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本当の経済学を教えるべき 投稿者:菅原晃 投稿日:2008/11/10(Mon) 21:05 No.206

高等学校政治経済資料集 東学株式会社 「資料政・経2009」に執筆しました。

やさしい経済セミナー@リカード比較生産費説、Agdp三面等価、Bisバランス、C国際収支、巻頭特集「マネーとは何か」です。

高校の教科書や、資料集で、経済についてまともなのは、ほとんどありませんでした。
教科書なら、桐原書店(GDP三面等価など詳しいが、リカードはいま一つ)、清水書院 新政経(貯蓄投資バランスなどは書いていますが、リカードは間違い)だけですね。
資料集は軒並み轟沈です。第一学習社には、リカードの比較生産費について何度も何度も「生産が増える→交換すれば利益になる」ではないと指摘しているのに、現代社会でちょこっと直しただけ、政治経済資料集では間違いを堂々と載せ続けています。
「貿易黒字はもうけ」だとか、どうしてこんな表現が出てくるのか、第一学習社に訂正させましたが、
「貿易黒字はもうけではない。損することもあるからね」と、さらにわけのわからない解説が加わりました。
「国際収支は複式簿記で書かれ、経常+なら資本−、経常−なら資本+になる」と指摘しても、直すでもなく、「国際収支は、すべて足すと0になる、そう覚えるしかない」など、もうめちゃくちゃな解説になっています。

大体、「アダムスミスの『神の』見えざる手は市場機構の事」などと書くなど、原典を読んでもいない高校教師が教科書を書くこと自体、噴飯ものです。見えざる手はミクロとマクロをつなぐ接点の事でしょう?

今回、私が執筆した個所は、「経済学」であり、「一般的な経済理解」とは別物です。高校教科書・資料集では、初めて書かれた内容です。

「貿易黒字はもうけ・貿易赤字は損ではない」
「貿易黒字は、我々が貯蓄するから生まれる」
「貿易黒(赤)字はお金の貸し借りのこと」
「不況だから貿易黒字が増える」
「貿易黒字は国民の生活を直接豊かにするものではない」
「貿易黒字は海外の資産になる」
「国債は政府の借金=国民の財産」
「貿易はゼロサムゲームではない」
「貿易は先進国も発展途上国も工業国も農業国もすべてを豊かにする」
「輸出を増やし輸入を抑えるのは不可能」

このような経済学的常識を、ようやく資料集に載せることができました。もう、「一般的な経済理解」を高校生に教えるのはやめてはいかがでしょうか。



Re: 本当の経済学を教えるべき 新井 明 - 2008/11/22(Sat) 13:18 No.207

菅原先生 はじめまして。この欄への投稿に気付くのが遅れて,返信を出すのが遅れました。

教科書や資料集の経済の記述の不十分さについての先生の指摘,たしかにそうだなとうなずかせるところがありました。古典が新訳の出現で,あらたな光を当てられるように,教科書も資料集も,これまでの「慣習」を捨てて,書き換えられることは悪いことではないし,むしろ望ましいと思います。

例えば,比較生産費の箇所など,なぜ「比較」「生産費」なのかを限られたスペースで,かつ生徒にも分からせたいと考えると,従来型の特化と全体の利益という入試問題対応パターンで書くということになってしまっている,というよりその点をきちんと書いているものはほとんどないということは確かです。(教科書ではありませんが『経済の考え方が分かる本』でも,章末の問題に交易条件の範囲を入れて,その部分について問題意識をもっているというメッセージを発してはいますが,それでも本文は従来型の書き方になっているなと自分でも思っています。)

書く人間が,経済学の知見をきちんと理解して,なおかつ,生徒に分かるように,そして,そのことを学んだことが「生きる力」になるように記述をしてゆくというのは,永遠の課題だとも思っています。

そのためには,「原典を読んでもいない高校教師が教科書を書くこと」を否定するのではなく,それぞれの比較優位を生かして,経済学者と現場の教員がもっと連携をする必要があるのでは思います。

一般的な経済理解を高校生に教えることの是非,経済学的常識が生徒の経済認識の深まりとどうつながってゆくかの検証など,もっと議論をしてゆくことも必要だろうと思います。

そんな場に,このネットワークがなればいいなと思っています。



Re: 本当の経済学を教えるべき 菅原晃 - 2008/11/28(Fri) 19:58 No.208

新井先生 ありがとうございます。
先生のおっしゃるように、より良いものを提供していく必要があると思いました。
「教科書・資料集がダメ」ではなく、より良いものを創造してゆくのは、もっともだと思います。
言っても、言っても理解されないので、つい、攻撃的になってしまいました。

東学株式会社 やさしい経済セミナー@リカード比較生産費説、Agdp三面等価、Bisバランス、C国際収支、巻頭特集「マネーとは何か」について、今配給されている見本本(ゲラ)を、さらに適切に、見直しています。供給本では、大学の先生に検証していただいた(実は、すでに別な先生に検証していただいていたのですが・・・・著名なNA先生です)内容を加え、より良いものを提供できる予定です。

1月8日 北海道高等学校教育研究会(於:北海道札幌東高等学校)で、上記の内容を発表します。
1人より2人、2人より3人と、少しでも多くの方に、「正しい経済学」を理解していただけるよう、頑張ります。

高橋洋一先生(山本七平賞受賞)の著書を2つ読みました。「日本政府は世界で最も多い財産を持っている」「流動性のある資産(現金化が容易)だけでも、520兆円超を持っている」こと示されています。
財務省が、バランスシート「負債・財産」表を公表してこなかった理由も詳細に述べられています。

高橋先生に、上記研究発表に加わっていただきたいくらいです。(これから、計画してみます)

このページが今後の中高校生の経済教育の革命になるよう、祈念申し上げます。



書評:佐和隆光『はじめての経済講義』 投稿者:TM 投稿日:2008/10/21(Tue) 11:22 No.205

(昨日新井先生が「授業で役立つ本」を新たに投稿されたので、まだ読んでいらっしゃらない方も多いと思います。その上にこの私の書評がかぶさってしまいましたので、ぜひこの投稿の下に掲載されている新井先生の書評をまずご覧になることをお勧めします)

書評:佐和隆光著『はじめての経済講義』(日本経済新聞:2008年10月)

