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質問に答えて 投稿者:新井 明 投稿日:2009/08/23(Sun) 16:28 No.261

大阪の「経済教室」で,インフレやデフレを教える教材はありませんかという質問をいただき,メールで返送しますとお約束したのですが,アドレスを聞きそびれてしましました。

そこで,ここで回答いたします。

私がやった簡単な実験は,オークション実験です。詳細は,金融広報中央委員会が出している『金融教育ガイドブック』のなかに,「もしもお金がなかったら」という事例で,掲載されています。参照して見てください。

http://www.shiruporuto.jp/teach/school/guide/pdf/J_p208.pdfです。



授業に役立つ本 38回 投稿者:新井 明 投稿日:2009/08/23(Sun) 16:15 No.260

もう8月も終盤。北海道などでは新学期がはじまっているとのこと。随分、このコーナーもご無沙汰してしまいました。

今夏は、現役最後の年ということもあり、いろいろやりすぎた感ありで、東奔西走の夏になってしまいました。それでも、名古屋、札幌、大阪、東京、水戸と各地の先生方と知り合いになったり、名物を堪能したりするチャンスを得ました。ただ、奥さんは、予定していた海外への旅が出来ず、少々不満のようです。

さて、役立つ本、ばたばたしているうちに何冊かたまってしまいましたが、今回は、ブライアン・カプランの『選挙の経済学』日経BP出版センターを紹介します。この本も、本屋さんでの衝動買いの本です。

丁度、選挙の季節ということもあるのですが、序章に「民主主義のパラドックス」というタイトルがあるのが目に留まり、読んでみることにしました。というのは、政治の授業をやる時に、必ず民主主義のパラドックスを紹介していたからです。経済学の立場から、どんなことを書いてあるかなということに興味を惹かれました。

著者のブライアン・カプランという人は、巻末の訳者あとがきによると、1971年生まれで、ヴァージニア州のジョージメイソン大学の準教授ということですから、まだ38歳の心身気鋭の研究者ということになります。ジョージメイソン大学というのは、公共選択論で有名な大学だとのことで、内容的には、公共選択論をベースとした、実証的研究をもとにした啓蒙書ということになります。

内容は、序章と終章があり、本文は8章に分かれています。

まず、序章は民主主義のパラドックスと銘うたれています。著者は、民主主義は、投票者が望むことを反映するという理由で失敗するというテーゼを掲げます。そして、民主主義の根幹である、多数決ルールを越えるものは、市場であるというのです。しかし、その市場も失敗するゆえに、民主主義は失敗するというわけですから、そこから議論がはじまるわけです。

第一章は、「集計の奇跡を越えて」というタイトルをもっています。ここが一番面白いところだ思います。
著者に言わせると、選挙民は、四つのバイアスを持っているから、正しく間違えるといいます。その四つのバイアスとは、@反市場バイアス、A反外国バイアス、B雇用創出バイアス、C悲観的バイアスです。

反市場バイアスとは、市場メカニズムがもたらす経済的便益を過小評価すること、つまり競争は良くない、搾取するというバイアスです。最近よく聞く「行過ぎた市場原理主義」という言葉がそれにあたります。

反外国バイアスとは、比較優位の理論がわかってもどうしても排外主義が抜けられないことで、つまり、外国人は嫌いだ、外国製品はいやだというバイアスです。外国人労働者問題や食料問題では必ず顔を出す感情です。

雇用創出バイアスとは、労働を節約することの経済的便益を過小評価することで、つまり、経済成長や技術革新は仕事を奪うという信念がそれにあたります。最近では、最低賃金制や派遣批判の底流にはこれがありそうです。

最後の、悲観的バイアスとは、あらゆる経済現象の厳しさを過大評価し、将来に悲観的になることで、このあたりは心当たりがある人が多いでしょう。要するに、昔は良かった症候群であり、かくいう私も、夏前に実施した前期の期末考査では、「近代日本の40年周期説からみると、これからの日本は滅亡するか否か」を生徒に問うています。

(ちなみに、40年周期説とは、1945年を基準として、その40年前は日露戦争の勝利、さらにその40年前は幕末。1945年の40年後はプラザ合意、さらにその40年後の2025年は少子高齢化のピークとなります。40年たつと世代が交代し、一国の興亡が発生しているように見えますね。それを踏まえるとどんな将来が予測されるかという問題です。


第三章では、これらのバイアスを調査した実証的な結果が報告されます。米国民と経済学者の経済意識調査(SAEE調査)が1996年に実施されたそうで、その結果です。

この調査では、経済学者と一般の人、さらに啓発された一般人の三つのカテゴリーに分類された集団におけるバイアスが測定さました。結果は、一般人は、税金、財政赤字、海外援助などの項目に関して、経済学者とは異なる結果となりました。また、経済学を学んだ経験がある啓発された一般人は、経済学者と同じ傾向を示し、投票者に高い教育をほどこすことの重要性が示唆されるというものでした。

第四章から第七章は、公共選択の専門家としての議論がされ、正直、ここは私にはよく理解できませんでした。要は、経済学者は、一般人の持つバイアス、非合理性にもっと着目して研究、教育を進めよということが言わんとすることのようです。

最後の、第八章は、「市場原理主義vs.デモクラシー原理主義」のタイトルで、私的選択を重視するようなシステムつくりが提言されています。具体的には、一人一票をやめて、経済的リテラシーの高い人には加重投票権を与えよなどという、ちょっとどうかなという提言までされています。

終章では、「愚かさ研究のすすめ」として、民主主義は、系統的バイアスという外部性に汚染されているのだから失敗するのであり、それを踏まえた進路変更を模索すべきという結論が述べられています。

この本、専門書としては軽く、啓蒙書としては重い、ちょっと中途半端な本だと思いました。公共選択論内部での批判や反批判もあるらしいのですが、それは現場の我々から言えばコップの中の嵐です。

そんな欠陥?を持っている本ですが、私はとても面白かった、授業に役立ちそうだと思っています。それは、一つは、私たちの持っているバイアスをしっかり指摘しているところです。経済を教えていても、先ほど紹介したようにバイアスから逃れられないことを自覚しておくことは大事だと思うからです。

次に役立ちそうだと思うのは、第三章で紹介されている、調査です。わがネットワークでも、専門家と一般人の違いのアンケートをおこなっていますが、ここでの37の質問事項は、アメリカのものですが、私たちにも、どう考えるかを迫るいい質問が多く問われています。授業での導入などにも使えるかもしれません。

