東京帝国大学の学者によって作られたもので,関西人はそう考えていないという話の流れの中で出てきたのです。

これってどこかで聞いた話だぞ,そうこれは宮崎市定氏の世界史把握なんだということに気付いたことが,今回の紹介本に通じました。

宮崎氏は,京大東洋史の重鎮の一人というか,最後の重鎮だった人です。京都人である井上さんが,宮崎史観をもとに話をすすめたのはよくわかります。

さて,本の話です。紹介する本は,宮崎氏の膨大な著作の中で,我が家にあった『中国史』上下(岩波全書)です。現在は品切れになっているかもしれませんがアマゾンでは古本で購入できます。

実は,この本,すっと以前に購入してあったのですが,未読でした。井上さんの講演に触発されて一気に通読しました。実に,面白いし,私たち経済を教える人間にも刺激的な本でした。

「私は将来ある若い世代を相手に学問を語りたく思う」と冒頭のはしがきに書かれているこの本は,最後のむすびに「歴史学は単なる事実の集積ではなく,事実の論理の体系であるべきだ。言い換えれば,選択で決まる学問なのだ」とまとめています。そして,「私は概説書とは,例えばこのように書けるものだ,という例を示したもの」と書きます。また,「著者が自身で感興を持つのではなければ,読者が面白いと思って読む筈はない」とも書いています。碩学の自信にみちたその言やよし,です。

自信にみちた発言だけでなく,内容もとても刺激的で面白いものです。

歴史を,古代,中世,近世,最近世の四つに分ける独特な時代区分論があり,発展段階論的な歴史観とはことなる時代認識が展開されます。また,文化一元論として,人類文化の世界史的伝播がいたるところで取り上げられます。

それぞれの時代でも,宮崎史観によって選択,整理された事実と,その評価が書かれ,それを読むだけでも目からうろこという箇所がたくさんでてきます。

宮崎氏は,歴史を動かすものとして文化とともに経済を重視します。それは,国家の変動,王朝の変遷の背景には,経済,特に景気の動向が重大な意味を持つからです。また,国家の性格を考えるにも,税法(特に塩の専売)が大きな意味を持つからと言います。

例えば,宮崎氏は,北宋時代を「中国のルネサンス」と言いますが,その背景には貨幣経済の盛行があるとします。貨幣経済が盛大になるには,経済活動を支えるインフラ,交通路や運河の整備が必要で,宋代以降の中国の経済は大運河時代であると指摘します。

また,税制では,塩をはじめとする専売制は,人々の生活を苦しめただけでなく,秘密結社という重大な副作用をもたらしたと指摘します。統制価格が高ければ高いほど,やみ商売の利益が多くなります。それを政府は取り締まれば今度は,やみ商人たちが組織をつくり反抗する。中国の農民暴動というのは,多くは,このやみ商人たちがつくった結社や宗教団体が起こしたものと言います。

唐の専売制以降,一方の政府の側に取り締まる秘密警察,もう一方に暴力団という中国の独特の歪んだ権力構造が生まれたことも指摘します。このあたりは,現代でも十分に通用する議論です。

もう一つ,本書にあった経済に関する興味深い事実を紹介しておきます。それは,アヘン戦争のときの清国政府内での対立を紹介した箇所です。アヘンの流入と銀の流出に悩んだ清の政府内では,厳禁派が結果として多数となり,戦争となりますが,少数解禁派もいて論議があったそうです。

少数派の代表,許乃清による解禁論は,厳禁するから法外の価格になるのであり,公認して税を課せば必要な制限もでき,秘密結社も消滅するというもので,これも現代に通用する議論かもしれません。宮崎さんは,アヘンの流入など,元王朝だったらはじめから問題にされなかっただろうとも指摘しています。

ほかにも,宮崎語録とも言うべき,歴史事象に対する宮崎氏の歴史家としての透徹した解釈がいたるところに書かれています。

この本を読みながら,世界史の教科書の当該部分も読んでみました。「政治・経済」の教科書は「俳句のよう」と篠原先生などはよく言われますが,「世界史」の教科書も同じでした。人名や事実は書いてある。しかし,その背景や位置づけはほとんどない。だから,カタログでしかないというのがあらためて確認できました。

「世界史」の教科書を読んで,もう一つ感じたのは,文化相対主義のなかですべての文化圏を並行的に記述することで,何でもありになり,骨太の歴史の流れがわからなくなってしまっていることでした。これなども,「政治・経済」にも同じことが言えそうです。

宮崎氏の諸説は,ご自身も書いていますが,多数派の通説ではないかもしれませんが,現代を見るためにも十分参考になるものだと改めて感じました。やはり碩学といわれる人の蓄積や視点はすごい。

最後にエピソード二つ。

一つは,現在の勤務校の私のいる部屋の書棚には,宮崎市定全集がそろっています。ほかにも歴史関係の貴重な書籍があります。かつて高校の教師はこのレベルの参考文献を買っていたのだと確認できる貴重な資料です。でも,ほとんど読んだ形跡がないのはなぜ?もったいないから,現在宮崎全集をひも解いて,ななめに読み始めています。

もう一つは,冒頭の井上講演です。阪神タイガースの裏切りなどおもしろねた満載で,東京文化に対するおちょくり的挑戦心一杯だった講演を,そこにあつまった社会科教育の関係者は,まじめに笑いもなく聞いていました。そして,質問は私一人だけ(目立ちたがり屋なんです)。これももったいないと思うと同時に,こりゃダメだと思いました。そして社会科をきらう生徒が多い理由がよくわかりました。

そりゃそうだよね。遊びこころと余裕のないところに,文化は生まれませんから。



授業に役立つ本 64回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/06/22(Tue) 14:02 No.361

夏至も過ぎ,一年も後半になろうとしています。先日は,公民教育学会という学会の全国大会が京都であり,往復してきました。

京都の暑さは格別と話では聞いていましたが,蒸し暑さと突然の驟雨など,よく言えば京の気候を実感してきました。悪口を言えば,「ちょっとかなわんなあ」ということになるのでしょうか。

