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授業で役立つ本 29 投稿者:新井 明 投稿日:2008/08/08(Fri) 20:59 No.191

夏休みも盛り、海へ山へ海外へというのが休みのイメージですが、中には予備校通いという生徒も結構いるかもしれません。

教員にとっても夏は研修の季節。ネットワークでも4−5日には大阪で「先生のための夏休みの経済教室」を開催して、60名近くの先生方が熱心に勉学に励みました。

今日紹介する本、『格差と希望』の著者、大竹文雄先生も講師で登場。経済の基本問題とミクロ経済学をテーマに講義をしていただきました。そのなかで、先生が強調したことに「効率性の問題と、分配問題は分けて考えるべき」ということがありました。

この命題は世の中ではあまり理解されておらず、市場主義批判と言う形で、規制緩和による市場原理主義的な政策が格差問題を引き起こしたと言う俗説がひろがる原因にもなっていると言えます。

講義のなかで大竹先生が、この命題を強調された理由はこの本を読めばよく分かります。筆者もセミナーのためにでかけた大阪の紀伊国屋で探したのですが、売り場に見当たらず別の本(いずれ本欄でも紹介したいと思っています)を購入してしまい、この本を事前に読んでいなかったので、大竹先生の講義の重要さを本当に理解できていたのかと反省をさせられてしまいました。

さて、前置きはそのくらいにして、今回の本『格差と希望』(筑摩書店)の紹介に移りましょう。

この本は、大竹先生が2005年4月から二年間、毎月一回日本経済新聞に書かれていた「経済論壇から」を中心に、その期間に書かれた他の雑誌への寄稿文や先生のブログなどを加えて編集された本です。

新聞の連載というのは、毎回面白く読むのですが、ある種断片的になってしまいます。でも、さすがに二年分を連続して読むと、世の中の移り変わりやその中で何が問題になってきたのがよく分かります。まとめて通読の効果です。さらに、この本ではその後の変化なども含めて【追記】が加えられており、発表時点と現在の比較や補足が読め、理解を深めることができるようになっています。

また、通読の効果として、先生も書かれているように、具体的な事件を通して、意外と普遍的な問題を議論している、ということがよくわかります。普遍的な問題は、市場の力ということであり、そのなかでの分配で割を食っているのは本当は誰だという問題です。後者に関しては、サブタイトルの「誰が損をしているか?」がその間の事情を良く表現していると思います。

全体は時間の区分とともに、四つの章に分けられています。第1章は「資本の論理を問う」で、2005年の4月から9月までが扱われます。この時期は、小泉内閣の後半で、ライブドアによるニッポン放送の買収事件や、JR西日本の尼崎事故などがおきた時期です。小泉改革による規制緩和が問題を引き起こしたという論調が強まった頃で、章のタイトルになった「資本の論理」を問うというのも、企業買収を巡る論議のなかでの発言です。

この問題に対する大竹先生の結論は、単に資本の論理に反対するのではなく、資本の論理をうまく機能させることというものです。つまり、現代はだれもがプチ資本家になる可能性があり、資本の論理による短期の利益追求の危うさや違和感を持ったとしても、どこかで関係を持つことがありうる社会になっているために、制度整備に無関心でいてはいけないということを主張しています。

ここでは、だれかを悪者にして、それでカタルシスを感じるという私たちが陥りがちな状態にならないためにもバランスがとれた考え方特に、経済的な見方や考え方が必要であることが強調されています。

第二章は「リスクと不安」のタイトルで、2005年の10月から半年の時期の問題が扱われています。このときは、小泉郵政選挙があり、大竹先生の批判する「二分法」戦略で自民党が圧勝しています。その2年後に逆に参議院で、年金問題の「二分法」で今度は民主党が圧勝するという事態で因果は回っていますが、ともかく日本の政治史上では画期的な時期でした。

この時期は、格差問題が本格的に注目されだした頃でもあり、格差問題が論壇で議論されていますが、大竹先生の考え方は、コラム11の「想定問答集・格差社会」の箇所に簡を得て要の解答がまとめられています。

紹介しておきます。まずは質問から。
質問1:所得格差は拡大しているか?
質問2:所得格差の拡大の理由は?
質問3:格差拡大感の理由は?
質問4:規制緩和が理由か?

回答は先生方が本書を読まれて確認されるとよいと思いますが、それではあまりに不親切なので、映画紹介でいう「ネタばれ」になりますが、要約して紹介しておきます。

回答1:所得格差は傾向的に上がっている。
回答2:過去20年ほどトレンド的に拡大してきた理由は、人口の高齢化である。それに加えて単身世帯の増加、若年者における失業やフリーターの増加が原因。
回答3:@将来における格差拡大予想、Aデフレ及び低成長の影響、B若年失業者やフリーターの存在、C成果主義賃金の導入、D所得階層間移動の低下、E累進税制の緩和、F情報のゆがみ
回答4:必ずしもそれが理由ではない。なぜなら、規制によって超過利潤を得ていた人は、規制緩和で所得が低下するが、規制のために参入できなかった人は所得が増加する。誰と誰の所得格差を測るかで、規制緩和の影響の見え方が異なるから。

ざっとこんなところです。特に、最後の規制緩和が格差拡大を促進したという議論に関しては、本書全体でそうとは言えないと力説しているところなので、この想定問答集の簡単な回答だけでなく、本書全体で読み取るべき箇所だろうと思います。

紹介を続けましょう。第三章は、社会の中のグレーゾーンというタイトルで、2006年の上半期の出来事がまとめられています。

タイトルと同じ2006年6月の経済論壇からでは、ホリエモンや村上ファンドでのインサイダー取引と消費者金融の上限金利問題が扱われています。後者に関しては、消費者金融に関する実証分析を行った結果、大竹先生ご自身の考え方が変わってきていることが追記で書かれています。

つまり消費者の合理的行動を前提とした経済学からの回答とは異なる行動を、実際に消費者金融の利用者は行うケースが多く、規制だけでなく、情報の整備、人間の本能ともいうべき双極割引を修正するようなプログラムが必要というのです。

原理だけにこだわらないで、実証分析の成果を取り入れて対応を考えるという、柔軟さを大竹先生がお持ちだと言うことがよく分かります。

最後の第四章は、格差社会のゆくえというタイトルです。ここでは、安倍内閣の時代の2006年度の下半期の出来事が取り上げられています。ちなみに、安倍内閣は2007年9月に唐突に政権を投げ出し、現在の福田内閣に引き継がれてゆきますが、安倍さん自身はとっくにおじさんですが、その精神構造をみると現代の若者の弱点、ひ弱さを象徴しているような気がしますが、どうでしょう。

この章でとりあげられるのは、やはり格差問題の諸相です。格差論インフレに近い状況の中で、格差のどこに焦点をあてるかを丁寧に腑分けしながら、問題を浮かび上がらせます。

なかでも、2006年の12月の問題と対峙、脱パターンでという文章の最後の部分は、大事な指摘だろうと思います。「誰にも頼れない時代には、感情によって支配されたポピュリズムに陥らないように、私たち一人一人が本当の自由主義を守り育てるための仕組みつくりを真剣に考えてゆく必要がある」という文章です。

どうしても私たち教員も含めて、悪者つくりそれへのバッシングという思考方法から抜けられないものをもっていますが、冷静な頭をもってそれに対処することしか、問題解決の道はないというのは経済学が提示する、また大竹先生が一貫して主張されている大きなメッセージだと思います。

だらだら紹介をしてきましたが、経済学の切れ味を知るためにもぜひ直接手にとってお読みいただければと思います。

私(新井)自身が興味深かった箇所は、やはり教育問題関連の箇所です。格差是正のためにも、低所得者、若者への手厚く、できるだけ早い段階の教育が必要というのはそのとおりだと思っています。ただし、そのなかのバウチャー制度や学校選択制は、制度設計が中途半端だとプラスよりもマイナスが多いと思っています。これはこの欄でも何回か書かせてもらっていますので、これ以上はやめておきます。