三番目に役立ちそうだと思うのは、教員としての著者カプラン氏が書いている、いくつかの警句です。いくつかあげておきましょう。

「学生たちに比較優位の概念を学ばせるのは、きわめて時間のかかる忍耐のいる仕事である。最終試験の後でも、悲しいくらい、多くに人が常に理解できていない。」訳本p25

「もしあなたが、ある学生グループの講義を一学期の間丸々受け持つなら、学生たちは大事な点以外はすべて忘れ去ってしまうだろう。もしあなたが学生たちに幾つかの基本原則を叩き込むことに失敗するなら、…、彼らは全く何も習得しない可能性がある」訳本p381

「経済学者が考えることと、非経済学者が考えることの違いをはっきりさせるべきである。深い政策インプリケーションを含んだ結論、例えば、比較優位、価格統制の効果、労働節約の長期的利益といった結論をいくつか選択し、それを語りつくすべきである。」訳本p382

「学生にとっては、利己心からなるメカニズムが完全なものから程遠いということよりも、それが社会に利益をもたらす行為を促進することが多い点を理解することの方が、よっぽど重要である。」訳本p348

いかがでしょうか。一部を抜書きしただけですが、示唆されるものは多いのではと思います。

さて、選挙の話に戻りますが、現在進行中の総選挙、まさに、カプラン氏の指摘する方向「投票者は正しく愚策を選ぶ」に進んでいると思いませんか。これも、悲観的バイアスなのかな?



間違いだらけの教科書・資料集 投稿者:北海道江別高等学校 菅原晃 投稿日:2009/08/01(Sat) 17:00 No.257

<教育基本法は、真理を求める態度を養う>
第二条
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

<教育基本法と教科書出版社>

 教科書は、学問的に正しい事を載せてはいません。
アダム・スミスの「自由放任」「見えざる手」について、問い合わせたときの、各社の回答です。

(1)価格の自動調整機能を『見えざる手』と言った
上記のように表現している出版社に質問したところ、次のような回答をいただきました。
 
 経済学者・大河内一男氏は『世界の名著31 アダム・スミス』(中央公論社、1968年刊)のなかで「見えざる手」について次のように解説しています。
「だが、スミス経済学が現代の経済学に再考をうながしているのは、なんといってもその『見えざる手』の思想ではないだろうか。『公益』は、もちろん社会の大いなる善にほかならないが、この善が個人の自由と完全に両立する機構の存在することを、スミスは洞察していたということができる。その機構というのは経済的には市場機構または価格機構のことである。(前掲書p51)
 
 ご指摘の小社・○○○では、現代経済学における一つの有力な解釈と思われる考え方にもとづき(たとえば前掲の大河内氏の解釈)記述しており、「○○○○た」という該当箇所は「表現した」という表現におきかえることもできると考えております。
 
 
 大河内一男(1905-1984)は、東大総長を勤めた人物で、「国富論」を訳したこともある人です。同社の説明は、簡単に言えば、 「だって、先生がいったんだもん」という、小学生と同じです。
 このように、教科書・資料集出版社には、「真理を追究」する姿勢はありません。「原典」を読まず、「孫引き」しておしまいです。これを、端的に示した社があります。

(2)アダム・スミスは「自由放任政策」を説いた。

 質問は、下記のとおりです。

 アダム=スミスについて、「自由放任政策」と書かれていますが、どのような根拠によるものなのか、教えてください。
「研究者の本に書いてある」ではなく、『道徳感情論』『国富論』にもとづいて、解説してください。 

 回答は、次の通りです。

 小社では,これまでの長年に渡る研究成果を尊重し,それによって明らかになった「通説」をベースに編集しております。
 アダム=スミスの政策が自由放任主義であるとの結論は研究者によって一般的に広く承認されております。
 たとえ,スミスが自由放任主義という言葉を使っていなくても,スミスの政策を一言でわかりやすく生徒さんに説明できる言葉を用いることについては何の問題もないと考えております。
 教科書p○○で掲載している○○は,政府の役割の変遷を整理したもので,
 スミスについて生徒さんに押さえておいていただきたいポイントをまとめさせていただいたものでございます。
 『道徳感情論』『国富論』にもとづいて解説してくださいとのことでしたが,
小社としては,学問的真理に関するところまでお答えする立場にはありません。
 この件につきましては,これ以上の回答を申し上げることができません。ご理解賜れば幸いに存じます。
○○編集部 ○○

 教科書・資料集は、科学(〜である)ではなく、哲学・価値論(〜だと思う、〜べき論)を述べているのですね。
『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』http://abc60w.blog16.fc2.com/



間違いだらけの教科書・資料集 投稿者:北海道江別高等学校 菅原晃 投稿日:2009/07/13(Mon) 00:12 No.255

アダム・スミス「自由放任・見えざる手」

教科書、資料集は、アダム・スミスについて、次のように記述しています。

第一学習社『高等学校 改訂版 現代社会』平成20年 p76
アダム=スミス
・ 自由放任政策
・ 小さな政府
・ 国家からの自由

 清水書院『現代政治・経済』H21年 p94
 イギリスのアダム=スミスは、『諸国民の富』において、資本主義経済の自由な競争が「見えざる手」のはたらきにより社会全体の調和をもたらす、と述べた。このばあいの「見えざる手」とは市場機構のことである。個人が自由に自らの利益の拡大を追求することにより、社会全体の利益が増すので、国家は個人の経済活動に介入すべきではない。その際、国家の役割は国防・治安維持など必要最小限の活動にとどめ、「経済に対してはいわゆる自由放任でのぞむべき」である、と考えられた。

清水書院『新 政治・経済』H22度用見本 p85
 …アダムスミス…は、著書『諸国民の富(国富論)』のなかで、労働が価値を生むという説にもとづき、個人が利己心を自由に発揮して活動すれば「見えざる手」によって社会の調和が確保され、全体の利益も増大すると述べた。さらに、従来の重商主義的な保護政策に反対し、自由放任の政策を唱えるとともに…

とうほう『政治・経済資料2009』2009年度審査用見本 p178
 「個人の利己的な利益の追求こそが、“神の見えざる手”に導かれ、国家の富を推進する」と主張、重商主義的統制を批判し自由放任を説いた。