そんな気候を少しでもしのごうというのが,京都の生活スタイルなんだなあと夏バーションのお土産を見て思いました。

さて,今回紹介するのは,堤未香『ルポ貧困大国アメリカU』(岩波新書)です。堤さんの本は,以前宮尾先生も紹介されていたと思います。

この本は,Uとあるように,前著『ルポ貧困大国アメリカ』の続編です。前著は
,カトリーナがあぶりだしたアメリカの貧困からはじまり,肥満児童,医療難民,サブプライム問題,経済徴兵制(経済的理由で軍隊に志願する若者)を取り上げていました。

続編では,学費ローン地獄に堕いるアメリカの大学生,社会保障の谷間に落ちる高齢者と若者,オバマ医療改革の実態,民営化刑務所をはじめとするアメリカの刑務所事情の四つがとりあげられています。

前回の役立つ本で,神野さんの本をややきびしく取り上げたのですが,その時の違和感の理由がこの本で,もっとはっきりわかりました。

要するに,具体的であることの説得性です。それがあるかないかで,同じ立場で書かれていても,本の価値が大きく変わるということが,ここにあるなと感じています。これは,私たちの授業における生徒の理解や共感と密接につながる問題だとも感じました。

プロローグとエピローグが印象的です。プロローグではオバマ大統領の就任式の様子がルポされます。変革に期待する人々です。しかし,エピローグでは「あの時手ごたえを感じたはずのチェンジは,どこに行ったのか?いったい私たちはどこで見誤ったのだろう?」という言葉がかかれます。正直です。

堤さんは,アメリカが直面する問題は,「ゆきすぎた市場原理主義」もあるが,それ以上に問題なのは「コーポラティズム(政府と企業の癒着)」だと言います。これも的確ではないかと私は思いました。

特定のだれかが悪いのでもなく,また特定の仕組みが悪いのでもない。巨大化して複雑化して一人の人間ではどうすることもできないようになってきている組織体をどのように腑分けをして,絶望せずに,人間化してゆくことができるか。困難だけれどやるべき価値がある大問題です。

経済学の知見だけで,この巨大な問題が一挙に解決できるような処方箋ができるとは思いません。でも,経済学は,この種の問題に対して合理性を武器にして腑分けをして,最小の犠牲で制度設計する手助けができる理論をもっているとも思います。(少々過大評価かもしれませんね)。

本の紹介に戻れば,とにかく「へー」と驚く現実がたくさん紹介されています。

例えば,アメリカの公立大学が民営化されつつあるということ。サリーメイという学生の奨学金ローンを買い取る財務省管轄の機関の存在。奨学金が縮小して学生は学費ローンで大学に行かざるを得ない現実。大学を出ただけでは就職できない現実。そのことで債務奴隷になってしまう大学卒業生。

年金ではGMの倒産で企業年金が減額になり,労働者の親子で転落するケース。JALの倒産や年金など日本にもその予兆はあるなと思わせます。

医療保険では,専門医とプライマリーケアの医師との格差。家庭医がありその紹介で病院に行くというシステムはすばらしいとだけ知らされていたけれど,そんなに単純ではない医療の現実。保険料を払えず破産をする中産者層。無保険者をなくす試みだけでは解決できない重層化されている困難。

刑務所では,つかまったとたんに請求書がくるアメリカの司法の世界。その負債を所内の低賃金労働でまかなわせるという仕組み。さらに刑務所REITなる商品まで登場する金融の世界。

おどろきの事実が紹介されます。アメリカの話ですが,これって今に日本にも来るのではと思わせる内容です。

これらの事実を踏まえて,どこからどう切開するか。デウス・エクス・マキーナ(全能の神)はいないのですから,人間の試みが試されているわけです。

事実を知ること,そこから問題を考えること。その事実を与件として自分だったらどう行動するかを考えること。また,与件を変えるには何をするのが最も相応しいかを考えること。

経済教育の仕事はまだまだたくさんありそうです。そんな気持ちにしてくれる本です。

ちなみに,この本も私の勤務校の中等5年生の「現代文の指定図書」になっていました。現代文に先をこされたなという気分です。とはいえ,現代高校生は,どんな感想をいだくでしょうか。興味深深です。あとで国語の先生に聞いてみようと思っています。




授業に役立つ本 63回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/06/12(Sat) 22:16 No.360

いよいよ一年で一番私が嫌いな季節、梅雨が到来のようです。雨は降るし、蒸し暑いし、祝日はないし、三位一体の悪さです。

とはいえ、農業、特に米作にとっては梅雨は必須の季節。なにごとにつけ、すべてまるく納まる話はないということです。

そういえば、政権交代ではなく首相の顔の挿げ替えがありました。今度の菅首相は、私の地元選出。ファーストレディになった奥様は、我が家にも来訪(選挙のためです)されたこともあり、期待半分で見ています。

先日の新聞には、経済の苦手な(乗数効果がわからなかった)菅さんが最近、猛烈に経済を勉強しているというレポートが掲載されていました。菅さんの経済ブレーンには、吉川洋、小野善康、権丈善一、神野直彦の4人の先生方がいると、そこで紹介されていました。

吉川先生の本は前回紹介したので、今回は、神野直彦さんの『「分かち合い」の経済学』(岩波新書)を取り上げます。神野さんの本は、以前に取り上げたことがありますが、4月に出たばかりの本だし、私の勤務校の「現代文」の指定図書にもなっているので、紹介したいと思った次第です。