もう一つ関心があるのは、既得権を持っている団塊世代以上と若者の問題です。私自身が団塊世代、子供たちは就職氷河期でなんとか正社員にもぐりこめたという団塊ジュニア最後尾の世代。まさに、この本で書かれている格差問題の当事者の一人だからでしょう。

「『丸山真男』をひっぱたきたい」の著者赤木智弘氏の分析に共感を示す大竹先生ですが、それでも「既得権を排除する方法は戦争ではなく、市場競争をさらに促進すること」と言われています。

そうですね。確かに団塊世代は、なんやかんや言われても良い時代をすごしてきたわけですから、次の世代との交代のなかで、自分たちだけでいい思いをしていてはだめということも分かります。その意味で、私が批判する学校の規制緩和は一つの手段ではあろうと思います。ただし、そのコストとベネフィットは冷静に計算、判断する必要はあろうとおもうのです。

ちなみに、大阪に赴任している件の愚息(経済学の落ちこぼれ)とセミナー前日に、梅田で会い飯を食べました。大竹先生は、「就職氷河期に卒業した人たちは努力不足や挑戦しなかったというよりも、運が悪かったというべき」と有難い言葉を書いてくれていますが、親から見ると「おまえ、やっぱり努力不足だよな」と言いたくなります。これって世代間対立の家庭内版でしょうね。

この本を手にとられた先生方は、この本から命題集を作ってみるとよいと思います。それを先生方自らが吟味する、生徒と一緒に考えてみるというやり方をとるとよいと思います。

例えば、
・本当の意味での格差は若者の間で発生している。
・新規学卒の時点の採用動向がその世代の労働市場でのパフォーマンスに長期に影響している。
・解雇規制をすることは皮肉な結果を招く。
・学力に優れた者ほど受験勉強というコストを払わないで合格できる入試をすることが、学歴が学力のシグナルとして機能するための条件。
・団塊世代以上の人々の既得権を崩さない限り、年金改革は不可能。
・賦課方式は基本的にねずみ講。少子高齢化のなかで破綻する。
などなど。

自分の頭で考えることを生徒に勧めている私たちですが、本当に自分の頭でこれらの問題を考えてみる。暑い夏の消夏法かもしれませんね。



書評:『竹中先生、経済ってなんですか?」 投稿者:TM 投稿日:2008/07/28(Mon) 21:42 No.190

書評:竹中平蔵著『竹中先生、経済ってなんですか?』(DMD JAPAN:2008年5月)

しばらく海外出張でご無沙汰しましたが、久しぶりに日本の書店に行って目にとまった『竹中先生、経済ってなんですか?』を購入して読んでみました。目次は以下の通りです。

Chapter 1 「おカネ」ってなんですか?
Chapter 2 「為替」ってなんですか?
Chapter 3 「インフレ、デフレ」ってなんですか?
Chapter 4 「景気」ってなんですか?
Chapter 5 「会社」ってなんですか?
Chapter 6 「資産、資本」ってなんですか?
Epilogue  エピローグ

ここで各Chapterの始めには、それぞれのChapterの質問の答えについて、6ー9ページのマンガでの説明があり、それを詳しく解説するために、竹中平蔵氏が質疑応答の形式で登場するというものです。
結論的にいえば、竹中氏の説明は分かりやすい上に、質問に答える形なので、誰にでも理解しやすく、その部分に限れば大変よい入門書になっています。
しかし問題は、各Chapterの始めにあるマンガの内容にあります。これがかなり分かりにくい内容と説明になっています。

まず、「Chapter 1」の「おカネってなんですか」の最初のマンガは、よく意味の分からないゲームを先生が生徒にやらせることから始まります。生徒のだれもが100両札を10枚受け取ってサービスを受ければ1回100両払い、サービスを提供すればやはり1回100両を受け取るとして、みなが「好きなだけ自分の受けたいサービスを受けてください」というルールで行動すると、結局買ったサービスが多くなり(マンガでは学生が居酒屋で酒を飲み、理髪店でアフロにしてもらうなどのサービスを受けるとなっています)、生徒が提供したサービスは少なくなるという結果になります。
その次には、同じようにみなが100両札を10枚受け取って、今度は「できるだけおカネ持ちを目指してがんばる」というルールで行動すると、結果は逆に買うサービスは少なくなり、提供したサービスが多くなるが、全体としてサービスの売買は少なくなります。
ここからこのマンガの結論として、「おカネをもうけなさい」というルールのもとでは「おカネをためる人が増えるので、おカネの流通量が少なくなる」ということと、おカネの機能として「交換機能」と「貯蔵機能」があることを実感できると書かれています。
そこで竹中氏が登場して、おカネの役割が3つあるという説明が始まります。それを読んでも結局ゲームの必要性と意味がよく分かりません。

次の「Chapter 2」の「為替ってなんですか?」の最初にあるマンガでも、まずおカネの信用が大切ということから、「金本位制」を説明するのですが、戦後のアメリカのドル体制が金本位制(!)として説明されており、それがニクソンショックで、ドルと金の交換が停止されてから、ドルの信用がどんどん低くなっていったという説明になっています。それでもアメリカの対日貿易赤字が膨大な額で、貿易摩擦が激しくなったので、「先進国を中心に円高ドル安になるように介入する約束をした」のが「ブラザ合意」だったというかなり乱暴なマンガの筋になっています。
そこから竹中氏が登場して、為替とは何かを基本から説明しています。どうもマンガにあったような乱暴な話しは、なくてもよいような気がします。

「Chapter 3」のインフレとデフレの話しでは、何と1914年のサラエボ事件から始まり、3ページを費やして、ようやくパリ講和条約でドイツが巨額の賠償を要求され、そしてハイパーインフレになった物語がマンガで紹介され、竹中氏のインフレとデフレの話しにつなげられています。
同じような話しは、「Chapter 5」の「会社ってなんですか?」でも見られ、1600年のイギリスの東インド会社の説明が5ページにわたってされています。
せっかくマンガという手法を使うのであれば、もう少し身近なインフレ・デフレの話しや、会社の話しが取り上げられなかったかというのはだれもが持つ疑問ではないでしょうか。この機会に、なぜいつまでたっても、インフレの説明にドイツのハイパーインフレが、また会社の説明に、東インド会社がでてくるのか少しみなで考えてみる必要があると思います。

極めつけは結論部分のマンガで、1980年のタイのシーンで、竹中氏がタイの水上マーケットを船で回覧していると、子供たちが船で象の子供を売りに来たので聞いたところ、まだ小学生で家が貧しいので学校に行けず働かなければならないとのこと。そこで竹中氏が独り言のように「その点、日本はいいですね。それも経済が強いからですね」と言い、結論として竹中氏が、日本の学校の教室のシーンで、「私はこの体験からあらためて思ったんです。経済って大事だって」と述べて、その後の説明「経済はあらゆることに関係している」につなげています。

このマンガをタイの人が見てどう思うかは別にして、経済発展がまだ進んでいなくても教育に熱心な国もあれば、そうでない国もあります。日本は経済が弱い時代でも一部の例外を除いて学校教育は最優先されてきたといえるかもしれません。因果関係は「経済が強いから教育が進むというより、逆に教育熱心だったから経済が発展したという面もあります。実際に竹中氏の話の最初にその点が指摘されています。しかしマンガでは、経済が強いからみなが学校に行ける」という短絡的な説明になっています。

以上のことからわかるように、すべてのChapterで最初にあるマンガは、物事の理解にとってプラスになるどころかマイナスになるような内容と説明になっていて、その後の竹中氏の分かりやすい説明によってどうにか救われているといった感じです。
どうしてそうなったかについてよく見ると、この本は、建前は「竹中平蔵著」となっていますが、「あとがき」にあるように「竹中平蔵こどもプロジェクト」事務局のメンバーが「制作協力」をしたということで、そこでマンガが準備されたことが推察できます。その準備段階でもっと適切なアドバイスが竹中氏自身かあるいはまともな経済学者からなされていれば、以上のようなマイナスの面はかなり是正できたのではないでしょうか。テーマの選び方が適切で竹中氏の説明が非常に分かりやすいだけに、マンガの部分のマイナス面が余計目立つ結果となり残念といわざるを得ません。