経済教育ネットワークの昨年の年次大会で基調講演を行った佐和隆光立命館大学教授が書かれた経済学の入門書ということで期待して読んだところ、期待にたがわず佐和教授一流の分かりやすさと説得力で、大学生だけでなく高校生にも経済学に興味を持たせるような内容になっています。
さらにこの本は単なる経済学の入門にとどまらず、佐和教授の持つ信条や哲学が明確に打ち出されており、その上で専門である環境問題などの主要な論点にも触れるという非常に濃い内容になっているのが特徴です。

私が特に注目したのは、佐和教授の日ごろの主張である「市場の失敗」ばかりが強調されていると思いきや、その前にきちんとアダム・スミスから説き起こして、「見えざる手」の意味、私利私欲の追求が「公共善」につながること、分業と交換に利益があること、といった経済学の基本的な命題が分かりやすく説明されている点です。その上で、現実の市場の失敗を取り上げるので、非常に説得力が出ることになります。

また最近話題になった出来事や事件を例に上げて(石油価格、タクシー料金、食料輸入、郵政民営化、サブプライム問題、そしてもちろん地球温暖化など)、経済学的な分析をうまく説明している点も評価できます。

あえて難点をいえば、客観的説明と主観的(それも非常に強い個人的な)価値判断があまり明確に区別せずに混在している点で、例えば第4章の市場の失敗のところで、日本の学力低下について、平等な義務教育がおろそかになったことが最大の原因で、そうなったのはソフトヘッドとハードハート(非論理的な頭脳と弱者にきびしい心)の持ち主である日本の市場主義者のせいであるというような表現がみられます。
その一方で、教育を正面切ってとりあげた第12章では、「学力低下の最大の理由は、バブル経済期に日本古来の徳目が全否定されたことにある」と書かれた上で、「結論を先にいうと、1990年以来、文部省がおこなってきた教育改革は根本的に誤っていると私は思います」ともされていて、読む人を混乱させるだけという部分があることが気になります。

もっとも専門の環境問題を扱う第13章では、炭素税に対する日本経団連などによる反対意見を紹介した上で、それに対してていねいに説得的な反論を書かれているのはさすがです。
このような経済学の入門書がもっともっと書かれることを希望したいと思います。

TM



授業で役立つ本 31 投稿者:新井 明 投稿日:2008/10/20(Mon) 23:21 No.204

前回から1月半もたってしまいました。授業がはじまると、仕事の準備優先で、なかなかこのコーナーまでたどり着きません。きっと皆さんも同じだろうと勝手に思っていますが、どうなんでしょう。

この間、例年通り、授業で一年生に「株式経済ゲーム」をやらせながら経済の授業をはじめました。そしたら、株の大暴落。歴史的な時期に勉強ができて君たちは幸せ?と言っていますが、本当に幸せかどうかは今後の経済の推移いかんですね。

世の中は大変ですが、それ以上に平常心も大事。こんな時こそ勉強です。何度も書いていますが、継続は力ですから、この間に読んだ本、考えたことなどを踏まえて続けます。

紹介する本は、三冊。一冊目は、ロバート・ライシュ『暴走する資本主義』、二冊目は、竹中平蔵『闘う経済学』、三冊目は、橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』です。

まずは、ロバート・ライシュ『暴走する資本主義』東洋経済新報社。

ロバート・ライシュは、現在はカリフォルニア大学バークレー校の教授ですが、クリントン政権では労働長官を努めた人です。アメリカでは、学者と政治家はドア一つで入れ替わる。その典型です。民主党リベラル派に属する人です。

この本は、タイトルどおり、1970年代後半からアメリカの資本主義は暴走し、「超資本主義supercapitalism」と筆者が呼ぶ段階になってきていて、このままだと危ないという警告の本です。

「超資本主義」とは何か。著者による明確な定義はないが、議論をまとめると次のようになる。まず、グローバリゼーションと規制緩和の結果、それまでの安定した資本主義と民主主義の体制が変化して、大企業(金融業や情報産業)が力をつけ、資本主義の暴走がはじまり、民主主義が後退した事態を指しています。

高校教科書のレベルに置き換えるとこんな表現になるでしょう。「市場メカニズムの活用を力説し、小さな政府をスローガンとするフリードマンらの主張が、1980年代にアメリカのレーガン政権…で取り入れられた。これらの政策は、1990年代のアメリカ…に競争力の回復や経済の活性化をもたらしたが、国内や国際間で経済的な格差を拡大することにもなった。」(清水書院の『新政治・経済』)

このような資本主義(市場経済)の変貌をライシュは「超資本主義」と呼んだと理解できます。「超資本主義」という言葉は市民権を獲得できないかもしれませんが、事態は教科書のレベルでしっかり書き込まれているわけです。

ライシュは、この結果、大企業は経済活動の自由を獲得し、競争力を付けたが、一方で私たちも消費者としてまた投資家として飛躍的に成長したといいます。つまり、企業だけでなく家計もより多くの選択肢とより良い条件を得られたというわけです。その代わり、富の分配を調整したり、市民たちの共通の価値観を守っていた制度は崩壊したといいます。

企業の暴走だけでなく、家計もおこぼれを受けたこと、「われわれの中にある二面性(私的利益と公共的利益の相反)」が問題を複雑にしたとライシュは指摘します。その結果が、社会的格差の拡大や政治的には、彼が民主主義と呼ぶ統治システムの後退であるというのです。

それは例えば、企業は自らの利益を確保するために政治家、ロビイストを使います。これはアメリカの伝統ですがが、それに加えて現代ではCSRやマスコミを通して影響力を行使しています。ライシュは、それを資本主義が民主主義を侵略しているというのです。

ところが、市民の側は、二面性から暴走する超資本主義を有効に阻止できないといいます。例えば、購入や投資を個人的な選択ではなく、社会的な選択(公共性を加味したもの)にするための法律や規制をつくろうとしても、利害の二面性と企業の「活動」のために反対されるか、骨抜きにされてしまうからです。

このあたりの記述を読むと、アメリカも日本も変わりはないなと改めて感じるところです。ライシュは、金融問題については特に詳細に触れていませんが、ライシュの記述を辿ると、なぜアメリカ発の金融危機がこれほどまでに拡大しているかの理由の一端はうかがえます。

さて、ライシュはこのような超資本主義の暴走をどう食い止めようとし提言しているでしょうか。

その回答は次のようなものです。まず、私たちが事態を自覚する。そして、個人の利益にはコストが伴うこと、そのコストをできるだけ低くする政策を見きわめ、賛成するというものです。その場合は、自分の利益が多少減ることは覚悟すべきといいます。