この本は、全7章に分かれています。
第1章は、なぜいま「分かち合い」なのかです。ここでは、格差、貧困のひろがる日本社会の中で、分かち合いの必要性が訴えられます。
第2章は、「危機の時代」が意味すること、とタイトルされ、サブタイトルに歴史の教訓に学ぶとあります。ここでは、パックスブリタニカの時代から現代まで、危機、恐慌を手がかりに経済と人間の関係を概観します。そして、新しい産業構造をつくることが分かち合いの源泉になることが説明されます。
第3章は、失われる人間らしいくらし、です。ここでは、格差、貧困問題が取り上げられます。貧困、格差が克服できない現状を、新自由主義的な政策にもとめています。
第4章は、「分かち合い」という発想、です。新しい社会を構想するためには、競争原理でなく協力原理が必要で、それが「分かち合い」であり、実例も含めて、「分かち合い」の理論が展開されます。
第5章は、いま財政の使命を問う、です。神野さんの専門の財政学を踏まえて、財政を通しての分かち合いがとかれます。分かち合いなしの消費税の導入が批判されます。
第6章は、人間として、人間のために働くこと、です。労働規制の緩和を批判し、積極的労働市場政策による、再教育、再訓練の導入が提唱されます。
第7章は、終章で、新しき「分かち合い」の時代へ、です。これまでの議論を総括して、ポスト工業社会、知識社会への移行のための提言がなされます。

以上、タイトルを紹介してきましたが、これで神野さんの立ち位置はわかると思います。新自由主義批判、市場原理主義批判の立場です。だから、民主党政権で、地方財政審議会の座長を務めているわけですし、菅新首相の経済ブレーンと紹介されるわけです。

神野さんの基準になるのは、スウエーデンモデル、もしくは北欧モデルです。まえがきの冒頭に「オムソーリ」(社会サービス、語源は悲しみの分かち合い)というスウエーデン語が紹介され、この言葉を導きの星として論ずると書かれていることでわかります。

私は、神野さんの考え方には共鳴するところが多いのですが、でも、何か違うなという違和感が残り、困りました。その理由を考えてみたのですが、何点かが浮かび上がりました。二つ書いておきます。

ひとつは、立場はとてもヒューマンなのですが、文章そのものなかにずいぶんと「どぎつい表現」があることがあります。

例えば,こんな表現があります。「新自由主義が演出した日本の悲劇は苦悩にみちた悲惨に溢れていた。それは日本には新自由主義を盲信する信者を広めるために,多くの新自由主義の傭兵たちが躍り出たからである」。

新自由主義批判としては,わかりますが,「苦悩にみちた悲惨」が「溢れている」のでしょうか。市場の価値を認める人たちは,「新自由主義を盲信」しているのでしょうか。この種のレトリックは問題を冷静に考えるより,エモーショナルなものにしてしまわないかと心配です。

もう一つ例をあげてみます。「労働組合にとっての危機の30年は,国民にとっての危機の30年でもあると言って過言ではない。それは暗い過去へと歴史の針を逆戻りする反動の嵐が吹き荒れ,歴史の踊り場に耐えた30年ということができる」。

労働組合への「弾圧」を批判した部分です。私も労働組合員をやめずに過ごしてきました(リタイア後も準組合員です)が,組合と当局の関係は,こんな表現では言いつくせない,もっと複雑なものがあると感じています。

二番目は,合成の誤謬があるのではないかということです。

神野さんは,スウエーデン型の高福祉高負担の社会がこれからの日本のとるべき道と言います。そのためには,消費税の増税とならんで法人税,所得税の増税が,財政再建のためにも必要と主張します。安心社会をつくるためには,上げ潮派のいう経済成長路線は間違いだと言います。でも,分配の前提には成長が必要だし,「分かち合い」の精神をすべての人間がもてるわけはないのであり,それを考えると,人間の善意を前提とした増税案は,逆機能となってしまうことの方が多いように思うのです。

神野さんの提案する路線は,今度の菅内閣で本格的に検討されると思います。そのときに神野さんの経済学の真価が問われるのだろうと思います。

全体に,この本は一種の倫理的恫喝にみちた本ではないかと,ややどきつい表現を使えば言えるのではと思いました。私たち,現場の人間は,結構この種の授業をやってきたのではと思っています。かつては悪いのは,自民党だ,小泉だということである種の合意ができていました。でも,今は,その批判がすべて自分たちに戻ってきています。

経済的な見方や考え方は,ある種の合理性にもとづいています。それは,神野さんが批判する「経済人」仮説にもとづいて,人間行動や制度設計をしてゆこうとする志向から生まれるのだろうと思います。

現実の人間は,経済人ではありませんが,経済人の視点を持つこと,もしくはそのように行動する可能性をもって制度設計をすることが大事だと,私は考えています。

ヒューマニズムは美しいし,「分かち合い」の必要性はみんなわかっている。でも,それができないのが人間の歴史だったのではないでしょうか。神野さんは,この本は「失望の本」と書きます。

ある種の上位から世界をみれば,「失望」になるのでしょうが,そのなかで暮らさなければいけない私たちは,失望しつつ対応しなければいけないのであり,美しい言葉の裏側にある断罪を「そうですね」と簡単に認めて良いかは疑問です。

前回の神野さんの本の紹介のときも,結構きびしい評価をしてしまいましたが,今回も同じようになりました。似たような発想をもっていたことがあるだけに,紹介者に冷静さが欠けていて,近親憎悪なのかもしれないなと反省しきりです。

なお,神野さんの主張は,本日(6月12日)の朝日新聞朝刊にインタビューが掲載されていました。それも参考にしてみてください。



書評:『Mis-measuring our lives』(生活水準の誤っ... 投稿者:TM 投稿日:2010/06/06(Sun) 09:42 No.358

書評:『Mis-measuring our lives』(生活水準の誤った測り方)
著者:Joseph Stiglitz, Amartya Sen and Jean-Paul Fitoussi
出版社:The New Press (New York, London), 2010

今回のグローバルな金融危機の結果、単にこれまでの制度や政策を見直すだけでなく、基本的な経済の見方や考え方にも変化の兆しがみられている。その代表的なものが、本書に収められている生活水準の測り方に関する国際的な委員会の提言である。
この委員会は金融危機がグローバルに広がりつつあった2008年初めに、サルコジ仏大統領の呼びかけで作られた「経済活動と社会発展の測定に関する委員会」と名付けられた国際的な委員会で、この本の著者3名が委員長役を務めたが、特にノーベル経済学者として世界的に知られたジョセフ・スティグリッツとアマルティア・センの名前があることからすぐ分かるように、従来型のGDP中心の経済活動の測定方法に異議を唱え、もっと所得分配や生活の質や社会的に望ましい活動を高く評価するような測り方を示唆するものになっている。