以上、少々厳しい批評になったかもしれませんが、せっかく分かりやすくするための工夫が、内容の吟味が不十分なためにかえって裏目にでることがあるという教訓にしたいと思います。
TM



授業に役立つ本 28 投稿者:新井 明 投稿日:2008/07/25(Fri) 08:28 No.189

学校関係者にとっては待望の夏休みになりました。

とはいえ、昨今は「生徒は休みであるが、教員は勤務である」ということで基本的には出勤することになっています。こんなことをやっていると教員になろうというインセンティブがますます低下してしまう(私などは夏休みがあるから教員になったのですが)と思うのですが、どうなんでしょうね。私のようなぐーたら教員が排除されるからいいのかな。

さて、今回紹介する本はラニー・エーベンシュタイン『最強の経済学者 ミルトン・フリードマン』(日経BP社刊)という本です。著者はロンドン・スクールオブ・エコノミックス(LSE)出身のジャーナリスト。内容はミルトン・フリードマンの伝記+インタビューです。

この本、ジャーナリストの筆致もあり読みやすい本です。ただし、読みやすさと正確さは両立しないのか、書評などでは初心者にはいいけれど、経済学者は役に立たないなどと酷評されていますが、それでもフリードマンの全体像を知るには手ごろな本です。

なぜ今回フリードマンなのか。それはフリードマンが日本の「政治・経済」の教科書に比較的数多く登場している割にはあまり生涯も含めて知られていないからなんです。

「政治・経済」の教科書に登場する経済関係のビッグネームはスミス、マルクス、ケインズの三人です。この三人は全ての教科書に登場します。それを追いかける人物として、リカード、シュンペーターが続きます。フリードマンは、16社22冊のなかで6冊に登場、健闘?しています。入試でもマネタリズムの総帥として問われることがあります。

ちなみに、フリードマンの論敵だったサムエルソンは教科書に一冊も登場していません。ケインズ理論、新古典派総合が影響を持っていた時代には異端の経済学者だったフリードマンですが、いまやケインズ理論の批判者の代表として扱われるようになっているというわけです。

本の紹介に移りましょう。
本書は、三部構成24章と付録のインタビューからなっています。

第一部は、1912年−1946年とタイトルがうたれ、少年期から大学時代、修行時代、結婚、第二次世界大戦、シカゴ大学に戻るまでが扱われています。

フリードマンは、父親がハンガリーのユダヤ系移民であり、1912年にニューヨークに誕生。数学のよく出来た頭の良い少年だったようです。ラトガース大学を経て、シカゴ大学でマスター、コロンビア大学で勉学をしています。その後ニューヨークでニューディールに絡む国家資源委員会や、ワシントンに移り研究機関に勤務、第二次大戦中はワシントンやニーヨークで財務省の仕事や政府団体の仕事をしています。その時代は数理統計学の研究者として活動したようで、その縁で修士号をとったシカゴ大学へ大戦後すぐの46年に赴任します。

フリードマンと言えばシカゴというイメージがありますが、修業時代はシカゴとの縁はわずか大学院の2年間だけだったというのは意外な事実です。それでも、シカゴ時代には、ジェイコブ・ヴァイナー、フランクナイトなどの授業を受けるなど、のちのリバタリアンとなる基本的な価値観を受け取っているともいえます。その意味では、人間に与える影響は時間よりはタイミングなのかもしれません。

第二部は、1946年−1976年というタイトルで、シカゴ学派の総帥としてのフリードマンの「活躍」の軌跡が描かれます。その軌跡をみてみましょう。

シカゴに移って最初の業績が実証経済学の方法論の研究で、1953年に『実証経済学の方法と展開』というタイトルで論文集が出版されています。経済学の方法論で重要なのは、数学的・幾何的にいかに複雑で精緻な理論モデルをつくるかではなく、予測がどこまで正確なのか、その一点に尽きる、という実証経済学の主張は、現在でも大きなインパクトを経済学の世界に与え続けています。

また、この論文集には、「変動為替相場擁護論」が掲載されていて、ブレトンウッズ体制がまだ磐石のように見えた時点での変動相場制の提言をしています。しかしその提言はほとんど無視もしくは冷笑されたようです。

フリードマンの名前を一躍有名にし、マネタリストとして認識されたのが、1963年に刊行された大著『合衆国の貨幣史』です。この本は、アメリカの過去1世紀近くの金融政策データを調べ上げた実証的な本ですが、特に大恐慌を「大収縮」としてマネーサプライの適切な管理さえ行われていれば、あのような大恐慌にはならなかったとした分析は、ケインズ理論やニューディール政策にたいする批判として大きな影響力をもつことになりました。

マネタリズムそのものは、理論的にも政策的にも問題ありということで、名前の割には浸透しているとは言いがたい面がありますが、この本のようなデータをもとに議論するという実証主義のスタイルは力技をどこかできちんとやっていることが研究者としては大事だということが言えるかと思います。

この本を頂点として、以後フリードマンは、理論家、実証家というより文明批評家、保守主義の思想家として有名になります。

そのきっかけが、『合衆国の貨幣史』の前年1962年に刊行された『資本主義と自由』です。この本では、リバタリアンとして、また「小さな政府論」のイデオローグとしての発言が収録されています。この本の趣旨をやさしく一般向けに書いたものが、1980年刊行の『選択の自由』になります。

こうして異端、少数派であったフリードマンは広く一般に認知されてゆきますが、その間に政治家との関係やマスコミとの接触も深まってゆきます。1964年の大統領選挙では超保守派のゴールドウオーター候補の選挙顧問として活動します。また、『ニューズウイーク』にコラムを書き始めるなど、活躍をはじめてゆきます。

こういった活動のなかでシカゴ学派が形成されてゆきます。本書でも第10章教授というところでフリードマンの教員としてのスタイルとその影響が描かれます。でも、それは逆の立場から見れば反革命の潮流の台頭ということになります。

例えば宇沢弘文氏は、ベトナム戦争さなかのシカゴ大学の雰囲気を紹介しながら、合理主義経済学の異常な雰囲気はフリードマンを中心とした行動がつくりあげたのだときびしく批判しています。それがどのくらい本当なのかは定かではありませんが(宇沢さんがよく書いている空売り資金の貸し出しを銀行から拒否されて怒るフリードマンというのは虚像という説もあります)、ともかく1970年代が潮目であることは間違いないでしょう。

しかし、そんななかでフリードマンは、1976年に第8回のノーベル経済学賞を受賞します。いい悪いは別にして、経済学の流れが確実に変わった査証でしょう。

本書の第三部は、1977年−2006年として、1980年の『選択の自由』から最晩年までが紹介されます。

私(新井)がフリードマンという経済学者を認知したのはこの時代です。西山千明氏が翻訳をした『選択の自由』はちょっと目からうろこという本でした。それでも、当時はちょっと変わった見解を述べる経済学者で、その内容が現実化してゆくなどとは思っていませんでした。この四半世紀の経済思想の変化は激しかったわけです。

それはさておき、フリードマンの晩年はある種の栄光に満ちています。シカゴ大学を退職して、カリフォルニアに居を移し世の中で自分の主張がだんだんひろがるのを見つつ、2006年になくなっています。

本書での最後のインタビューが晩年の思想をよく伝えています。いわくイラクには侵攻すべきでなかったが、始めた以上、満足する成果を収めることが第一、いわくサッチャー、レーガン政権を見習うべき、いわく北欧は人口の少ない単一民族国家だから、うまく機能している、いわくインフレは貨幣的現象だ、いわくアメリカの最大の魅力は安全性だ、いわくアメリカの財政赤字は全く懸念していない、いわく中国でもチリと同じことが起こるだろう、いわくインターネットの登場で完全情報に近づいた、いわく市場経済は間口が広い、環境汚染や所得格差は、全て二者間の取引が第三者に影響を及ぼすことが原因だ、いわく現実をみれば歴史のおわりなど決して訪れない、…。