つまり、私たちが一円でも安いものを買おうとするのは合理的だけれど、その結果を見極めよということです。また、環境を保護したいならそれ相応の負担を担えということです。トレードオフの自覚といっても良いでしょう。

さらに、暴走する企業をストップするために、企業の政治活動を規制することが提唱されます。人間のみが市民としての権利を持つことができるのだから、企業は法的な擬制としてのみ存在すべきとします。法人税を廃止し、企業が裁判を起こす権利を認めないこと、企業のCSRを期待してはいけないし、企業に愛国的な行動を期待してもいけないといいます。このあたりは、日本でも法人資本主義論争として議論されてきた問題ですが、企業への規制という点では、かなりラディカルです。

ライシュのこの本は、リベラル派からの問題提起だったわけですが、それに対して次に紹介する、竹中さんの本は規制緩和派からの生々しい実況中継も加わった本です。

竹中平蔵『闘う経済学』は集英社インターナショナル刊です。サブタイトルが、「未来をつくる公共政策論入門」となっています。

竹中さんに関しては、わがネットワークでも講演をお願いしたこともあり、特に紹介は必要ないでしょう。小泉改革の推進役として活躍、現在は慶応大学に戻られています。本書は、慶應での2007年度春学期の「公共政策論」の講義を下敷きにして書かれています。

書かれているとしましたが、竹中さんの出版活動を見ていると、講義の録音をもとにスタッフ(編集協力となっている堀岡治男さんら)が文章に整理し、それをチェックして作られた本という感じがします。多分、間違いないでしょう。だから、とても読みやすい本です。

全体は、序章と終章、それと内容的には8章からなっています。

序章は、自らの来歴を語ったもので、これはいろいろな箇所で書いてる竹中「出世」物語というものです。

本論は次からです。それぞれ「闘う」が章についています。紹介します。
第1章は、ケインズ的常識と闘う〔マクロ経済政策の基礎〕
第2章は、増税論と闘う〔税制政策〕
第3章は、金融危機と闘う〔不良債権と金融再生〕
第4章は、失業と闘う〔産業と政策〕
第5章は、役人と闘う〔地方財政改革〕
第6章は、既得権と闘う〔郵政民営化の経済学〕
第7章は、抵抗勢力と闘う〔経済財政諮問会議の役割〕
第8章は、千変万化の政治と闘う〔政策決定プロセス〕

すべて闘うだから、その意気や壮です。また、体験した者でなければ書けない内容ばかりです。このうち、第4章までは経済学が中心です。5章の地方財政が接点で、それ以降の章は政治学といった趣で、竹中さんが経験した一連の改革の政治プロセスが語られます。

4章までの経済学は、マクロ経済学、金融論、成長論などの大学レベルの基礎理論が解説され、経済学の知見が政策決定でも役立つという事例として紹介されます。このあたりの理論は、一部は高校のレベルのものもありますが、大学初年級のものですので、私たち現場の人間は飛ばしてもよいかもしれません。でも、それほど難しいものが紹介されているのではありませんから、入門書を脇において、読んで理解することも良いのではと思います。

本書は、全体として、実体験を踏まえて書かれているので、政治学の教科書としても役立つはずです。高校では、政治学習の箇所とくに統治行為の部分(国会や内閣、政党、選挙など)を学習する時になまなましい記録として参考になると思います。

また、昨今の金融危機は日本の金融危機と似ているということから、竹中さんが推進役となった不良債権の解消策を扱った第3章を参考にすることもできるはずです。

さらに、仕事をしながら本を出す、竹中流の秘密も本書でわかりますし、あとがきの、会議の進め方やそこでの勝利方法は、小は職員会議から(ただし、東京では校長の諮問機関となってしまっていて、議論ができる場所ではなくなりました。それがどれだけ教員のモラルダウンをひきおこしているかはまた別の話ですが)、大は竹中さんが経験した経済財政諮問会議、さらには国会討議まで応用可能です。下手をすると、反対派の引き回し戦術にも使われる可能性は大ですがね。

さて、第三の本は、橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社選書メチエ)です。

橋本さんは、北海道大学準教授で、経済思想の専門家です。この本は、市場経済を巡る現代のイデオロギーの見取り図を描いて、そのなかであなたはなに主義ととうユニークな本です。

ちなみに、橋本さんは、一部で話題になっている、ウエーバーを巡る「羽入・折原論争」を自身のウエッブ上に開いて、討論の場を提供している人でもあります。この論争に関しては、また触れることがあるかもしれません。

さて、今回紹介してきた本では、ライシュはリベラル派、竹中さんは市場経済派ということになり、ある意味では対照的な立場の本でした。二冊を読んでいったいどちらが正しいのかと思われる人もいるでしょう。実は、どちらも正しい、というより成り立つのであって、そのどちらを、まず私は支持するか、さらには社会全体は支持するかという問題になります。

自分がどんな意見をもっていて、それが社会全体ではどう位置づけられているかをしる手がかりになるのが本書です。

全体は八章にわかれています。そのなかで面白いのは、第一章、一貫した経済倫理の立場を形成してみようと、第二章イデオロギーの立場を分類してみようです。

ここでは、四つの経済倫理問題を提示して、それに対する賛否で八つの倫理的立場を析出します。問題は以下のとおりです。

1、 企業は短期には被害をこうむるにしても、あるいは社員に不利益を強いるとしても、長期的な視野にたって道徳的に行動すべきか。
2、 経済政策や制度の理念として、「公正」と「秩序の安定・成長」のいずれを優先すべきか。
3、 企業が連帯的ないし家父長的な組織を保持したい場合には、それを自由に認めるべきか。
4、 企業は、基本的に金儲け第一主義で行動してよいだろうか。それとも、社会全体のなかに、倫理の一翼を担う存在となるべきか

ここから、新保守主義(ネオコン)、新自由主義(ネオリベ)、リベラリズム(福祉国家型)、国家型コミュニタリアニズム、地域型コミュニタリアニズム、リバタリザニズム(自由尊重主義)、マルクス主義/啓蒙主義、平等主義/啓蒙主義、の八つの倫理的立場が区分できるとします。

第二章では、それぞれの立場を解説します。さらに八つ以外の類型、近代卓越主義、共和主義、耽美的破壊主義、国家型ディープエコロジー、開発主義、地域コミュニタリアンという分類も紹介されます。