特に、まとめとして以下のような提言を行っている。
1) 生産よりも所得や消費を評価すべき
2) 家計の視点を強調すべき
3) 所得や消費に加えて資産も考慮すべき
4) 所得、消費、資産などの分配をもっと重視すべき
5) 所得の定義を拡大して、市場以外での活動も含めるべき
6) 生活の満足度を左右する社会、政治、安全などのレベルを測るようにすべき
7) 不公平をできるだけ包括的に測るための生活の質の指標を導入すべき
8) 個々人の生活の質を調べてそれが政策につながるような工夫をすべき
9) 生活の質をできるだけ多くの側面で捉えるような統計的な努力をすべき
10) 生活の質を客観的および主観的に測るような統計的な工夫をすべき
11) 大きなショックが来ても持続可能な幅広い測定方法を採用すべき
12) 持続可能な環境に関する指標は特別な注意と扱いをすべき

これらの包括的な発想から分かるように、これまでの「反GDP」の考え方のように、単純な「公平性」や「幸福度」などの発想に置き換えればよいといった立場とは一線を画し、すでに国際社会で広く受け入れられている「生活の質」、「人間の安全保障」、「公正で持続可能な社会」、「環境面での持続可能性」といった考え方をできるだけ具体的に考慮した指標を導入すべきと提言している点が注目される。

ただし、これは明らかに出発的にすぎず、少なくとも以下のような難しい問題に取り組みつつ実現に努めることが要求される。問題は大別して2つある。

一つは、新しい指標を実際に採用する上での問題である。
まず、現実的で包括的でありながら理論的に整合的で意味のある指標を構築できるかどうかという問題がある。そのような理論的な整理が必要なのは、実際にどの国も納得して共通の指標を採用し、データ収集を行うための合意を形成するためであるが、さらに現実的な問題として、各国の政府がこれまで以上に複雑なデータ収集をどこまで実行できるかは大きな疑問といわざるをえない。

二つ目の問題は、従来のGDPやGNPといった経済指標が果たしてきた役割をどう考えるかということである。特に「市場」での評価は、単に政治家や経済学者による国際的な合意で変えることはなかなか難しい。実際に、過去何十年にもわたって蓄積されてきたデータの連続性を変えることはそれなりのロスを伴い、しかも今後とも大きな意味を市場で持ち続ける可能性も否定できない。それがこれまで「反GDP思想」や「反成長主義」が力を持ちえなかった理由でもある。

一つの例は、最近深刻化している「ソブリン危機」の問題がある、これまでソブリン危機に直面した南欧の国々は、政府債務の増加率が急速で、GDPの増加率よりもはるかに高かったことが市場の信頼の喪失につながったといえる。
米国や英国や日本は政府債務の累積額も大きく、また財政赤字も膨大であるが、それでも投資家の攻撃対象となっていないのは、GDPの潜在成長率が長期的には政府債務の増加率を上回ると見られているからであろう。
日本でも「成長戦略」が必要といわれているのは、単に成長のための成長ではなく、長期的にソブリン危機などを避けるためにGDPの成長が不可欠と考えられているからである。
このような状況下では、GDPの統計は大きな重要性をもち、それ以外の指標を作ってみても、その役割や効果は限られたものになり、幅広くデータを集め複雑な指標を作成するコストを正当化することは難しいかもしれない。

以上のような具体的な問題は山積しているが、これまでの狭い意味での経済的指標だけでは不十分で、かえってマイナスの役割を果たす危険が増していくという本書の問題意識には誰も反対できないと思われる。そしてここからの展開は、米国、EU、日本、さらに中国といった「経済大国」がどれだけリーダーシップを取り、自ら実施していくかにかかっており、その点で本書のような提言は大きな影響力を持ちうるであろう。

TM



Re: 書評:『Mis-measuring our lives』(生活水準の... 新井 明 - 2010/06/12(Sat) 22:14 No.359

宮尾先生

紹介有難うございます。新聞報道等で,この報告書に関しては知っていましたが,改めて確認しました。

まだ翻訳がでていないので,アマゾンを通して購入してみました。

英語を読むのは,厳しいのですが,それほど難しい英語ではなく,サマリーの箇所まで読んで,なんとか内容は理解できました。まだ,あと半分が残っていますが,追々読んでゆこうと思っています。

ここまで読んで,ちょっと今更という気持ちがしています。というのは,例えば日本の旧経済企画庁が作成したNNWなどとどう違うのか,がいまひとつわからないからです。

GDP統計の問題点は,高校の授業でも触れ,NNWなども紹介しつつ,この種の統計の重要性と問題点,金額表示できない価値部分をどう評価するかの困難を語っています。

今回のものは,それとどこがどのように違うのか,もし,お分かりでしたらご教示いただければと思っています。



授業に役立つ本 62回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/05/30(Sun) 10:25 No.357

学校は中間テストが終わり、採点中です。テストは作成するときは楽しいけれど、採点となると結構しんどいものがあります。

新しい学校でのはじめてのテスト、受ける生徒も不安だったらしく、直前の質問に多数集まり、ちょっとした人気者になりました。でもこの人気も、私の傾向が分かった次回からはなくなるでしょう。

さて、本日の本は、吉川洋先生の『今こそ、ケインズとシュンペーターに学べ』ダイヤモンド社刊、です。

この本、昨年の2月に刊行されたときに、本屋で平積みにされていたのは知っていたのですが、タイトルを見て、リーマンショック以降たくさん出た、不況関連本ではないかということで、購入していなかった本です。

今年の夏に計画している、先生のための経済教室に、吉川先生に講演いただくことになり、予習をかねて読まなければということで、購入した本です。吉川先生ごめんなさい。

発売当時は結構目に付いていたので、簡単に手に入るかと思っていたのですが、入手には意外と苦戦しました。それでも、神田の大型書店の経済の棚にはちゃんとあり、早速購入し読み始めました。