はたしてどこまでフリードマンの予言や提言が成り立つか、興味深いところがあります。

この本全体から浮かび上がるのは経済学の面白さと怖さです。あれだけ隆盛だったケインズ理論や新古典派総合のリベラリズムが後退して、フリードマンやハイエクなどに注目が集まりだします。ただし、この流れもどこまで広がるかはまだ不明です。状況によってはケインズ理論の復活だって十分にあります。

そのどちらを私たちが選択するか、一つの軸の代表であるフリードマンの生涯と思想もしっかり押さえた上で、授業にのぞみたいものです。

ちなみに、この本を読んでへー、と思ったのは、フリードマンが徴兵制に反対していたと言うことでした。でも、イラク派遣をみてもわかるように、徴兵と言う最悪の国家の強制がなくても、底辺層が志願(選択の自由)というかたちで軍に追いやられるという現実があるということを考えると、平等と格差の関係が一筋縄ではいかないなとあらためて考えさせられます。

本書は準公式に近い自伝だから、「よいしょ」の本です。したがって、チリでのシカゴボーイズとフリードマンの関係やリバタリアンといいながら政治的に行動するフリードマンについてなどはほとんど触れられていません。その部分を割り引いたとしても、刺激やヒントにみちた本です。



授業に役立つ本 27 投稿者:新井 明 投稿日:2008/07/06(Sun) 20:32 No.188

前回の紹介からもう一ヶ月もたってしまいました。

中間考査が終わったら採点、教育実習の受け入れ、クラブ(なんと野球部顧問をおおせつかっています)の練習試合の付き添い、学会発表の準備、学会参加のために大分往復と続いたらさすがにへたばってしまいました。

それでも何とか回復、昨日(7月5日)は、ネットワークの講演会とシンポジウムに参加をして、刺激的な話や問題提起を受けて帰りました。

さて今回は、昨日のシンポジウムに刺激されたこともあり、二冊の本を比較しながら紹介してみようと思います。題して、「悪いのは誰か?」

二冊のうち、一冊は、本山美彦著『金融権力』岩波新書、もう一冊は、倉橋透・小林正宏著『サブプライム問題の正しい考え方』中公新書です。両者ともサブプライム問題を共通してとりあげていますが、サブプライムに関して紹介するのではなく、その書きぶりを比較してみようと思います。

ちなみに、サブプライム問題では、宮尾先生が清水書院の求めで分かりやすい解説を書いていますので、そちらを参照してください。

まず本山さんの本の紹介からはじめます。本山さんは、金融権力とは、ウオール街、IMF,ワシントンの政治家たちが一体となって世界中で推し進める「ワシントンコンセサンス」に基づく金融複合体を金融権力と称します。

具体的には、投資証券会社、ヘッジファンドなどの様々な金融機関、格付け会社がその中核であり、さらにこの種の企業に有利な理論を提供する経済学者も金融権力の一端を担うと言います。

本山さんの本は、全6章で構成されています。

第一章サブプライムローン問題が示したもの、でサブプライム問題を取り上げ、その衝撃、なぜ金融危機が発生したか、安易な貸付を促進させたのは誰かを問題にします。その結論は、世界的な金余りがあり、その資金がサブプライムローンを組み込んで証券化された新しい金融商品の購入にあてられ、それが、破綻したプロセスが紹介されます。
第二章金融の変質では、このような危機を招く元になった金融技術の仕組みを分析します。ここでは、サブプライム問題を正面にすえるのではなく、投機の仕組みや、ヘッジファンドのもうけ方などが問題にされます。そのなかで、演繹理論に基づいて金融工学を開発しノーベル経済学賞を受けたロバートマートンと、帰納理論によって人間社会の危機や逆帰納を分析した父キングマートンが取り上げられ、現代経済学の主流となっている演繹理論を批判します。このあたりは面白く読めるところです。

そして、帰納理論の重要性を説いたケインズやヒックスが登場します。

第三章リスク・テイキングの理論と、第四章新金融時代の設計者たちでは、このような金融工学や規制緩和を主張した経済学者を俎上に上らせます。取り上げるのはマイロン・ショールズら現代シカゴ学派の論客たちです。また、マネタリストの総帥ミルトン・フリードマンも批判されます。

第五章リスクビジネスの果てにでは、最初にあげた過剰金融と債権の証券化がリスクビジネスの隆興を招くと共に破綻をきたしたことが冒頭のサブプライム問題を具体例に再び取り上げられます。

最後の第六章は、このような不安定化した金融権力をいかにコントロールするかが取り上げられます。この章の冒頭には、お金儲けは悪いことであるとの小見出しで、「お金儲けは悪いことです。人を威嚇する方法で得たあなたの巨額の儲けの陰で、無数の人々が路頭に放り出された」と書いています。本山さんの価値観が明確に出た箇所です。

では、具体的にはどうするか、本山さんは、地域に向き合う思考としてプルードンを再評価します。また、イスラム銀行やグラミン銀行の例をあげながら、今後の金融システムを展望します。さらに、従業員持株制度であるESOPも株式を使った社会革命として提言します。

このように、本山さんの本は、悪いのは金融権力で、それをコントロールすること、さらに金融権力が跋扈する世界とは違った世界を展望することで危機を回避することを提言します。一貫した見方です。

それに対して、倉橋・小林さんの本はもう少しテクニカルです。

サブプライム問題が世界金融を危機に陥れているという認識は共通です。でも、その原因や処方箋は大きく異なります。同じように本書も紹介してみましょう。

全体は5章に分かれています。第一章サブプライム問題とその余波では、サブプライム問題を実体経済と金融経済にわけ、それぞれアメリカ国内、世界への波及と区分しながら問題を概観します。

第二章焦げ付いたサブプライムローンでは、第一章での概観をそれぞれより詳細に分析します。ここでは、アメリカの住宅金融とサブプライムローンの仕組み、その拡大の要因が分析されます。

第三章国際金融市場への波及では、金融機関の破綻その波及、ヨーロッパへの飛び火それへの対策と国際金融市場の動向が詳細に分析されます。

第五章日本の住宅金融システムへの示唆ということで、実体経済面である住宅問題、住宅金融の望ましい在り方が日本を舞台に提言されます。

第六章今後の見通しと日本の課題では、サブプライム問題の今後と、アメリカ経済と日本、日本がしておくべきことが具体的に提言されます。著者が金融の専門家ではないので本山さんの本とは違い、次のような内容です。

一つは、内需拡大をしろということです。日本の経済社会が外的ショックを受けやすい脆弱な構造になっているという認識のもとに外需たのみの経済を変換させろというのです。具体的には、給与水準の引き上げ、所得税の累進性の強化、社会保障関係費の抑制の見直し、耐震補強工事の促進も提言されます。

二つ目は、省エネルギー社会の形成を目指せということです。コンパクトシティの建設、代替エネルギーの開発などが提言されます。

倉橋さんが元建設省、小林さんが住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)に勤めていることが良く現れた提言です。

さて、タイトルのだれが悪者かに戻りましょう。

ここまでの紹介でお分かりのように、本山さんは金融権力、倉橋・小林さんは「きちんと返済できそうにない人にお金をかしてはいけないという、当たり前のことができなかったこと」に原因を求めます。ずいぶんと違うようですが、実は意外に共通点もあります。

例えば、現実主義に見える倉橋・小林さんの本でも、フリードマン流の投機は「価格の安い時に買い、高い時に売るのだから価格安定機能がある」という命題は、現実には逆に作用することも多く、また、所得の分配面で深刻な問題を引き起こすから、何らかの対策が必要と言っています。さらに、「近年、市場は神が造ったもので、人間が手を触れることはゆるされない」というような考え方があると言って、いわゆる市場原理主義を批判します。その意味では、本山さんと近い認識を表明しています。