清水書院『新 現代社会』H20 p111
 イギリスの経済学者アダム=スミスである。彼は価格機構によって経済は調整されると考え、経済活動には政府はかかわらない自由放任政策をよしとした。政府は警察や軍事のような最小限の仕事だけすればよく、その規模も小さいほどよいとされた(夜警国家論)。

浜島書店『最新図説現社』07.10.10 p250
人々の自由な経済活動に任せておけば神の『見えざる手(市場の働きのことをこう読んだ)』の導きによって、市場はおのずと均衡が保たれてゆくとし、自由放任(レッセ・フェール)政策を主張した。
p137
 …価格の動きによって需要量と供給量が調整された。これを価格の自動調整機能といい、アダム=スミスはこの機構(市場機構、価格機構、プライス=メカニズム)を著書『諸国民の富(国富論)』の中で神の「見えざる手」とよんだ。

山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p89
アダム=スミスは…政府が経済に干渉しない自由放任主義を唱えた。
p99
市場価格が需要と供給を調整する働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」にたとえた。

東京書籍『最新ダイナミックワイド現代社会』2008.2.1 p109
 このような価格メカニズムを『価格の自動調節機能』(プライスメカニズム)とよび、これをアダム・スミスはその著書である『諸国民の富(国富論)』で神の『見えざる手』と名づけた。


山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p64
 また、価格は、供給量と需要量を調整し、資源の最適配分をおこなうように作用する。この働きを価格の自動調節機能といい、アダム=スミスはこれを神の「見えざる手」とよんだ。


実教出版「高校政治・経済」H21.1.25 p105
 …需要と供給の不均衡を解消する価格(市場)の自動調節機能がある。アダム=スミスはこの機能を神の「見えざる手」と呼んだ。

教育出版「政治経済 明日を見つめて」H20.1.20
 このように価格が自動的に調節して需要と供給を均衡させようとする働きを市場の自動調節機能(価格メカニズム@)とよぶ。注@アダム=スミスはこの価格のはたらきを「見えざる手」と形容した。

帝国書院「高校生の新現代社会」H20.1.20 p65
 このように消費者の需要量と生産者の供給量が、価格の働きをなかだちにして自動的に調整されることを価格の自動調整機能Aといいます。注Aアダム=スミスは…このはたらきを「見えざる手」に導かれた調整とよびました。

アダム・スミスは、「価格の自動調整機能」を『見えざる手』といい、『自由放任政策』を主張したようです。

高島善哉『アダム・スミス』岩波新書1991 p3

スミスの著作を丹念に読んでみていただきたい。『道徳感情論』はいうまでもなく、『国富論』でさえも、どのページを開いてみてもただの一度も自由放任という文句にお目にかかることはない。…スミスの自由思想を自由放任という合言葉で語るようになったのは…後の亜流や解説者たちだったからである。本家本元のスミス自身はそんな軽薄な言葉や思想とはなんの係わり合いもないのであった。…日本にいまなお残っている一致半解のスミス像は、この辺でもうきっぱりと清算してしかるべきではないだろうか。
P6
私はためしに現在広く使われている世界史と倫理・社会の教科書を一つ二つ調べてみた。案じたとおり、スミスは自由放任主義の大御所となっている。遺憾というよりあきれるほかはない。
 
上記の初版は、1968年(昭和43年)です。40年たっても、高校教科書では、「自由放任」「自由放任」と、相変わらず,高島先生による「亜流」の言説を載せ続けているようです。

高島先生と、教科書と、どちらが正しいのでしょうか。検証してゆきましょう。『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』
http://abc60w.blog16.fc2.com/です。




Re: 間違いだらけの教科書・資料集 北海道江別高等学校 菅原晃 - 2009/07/16(Thu) 20:16 No.256

アダム=スミスは自由放任主義者か

 スミスは、自由貿易や、自由取引を制限する場合について、以下のように述べています。
アダム・スミス『国富論』山岡洋一訳 日本経済新聞出版社 2007

1通貨の発行制限 上巻p329-330
 (筆者注:取引は、@事業者間A事業者と消費者の間の2つがある。前者は多額取引、後者は少額取引)…紙幣は規制によって、ほぼ事業者間の取引だけに使われることにすることもでき…おそらく、イギリス国内のどの地域でも、5ポンド以下の銀行券の発行を禁止する方がいい。

2金利制限 上巻p366
…イギリスのように、政府が3パーセントで借り入れ、確実な担保のある民間人が4パーセントから4.5パーセントで借り入れている国では、現在の法定金利である(筆者注:上限金利)5パーセントはおそらくきわめて適切であろう。

3貿易の制限 下巻p48 
 大規模な製造業の事業主は、国内市場が突然開放されて外国人との競争にさらされ、廃業せざるをえなくなれば、もちろん大きな打撃を受ける。…事業主の利害に適正に配慮すれば、この種の変更(筆者注:国内市場の開放)は急激に実施するべきではなく、きわめて長期の予告期間をおいたうえで、ゆっくりと段階的に実施するべきである。

4輸出制限 下巻p122 
  …大国であれば輸出の自由を無制限に認めても危険はそれほど大きくない。…予想される穀物輸出量が国内市場への供給に大きな影響を与えるほどになる可能性は低い…。スイスの州やイタリアの小国の一部ではおそらく、ときには穀物輸出を制限する必要があるだろう。

5貿易の独占 下巻p343 
  …はるか遠方にある未開の国との貿易を切り開こうとした場合、株式会社の設立を認め、成功した場合にある年数にわたって貿易の独占権を与えるのは、不当だとはいえない。危険で経費のかかる試みによって、後に社会全体が利益を得られるのであれば、国がその試みに報いる方法として、一定期間の独占権を与えるのがもっとも簡単で自然だからだ。

6教育の重要性・国による(資格の)義務付け 下巻p371 
 国による奨励では、基礎教育について、庶民の子供たちのうち、成績優秀者に少額の賞金を与え、表彰して、学習を促す方法がある。
 国による義務付けでは、国民のほぼ全員に基礎教育を受けるように義務付けるために、これらの分野の試験に合格した後でなければ、同業組合の組合員になることも、農村や都市で営業許可を得ることもできないと規定する方法がある。