一読、もっと早く読んでおけばよかったというのが第一の感想です。また、深い共感を覚えました。この共感は,猪木武徳先生の『戦後国際経済史』を読んだ時と似ています。

この本,全体は、19章からなっています。『経』というダイヤモンド社が発行する小冊子に連載されたものなので、それぞれの章は、コンパクトでとても読みやすくかかれています。

1883年という同じ年に生まれ20世紀前半に活躍した、ケインズとシュンペーターですが、今なお,二人を学ぶ意味はあると吉川先生は書きます。それは、ふたりが提出したビジョンが現代でも有効であるからです。

本書は、その二人の生涯を、対照的に描いてゆきます。イギリスのケンブリッジ大学出のケインズ、オーストリーのウイーン大学出のシュンペーター。二人の青年期から、経済学との出会い、それぞれの処女作と筆は進みます。

吉川先生は、ケインズの現代に通じる重要な著作を三冊あげます。第一は、『貨幣改革論』、二番目は、『貨幣論』、三番目は、『雇用、利子および貨幣の一般理論』です。高校では、『一般理論』しか注目していませんが、現代経済を考える上では,前二冊も大事だと指摘します。

では、シュンペーターの三冊は何でしょうか。吉川先生は、第一に『経済発展の理論』、第二に、『景気循環論』、第三に『資本主義・社会主義・民主主義』の三冊をあげます。高校までは、創造的破壊やイノベーションを挙げている『経済発展の理論』だけが有名ですが、後二冊も大事と指摘します。

ケインズとシュンペーターは接近遭遇をしあいながら、ケインズはシュンペーターを無視しつつ活動します。シュンペーターはケインズを批判しつつ、その存在をつねに気にしながら著作をすすめました。二人の分水嶺は、ワルラスの一般均衡理論を認めたか否かだとの整理がされます。

このように水と油に近い、対照的な二人を学ぶ意味は何か。吉川先生は、有効需要理論というデマンドサイドに立つケインズと、イノベーション理論というサプライサイドに立つシュンペーターをつなげ,需要と供給理論を接続し一体として理解することだといいます。

どんな時代でも、複雑な現実と向き合う時の知的源泉となり、解決への処方箋を考えるときの導きの糸となるビジョンをもった理論が必要だとすると、まさに,ケインズとシュンペーターの理論をきちんとどこまで読み、活用できるかが問われるといえるでしょう。

とはいえ、両者とも寝ながら読めるような本は書いていないので、そこは専門家にお任せすることにならざるを得ません。でも、しっかりしたビジョンを持つことの必要性は、私たち現場の教員にも同じように必要であることは言うまでもないと思います。

吉川先生のこの本、高校の授業には大変示唆的です。なぜなら、ケインズもシュンペーターも名前と業績、簡単な内容まで、「現代社会」や「政治・経済」の教科書には取り上げられているからです。でも、二人をどう位置づけてよいか、困惑していたというのが正直なところだったからです。

ケインズはまだ、スミス・リカード・マルクス・ケインズの流れのなかで位置づけられるのです。教科書では,ケインズ批判者としてフリードマンが登場します。これなら何とか生徒も理解できる流れです。ところが、シュンペーターは、産業構造の変化や技術革新を扱うところで出てくるのはよいけれど、浮いているのです。経済学の流れの中でどう位置付けるかが明確ではありませんでした。この本を読み、ああ,そう理解すればよいのかと胸にすとんと落ちました。

少々勉強不足だったなと反省しきりです。

ケインズは来日したことはありませんが、日本の学者・ジャーナリストに強い影響をあたえました。一方,シュンペーターは来日して、親日家になっています。また、シュンペーター最後の原稿は、東畑精一氏に寄贈され、日本にあるのだそうです。そんなエピソードや写真も豊富なこの本は、理論を理解するために読むもよし,エピソードを楽しむもよしで,いろいろな読み方が出来る本です。

また,病気の治せない医学に何の意味があるだろう。経済学も同じだと喝破するこの本は、吉川先生の現在の活動の源泉がここにあるという意味で刺激的な本です。もっとはやく紹介すべきでした。

なお,ケインズに関しては,同じ著者に『ケインズ』ちくま新書があります。こちらは1995年刊ですから,その間の吉川先生のケインズ理解の深化がわかると思います。

さて,冒頭のテストで,実は,スミス,マルクス,ケインズの三者の肖像と著作,その引用を当てさせる知識問題を出しました。顔を当てさせるなんてくだらないと思うかもしれませんが,結構イメージは大事だと考えています。なにしろ,人間の顔は履歴書ですから。

今回,シュンペーターは出しませんでした。次回のテストでシュンペーターをケインズと比較して出したら,生徒は経済学や経済学者にどんな印象をいだくようになるか,ちょっと楽しみです。



授業に役立つ本 61回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/05/15(Sat) 23:52 No.355

5月の半ばになりました。新しい職場にも少しなれたと思ったら,もう中間考査です。

中間,期末と年に5回のテストを総計すると,一年に20日になります。こんなにテストばっかりやって,いつ授業をするのだという批判がありました。

それをうけて,評価は日常的にやればよいではないかということで定期考査をやらないという時期もあったようです。でも,人間は,どこかで関門をもうけないと勉強などという苦行はおいそれとはやらないものだったようです。その結果が,現在の姿ということです。

それはさておき,今回の本は,岩波ブックレット『いのちの選択』という本というよりパンフレットに近いものです。でも,なかなか考えさせられる本です。

この本は,編者の一人の小松美彦さんが,高校の先生方にこそ読んで授業で使って欲しいということで,寄贈されたものです。小松さんたちは,昨年問題となった臓器移植法改定に反対の声をあげた研究者を中心に作られた生命倫理会議のメンバーです。

内容は,一章が,臓器移植に関して知っておきたい基本的な問題を13にまとめたものです。二章は,実際に臓器提供をした家族へのインタビューです。三章は,倫理学者,文学者など移植法に批判的な文化人のエッセイで,さきごろお亡くなりになった免疫学者の多田富雄さんも書いています。