ところが、二つの本を読んでみると印象がずいぶん違います。それはなんでしょう。ここで登場するのが「悪者はだれだ」です。悪者を明確に指摘してそいつが悪い、それを排除すれば理想の世界が生まれるという思考法が一つあります。それに対して、悪者は実は自分のなかにもあって、それを制御する仕組みを考えるという思考法もあります。

本山さんの本は、こういいます。人の身をはがすような質の悪い高利貸しのような金融業。あくどい金融を生業とし、人の射幸心をあおって、巨額のあぶく銭をせしめる業種。サブプライムローンを規制しなければ現在の苦境から脱出するほうほうはない。先物市場こそがあらゆる商品価格を破壊し、市場を不安定にさせている云々。かっこいいですね。悪代官をこらしめる水戸黄門というところでしょうか。

どちらの本がどうとは言いませんが、私たち現場の教員は、前者に傾きがちであるということを自覚したいと思います。なぜなら、教室で生徒に語るとき、かっこいいし、明確だし、分かりやすい。

それに対して、悪者を制御するというのはなかなか困難です。第一自分を勘定にいれて問題を考えるのは大変です。そんなことより悪者探しをしたほうが手っ取り早い。

前者の思考方法は、政治的立場を問いません。保守派でも同じ思考をします。金融問題で言えば、「マネー敗戦」という言葉があるように、アメリカの「金融権力」に陥れられたのが1985年のプラザ合意でそこから日本の迷走がはじまったという議論もあります。

長く書きすぎたようです。どちらの本が役立つか、それは先生方が直接手にとって確かめてみてください。

さて、昨日は「悪役」竹中平蔵さんが登場した割には、みなさん、竹中マジックに感銘したのか、質問や突込みがありませんでした。ちょっと残念。健全な野党(ドラッカー)は中心が健全であるためには必要なんだろうと思うのですが、どうでしょうか。



授業で役立つ本 26 投稿者:新井 明 投稿日:2008/05/28(Wed) 00:46 No.187

運動会が終わったと思ったら、こんどは中間テストがすぐ近くに。今年は4種類の講座をもっているので、問題つくりも大変。テストは受ける生徒だけでなく、作るほう、その後の採点など、教師側も大変ですね。

さて、今日紹介するのは、安冨歩氏の『生きるための経済学』NHK出版です。サブタイトルが「<選択の自由>からの脱出」という本です。

この本、偶然見つけました。学校からの帰り、普段はあまり使わないほうの駅の近くにおもしろい本屋があり、そこの棚にあったのが目に飛び込んできたので購入したものです。その本屋、小さな本屋さんなんですが、岩波文庫が店の奥にずーと並んでいるという本屋です。棚の陳列も、思想物、サブカルもの、エコロジーもの…と、テーマ別になっていて、主人の趣味がすぐわかるという近頃珍しい本屋さんです。

そんな本屋で購入したこの本、授業には直接は役立たないでしょうが、私(新井)にはとても面白い本だったので、紹介したいと思いました。

アブタイトルにもあるように、この本は経済学批判の本です。編集者が書いたであろう「腰巻」には「見えざる手の罠を解く」とあり、前回の池上さんの「見えざる手が経済を動かす」とは対照的な立場であることがわかります。

この本の基調は、経済学、特に新古典派経済学ないし市場経済学批判です。具体的な生身の人間が、コミュニケーションを広げる場としての「イチバ」が市場(しじょう)という抽象的概念に覆われて見えなくなってしまっている。そのベールの正体をあきらかにして、それをはがした世界を開示するという構成になっています。

全体は「序章 市場の正体−シジョウからイチバへ」からはじまり、「第一章 市場経済の錬金術」で標準的市場理論の非科学性を指摘します。

ここで著者は、現代の主流派経済学は、人々は実行可能な範囲の中から最も望ましいパターンの消費を選択するという最適化原理と、財の価格は需要量と供給量とが等しくなるまで調整されるという均衡原理という二つの原理のうえに成り立っているといいます。

その二つの原理は、前者は組み合わせ爆発を起こすので不可能、後者は模索過程が因果律を無視しているという点で問題を持っている。つまり、原理的に不可能であることを可能であるように装っている、それは錬金術と同じであると批判するのです。

このあたりは、すでに塩沢由典氏が指摘している問題ですが、その当否はちょっと現場の私たちにはやや遠い話という感じがあります。

それではなぜそんな錬金術に多くの人がだまされるのか?著者に言わせると、権威ある学者によって主張されており、大学で講義されているので、まさかインチキとは思わないからだということになります。それだけでなく、自由をもとめる人たちにとって、主流派経済学を否定することは自由を失うことになるのではとも推測します。

そして、錬金術的インチキをしなくても自由が守れる経済学があるとして、以下でそれを展開します。

とはいえそれがすぐに展開されるのではなく、第二章と第三章は、まだ事前的考察です。第二章は「選択の自由という牢獄」、第三章は「近代的自我の神学」として、合理的個人や、選択の自由の概念やそれがどうして出てきたかを吟味します。それはプロテスタントの世界観から由来していること、それが大きな認識上の障害となっていることをフロムなどの所説に依拠しつつ展開します。

このあたりはウエーバーの裏返しという感じですが、ふむふむと読めます。

第四章からが、著者のいうビオエコノミーになるのですが、その全体像がストレートに出されるのではなく(そんなに簡単に代替案がでてくるはずはないのですが)、ポラニーの暗黙知や「創発」を紹介しながら、錬金術化した現代経済学を超える道を述べてゆきます。でも、このあたりは正直ついてゆけないところです。

そして、第七章の「自己欺瞞の経済的帰結」で、自分のことを語りながら、現代の問題点、なぜ自分がこのような論を展開するのかが語られます。評者(新井)はこの部分が一番面白く読めました。それは、筆者の軌跡がかなり正直に書かれていたからで,経済書というより教育書というか,自己回復のための自己暴露というところがあったからです。

第二章で、筆者は選択の自由は牢獄であるといっていますが、それは筆者自身のことだったのです。つまり、より高いランクの大学を目指す受験生の心性にそれが典型的に現れるというのです。そして、それが私だったということで自分史を語ります。

選択の自由の呪縛にかけられて、良い学校をでればよい人生が送れるという親の説得にしたがって、受験勉強をして京大に入学。しかし、20年後、選択肢が広がるというのはおおいなるまやかしであることに気付いたと書きます。(とは言え、著者は東大教授ですが、東大教授は幸福ではなさそうだとも書いています。ほんとうかな?)。

選択の自由で選択したはずだけれど、結局はエリート看板の奴隷になった私(筆者安冨さん)の姿は、選択の自由をうたいながら、結局はそれに呪縛されて錬金術になってしまっている現代経済学と同じであるということだということなんです。

このあたりの論理や事実は、ひごろ家庭で、学校で経験している先生も多いと思います。評者(新井)も受験校で進路指導などをしてきたなかで、生徒に同じことを言ってきました。また、自分の子供たちにも同じようなことを言い続けてきた加害者ですからちょっとドッキリです。それにしても、経済学批判と受験勉強がつながって俎上にのぼっているというのは、なかなかの風景です。

実は、これと同じ趣旨の文章を、教育社会学者の本田由紀さんが書いていて、東大教授っていい子のなれの果てで,みんなおなじようなバックグランドででてきたんだと、あらためて思ってしまいました。

さて、本題にもどりますが、最終章「生きるための経済学」で、筆者は次のように総括します。現代の経済学は、自己嫌悪→自己欺瞞→虚栄→利己心→選択の自由→最適化、という流れから出てくるネクロフィリア(死)の経済学であるというのです。