それぞれの立場はすぐ分かるものもありますが、これはいったいなにというものもあり、このあたりの分類と命名については疑問を持つ人もいるかもしれません。

でも、このような理念型で分類してみるというのは、ウエーバー以来の社会学の伝統ですから、まあ橋本さんの分類にしたがって試みてみるとよいと思います。

第三章以降は、応用問題です。ただし、二章で分類されたものが、そのまま継続的にでてくるわけではないので、少々つながりが分かりにくくなっています。それでも、派遣社員は減らすべきかなど、具体的な問題をどう自分なら考えるかを試すのに役立つ問題が提示されています。

第三章以降は、時々に応じて利用するといいかな、特に、生徒に考えさせる価値問題として利用可能と思います。とはいえ、第四章のジェイコブズを扱った章は無理かもしれません。ジェイコブズの本をあらかじめ読んでいないと、なにを橋本さんが問題にしているかがわからないからです。

いずれにしても、橋本さんの分類がどうこうというより、巨大な命題集として利用することができる本として、公民科の先生にはおすすめの一書です。

では新井君、君の倫理的立場は、この本から言うとなんだったんだね?と聞きたい向きもあるでしょうが、それは秘密ということにしておきましょう。



市場競争のメリット 投稿者:大竹 投稿日:2008/09/21(Sun) 13:17 No.198

9月14日と15日に近畿大学で、日本経済学会の秋季大会がありました。その中で、興味深かったのは、「独禁法と競争政策の進化と設計:法と経済学のインターフェイス」というパネル討論でした。司会が東京大学の柳川範之氏で、最初に早稲田大学の鈴村興太郎氏、一橋大学の岡田羊祐氏、東京大学の大橋弘氏が日本の独禁法と競争政策の特徴や問題点について話をして、公正取引委員会の後藤晃氏と東京大学の松井彰彦氏がコメントし、その後議論をするというものでした。

印象に残ったのは、独占禁止法に関する政策の当事者たちの多くが法学者で、経済学者が少ないという指摘が複数あったことです。そして、そのような場では、市場競争のメリットを「完全競争はパレート最適をもたらすという厚生経済学の基本定理」に求めても、何の説得力ももたないという鈴村氏の指摘は、経済学者にとっては深刻な問題だと思いました。

市場競争のメリットを理解してもらえないのでは、市場競争の活性化をもたらす政策である独占禁止法どころか、規制緩和政策そのものの意味も、経済学者以外に理解してもらうことは不可能です。鈴村氏は、競争のプロセスがもたらす価値を重視すべきではないか、という提案をされていました。これに対し、松井氏は市場競争のメリットとしてインセンティブをもたらすことを強調してはどうか、という提案をされていました。

日本以外の国では、「格差が拡大したとしても市場競争によるメリットの方が大きい」という意見に賛成の人が圧倒的に多いのに、日本ではこの意見に同意する人が際立って少ないという国際的な世論調査の結果があります。同時に、「自立できない貧しい人の面倒をみるのは政府の責任だ」という考え方に同意する人も日本は少ない国です(詳しくは、拙著『格差と希望』に書きました)。

岡田氏が、「独禁法は、「消費者の利益のために存在」し「競争者の保護ではなく、競争の保護」というのが、日本以外の国での標準なのに、日本ではそうなっていないのではないか」、という問題提起をされていました。消費者保護の仕事は、本来は公正取引委員会の仕事のはずなのに、消費者庁という別の組織が作られようとしていることが、日本の独占禁止政策の歪みを反映しているのではないか、という岡田氏の指摘には、私も全く同感でした。

これは、かなり根深い問題だと思います。日本の中学や高校の公民や政治経済の教科書を読んでも、市場競争のメリットはほとんど書かれていないのに、独占の問題や市場の失敗ばかりが強調されています。これでは、独占がなぜ悪いか、という本当のところが、人々に理解されないはずです。

独占が問題なのは、競争が排除されて効率性が阻害されることであって、弱い競争者がかわいそうだというのではありません。多くの問題はあっても競争によって得るメリットは大きい、という共通の認識を私たちがもつ必要が高いと思います。そうでないと、貧しい人を税金で援助するという発想も出てこないのです。市場競争によって効率性が上がることで、貧しい人を助ける余裕が生まれるのですから。



Re: 市場競争のメリット TM - 2008/09/21(Sun) 16:30 No.199

大竹先生
日本経済学会の秋季大会における興味深いパネル討論のご報告とご感想を有難うございました。
ご指摘の点は以前から経済教育ネットワークのメンバー間やこのオープン討論室で議論してきた点と密接に関連しているので本当に深刻な問題として受け止めました。
ご指摘の問題を私なりに整理するならば、以下のようになります。

1)なぜ日本で「完全競争はパレート最適をもたらすという厚生経済学の基本定理」が説得力を持たず、「独占の問題や市場の失敗ばかりが強調」されるかについては、そもそも日本で「効率性」という基準そのものが高く評価されていないという「Normative」な面の問題と、日本の経済が完全競争状態からかなり隔たっているという「Positive」な面の問題があると思います。

2)効率性の基準も重視され、実際の経済が曲がりなりにも完全競争状態に近い場合が多いと感じられる米国のような国では、経済学の教え方も簡単で、現実を理想的に描写する完全競争の説明から入って、均衡点で効率性が達成されるという説明をすることである程度説得力が出ます。

3)ところが日本ではその入口の現実が完全競争から程遠いという通念が支配的な国では、いくら完全競争が効率性をもたらすといっても後段の効率性の価値基準そのものが色あせて見えてしまう傾向があります。

4)そこで日本での経済学の教育では、競争から入って最適性を教えるのではなく、「Normative」な価値基準の問題と「Positive」な価値基準の問題とを明確に分けて教えるのが、結局は両方の理解を深めるのではないかと思います。

5)実際に、市場の競争などにはまったく触れずに、「Normative」な効率性と公正の問題を生徒に考えさせることは不可能ではありません(それをやれといっているのが今回出された指導要綱に他なりません)。