6課税 下巻p432
  …生活費に占める家賃の比率は、各人の豊かさによって違ってくる。…貧乏人にとっては生活必需品の負担が重い。…家賃に対する税金の負担は一般に金持ちほど重くなるが、このような不公平は…とくに不合理だとはいえない。金持ちが収入に比例するだけでなく、それ以上の比率で財政に貢献するのは、とくに不合理ではない。

7ぜいたく品課税 下巻p464 
  (筆者注:イギリス・オランダの紅茶と砂糖、スペインのチョコレート、イギリスの蒸留酒・黒ビールなど、贅沢品に対する課税について)…貧乏人のうち、堅実で勤勉な人にとって、贅沢品に対する税金は一種の贅沢禁止法になり…税金のために倹約を強いられた結果、おそらく子供を育てにくくなるどころか、逆に育てやすくなることも少なくないだろう。

8補助金下巻p467
…製造業の一部、たとえばガラスや、鉄などの金属の産業では石炭が必要不可欠だ。奨励金を支給するのが適切だといえる場合があるとすれば、おそらく石炭が不足している地方への輸送に対するものであろう。

<教科書・資料集の主張>
第一学習社『高等学校 改訂版 現代社会』平成20年 p76アダム=スミス
・自由放任政策
・小さな政府
・国家からの自由

清水書院『新 政治・経済』H22度用見本 p85
…アダムスミス…は、著書『諸国民の富(国富論)』のなかで、労働が価値を生むという説にもとづき、個人が利己心を自由に発揮して活動すれば「見えざる手」によって社会の調和が確保され、全体の利益も増大すると述べた。さらに、従来の重商主義的な保護政策に反対し、自由放任の政策を唱えるとともに…

とうほう『政治・経済資料2009』2009年度審査用見本 p178 「個人の利己的な利益の追求こそが、“神の見えざる手”に導かれ、国家の富を推進する」と主張、重商主義的統制を批判し自由放任を説いた。

清水書院『新 現代社会』H20 p111
 イギリスの経済学者アダム=スミスである。彼は価格機構によって経済は調整されると考え、経済活動には政府はかかわらない自由放任政策をよしとした。政府は警察や軍事のような最小限の仕事だけすればよく、その規模も小さいほどよいとされた(夜警国家論)。

山川出版社『新版 現代社会』22.23年度用見本 p89
アダム=スミスは…政府が経済に干渉しない自由放任主義を唱えた。


「アダム・スミスは,自由放任主義(レッセ=フェール)を説いた」の根拠は、どこにあるのでしょうか。



間違いだらけの教科書・資料集 投稿者:北海道江別高等学校 菅原晃 投稿日:2009/07/06(Mon) 18:14 No.254

教科書の間違い 清水書院『現代政治・経済』H21年 p154

…資本収支については、経常収支の黒字を背景に、アメリカや発展途上国などの経常収支の赤字国への投資や援助など、多額の資本を供給したため、赤字となることが多かった。

 2点,間違いです。「経常収支の黒字を背景に・・・」と、「赤字となることが多かった」です。
 
 正解は、「経常収支の黒字を背景に・・・(資本収支)赤字」は「資本収支が赤字だから、経常収支が黒字」です。
 「赤字となることが多かった」は、「経常収支が黒字なら、資本収支(外貨準備増減・誤差脱漏含む)は絶対に赤字となる」です。
 
 この、「黒字を海外に積極的に投資する形で、資本収支は大幅な赤字」には、根拠がありません。よく、「アメリカ(経常収支赤字国)が資本輸入をするのは、その経常収支赤字を埋め合わせるために、資金を借りなくてはいけないからだ」といわれますが、これも成り立ちません。正解は全く逆で、「資本収支が赤字だから、経常収支が黒字になる」のです。

下記のブログで、なぜこうなるのか、取り上げています(7月5日)。ぜひご参照ください。

『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』
http://abc60w.blog16.fc2.com/です。



授業で役立つ本37回 投稿者:新井 明 投稿日:2009/07/06(Mon) 06:16 No.253

7月になりました。私の勤務校は二期制ですが、前期の期末考査を夏休み直前に行うという変則なスタイルなので、現在はテスト前の追い込み授業です。

さて、今日紹介するのは、辻村英之『おいしいコーヒーの経済学』太田出版、という本です。私は、コーヒーをそれほど好きではありませんが、それでも結婚以来30年近く、毎朝のコーヒー入れは私の仕事になっています。最近、20年来豆を買い続けてきたコーヒー屋さんが廃業し、現在はいろいろな店のいろいろな豆を試しているところです。

この本、先日ネットワークの東京部会の前に、神田の東京堂書店(この本屋さんは、お客は少ないのですが、企画モノがあったり、充実した品揃えがあったりで、ゆっくり本が選べる知る人ぞ知る名店です)を覗いたらあったので買ってみた本で、衝動買いの本ですが、なかなか面白かったことと、貿易の授業をするときに役立つのではということで紹介しようと思いました。

加えて、ぱらぱら立ち読みをしていたら、アマルティアセンの話がでてきて、丁度、社会福祉の授業の中でロールズとセンの正義論を紹介したこともあり、購入して読みました。

著者の辻村さんは、京都大学の准教授、農業経済学が専攻です。フィールドは、タンザニアでそこで産出されるキリマンジャロを巡る生産者やコーヒー価格の問題を長年現地調査してきた方です。

この本、全体は8章からなっています。第1章は、「コーヒーのおいしさ」で、キリマンジャロを中心に、コーヒーのおいしさその区分などへーそうなのかと思う情報の紹介からはじまります。
第2章は、「キリマンジャロの生産者たち」ということで、辻村さんが長年フィールドワークをしてきたタンザニアの村の生産者たちの姿が紹介されます。
第3章は、「コーヒーのグローバルシステム」で、コーヒー価格の形成とコーヒーが世界に届くまでの流れが紹介されます。
第4章は、「コーヒー価格形成の不公正さ」で、コーヒーを巡る南北問題が紹介され、価格形成がニューヨークでの先物市場で基準価格が決められてしまうこと、多国籍企業の介在による価格支配、生産者価格と消費者価格の乖離などの問題が提起されます。
第5章は、「ポスト構造調整とフェアトレード」で、共同組合による生産者の内部努力とそれを支えるフェアトレードが紹介されます。ここで、センの正義論とフェアトレードの関係が論じられます。
第6章は、「キリマンジャロの農家経済経営」で、フェアトレードの取り組みと著者がフィールドにするルニカ村の変化が具体的に紹介されます。また、センの議論が再論されます。
第7章は、「日本のコーヒー産業とフェアトレード」で、日本のコーヒー市場の特質と日本におけるフェアトレードの取り組みが紹介されています。イギリスでは焙煎粉コーヒーの20%がフェアトレード商品であり、アメリカでも全コーヒーに占める割合が3.3%であるのに対して、日本では、レギュラーコーヒーのなかのフェアトレード比率は0.06%という事実が紹介されています。
第8章は、「コーヒー危機を越えて」で、最近のコーヒー事情が紹介され、ルニカ村フェアトレードプロジェクトの成果が紹介され、今後の展望が書かれています。