経済との関係では,三章に,臓器移植と市場の関係に触れた生物学者の池田清彦さん,医療資源の功利主義的発想を批判した歴史学の荻野美穂さんの発言などがあります。

臓器移植に関しては,この連載?でも,『ろくでなしの経済学』や『こんなに使える経済学』の紹介の中で取り扱いました。ただ,経済の本では,臓器移植は前提であり,その効率的な組織化や運用が問題にされていました。

その点では,このパンフレットの主張は,移植反対の傾向を色濃く持ちますから,経済学が前提とする部分に関する論議になります。この種のメタ議論は,制約条件下の最適問題を得意とする経済学はあまり得意ではない部分かもしれません。でも,実際に法律が通り,改正移植法が施行される今,経済学者も教育関係者も,まずは個人としての意思決定を迫られることになってきています。

私の新しい保険証の裏には,ドナーカードが印刷されていて,署名することができるようになっています。これなど改正法による変化でしょう。

経済の授業でも,市場メカニズムの箇所で,事例として臓器移植が出されて考察させることが十分に考えられます。そのときに,前提を考察しないで,いきなり希少資源の配分事例として持ち出されてよいのか,ということを,授業をやる私たちは良く考えたほうがよいと思います。

その点で,この本はコンパクトですが,前掲の経済学関係の本を参考に授業展開をするときに,同時に参照すべき内容を持っている本です。

個人的には,この本の,19ページと48ページにある写真に深い感銘を受けました。前者は,脳死状態で2年近く生きた女の子の病床での七五三の写真です。後者は,長崎原爆の被災者の母子です。いのちの重みを感じさせる二枚の写真は,経済でいのちの問題を考える時に,ぜひ想起しておきたいものと感じました。

ただし,warm heart だけでなく,一方で cool head も必要なのが経済学習です。心情と論理をどうつなげるか,挑戦しがいのあるテーマです。



Re: 授業に役立つ本 61回 新井 明 - 2010/05/24(Mon) 20:57 No.356

補足をしておきます。

ブックレットの『いのちの選択』が小松さんから寄贈されたように書きましたが,正確には,小松さんもメンバーである「生命倫理会議」からの寄贈でした。この本の印税は,すべて生命倫理会議の活動費に繰り入れるのだそうです。

もう一つ,生命倫理会議からの寄贈の仲介をしていただいた,立命館大学の大谷いづみ先生から,私の紹介への感想を受取りました。経済学がメタ議論をあまり得意としないというのは前から感じていたということと,経済学でのいのちの問題への議論では,cool headの部分そのものが十分ではないのではというものでした。

なかなか厳しい感想ですが,考えるべき価値ありの意見だと思っています。

もう一つ,何冊かいただいた本を同僚の先生に渡しました。そのうちの一人の先生は家庭で話題にしてくれたそうです。一冊の本が,確実に広がってゆく様子がわかります。



授業に役立つ本 60回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/05/09(Sun) 11:38 No.354

ゴールデンウイークも過ぎ,やっと晴天の日が続いています。緑がまぶしい季節です。ちょっと間隔があきましたが,まだ,続けて書いてゆこうと思っています。

古本処分騒ぎ以来,新刊書をできるだけ買わずに,昔買った本や古典などを利用しながら授業をすすめようと思っています。

今回紹介するのは,聖書です。聖書と経済は興味深いテーマですが,専門的なものではなく,あくまで授業に使える箇所の紹介です。

今年は,はじめて年間通して経済の授業をすることが出来る環境になりました。そこで,経済史にちょっと首を突っ込んで,授業でも経済が歴史と出会うときというテーマで,何回か話をしました。

その時,最初に使ったのが,旧約聖書の「カインとアベル」の話です。「カインとアベル」の話は「現代社会」では,兄弟関係の箇所でよく使ったのですが,今回は経済です。視点は,分業と交換です。

人類が採集経済から農業をはじめたのが紀元前7000年から8000年ごろ。いまから1万年前の出来事です。それを農業革命とか,農業生産革命と称しています。農業の開始とともに牧畜などもはじまり,物資の交換も本格的にはじまります。都市と文明の開始です。

このあたりは本来は世界史で勉強するのでしょうが,生徒は「歴史」は歴史,「経済」は経済と別々に考えています。そういった生徒の常識を打ち破るのには,古典を使うのは一策です。

「旧約聖書」の中核部分は紀元前6世紀ごろに成立しているとされています(バビロン捕囚以降)。創世記の部分は,その意味では,人類のそれまでの歴史的体験が神話の形で象徴的に生かされていると考えることができます。

「カインとアベル」の話は兄弟の話ですが,カインが農耕民,アベルが牧畜民と考えると,その両者の葛藤の話と読み取れます。経済では,分業と交易の開始がその背景にあると読むことができるわけです。

通常,経済で歴史を扱うと,産業革命を起点にすることが多く,教科書でもそうなってますが,ちょっと延長してみるのもよいと思います。農業革命までさかのぼって経済を語る視点は,碩学ヒックスの『経済史の理論』(講談社学術文庫)などにもあります。ただし,ヒックスは,農業革命より交易における商人の役割を重視していますが。

実際の授業では,映画の『天地創造』の冒頭の一部を見せ,イメージから迫りました。生徒は,経済の授業で聖書が出てきて戸惑ったようです。まあ,時間的に余裕があるから展開ができる展開方法でしょう。

この種の古典を経済と関連させて語るには,ギリシア神話でのオリンポス12神のそれぞれの象徴なども使えます。ヘルメス=マーキュリーは,旅人,羊飼い,泥棒,商売の神様ということは,一橋大学関係者だけでなく,良く知られた?有名な事例です。(国立文系希望者に由来を説いてあげるとへーという顔をします)。

旧約聖書では,「出エジプト記」でも,ユダヤの民がエジプトで粘土や瓦を焼く強制労働に従事させられるところなどで,当時の社会や経済の様子を想像させることができます。最近では,ピラミッド公共事業論などが普及していますので,また違った読み方をすることも可能です。