それに対して、望まれるのは、自愛→自分自身であること(忠恕)→安楽・喜び→自立・自律→積極的自由→創発、というビオフィリア(生)の経済学だというのです。

結局、現代の主流派経済学を批判する視点はでてきましたが、その内容の全面展開は当然のこととしてなされているわけではありません。

でも、ここまで自分をさらけ出して文章を書くというのはある種勇気があることだろうと思いました。ただ、とても痛々しい感じがします。筆者安冨さんは、ビオ経済学といいますけれど、なんだか生命を肯定するというのですけれど、こんなに自己をさらけださなければいけない経済学だとするととてもついてゆけないという印象をもちました。

面白い本といいながら、最後は否定的な紹介になってしまいましたが、ある世代の特徴を良く現した本かなとも思います。前に紹介した、『現代日本の思想』の仲正昌樹さんが、この本の著者の安冨さんと同じ1963年生まれです。似ているなあ。また、鉄道好きの政治学者で、『滝山コミューン』という本を書いた原武史さんが1962年生まれです。原さんは、中学受験組です。

世代論できるのは、大変危険ですが、何かやはり世代的特徴というのがあるのかなと思わせる本でした。

さて、経済教育の観点からこの本でおもしろいところは、最後にでてきます。それは、著者安冨さんが、経済学に最初に疑問を持ったのは、中学生のころで、需要曲線と供給曲線で価格が決定されるという例の話を聞いて,なんだこれはと思ったことがきっかけだと書いているところです。

どうして価格が下がるとミカン100個が90個になるんだと先生に質問に行っても、しどろもどろ。価格決定が模索時間であり、現実時間ではないということが分かっていなかったからだろうと書いています。

この種の疑問は、きちんと物を考えている生徒だとたいてい持つ疑問です。教育学者のなかにも,経済学批判で同種のことを書いている人もいます。これに納得行くような解答を,それぞれのレベルで(中学生は中学生,高校生は高校生,大学生は大学生レベルという意味です)与えること、それと、需給のグラフは現実を見るのに役立つということをきちんと教えること、このあたりが大いなる課題だとあらためて感じました。

実は,今回のテストでは、需給曲線を出題します。生徒はどんな解答を示すか、また、どんな疑問を持つか、楽しみのような怖いような心境です。



授業で役立つ本 25 投稿者:新井 明 投稿日:2008/05/20(Tue) 23:34 No.186

学校では、先日「運動会」が終わりました。私の勤務校では、体育祭とは言わずに運動会と言っています。自分たちで自主的につくりあげる集団行事という意味をこめているのでしょう。これも一つの伝統です。

私は鉛筆より重たいものをもったことがないという運動音痴ですから、高校時代の運動会は敬して遠ざけるというか、要するにさぼった口で、いまでも生徒がなんであんなに運動会に熱中するのかわかりません。それでも、本当に一生懸命生徒が競技をしたり、楽しんだりしているのを見ると、若いっていいなと思います。

ただし、うらやましいとは思わないところがへそ曲がりなんですけれどね。

さて、前置きが長くなりました。今回は、池上彰さんの『「見えざる手」が経済を動かす』ちくまプリマー新書です。

プリマー新書と銘うっているだけあって、高校生レベルをターゲットとした新書です。だからとてもやさしく書かれた本です。

タイトルで分かるように、スミスの「見えざる手」をキーワードにして、つまり市場メカニズムを基盤にすえて、経済を見てゆこうという本です。ただし、教科書的ではなく、ジャーナリストだけあって、問題提起型の書き方をしています。

目次と内容を簡単に紹介します。

はじめにで学校選択制の話題から入ります。現職の先生方にとっては、身近で避けては通れない問題ですね。市場原理が教育に取り入れられた、そのメリットとデメリットを整理して、帰趨を問うという導入は、なかなか見事です。

以下、第1章は、高級ホテルのコーヒーはどうして高い?で、コストではなく、需要と供給が価格を決めるとして、銀行員の給料、放送局員の給料の高さの背景にあるからくりを説きます。

第2章と第3章は、お金と金融を問題にします。タイトルは、それぞれ、「ただの紙がなぜお金なの?」「紙が神になったら?」です。

第4章と第5章では、経済体制とくに社会主義経済とその崩壊、その後の展開、さらに社会主義のインパクトが混合経済システム、福祉国家を生んだとしてケインズの理論を紹介します。タイトルは、「人間が主人になろうとしたが」、「資本主義も社会主義を取り入れた」です。

第6章は、「資本主義が勝った?」というタイトルで、新自由主義の台頭と規制緩和による光と影の問題を提起します。

第7章は、「会社は誰のもの?」というタイトルで、株式会社に関する知識を整理し、規制緩和の中で問題となっているコーポレートガバナンスの問題を取り上げています。

第8章は、「あるべき社会とは?」で格差問題を取り上げ、政府が所得再配分政策をとることで、格差を少なくすることが可能であると問題を提起します。政府をつくるのは国民の投票がベースにありますから、最期は国民の責任ある投票行動が決めてになるとまとめます。

終わりにでは、政治的な投票と同じように、買い物も投票行動であるとして、市場の特質を踏まえて、「見えざる手」をうまく利用することが豊かに生きることになると結論付けます。

この本は、池上さんのジャーナリストとしての特質が良く出た本だと思います。池上さんは、「子供ニュース」時代の体験から、とにかく噛み砕くこと、具体的に話を進めることが問題を理解してもらう上で一番大切と実感したそうです。

その方法は、私たちが日頃の授業で心がけなければいけない教育方法と同じです。記者としての取材も、実は私たちが授業研究でネタを仕込むことと同じともいえます。

その点で、この本の書き方、展開の仕方は参考になります。ただ、ジャーナリストであるが故なのか、それとも池上さん個人のポリシーなのかは分かりませんが、池上経済学が強烈に打ち出されているわけではないところがちょっと不満といえば不満ですが、これは望蜀かもしれません。

それでも、全体を読むと、現状を肯定するのではなく、市場経済をうまく生かしながら、賢く制度を設計したり、行動したりすることが大事だというメッセージは伝わってきます。

この本の巻末には、もっと知りたい人のためにという文献案内が載っています。そこに、私が分担執筆をした『経済の考え方が分かる本』が、初級の経済学入門書として紹介されていました。有難いことだと感謝しています。

この本の最初の問題提起、学校選択制に関しては、この欄で何回か書いていますが、許しがたい、市場原理を学校まで持ち込むのはまちがいだと思っています。これは現場教師の実感です。日本の公教育、特に都市部での公教育はこれでがたがたになると私は思っています。

冒頭の運動会がしっかり出来ること、これも学校選択制の恩恵でもあるのですが、その分、割を食っている学校がどこかにあるはずで、全体の効用があがっているのかどうか、実証も含めて、論議したい問題ですね。



授業で役立つ本 24 投稿者:新井 明 投稿日:2008/05/11(Sun) 12:04 No.185

あっという間に連休は終わってしまいました。また、あわただしい日常が帰ってきました。今回は、前回の続きで、紹介し損ねた本を順次紹介します。

まずは、西村理・加藤一誠著『アウトルック日本経済』萌書房刊です。

西村先生も加藤先生もネットワークの主要メンバーの方です。

本書は、大学一年生を想定した入門テキストです。前回の中川先生の『公共経済学と都市政策』が中級用なのに対して、初級用のテキストと位置づけられます。

この本の特色は、タイトルに「アウトルック」とあるように日本経済を切り口として、特にこの10年間の日本経済の変化をトレースしながら、経済の全体像(アウトルック)を理解させることをめざす内容となっていることです。

そのために、大きく三部に内容を分けて、第T部では「日本経済のスケール」ということで、GDPを解説し、日本経済のGDPを構成している要素から内需と外需という要素を取り出しています。第U部では「日本経済の需要サイド」として、民間の消費・投資、貿易と投資、政府の大きさと役割を取り上げています。第V部では、U部の需要サイドに対応して「日本経済の供給サイド」として、日本的経営で企業をとりあげ、雇用形態の多様化で労働市場を、世界を動かすリスクマネーで国際金融を取り上げるという構成になっています。