コーヒー価格に関しては、銀座のコーヒーはなぜ高いなど、ミクロ経済学のテキストには価格決定の事例としてよく掲載されています。しかし、そういう議論では、理論の背景にだれがどのような思いで生産して、それが私たちのところまでどのようルートでたどり着くかの情報は捨象されています。理論ではそのような操作は当然だし、経済は分業、すべての製品のルートまで詳細には知ることができないのが当然ですが、自国で生産できないものが安価で消費できる背景は、しっかり理解しておいたほうがよいと思います。

この本は、著者自身が書いていますが、制度派経済学の立場から書かれています。その点も自覚した上で読むとよいと思います。

高校では、「現代社会」の国際経済の箇所や国際理解の箇所で、具体的な事例として、バナナやチョコレートが取り上げられてきました。コーヒーを取り上げた開発教育の授業例もあります。貿易ゲームなどもかなり普及しています。その意味では、コーヒーは身近で比較的教材として取り入れやすい素材だろうとも思います。(ただし、バナナやチョコレートは教室に持ち込めますが、コーヒーはちょっと難しいですね)。

だからこそ、授業で取り上げる時には、しっかりした現地調査を踏まえた種本を用意しておく必要があります。この辻村さんのほんはそういった種本の一つになるだろうと思います。

ただし、チョコレートでもそうだったのですが、告発型の本はそれだけを見て全てを判断すると、判断を誤ることがありますから、できればこれ一冊だけでなく、多様な視点から本を探すことも大事かもしれません。ただし、新古典派から書かれたコーヒー論を探すのはなかなか難しそうです。

なお、『おいしいコーヒーの真実』というドキュメンタリー映画が作成されて、DVD化されています。あわせて見てみるとよいと思います。これも、エチオピアでフェアトレードを立ち上げている人物を主人公とした告発型南北問題の取り上げ方をしていますので、映像は真実だとしても、すべてを真実とするには多少の留保が必要かもしれません。

私は、東京堂のような本屋さんと、落ち着いた喫茶店があれば、その街は良い街だと思っています。地方の旧制高校があった街はそんな雰囲気がまだ残っているところがあります。でも、東京だけでなく地方でも、本屋さんは寡占化が進み、また、街の喫茶店もチェーン店に押され、どんどん姿を消しています。そんな消費の場での変化が、遠い生産者にどんな変化を与えているか、地球の裏側にまで関心が広がるような授業をやりたいと思っています。



教科書の間違い 帝国書院『高校生の新現代社会』 H22... 投稿者:菅原晃 北海道江別高校教諭 北海道高等学校政治経済研究会 投稿日:2009/07/02(Thu) 09:47 No.252

教科書の間違い 帝国書院『高校生の新現代社会』H22年度用見本 p72-p74
 賃金の安い中国、東南アジアの追い上げによって国内外の企業を巻き込んだ激しい競争が起こり、それに打ち勝つために生産拠点を海外に移転する動きが加速し、国内では産業の空洞化を招きました。
P148−149
…中国は世界最大の外国投資受入国となっているのです。日本からも食品、繊維などの軽工業をはじめ、自動車、電機、鉄鋼などの各種企業が進出し、日本国内の産業の空洞化はいっそう懸念されるようになっています。…日本は産業の空洞化を乗り越えるためにも、成長著しい中国をよきライバルとし、良好な関係を形成しながら、ともに高めあっていけるやり方を考えていく必要があります。

産業の空洞化はあったのか。答え「なかった」。
@国内生産・GDP(国内総生産)は減少ではなく、一貫して上昇しています。(除く1974年石油危機、1998年山一證券・拓銀倒産・消費税UPの翌年)

A雇用ですが、雇用は、比較劣位産業から、比較優位産業に移転し、全体として雇用者数は、極端には変化しないのです。

B「生産拠点を海外に移転する動きが加速」という部分です。これは、対外投資額の増加を示しています。海外での合弁会社の設立やM&Aのことです。「対外直接投資は、01年を底に増加に転じ、03年と04年は多少減額しましたが、05年は急増(岩田規久男『景気ってなんだろう』ちくまプリマー新書 2008 p98)しているのです。
 対外直接投資は増えているということは、「生産拠点を海外に移転する動きが加速」することですが、それにより「国内生産・雇用・GDP(国内総生産)が減少する」のではなく、逆に「増えて」います。

下記のブログで、なぜこうなるのか、取り上げています。ぜひご参照ください。

『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』
http://abc60w.blog16.fc2.com/です。



教科書は間違いだらけ 投稿者:菅原晃 北海道江別高等学校教諭 投稿日:2009/06/29(Mon) 20:23 No.251

教科書の間違い 山川出版社 『詳説政治・経済』 2009.3.1 p148−149
 
近年の国際収支は、発展する中国やアジアNIES向けのハイテク部品の輸出の増加による貿易収支の黒字に加えて、投資の収益による所得収支も黒字で、経常収支は大幅な黒字となっている。
 一方、資本収支は、日本の企業が、多国籍企業として海外に直接投資をして生産・販売の拠点をつくったり、証券投資などの間接投資をする金額も多く、赤字が基調となっている。 


この、国際収支表の説明ですが、高校の教科書・資料集で、東学「資料政経2009」以外、適切に書かれているものは、ありません。 

 国際収支表は、(1)経常収支額=カネの取引額なので、(1)経常収支額=(2)資本収支額(外貨準備増減・誤差脱漏含む)に必ずなります。ですから、経常収支黒字ならば、「赤字が基調」ではなく、「絶対に赤字」になります。

「貿易黒字(経常黒字)はもうけ」ではないのです。

この説明は、ブログ 「高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政経 現社 政治経済 現代社会」
http://abc60w.blog16.fc2.com/
にアップしてあります。