ほかには,中国の古典,老子の小国寡民の箇所なども使えます。ここは分業や交易の否定の思想ですから,ユートピア主義として批判的に見ることもできます。

これらの古典は,だいたい歴史や倫理,漢文などの教科で扱われていることが多いので,生徒にその箇所を指摘しながら,勉強のおもしろさを伝えるのも良いように思います。

忘れてはいけないのは,日本神話です。「カインとアベル」に近い構造を持っているのは,記紀で扱われている「海幸・山幸」の話です。これは兄弟殺しではなく,役割転換と,山の海への支配を暗示していますから構造は違うのですが,それでも分業,交易の開始を背景としていることは間違いないでしょう。

新刊本でなくとも,役立つ本は沢山身近にあるという事例でした。

さて,実は私は二人兄弟の弟です。つまり「アベル」の位置にいます。兄弟は近いけれど,ライバルという経験をしてきました。いまのところ「アベル」のようにはなっていませんが,まだわからないかな?



授業に役立つ本 59回 投稿者:新井 明 投稿日:2010/04/24(Sat) 23:06 No.351

4月にはいっても寒い日が続いています。やっと新しい環境にもなれはじめて,授業を開始しています。

そんななかで,何冊かの新本を購入して読み始めました。あれだけ本の処分に苦しんだのに懲りない人です。とはいえ,新しい本は授業のモチベーションになるものですから,時には良しとしたいと思っています。

さて,今回紹介するのは,一つはおすすめ,もう一つはちょっとがっくりという本です。前者は,松井彰彦『高校生からのゲーム理論』ちくまプリマー新書,後者は,奥村宏『経済学は死んだのか』平凡社新書です。

まず,前者の松井さんの本から。

この本は,タイトルどおり,最近は大学入試でも出題されるようになったゲーム理論をやさしく書いた本です。タイトルどおり高校生を対象としていますが,「から」となっているように,それ以上の年齢でも大丈夫です。

特に,松井さんが,「学校の先生がわくわくして読んでくれるとうれしい」と書いているように,教師が読んで,それを生徒に伝えて欲しいという願いが色濃く出ている本といえるでしょう。

全体は,大きく5つの章にわかれています。序章の恋のかけひきからはじまり,戦略編(第一章),歴史編(第二章),市場編(第三章),社会編(第四章),未来編(第五章)と区別されています。

それぞれの章は,サッカーのPK戦,背水の陣,ガソリンスタンドの参入,みんなの意見,いじめの構造など,具体的な例を通して,有名な囚人のディレンマやチキンゲームなどゲーム理論の様々なケースが展開されています。

ゲーム理論をマスターするときっと恋が成就するという松井さんの本,ゲーム理論の入門書は多々あるけれど,高校生向けの本としては,なかなかすてきな本だと思います。

ゲーム理論をはじめて勉強しようとする高校生(先生)にも役立つでしょうし,環境問題や格差問題など,いままでの学習のなかで知ったり考えたりした問題(教えた問題群)を,あらためてゲーム理論から整理しなおすことにも使えます。

なにより,ご自身の研究史や体験,お子さんとの会話なども組み込みながら,かかれているところが入門書としてのセンスの良さを感じさせます。ただし,このセンスのよさは,反面本当にこの理論が現実に切り込む社会認識を育てるものになるかという点では,弱さになるかななど思うところもあります。

後者の奥村さんの本にゆきます。

奥村さんは,世代的には松井さんの父親世代になる方です。松井さんの本が,ある種の育ちのよさ(多分)とスマートさが出ているのに対して,この『経済学は死んだのか』は,ご自身の研究史を踏まえて,現在の経済学への強い批判が書かれた本で,真摯でどろくさいところがあります。

法人資本主義論で有名な奥村さんはもう80歳になられます。その意味では,この本は,一種の自分史もかねた総括の本かもしれません。

内容は,7章に分かれ,第1章で新自由主義批判を,第2章でジャーナリストのマルクスから学べと主張し,第3章ではケインズに戻るのではなくケインズの理論形成の姿勢に注目せよと言います。

第4章では,この欄でも紹介した宇野弘蔵なども含め日本の経済学の輸入学問性を批判し,第5章,第6章でご自身のテーマである法人資本主義論とそれが形成された調査にもとづく研究方法を振り返ります。

そして,最後の第7章で,改革への道として大学,ジャーナリズム,経済学も新しいものに変わる必要があると説きます。

日本の経済学は輸入学問であるとの指摘など,内容的には,うなずける点が多く,共感する箇所も多いのですが,最後でちょっとがっくりきました。

奥村さんは,現実から理論を作り上げなければいけないと言います。奥村さんが現実を知る方法は,新聞の切り抜きの整理からです。その方法は,学者から新聞経済学と批判されたとも書いています。その批判は名誉であるとも書いています。それそれで良いのですが,ジャーナリズム批判の箇所で,現在の新聞は読んで,切り抜くという仕事に情熱を失っているとも書きます。

これもよくわかります。確かに,新聞は情報収集の手段としては急速にその地位と役割を後退させています。では,それにかわるもの,理論を作り出すための現実を把握する方法が提示されているかというとそれが明確ではありません。

現実の上に調査をして,そこから理論形成をするために,現代の私たちが何をすべきか,もう少しヒントを出して欲しいと思いました。

学校では,新聞を使った授業NIEが行なわれていますが,NIEを推進する先生たちを励ますためにも,ちょっと残念です。

松井さんと奥村さん。世代の違い,体質の違いが結構良く出ている二冊です。参考にしてみてください。

ちなみに,私は両世代の中間だなあと感じます。新聞も好きだし,ゲーム理論にも興味がある。そんなおじさんの経済学(経済教育)はどんなものになるのか,もっと自己分析をして見る必要がありそうです。