例えば、生徒たちに以下の2つの社会のどちらが望ましいかアンケートをとるという方法があります。
社会A:国民の半分の平均所得が9、残りの半分の平均所得が1
社会B:国民の半分の平均所得が4、残りの半分の平均所得も4
おそらくかなりの生徒は社会Bが望ましいと答えると思います。
そこで先生が(もし社会Aを選んだ生徒でそう答える生徒がいれば理想的ですが)、「たしかに、社会Bのほうが皆が平等で、社会Aのように格差が大きい社会よりも望ましく見えますが、社会全体としてどれだけの所得を得ているかを計算すると、社会Aのほうが9+1=10で、社会Bの4+4=8よりも所得が多くなっています。これをどう考えますか?」と問いかけます。これこそ効率性と分配の問題の本質です。
そして議論が深まっている中で、「もし9の所得を得ている人から、1しか所得を得ていない人に、4の所得を再分配することができれば、社会Aのほうが平均所得5の誰にとってもよりよい平等社会が達成できるのでは?」といったように進められます。

6)ポイントは、ここで需要も供給も価格も独占も何の概念も不要ということです。
これらの効率性、分配の公平性、再分配の可能性などを議論した上で、現実の市場経済を説明するという順番で経済学を教えれば、競争の意味がより分かりやすくなるのではないでしょうか。
また現実が独占に近いと思う人も、独占を出来るだけ排除して完全競争に近づければ、より効率的な結果が得られことが理解できるのではないかと思います。

以上、私なりの問題点の整理でした。ご参考までに。
宮尾



Re: 市場競争のメリット 新井 明 - 2008/09/22(Mon) 21:43 No.200

新井です。

大竹先生と宮尾先生のご意見,興味深く拝読しました。

たしかに,日本の教科書は市場経済のメリットをきちんと説明していません。書いた人間の一人として耳の痛い指摘だと思います。

話は飛びますが,職員室の隣に倫理の先生が座っています。彼と時々議論をするのですが,彼は「理屈(市場の効率性,比較優位の大事さなど)はわかるけれど,そんなに豊かにならなくてもよいのではないかと思うのですがね」と言います。そうすると議論はそこで止まってしまいます。

効率性と分配は別に考えるべきだと言っても,なかなかそれを突破できません。

だから,宮尾先生の次の事例などは,職員室でも教室でも必ず反論がでてきます。

「例えば、生徒たちに以下の2つの社会のどちらが望ましいかアンケートをとるという方法があります。
社会A:国民の半分の平均所得が9、残りの半分の平均所得が1
社会B:国民の半分の平均所得が4、残りの半分の平均所得も4
おそらくかなりの生徒は社会Bが望ましいと答えると思います。
そこで先生が(もし社会Aを選んだ生徒でそう答える生徒がいれば理想的ですが)、「たしかに、社会Bのほうが皆が平等で、社会Aのように格差が大きい社会よりも望ましく見えますが、社会全体としてどれだけの所得を得ているかを計算すると、社会Aのほうが9+1=10で、社会Bの4+4=8よりも所得が多くなっています。これをどう考えますか?」と問いかけます。これこそ効率性と分配の問題の本質です。
そして議論が深まっている中で、「もし9の所得を得ている人から、1しか所得を得ていない人に、4の所得を再分配することができれば、社会Aのほうが平均所得5の誰にとってもよりよい平等社会が達成できるのでは?」といったように進められます。」

この事例では,多くの生徒は社会Bを選ぶはずです。実は私もそうしたい誘惑に駆られます。

というのは,先の倫理の先生の言と同じで,そんなに豊かにならくてもいいのではという,そもそも論に共鳴するところが少しあるのが一つです。

もう一つ,これが一番の理由ですが,全体が豊かになっていても,その豊かさを獲得している9の人間が,果たして本当に再分配してくれるかどうかの確証がないことです。

これは経済学の問題ではない,あとは政治の問題だと経済学者の先生は語ることが多いのですが,税制をみても累進税率は引き下げられているし,そもそも,人間は一度手に入れたものを取り上げられ他人にそれを渡すということになったら,必死で阻止をするのではという思いもあるからです。

そういう人間性なり,社会のゆがみへの配慮なり,修正の見通しを語らないと,いくら完全競争が効率的と分かっていても,それを踏まえてその先の議論を考えるということにはならないのではとも思います。

では,そのあたりをどう突破するか,皆さんのご意見を伺えるとうれしく思います。



Re: 市場競争のメリット TM - 2008/09/23(Tue) 21:41 No.201

新井先生

現場のご経験を踏まえた貴重なコメントをありがとうございました。
問題が拡散しないように、大竹先生の問題提起に対して私が返信したポイントをもう一度確認したいと思います。

1)なぜ日本で「完全競争はパレート最適をもたらすという厚生経済学の基本定理」が説得力を持たないのかという問題提起に対して、私なりの解釈は「効率性」や「最適性」という基準そのものが高く評価されないという「Normative」な面の問題(これを新井先生が隣の倫理の先生のお話しとして語られているわけです)と、日本の経済が完全競争状態からかなり隔たっているという「Positive」な面の問題があるといったわけです。

2)私の提案は後者の問題を克服する一つのアイデアとして簡単な例で、市場や競争や独占などを持ち出さずに、「Normative」な話しから入れば、後者の問題からくる誤解や理解の難しさから議論を放棄するという弊害が少なくなるのではないかという提案です。

3)したがって、前者の問題について新井先生が指摘された問題はもちろん残るわけですが、私の意図は、そのような「そんなに豊かにならなくてもよい」とか、「現実には再分配政策は不可能に近い」といった議論が、市場や需給や均衡やパレート最適などの難しい議論をやらなくてもまともに議論できるという点を強調したかったわけです。

4)議論を始めた段階で、「そんなに豊かにならなくてもよい」という議論が出た場合は、「それはなぜか」をつきつめて議論を深めると、そんなに必死に働かなくてももう十分暮らしていけるとか、むしろ物質的豊かさよりも余暇や精神的満足を追求すべきとか、豊かになると社会が必ずしも望ましいことにならないとかいう議論が教室(あるいは職員室?)で出てくると思います。
それに対しては、例えば、経済の「無駄」をなくせば、同じ労力でより多くものやサービスを生み出せこと、あるいは同じことですが同じ生活水準でもっと余暇や余裕を楽しめること、もしそれでも豊かな生活がうとましけば、自分の生活を切り詰めて、余分をもっと日本よりも貧しい国に援助したらどうか、といった議論ができる・・・といった具合です。
また新井先生の「再分配が現実には困難」というポイントこそ、最近の「Free Trade」対「Fair Trade」の論争にもかかわってくる重要問題で、それは政治・経済の枠にこだわれずにおおいに議論すべきで、それを単なる一例を使ってすぐ議論できるのではないかというのが私の提案の趣旨です。結論がどうなるかはともかく、そのような議論にたどりつくことが重要と思います。