授業で役立つ本 36回 投稿者:新井 明 投稿日:2009/06/28(Sun) 09:34 No.250

あっという間に私の一番嫌いな梅雨季節になり、憂鬱な毎日です。この間何をやっていたのだろうと反省しきりの今日この頃ですが、このコーナーに読んだ本を紹介しないとなんとなく宿題を果たせない気持ちもあります。私の勝手な思い込みなのですが、可能な限り、続けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

さて、今回紹介する本は二冊、私が共感を持って読んだ新書です。一冊は、松原隆一郎『経済学の名著30』ちくま新書です。もう一冊は、猪木武徳『戦後世界経済史』中公新書です。

まず、松原著『経済学の名著30』です。この種の名著紹介本は、新書でも何冊かありますが、分担執筆されているケースが多く、この本のように、一人の著者によって一貫した視点で紹介されているものは少ないのが現実です。その意味では、とても面白い本です。

一貫した視点とは、松原さん曰く、「それぞれの著者の意図を出来る限り再現し、歴史的な経緯を踏まえて紹介すること」です。このことは、簡単そうですが本当にそれを実現するのは大変難しいことです。

経済学には、自説によってすべてを独占しようとする志向が強くあり、マルクス派はマルクスの視点で古典を整理し、新古典派は同じく自説に基づき他説を排除すると松原さんはいいます。古典を読む醍醐味は、自派とは全く異なる発想を知ることだとも言います。そういう謙虚さが必要だといいます。

そんな姿勢で取り上げられた著者は、歴史的に大きく三つに分けられています。第一は、ロック、ヒューム、スミス、スチュアート、リカード、リスト、ミルまでの7人です。第二グループは、マルクス、ワルラス、ヴェヴレン、ゾンバルト、シュンペーター、マーシャル、ナイト、メンガー、ロビンズまでの9人です。第三グループは、バーリ=ミーンズ、ケインズ、ポラニー、サムエルソン、ハイエク、ガルブレイス、フリードマン、ドラッカー、ボードリヤール、ロールズ、センの11(12)人です。合計27人、一人二冊取り上げられた著者がスミス、ケインズ、ハイエクの三人ですから合計30冊ということになります。

経済思想を専攻するだけあって、経済学史の本ではあまり登場しないゾンバルト、バーリ=ミーンズ、ボードリヤールなどが取り上げられています。このあたりが著者の真骨頂かもしれません。

27人の30冊を、この本では、最初に著作からの引用、次に簡単な要約、さらに松原さんのコメントという三段構成でコンパクトに展開されてゆきます。だから、『資本論』のような大著も、ケインズの「若き日の信条」のようなパンフレットも同一の扱いを受けています。新書の新書たる所以です。

一人ひとりをここで紹介するのは意味のないことですので、私(新井)が面白いなとおもった松原さんの経済学者へのコメントをいくつか紹介しておきます。

例えば、マルクスの『資本論』。日本の最近の現実「これこそが『資本論』の世界と言うべきであろう。日本では、『資本論』が不要の現実下で『資本論』が読まれ、必要となった頃には専門家が退場したのである。この間の悪さは、どうしたことだろう。」

サムエルソンの『経済分析の基礎』。「サムエルソン以降の教科書には、本書で取り上げたような経済思想家の多くは取り上げられなくなってゆく。そうした忘却の作業において、イデオロギーとして機能したのがロビンズの形式性・価値中立的定義であり、実務担当をこなしたのがサムエルソンの教科書だった。」

この種の解釈、警句がちりばめられているのが本書の魅力でしょう。ただし、本書を読んだだけでは経済学が理解できるわけではないことを付け加えておきましょう。あくまでも松原さんの解釈による古典へのイントロダクションであり、その先は、興味関心、また必要に応じて、私たちがきちんと古典を読んでみることだろうと思います。

ちなみに、私(新井)は、最後に取り上げられているロールズとセン(ロールズは「現代社会」の教科書に取り上げられていますし、両者を取り上げた資料集もあります)を労働と福祉部分の講義の後で紹介して、現代の格差問題を考えさせるという授業を最近やってみました。さすがにロールズの大著を読みとおすとは出来ませんでしたが、センは『不平等の再検討』を読み直して確認しながらプリントを作りました。そのときに、松原さんの手引きが参考になりました。

次に紹介するのは、猪木武徳さんの『戦後世界経済史』です。

この本、新書では大部で400ページ余あります。索引と文献表がついた立派な本です。松原さんの本が、一人の著者による経済学へのイントロダクションであったのと同様に、一人の著者が戦後世界をデータと経済学の論理を使いながら概観した著です。

猪木さん自身が、無謀な試みかもしれないといっていますが、木を見るにもまず森全体を見ることが必要なように、世界を見る手がかりとして通史が必要だろうと思います。

この書の特徴は、戦後世界の経済の歴史を、著者が重要だと思う現象から大筋のながれを語ったこと以外に、著者によれば、通常の経済論議で陥りやすい誤りや、概念と定義に関する通説の怪しさに触れていることと、日本人の生活や意識と出来事や現象を関連させて言及しているところになります。さらに、経済におけるエートスの重要性を強調しているところも特徴に加えることができるでしょう。通読するとその特徴が良く生かされている記述があらゆるところに散見されます。

例えば、最後に取り上げられている環境問題に関する箇所では、「資源問題でも環境問題でも、議論の多くは、限られたデータに基づく予測であり、将来の危険に対する警告である。荒野に叫ぶ声である。…こうした警告は強くなりすぎると一種終末論的な色彩を帯び始める。…可能性と蓋然性の違いを、データと論理のバランスを考慮しながら判別してゆくのが重要」という記述があります。これなどは著者の冷静でかつ幅広い視野がよく生かされている記述だろうと思います。

また、総論である第二章の「不足と過剰の60年」という箇所では、具体的にこの60年の変化が描かれています。井伏鱒二の『黒い雨』などが引用され、具体的であり、とてもよく分かります。ちなみに、著者は『文藝にあらわれた日本の近代』という本で、小説を素材に日本経済史を概観しています。これも良い本だと思います。