授業に役立つ本 番外編(古本を売る) 投稿者:新井 明 投稿日:2010/04/11(Sun) 16:41 No.346

今回も番外です。

このところ,職場の移動もからんで本の整理をしなくてはならなくなってしまっています。今回は,本の整理にまつわる話です。

私はそんなに蔵書家ではありませんが,仕事柄どうしても本がたまってきます。若い頃は,まだ研究したいという希望があったので専門書がたまりました。最近は,このコーナーでもわかるように,教材用の新刊書や新書類が多くなっています。また,ときどき小説などの文学作品も購入します。

大学とは違い個人の研究室や研究図書費が与えられるわけではないので,購入量とストックは貧弱ですが,最後の職場では,ダンボール10箱近い本を処理しなければいけなくなりました。

家に持ち帰るのが原則ですが,これ以上持ち込むなという奥さんとの熾烈なバトルに敗北して,処理することになりました。一部は,後任者に使えたら使ってとお願いして,置いておくことにしました。

さて,問題はそれらの本の処理です。古本屋に相談に行ったところ,社会科学系の本は動かないから引き取ることもダメと言われました。特に,時事問題を扱った経済書やシリーズもの,講座類は古くなったらゴミというニュアンスです。

公民科の教師ですから,持っている本はほとんどが社会科学系です。悪いことに,読むときに線を引くクセがありますから,商品価値はゼロ,場合に寄っては処理費用の方が多いことになりかねません。

そこでダンボールの半分ほどを,本当にゴミとして出しました。その前に,癪だから,生徒に好きなものをもって行って良いよとしたので何冊かは救い出されましたが,なんだか身を切るように辛い別れでした。

とはいえ,所蔵する場所はないし,あっても一度お蔵入りしたら本というのは本当に(親父ギャクではありません)ほこりをかぶるだけで結局は死蔵されるだけ(これはすでに経験済み)ですから,要は決断です。

でも,人間その気になると結構大胆になります。勢いで,家の書棚も整理して入れ替えてしまえということで,家の本の整理にも着手しました。そうすると出るわ出るわです。

研究報告の類はまずリサイクルに直行です。次は,新書,文庫です。特に書き込みがある新書が一番の整理対象です。ハードカバーの本ではやはり時事的なものを扱った本は同じ運命になります。これらは資源回収の日に出しました。一度やればあとは同じです。

それでも,残った本と学校から一時持ち帰った本とあわせてダンボールにいれ,近くの何でも屋の古本屋に持ってゆきました。引取りを拒否されないように,これなら売れるかという新しく綺麗な本を「えさ」につけて。

結果として,ダンボール4箱分(約200冊くらい)が,1175円也で売れました。奥さんなどは500円いかないわよと予想していましたから,少しは市場価値があったということなのでしょう。ちなみに,かつて専門書を4畳半一杯分,社会科学の専門の古書店に引き取ってもらった時が私の青春の終焉でした。今回の1157円は,私の壮年の終焉かもしれません。

それにしてもまだ,ダンボール4つが残っています。それらは,それぞれの専門の古本屋さんに持ってゆくつもりです。

さて,ここから浮かび上がる問題いくつかです。
一つは,マッチングの難しさです。この広い世の中のどこかには私が持っているような本を欲しい,読みたいという人はいるはずです。しかし,売る人と買う人が出会うのは難しい。それをつなぐものとしての市場があっても,そう簡単にはそれはつなげない。中間に古本屋さんという商人がはいってもそれは同じであるというのが実感です。

二つ目は,売るには買う以上に探索費用がかかるということです。今回は,社会科学の専門店,人文系のおもしろ本を扱っている目利きの古本屋さん,ブックオフのような新しく綺麗ならなんでも引き取るといわれている(実際に持ち込んだことがないので間接情報です)一般向け古本屋さんなど,それぞれ狙いをさだめて持ち込みます(一部は持ち込みました)。結構手間隙かかりました。

三つ目は,中古市場はやはりレモンの市場だということです。私にとって大事な,価値ある本でも線が引いてあり,きたなければ全く価値なしです。新鮮で外がよければ売れる可能性は大です。だから最初の本屋さんには「えさ」をつけたわけです。目利きの古本屋さんが減っている現在,ますますレモンの市場になりつつあるということでしょう。

四つ目は,本の価値の問題です。古本として流通することが価値があるわけではないのですが,結局膨大な本はほとんどは時間がたてば無価値に近くなってしっているということです。それだけ,歴史の篩にかけられる本は少ないということなのかもしれません。ただし,どんなつまらない本でも,100年持てば社会風俗や時代を読む資料として残ることになりますが,それは本当に例外ということなんだろうと思います。

最後は,上と関連すると,何冊か著者となった本を出した人間としては,本当に価値のある本を残せたかという,かなり深刻な問いが残りました。

これから長い第二の人生を生きなければならない?私としては,もう時代を追いかけることはやめた方が良いかなと思っています。きちんと読んでこなかった古典を中心にして,読み残した本を読んでゆくのがもっとも年齢に相応しいのかななどとも思っています。

でもこんな読み方をしていると,新刊本は売れないし,景気回復には役立たないし,こまったものですね。皆さんは,本の処理どうしています?



Re: 授業に役立つ本 番外編(古本を売る) 新井 明 - 2010/04/24(Sat) 21:39 No.350

後日談です。

残ったダンボール四箱のうち,英語の本は引取りを拒否されました。かつて修士論文を書いたときに購入した,私にとっては思い出の本ですが,もう絶対に使うことがない本だったので,この際処理を考えたのですが,これはダメでした。だから取っておこうと思います。

内容は,スタンダードオイルの社史とMoney Trust Investigationというアメリカ議会の公聴会の記録(日本でのリプリント版)です。もし,欲しいという方があれば贈呈します。ただし,スタンダードオイルの社史は書き込み有りです。

残りの和書は,引き取ってくれました。これはなんと15,000円の値段がつきました。専門店に持ち込んだのですが,目利きの古本屋さんはそれなりに評価してくれたということです。

ただ,残念なことに,これらの本の半分は文芸書でした。のこりの半分は,経済学史の個人著作集で,これだけが経済学関係です。どちらを評価してくれたのかわかりませんが,社会科学の本の価値を考えさせる日々でした。

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