5)いずれにしても私のポイントは、私たちが思い込んでいるような教え方(つまり市場を教えてから、完全競争が効率的という順番で、効率性や最適性を教える必要はなく、むしろ先に価値基準や社会のあり方という話から初めて、後で市場や競争という「制度設計」の問題を必要に応じて教えていくことができるし、また日本ではそちらのほうが、経済の授業の途中で「思考停止」に陥る生徒が(教員も?)少なくなるのではないかということです。

6)さらなるポイントは、新しい学指導要領で、「効率」対「公正」を教えるようにという要請にどうしたら答えられるかという点も、経済を教える者として考えなければならないということです。これを従来のように市場、需要、供給、効率、そして公正などという順番でやっていると、肝心の「効率対公正」の入口までもたどりつけなくなる恐れがあるのではないでしょうか。それを避けるための一案(ほんの一案にすぎませんが)を提起した次第です。
どうか、現場で長年教えられてきた諸先生方のベターなアイデアをお聞かせいただければ幸いです。
以上、とりあえずポイントの整理まで。

宮尾



Re: 市場競争のメリット 大竹 - 2008/09/25(Thu) 06:35 No.202

この数値例を工夫していくことで、もっと議論を深めることができると思います。

社会A:国民の半分の平均所得が9、残りの半分の平均所得が1
社会B:国民の半分の平均所得が6、残りの半分の平均所得が2
社会C:国民の半分の平均所得が4、残りの半分の平均所得が3
社会D:国民の半分の平均所得が3、残りの半分の平均所得が3

ケース1:すべての社会で、一度、どちらかの所得に決まれば、その所得を永遠にもらう。
ケース2:すべての社会で、毎年、どちらかの所得になるかがくじ引きで決まる。
ケース3:すべての社会で、5年に一度、どちらの所得になるかがくじ引きで決まる。



日本はすごい!まだまだ大丈夫? 投稿者:新井 明 投稿日:2008/09/14(Sun) 23:21 No.197

この夏,中欧に旅行にゆきました。学校には研修で書類を提出したのですが,許可書では観光。まあいいやということで出発。そこで見た風景をランダムに書いておきます。

行きと帰りはオーストリア航空でした。おやつに出たのがカップヌードル。行きはおにぎりとのチョイス,帰りはさすがにカップヌードルだけでした。みんなずるずるすすります。とにかく世界のカップヌードルです。

同じ飛行機の中,電子機器が解禁になったら,近くに座っているオーストリア人?の若い男性。取り出したのが任天堂。ずーっトやり続けていました。これも世界の任天堂。

空港内の書店。おいてあるのが数独。ドイツ語,ハンガリー語,チョコ語などそれぞれの町の本屋さんにも置かれていました。とにかく世界の数独。

プラハのヒルトンに泊まりました。ベッドが高くよじ登るようでした。バスとトイレが別々で,こうでなくてはと思ったのですが,残念なことにウオシュレットが付いていませんでした。TOTOはこれから伸びるぞと思った次第。

自動車会社のディーラーが各地にありました。トヨタが一番目立ちました。日本のディーラーの看板が出てくるたびにああ日本だ,と奥さん。

泊まった街すべてに路面電車が走り,プタベストやブラチスラバでは,トロリーバスまで走っていました。これは一周遅れの先頭ランナーじゃないかな。

プラハの町でスーパーを探して,探しあぐねて入った小さな何でも屋さん。出てきたのは中国系の人物。世界中に根を張っていると感心。

やっと探したスーパー。完全なアメリカ式(日本式)。市場経済の成果かな。これが普及すると町の小売店は寂れてしまうかと複雑。

オーストリアからチェコへ。フリーパスになった国境を越えると微妙に風景が違ってきます。なんだろうと思ったら,社会主義時代の工場やアパートが見え隠れすることなんだと気付きます。20年では50年の遺産は超えられないということでしょうか。

ウイーン大学は,オーストリア学派の発祥の地。そこの中庭には回廊があり,ウイーン大学に勤務した人物の肖像(彫刻)やレリーフがずらっとおいてあります。カールメンガーとベームバヴェルクのレリーフを写真にとってきました。要するに,オーストリア大学におしっこをしに行ったようなものです。

ウイーン大学の回廊,他にはフロイト,アントンブルックナー,カールポッパーなどの顕彰碑がありました。伊藤博文に憲法を教えたシュタインの肖像もありました。フロイトは教授になれなかったはずなのになぜ?

ツアー旅行で,おのぼりさん旅行。お土産も買わず,自由時間にはひたすら街あるき。でも,百聞は一見にしかず。結論,日本はすごい。まだまだ大丈夫。



授業に役立つ本 30 投稿者:新井 明 投稿日:2008/09/07(Sun) 18:49 No.196

このコーナーも30回になりました。自分自身の勉強もかねて、もう少し続けたいとおもっています。

さて、今日は夏休み最終日。地域によってはもう新学期になっているところもあるかもしれません。生徒は宿題をねじり鉢巻でやっている、と思いたいところですが、「ラテン化」していると言われる現代高校生はなんとかなるよと楽観的にすごしているのでしょうか。

日頃生徒に本を読め、活字と友達になろうと言い続けていますので、今回は、この夏に読んだ本を少しまとめて紹介することにします。

最初は、金子勝『閉塞経済』筑摩新書です。

金子さんは、有名人ですから紹介の必要はないと思いますが、主流派経済学を批判する立場から発言を続けている財政学者です。もっとも専門の財政学よりも、もうすこし広い現代社会批判や経済学批判で活動しています。

この本、サブタイトルに「金融資本主義のゆくえ」とあるように、サブプライム問題を入り口にして、現代は資本主義の新たな段階、金融資本主義の時代になってきており、それには、主流派経済学に立脚する構造改革や金融自由化では対応できず、かえって格差拡大、閉塞社会がうまれるというストーリーの内容の本です。

バブルの原因、構造改革、格差問題と現代経済学と三つの章にわかれてかかれている内容は、読みやすくわかりやすい本です。現代を大きくとらえるには役立ちそうだと思います。

でも、金子さんの金融資本主義という言葉を見て、なんだか昔見たような言葉だなあと思いました。というのは、19世紀末には、ドイツのヒルファーディングが『金融史本論』を書いたように、また、レーニンが『帝国主義論』で「金融寡頭制」という言葉を使ったように、金融の重要性やそれによる資本主義の変質、最後の段階という主張はもう1世紀前から言われていたのではと思ってしまいました。それとどう違うのだろう。