つまり、大きさ、需要、供給から日本経済を見てみようという構成になっています。これは類書にはない本書の特色といえるでしょう。

もう一つの特色として、各章の解説のなかに、経済学のスタンダードな考え方を「公式」としてまとめ、それをベースに説明を加えるという書き方をしていることです。これは往々にして日本経済を取り上げた類書では、ジャーナリスティックな書き方をすることでことたりるとしてしまうことが多いことに対するアンチテーゼです。逆に、理論書にありがちな現実からはなれたモデルの一人歩きを避けるためにも、理論と現実の往復を目指す本、経済の基本的な考え方を踏まえて現実を見る本を目指していることです。

この二つの特色がうまく生きていて、本書はとても読みやすい本になっています。

例えば、第1章のGDPとは?の部分です。ここは、高校の教室でも生徒に理解させることがとても難しい部分です。GDPは付加価値の総額であるといわれても生徒はピンとこないでしょう。

本書では、その部分は、日本を日本株式会社という総合企業だと想定して、企業の売上高から仕入高を引いたものがGDPだと、まずおおまかにつかませてから、さらに細かい説明に入ってゆきます。

そして、公式1−1では定義として「GDPは日本株式会社の年間純売上高(付加価値の合計額)であり、日本国内にいる人々の年間収入(=GDI)の合計でもあります」とまとめます。

これを読んで、うまい説明だなとうなってしまいました。これなら良く分かるはずです。以下、GNPとGDPの違い、GDPデフレーター、経済成長率、名目と実質、GDPから見えること、GDPに入っていない項目など、高校の教室でも教える事柄が続きます。でも、とにかく説明が丁寧で判りやすく書かれています。こう説明すればいいのだと改めて納得しました。

なぜ高校の教室でこううまく説明できないかと考えてみましたが、一つは時間の制約、もう一つは教科書の制約だろうと思います。GDPの説明に1時間(50分)は取れません、教科書は正確には書かれていますが、いかんせん限られたスペースで説明しますから、用語だけがゴシックで一人歩きをしてしまいます。その現実をいきなり超えることはできませんが、せめて私たち高校の教員がこの本に書かれている流れを理解しつつ、授業をやると随分とちがうだろうなと思いました。

もう一つの例をあげます。最後の第8章にある、金融のグローバル化の箇所にある、サブプライムローンの問題の部分です。昨年来問題になっているホットな話題までとりあげているのは見事です。その解説もシンプルにうまくまとめてあり、筋道がよくわかります。それに加えて、公式が三つとりあげられて影響を説明します。短いなかで説明をする方法として公式を使って復習もかねて理解させるというのもうまいやり方かなと思いました。

なかなか良くできている本書ですが、残念なことがいくつかあります。一つは、需要サイドと供給サイドと分けたのですが、供給サイドの説明がもう少し欲しいところです。例えば、日本の産業構造などの産業論的な説明があるとアウトルックとしてより立体的になったかなと思いました。

関連すると、全体を需要と供給にわける基準というか、分け方が難しいなとも思いました。政府を需要サイドに分類していますが、財政支出などは供給と絡むかなと思ったり、最後のリスクマネーのなかの企業ファイナンスは需要と関連するしと思ったり、結構苦労されたのではと思いました。

二番目は、大学生向けテキストであるならば、中川先生の本のようにとは言いませんが、討議のための例題なり質問を章末に入れて置いていただけるともっと活用できるのではと思いました。

三番目は、一般向けの本としても読者を呼べると思いますから、販売ルートなどを広げられるといいなと思いました。テキストだと大学の近くだけとなりますから、一般書店で手に取れると良いと思いました。(アマゾンにはありますが、写真がついていませんでした)。

今年の夏、先生向けのセミナーを企画していますが、この本のような説明をしていただけると現場教員としては有難いと思っています。

さて、件の愚息はこの本を手にしたらどのような感想を述べるでしょうか。



授業で役立つ本23 投稿者:新井 明 投稿日:2008/05/07(Wed) 19:42 No.184

現在、連休中。新学期のあわただしさもひと段落。すこし息がつける状態になりました。そこで今回はこれまで紹介しようと思っていて、たまってしまっていた何冊かの本を紹介します。

まずは、発行順に、最初は中川雅之著『公共経済学と都市政策』日本評論社,から。

この本は、将来の新しい公共部門を担う人材、もしくは公共部門を評価する人材のための系統的なテキストとして書かれたもので、大学では公共経済学の講座向けの中級用テキストです。

その意味では、高校までの教室で経済を教える人間にとってはややレベルが高いところもありますが、そういうところをスキップしてもよいから読んでみるとよい本だと思います。

内容的には、三部に分かれていて、第T部の市場の失敗で公共経済学の基本的な内容を解説し、第U部の都市政策で、都市経済学の中心的な論点を取り上げ、第V部公共部門の設計で、公共部門の在り方を取り上げるという構成になっています。多分、著者は第U部をしっかり読んで活用して欲しいと思っているのでしょうが、私たち学校現場の人間にとって、一番参考になるのは第T部でしょう。そこをもう少し見てみます。

第T部では、「そもそも、なぜ公共部門は存在するのか」というサブタイトルのもとで、第1章で市場はなぜ好ましい結果をもたらすのかで、現代経済のなかでの公共部門の機能をまとめ、その前提となる市場経済の効率性を、厚生経済学の第一定理として解説しています。厚生経済学の第一定理は、高校では扱われませんが、「市場では神の見えざる手がはたらいて効率的な資源配分を達成する」という私たちにおなじみのテーゼの前提となる理屈を、丁寧に説いていて、それが完全競争市場のもとで成立することを明らかにしています。

高校と大学の違いは、高校までの教科書では、理論の前提が書かれていなく、また、その前提を踏まえた論理も扱われないので、結果を覚える暗記になるか、現実と理論の違いをもってきて、ほら理論は役立たないだろうというような講義がされることが多いのです。

その点、この本ではきちんと前提を確認して、論理の展開から定理を抽出し、定理が成立する条件を確認し、条件が欠けた場合はどうなるか、それをどうすれば修復できるかを説明します。このような書きぶりは大学レベルのテキストならではの特徴です。

問題は、厳密さを追及すれば必然的に、論理を厳密に展開しなければならなくなって、数式を使うことになります。この本で使われている数式は、筆者にとってはちょっと大変な箇所もありますが、中級テキストとしてはそれほど難しくないはずで、丁寧に読めば理解できるものだろうと思います。とはいえ、高校の教員などは学校の仕事をしながらこの種のテキストをしっかり読んでゆくのは大変な努力と時間が必要だろうとは思いますが。

このような書き方で、第2章以下、4章までは、市場の失敗の具体的な例を三つあげて、その内容と公共部門の役割を解説してあります。第2章は公共財、第3章は外部性、第4章は情報の非対称性がそれぞれ取り上げられています。これらの概念は情報の非対称を除くと、教科書でおなじみだろうと思います。

ここでも標準経済学で学ぶべき初級レベルの内容を復習しながら、市場の失敗の構造が分析され、その克服策なり理論が紹介され、吟味されています。例えば、第2章の公共財では、公共財の最適提供条件のなかの一つリンダールメカニズムの紹介では、道路特定財源を巡って解説が行われています。これなど、このテキストが書かれたときには、現在のようにこんなに問題化するとは予想していなかったと思われますが、この部分をしっかり読めば、道路財源をどのように確保しながら、政策評価をしてゆくのかのプロセスが見通せます。

これも教室では良く見られる風景ですが、ある問題に対して、新聞記事などからいきなり政策の是非をある種感情的に問うことが行われますが、このテキストにあるレベルの内容を押さえた上で、議論しなければと、考えさせられます。

そして、第5章で公平性を扱い、パレートやベンサム、ロールズなどの説を紹介して、所得再分配政策の問題を扱います。ここでは、現在問題になっている格差の議論やその克服法が解説されていて、ここがいわばT部の総括になります。