さて、本書は、全体が6章に分かれています。簡単に紹介すると、
第一章があらまし。5つの視点と不足と過剰の60年という概観が書かれています。5つの視点とは、@市場と公共の関係、Aグローバリゼーションの進展、B平等や公正がどうなってきたか、C世界的な統治機構がどう機能してきたか、D市場を支えるエートスの動向です。
第二章は復興と冷戦。戦後のヨーロッパが主に扱われます。
第三章は混合経済の成長過程。日本とアメリカの戦後の成長と、ヨーロッパの復興から成長が扱われます。
第四章は発展と停滞。東アジアの発展と、社会主義の苦闘、ラテン諸国やアフリカが扱われます。
第五章は転換。石油危機、スタグフレーション、東アジアの奇跡、新自由主義とワシントンコンセサンスが扱われます。
第六章は破綻。国際金融市場の破綻、社会主義経済の破綻、経済統合とグローバリズム、バブルの崩壊までが扱われます。

結びで、自由と平等の問題、人的資本の問題、エートスの問題と三つの問題が扱われています。この三つ、経済を支える大きな価値の問題であると同時に、善く生きることができる経済をつくるための難問でもあります。単なる経済史ではなく、経済学が依って立つ重要問題をとりあげているところにもこの本の特徴があります。

本書を読んで、腰巻にあるように、経済から考える「人間の幸福とは何か」「善き生とはなにか」をあらためて考えさせられたと同時に、広く深く物事をみることで、希望も得ることができたというところが正直な感想です。「近年評判の芳しくない」経済の授業をすすめてゆく上でも励ましになる本だと感じています。

この本、最近麻生首相が、休日のブックハンティング購入した本のなかの一冊に入っていました。惜敗の麻生首相ですから、ちゃんとしっかり読んで「善き結末」を考えてくれたかな。

ここまで書いて、本日の日経新聞を読んでいたら、本の紹介の欄で、大阪大学の堂目先生が、現代版、『文明論の概略』だと位置づけていました。適切なコメントだとまたまた感心しました。



教科書・資料集は間違いだらけ 投稿者:菅原晃 北海道江別高校教諭 北海道高等学校政治経済研究会 投稿日:2009/06/07(Sun) 14:47 No.245

 新井明先生が、北海道高等学校政治経済研究会の夏の大会(8月6日)で、模擬授業をされることになるそうです。楽しみにしております。

 「○○の本」が良いとか悪いとか、経済学について詳しい先生方が研究会をするのもよいとは思いますが、間違いだらけの高校教科書・資料集で、実際に現場でどのような教育をしているか、大変気になります。

 枝葉末節にこだわるのはいいのですが、典型的に「木を見て森を見ず」という高校用教科書・資料集が出来上がります。全体を貫く、「経済学」という背骨が無いのです。「経済現象」を並べただけなので、それを教える先生も、教えられる生徒も、そのような教育を受けて大人になった出版社の編集者も、「経済の全体像」がわかっていません。
 だから、「貿易黒字はもうけ、貿易赤字は損」「国債は国の借金」「(アメリカの)双子の赤字で不況」などと、論理的に成り立たない表現が出てきます。私が指摘すると、どの出版社も、その表現を「ちょこちょこ」っと訂正するのですが、根本のところが直っていないので、いつまでたっても、論理的に成り立たない表現が、次から次へと出てくるのです。
 
 その理由のひとつとして、「大学教授が教科書・資料集を書いていない」ことがあげられます。
経済教育ネットワークHP 新井明『教育系学生はなぜ経済がきらいか―ある社会科教育法講義における「論争」からー』にこのように書かれています。

…大学教員側もはじめてきちんと高校の教科書を読んだという感想を発言していたし、日本の世論がなぜ市場経済のメリットよりもマイナスに傾くのか、その理由が教科書の記述にあることがはじめて分かったという感想も述べていた(注)。
(注)講師の一人であった大竹文雄大阪大学経済研究所長は、日本の教科書をあらためて読んでみて、市場メカニズムが資源の最適配分の構造を持つとは書いてあるが、どうしてそれが言えるのか、また、最適配分が社会的にどんな意味を持つのかをきちんと書いている教科書は一つもなく、すぐに独占や寡占の問題、さらには市場の失敗の論に行ってしまう。このような教科書で教えられたら、市場経済のメリットはほとんど理解されないで、市場の限界だけを頭に入れてしまう高校生が増えるだろうなということが良く理解できた。

 経済学を知らない人(高校の先生)が、経済現象を語っているのです。

小塩隆『高校生のための経済学入門』ちくま新書2007p14〜にも、このような記述があります。
…「政治・経済」の教科書や資料集を見せてもらった…そこに書いてある経済や経済学の説明にまったく魅力を感じません…中身が断片的…ここ数年の経済ニュースを適当に散りばめ…経済や経済学に興味を持たせるような仕組みはほとんど存在しないようです。

 その結果、次のような、経済学的に成り立たない表現が出てきます。
@「貿易はゼロ・サムゲームの様相」東京書籍『政治・経済』H22採用見本版 p178
 貿易はリカードを語るまでもなく、ウィン―ウィンの関係です。「ゼロ・サム」という言葉が出てくるはずがないのですが。我々が一つの仕事に打ち込み、自給自足をしないことこそ、貿易の本質です。

A第一学習社『最新現代社会資料集2009』p134

健太:でも、最近の貿易・サービス収支はずっと黒字ですね。日本はずいぶんもうかっているんですね。
鈴木先生:もうかっているという表現は正しくない。輸出が増えても為替レートの変動でもうからない場合もあるからね。

なぜ、貿易黒字に「もうけ」「もうけじゃない」とか、あり得ない表現を使っています。

浜島書店『最新図説 政経』2008年10月10日印刷 p224 

B「個人金融資産が海外に移され、国債の買い手がいなくなれば、国債は暴落し、資金を調達できない日本の財政は破綻する」

 財政は、破綻しません。個人資産が海外に移されることもあり得ません。

帝国書院『アクセス現代社会2009』H21年 p239

「中国は…経済成長により急激に輸出額が増え、貿易収支の黒字は日本を超えている。ここからも中国の急激な経済成長が読みとれる。」

 貿易黒字と、経済成長は、全く関係がありません。


 このように、教科書・資料集は間違いだらけです。これを一つ一つ正し、日本全国の高校現場で、「正しい経済学」が広がるようにすることこそ、研究会の目的だと思うのですが。本ネットワークのように「経済学」を知っている先生は、もう、放っておいてもよい(言いすぎですね:笑)のではないかと・・・