金子さんの政策提言は、本人も言うように、現代経済学からはそれは違うよというものが多いことは事実です。例えば、農業問題。金子さんは、食料自給率向上が必要で、そのためには「前向きで強力な政府介入が必要」といいます。でも、本当に必要なのは、自給率の向上ではなく、農業を魅力的にするための制度改革とネットワークの整備ではないかと思うのですが、どうでしょう。

とはいえ、それぞれの主張にはうなずかせられるものがいくつかあります。例えば、これからは人材への投資が経済成長のために必要であり、それは教育への投資であるというような箇所は現場の人間としてはそうだそうだと思う箇所です。ちょっと矛盾していますが、人間は自分の環境の産物なんだろうと、自ら思う箇所です。

金子さんの本を読んでいて、面白いのは、平等を扱っている箇所で、市場原理主義も完全平等主義も同じ原理主義でフィクションだといっているところです。フィクションだからダメというのですが、逆にフィクションであることを理念型として、そこからの距離をどうとるかで有効性も大きいと思うのですが、ここもどうなんでしょう。

金子さんは、多元的な価値が存在し、競い合う民主主義的な社会が目指す社会だといいます。私もそう思います。でも、それは多分、市場に基づく社会しかできないのではとも思います。このあたりは、限界革命の担い手のワルラスが社会主義者であったことを想定するとよいかもしれません。

規制緩和は結局、村上ファンドやホリエモンを生み出しただけで、それで飯を食べさせることができる産業を生み出せず、隙間産業でちまちまやっているだけと金子さんは言いますが、本当だろうかとも思います。いきなりトヨタのような会社がでてくることはないでしょう。ビルゲイツだってそれが世界を席巻するという感覚で会社をはじめたのかどうか。

そう考えると、閉塞経済だから本当の構造改革をという金子さんの主張も、ちょっと距離をおいてみたほうが良いかもしれません。

実はここまで書いて、新学期に突入。学校ははじまると授業準備や様々な雑用がかさなり、結局一週間何も書かずに終わってしまいました。

昨日はネットワークの総会があり、京都へ往復しました。総会では、指導要領の話や教科書を巡る論議、様々な団体の経済教育支援など盛りだくさん学び、刺激を受けて帰りました。その刺激をもとに、遅ればせの紹介を続けます。

二冊目は、松尾匡さんの『「はだかの王様」の経済学』東京経済新報社です。

サブタイトルが、「現代人のためのマルクス再入門」です。金子さんに引き続いて、現代の経済学に批判的な本が続きます。

なぜマルクスなのかというと、私自身が大学で学んだ経済学がマルクス経済学だったこともあり、どうもこの手の本があると買ってしまうという傾向があるからです。三つ子の魂はなかなか変わらないということでしょう。

さて、松尾さんの本、具体例が多くとても読みやすく書かれています。キーワードは「疎外」です。若い人にとってはあまりなじみにない言葉かもしれないけれど、私たちの世代にとっては懐かしい言葉です。

全体は8章にわかれています。最初の1章は「はだかの王様」で世の中をみると、です。ここでは、人々が意思疎通ができないときに観念が独り立ちしてしまう例として「はだかの王様」がでてきます。現代人だけでなく、歴史的にもさまざまな事例があると松尾さんは言います。

2章は、おカネはどうして通用するか、です。お金はみんながお金と思うから通用するというのがここでの結論です。疎外の一形態貨幣物神ですね。

3章からが、唯物史観やマルクスの搾取論などマルクス経済学の中心部分です。3章では、疎外ということで、疎外についての定義、歴史的な展開が書かれます。フォイエルバッハとかシュティルナーなどこれも懐かしい名前がでてきます。

4章、5章は、資本主義経済の仕組みを疎外論で説く、とタイトルされて、4章では、価値、価格、搾取が、5章では、資本の蓄積が解説されます。このあたりはマルクス資本論と、置塩マルクスの基本定理が紹介されます。

6章、7章は現代経済学をマルクス風に読み解く部分です。6章ではゲーム理論が、7章では制度分析が扱われます。いずれも疎外をキーワードに解説されますが、無理に疎外を持ち込まなくても十分に説明できるではと思うところです。松尾さんに言わせると、現代の主流は経済学の到達点は、マルクスの疎外論による社会分析と同じ結果になってしまっているというのですが、やっぱりそれはちょっと痛々しい。

最後の8章は実践論で、疎外なき社会を求めてということで、松尾さんが取り組んでいる市民参加のまちづくりが紹介されます。現代のマルクス派は革命ではなく、足元から疎外を克服という路線をとっているということが表明されています。

読んだ感想ですが、無理しているなという思いです。松尾さんは、資本主義の問題点も指摘していますが、同時に革命を目指したマルクス主義の破綻や行き過ぎ?もしっかり指摘しています。その点の歴史認識や現状認識はある種のバランスが取れています。それでもなおマルクスなのか。もう一度よく読みなおすと、現代の社会認識がやっぱり偏っているなと感じます。

例えば、こんなところ「ネットカフェで夜露をしのぐ若者も、午前帰宅続きで過労死寸前の正社員も、私たちはみな、人間でないもののために奉仕しているのです。…、一切の人間のコントロールを離れて勝手に運動し続ける法則というもののために奉仕しているのです」

ここは、疎外を説くポイントの文章ですが、そういわれればそうであり、でもほんとうに「一切の人間のコントロールを離れて勝手に運動し続ける法則」というもののがあるのかどうかを考えると疑問でもあるわけです。

そのあたりを吟味しながら読んでもらうとよいかもしれません。

とはいえ、健全な野党はどんな世界でも必要です。王様がほんとうにはだかなのか、自分なりに考える手がかりとして読むのはよい本かもしれないと思いました。

ここまで書いたら、やはり息切れしました。

ほかに、読んだ本として、堂目卓生『アダムスミス』中公新書、伊藤章治『ジャガイモの世界史』中公新書、山本紀夫『ジャガイモのきた道』岩波新書、高橋陽一『霞ヶ関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』文春新書、岩田靖夫『いま哲学とは何か』岩波新書などがありますが、タイトルだけにしておきます。それぞれ、移動の合間や、学校帰りに購入して読んで面白かったものです。とにかく悪食でなんでも読んでいるという感じです。