新井先生も、ぜひ、拙著『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』をお読みください。コメントを頂ければ幸いです、より内容を深めてゆきたいです。

下記のブログも、更新頻度は高いですので、ぜひご参照ください。

『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』http://abc60w.blog16.fc2.com/です。



Re: 教科書・資料集は間違いだらけ 新井 明 - 2009/06/23(Tue) 01:26 No.248

菅原 先生

新井@西高です。ばたばた生活していて,討論室にアクセスをこの一ヶ月ほとんどしていなかったので,先生の書き込みがあったのに気付きませんでした。メンバーなのに申し訳ありません。

8月に札幌に伺う予定です。中川先生が開発された「公共財」ゲームを紹介する予定です。ご検討いただいて,教室で活用していただければと思います。

さて,先生の著書『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』やっと入手し(アマゾンをほとんど使わないで,本屋さんに注文していたら入手に手間取りました),読了しました。

一読,比較生産費説の解説,GDPとISバランス論の箇所に感心しました。

比較生産費説に関しては,ゼロサムではないこと,貿易は交易と同じですべての参加者に利益をもたらすことなど,その通りだと思います。現在の教科書の説明が不十分であることもご指摘の通りだと思います。(先生の著書では,経済学を知らない人間が書くから間違いとされていますが,そう断定するのはやや酷かなと思いましたので,不十分としてあります。)

実際,私自身も限られたスペースでどのように説明したらよいか,悩み結局,特化の手順で説明しておくという,現在先生が批判される記述で書いたこともあります。交易条件の範囲一つとっても,単純だけれど(それゆえにかもしれません)きちんと理解してもらえるように書くのは結構苦しんだ経験もあります。

私自身は,生徒にぜひ理解して欲しい項目の一つに比較生産費説をあげて,どのようにすれば正確な理解と,それを使って現実を説明できるかに関心がありますから,この問題はまたゆっくり議論してみたいと思います。

先生の著書の中で一番関心したのは,三面等価とISバランスの箇所です。国民所得は何度教えても実はうまくゆかなかった箇所ですが,たしかにISバランスまで踏み込めばすっきりするなと改めて思いました。

貿易摩擦問題などを扱う時に,私はゲーム理論などを使って政治的解決を探らせるような展開をしてきましたが,原理的に押さえた上で,対応を考えるとするなら,ISバランスまで踏み込んだ授業も構想する必要があったなと改めて思います。

ISバランス論を高校で扱うことも考えよという主張は,柿沼元教科調査官が述べていたことがあり,全く高校の政治経済教育で触れられなかったわけではないのですが,比較生産費説,貿易収支とISバランス論をセットにした授業展開ができれば,新たな経済学習の可能性がひらけるかもしれないと思います。

ただし,その授業を受ける生徒がどこまでそれを理解できるか,生徒の発達段階や理解の程度との絡み合いもまた考慮の対象となろうかと思います。先生の実践があったら,ご紹介いただければありがたいですね。

常識的経済論を,きちんとした理論で打ち破るというのが先生の考えられている道だろうと思いますが,ご著書のコラムでも書かれていますが,「銀座のビールはなぜたかい」という問題に対して,なかなか正しい答えがでてこない現実があります。多分,生徒に刷りこまれた経済常識は,日常感覚からと先生の指摘される間違った(不十分な)理論での教授という二面からくるのだろうと思います。その意味で,このような常識的経済論を打ち破るには,先生が出されている正しい理論を教えるという正面突破作戦,プラス何がしが必要になろうかと思います。その何がしが何か,そんなものは必要ないのかも含めて,一緒に考えてゆきたいと思います。(なお,常識的経済認識と経済学的認識のギャップ問題は,信州大学の栗原先生が社会科教育学会で発表されているはずです。)

ほかにも触れたい箇所もありますが,苦言もいくつか述べておきたいと思います。

一つは,正直読みづらいということです。目次や見出しのポイント数が本文と同じでどこをどう区切ってよむのか,迷ってしまう箇所もあります。多分,ワープロ原稿をそのまま書籍のスタイルにしたのだろうと思いますが,はやはり本は,読んでもらって何ぼのものですから,体裁も重視されると良いと思います。

本文も,思いがあふれていることは分かるのですが,アンダーラインや強調文字の氾濫はちょっと神経を逆撫でされます。先生のブログも拝見しましたが,同様な傾向がありますので,私だけの感覚かもしれませんが,ちょっと考慮いただければと感じました。

また,図版など資料集や教科書からの引用がありますが,著作権などは大丈夫ですか。無用なトラブルを起こしては,せっかくの主張が通らなくなる可能性が出てしまわないかとこれも少々心配です。

これは私個人の感覚かもしれませんが,「間違い」を「間違い」とストレートに指摘することも戦略的に考慮したほうが良いように感じます。正しいことを主張して何が悪い,明確でよいじゃないかというプラス面と,「間違いだらけ」という言葉だけに着目して拒否感が募るというマイナス面も同時に発生してしまうようにも感じました。このあたりは,先生は納得しないでしょうね。

ともかくさしあたり勝手なことを書かせてもらいましたが,意欲的な本だと思っていますので,妄言多謝です。今後ともよろしくお願いいたします。



Re: 教科書・資料集は間違いだらけ 菅原 晃 北海道江別高等学校教諭 - 2009/06/25(Thu) 22:28 No.249

 新井先生、ありがとうございました。

「最初は過激に」と誇張してきましたが、ブログの表現を、全部おだやかにしてみました。「でたらめ」などの表現を見直してみました。

 また、下線・色遣い・強調部分を、今後、なくしていきます。

 学習指導要領における「政治・経済」は、生徒が、社会を「客観的に考察する」ことを、目標にしています。「客観的」ということは、「科学的に観る」ということです。

 残念ながら、教科書・資料集執筆において、「経済学(客観性)」に基づいた記述がなされていない場合があるのが事実です。経済学者の著書の原典に当たることなく、解説本などを孫引きしている例(イノベーション=技術革新とするなど)は枚挙にいとまがありません。
「国際経済はゼロサムゲーム(東京書籍:政治経済)」という表現も、経済学的にはあり得ません。

 正しい経済学を、高校生が理解できるように咀嚼して伝えることが、必要だと考えています。今後ともよろしくお願い致します。

追伸:すこし、やり方(本・ブログ)が過激すぎました。表現を見直してゆきます。

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