また、単行本では、マッテオ・モッテルリーニ『経済は感情で動く』紀伊国屋書店、アラン・B・クルーガー『テロの経済学』東洋経済新報社、小坂井敏晶『責任という虚構』東大出版会なども読みました。これも、一冊づつ介したいところですが、息切れです。特に、最後の小坂井さんの本は、どんな人かも知らずタイトルを見ての衝動買いでしたが、収穫がありました。

アイヒマン、ホロコースト、死刑、冤罪、ルソー、ロールズなどこれまで「政治・経済」や「現代社会」の政治学習のところで扱ってきた(ロールズは経済でも扱います)テーマや人物が社会心理学の立場から整理され、問題提起されている本で、触発されました。二学期にぜひこれらを取り上げてみたいという誘惑にかられています。

授業での反応なども含めて、経済とはちょっと違うので、チャンスがあれば,別の機会に報告してみたいと思います。



「経済教育ネットワーク08年度年次大会」@同志社大(... 投稿者:TM 投稿日:2008/09/07(Sun) 15:52 No.195

「経済教育ネットワーク08年度年次大会」@同志社大(9月6日)

9月6日(土)に開催された年次大会は、経済教育ネットワークが今後取り組むべき問題点を浮き彫りにしたという意味で大変有益な内容だったと思います。
その簡単な報告と写真を以下のブログにアップしましたのでお知らせいたします。
http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/archive/20080907

なお、正式な大会報告は参加された先生方と協力して作成し、本ホームページの「活動報告」欄に掲載する予定です。
大会の企画、司会、講演、パネルなどを担当された方々、本当にお疲れ様でした。
(宮尾)



書評:『現代経済学の潮流2008』:経済学教育と社会 投稿者:TM 投稿日:2008/08/21(Thu) 13:21 No.194

書評:『現代経済学の潮流2008』第6章「経済学教育と社会:中高・大学・大学院」(東洋経済新報社 2008)

この本は、日本経済学会が年2回の大会をもとに一種の「報告書」として毎年発行しているもので、この最新版は2007年の大会で報告された特別論文とパネルディスカッションのいくつかの要旨が掲載されています。
特に注目に値するのは、この学会始まって以来初めて「経済学教育」をテーマにパネルディスカッションが行われたことで、そのパネリストとして本ネットワークの篠原総一代表が参加して、中高生に対する経済教育に関して明快な意見を述べている点です。
しかし、他のパネリストやフロアの参加者の中には中高生に対する経済教育に理解が十分でなく、必ずしも適切な意見を述べているとは考えられない面もありますので、以下このディスカッションのうち中高教育の部分の要旨と私の解釈およびコメントを書いておきます。

篠原総一代表の意見の要旨:
1)中高段階での経済教育では、「経済学」ではなく「経済社会の仕組みやあり方」を教えることが重要。
2)中高の限られた授業時間のなかで、公民や政治経済で必要最小限何を教えるべきかの共通の理解がない。
3)教科書は学習指導要領に沿っているが、内容が盛りだくさんすぎるので、羅列的に暗記する以外にない。
4)多くの教員の経済の知識は不十分で研修などを必要とするが、教員が多忙すぎてその時間がとれない。
以上の問題を踏まえての提案として:
5)教科書執筆者と入試出題者が協力して、教える内容を整理して絞り込み、暗記中心を是正する。
6)経済の授業内容や教え方などについて、大学教師を含む経済の専門家が側面から現場を支援する。

これに対する、他のパネリストやフロアからの意見やコメント:
A)米経済学会がやっているように経済学教育の効果をデータに基づき実証的に検証することが必要。
B)経済社会を受験の主要科目に採用しないかぎり、中高では真剣に教えたり学んだりされない。
C)経済学で教えるべきは、「経済」なのか、「誘因」と「因果関係」なのか意見が一致していない。
D)日本社会のキャリアとして経済学の勉強が評価されておらず、専門家としても育っていない。
E)経済学は小中高で教える必要はなく、大学できちんと教えるべき科目である。

これらのコメント(誤解も含めて)に対して、篠原代表は限られた時間の中で反論を試みられているが、以下はそれも踏まえた私個人の意見:
A)「効果」を測定するためにこそ、経済教育の「目的」と標準化された「内容」の確立が必要。
この点で篠原代表の指摘する問題点(1)と(2)の是正が重要となる。
B)すでに受験の科目として取り上げられている限りで、入試問題と教科書の内容の改善が可能。
この点で篠原代表の提案する(5)は、現実的な第一歩となろう。
C)確かに経済学における「インセンティブ」や「因果関係」の分析を応用することが流行しているが、経済学で教えるべきは一義的には経済の仕組みやシステムで、その分析手法は経済の範囲を超えて応用できると考えるべき。
D)日本社会のキャリアの問題は、原因と結果の両面から検討が必要で、経済教育が確立していないために、経済学を学んでも身に付かず、専門家としても役立たない結果となっている側面が強い。
E)「経済学」教育は小中高で必要ないというのはある意味でその通りであるが(篠原代表も述べている通り)、経済の仕組みやあり方を学ぶ過程で、経済学的な思考方法が必要であり、その考え方を自然に学べるように工夫するのが小中高の「経済教育」で必要。

以上の点について、皆さんのご意見やコメントをいただければ幸いです。
TM



「先生のための夏休み経済教室」@東京(8/11-12) 投稿者:TM 投稿日:2008/08/12(Tue) 02:45 No.193

「先生のための夏休み経済教室」@東京(8月11-12日)の報告

報告の日本文が、本ホームページの「最新の活動報告」の欄に載りました。
また英文が、「English」の欄にReport #7として掲載されました。
写真については以下をご覧ください:
(1日目) http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/archive/20080811
(2日目) http://miyao-blog.blog.so-net.ne.jp/archive/20080813

なお、これに先立って大阪で開催された「夏休み経済教室」の報告は以下を参照ください:
http://www.econ-edu.net/modules/news2/article.php?storyid=50

大変有意義な試みで、今後につながる重要な第一歩であったと思います。
関係者の皆様、特に主な企画と司会担当の新井先生はじめ講演された先生方、シンポのパネリストの方々お疲れ様でした。
(宮尾)



訂正 投稿者:新井 明 投稿日:2008/08/08(Fri) 21:02 No.192

大竹先生の本,発行所は筑摩書房でした。すみません。

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