U部以降に関しても、基本的な書き方は同じで、都市経済学の標準的内容が解説されるとともに、現実の政策の吟味、代替案を出すとすればどのようなものになるべきかという構成になっています。

この本を通読して、とにかく親切な教科書だというのが最大の印象です。各章の最初に、SF小説の一節が紹介され(中川先生の趣味が十二分に生かされています)、それを切り口に、次の本章で伝えたいことが提起されます。その上で、本文が書かれています。本文の最後にはまとめがあり、練習問題があり、巻末には詳細に説明された解答があります。現代の大学生は勉強しようと思えば、とてもやりやすい環境にあるなと思いました。勉強をしないのは、本人の責任ですね。

もう一つの印象は、高校までの社会科や政治・経済教科書とは違った構成だということです。高校までの社会科教科書は、事実をたくさん紹介して、そら考えろという帰納的な書き方をしています。それに対して、本書の書き方が典型でしょうが、経済学はモデルを前提にした演繹的なものという性格です。

「経済学という学問は、合理的な個人による最適化行動というツールを用いて、われわれの代理人である公共部門が、うまく働いているかを判断するきっかけを与えてくれる」と中川先生は書かれていますが、高校までの経済学習では、このような経済学の特徴を生かした授業なりテキストは提供されていません。

とは言え、経済学の発想をマスターするのはかなり大変で、本書でも、例えば、11章で「どうやって政府を統制するのか」で、民主的手続きによる統制の箇所、p204ですが、面白そうだなとよみはじめたらいきなり、「2m−1人の国民のいる社会を想定する」という記述で迷ってしまいました。

2m−1の国民? そもそもmって何だ? などなど…。モデルをつくる、その時のロジックをきちんと追ってゆくというのは大変なんだと思った次第です。

同じ11章で、まとめの箇所にでてくる、中川先生が国土交通省に勤務していたときの経験の部分がとても面白く、筆者(新井)などは、このような話なら分かるなあと嘆息しました。

いずれにせよ、経済学のこのような発想をどう高校までの教育に生かすか、生かすべきか、生かすとすればどのように、というのが課題になるなと感じました。

ここまで書いたら大学で経済学を学んだ(はず)の愚息が帰省してきました。「経済のテキストはいい本がたくさん出ているぞ、お前も学生時代にもう少し勉強しておけばよかったのにな」といったら、愚息いわく、「経済学なんていまの仕事にはほとんど関係ないよ、世の中ってそんなもんだよ」と。うーん、親の心子知らず。道遠しですね。

そんなばたばたで、あと二冊ほど紹介しようと思っていたのですが、続ける気力がなくなってしまいました。ということで、今回はここまでとします。ごめんなさい。



授業で役立つ本22 投稿者:新井 明 投稿日:2008/04/13(Sun) 10:26 No.183

とにかく継続は力。

ポール・ポースト『戦争の経済学』バジリコ株式会社刊

今回取り上げるのは、『戦争の経済学』と言う本です。著者のポール・ポーストという人より、実は訳者の山形浩生さんの方が有名で、私も山形訳ということで買ってみたというのが正直なところです。

山形さんの訳書は、とにかく現代の注目本が多く、最近では、双曲割引の理論を説明した『誘惑される意思』NTT出版、や『ポル・ポト』講談社など話題の本を続々訳しています。本書『戦争の経済学』もその流れの一冊です。

なぜこの本を紹介しようと思ったかと言うと、ある社会科の先生との会話があります。その先生は、平和教育をテーマに教育研究をおこなっているのですが、どうも今の学校で平和教育をどう進めるのか、いまひとつ自分自身でもぴんとこないところがあるという趣旨の発言をされていました。そこで、最近読んだ、この本を紹介して、ともかく「おもしろいから」読んでみたらと薦めたという経緯がありました。

訳者の山形さんも書いていますが、戦争を経済で論じることの是非もあろうし、本当に経済のタームで論じられるかについては反論も多く出るはずです。しかし、これも訳者山形さんが書いているように、戦争の悲惨さを強調するだけで生徒にうんざりされたり、逆に国際的な発言力の向上を論じたていけいけどんどんをあおったり、某省の大臣のようにミリタリーおたくの跋扈する場になったりするだけでなく、ある種冷静に、合理的に戦争を見てゆくこと、この本の立場では戦争を巨大公共投資という観点から見てゆくことも必要で、その手がかりになる本だと思いました。

まえがきが長くなりましたが、本書は、全体が大きく三部、戦争の経済効果と軍隊の経済学、安全保障の経済面の三つに分かれていて、さらにそれが8章に分かれています。扱われているテーマは、戦争経済の理論(1章)、実際の戦争経済(2章)、防衛支出と経済(3章)、軍の労働(4章)、平気の調達(5章)、発展途上国の内戦(6章)、テロリズム(7章)、大量破壊兵器の拡散(8章)と、戦争や軍隊、また国際関係に絡む問題が幅広く取り扱われています。付録に、山形さんによる「事業・プロジェクトとしての戦争」が付いています。

『戦争の経済学』の経済学の部分は、現代主流派のミクロ、マクロのオーソドックスな理論を下敷きにしているので、この本を経済学概説の入門書とすることもできるようになっています。だから、アメリカの陸軍士官学校の教科書にもなっているとのことです。

書き方は、アメリカの教科書の典型で、6章の「発展途上国の内戦」を例に挙げると、本文があり、コラムがあり、最後に要点、使用したキーワード、復習問題とつながります。

本文では、内戦の経済的影響で戦争のマクロ経済への影響がデータとして押さえられ、次の内戦の経済的原因で、貧困、資源、強欲、民族支配、格差などが検討され、さらに発展途上国への小火器販売で、AK−47の販売を事例として兵器市場と内戦が分析されます。そして、ケーススタディとしてアフリカの紛争が分析、紹介され、最後にPKOの経済分析がされるという構成をとっています。

要点では、マクロ経済学的な要点とミクロ経済学的な要点が列挙されます。マクロ的には、内戦が長期化、頻度が増えていること、国内、近隣に経済的なダメッジを与えること、対外債務負担を増やすことが指摘されます。ミクロ的には、貧困、水平的格差、原料に依存した経済構造が内戦を引き起こすこと、内戦の深刻さはAK−47の価格で判断できること、などが列挙され、国際公共財である国連のPKOはアメリカなど先進国にとっては、軍事行動の限界費用が限界便益を上回るから経済的に非効率とまとめられています。

キーワードでは、政治用語に加えて、公共財、ただ乗り問題、機会費用、闇市場、限界便益、限界費用など経済用語が列挙されています。

そして、復習問題がいくつかありますが、そのなかで、経済分析から見るとアメリカは平和維持活動に参加すべきでないとなるが、参加すべきという経済的な議論はあるかという問題が出されています。

この最後の問題は、私(新井)にとっても重い問題です。というのは、国際関係を扱った箇所で、クリントン政権時代にアメリカがルワンダ問題で、あれはジェノサイドではないという強弁をしてPKO派遣に反対したビデオを見せて、では、そういったアメリカをいかに説得してゆくかを考えさせようとする構成の授業をやっているからです。

その時のアメリカの関係者の発言「私達はPKOをアメリカの国益と結び付けたいのです。ですから、国益と結びつかないルワンダでは、例え人道上の活動だとしても、国民に対して“あなたの息子を危険にさらしてくれ”と説得するのは困難なのです。こうした考えは世界中どこでも同じだと思います。家族の命を危険にさらしたいと思う人など誰もいません。正に悲劇的な計算ですが、何人のルワンダ人が死のうが関係無いのです。ルワンダ人の命は、アメリカ人やベルギー人あるいは日本人の命に見合う価値は無いのです」を超える論理を持ちうるか、平和教育の現代的課題はここにあるのでは、と思っています。

もちろん、この本を読んだからといって、その解決方向が見えるわけではありませんが、経済をベースに物事を総合的に考えることができる人間をつくる、という経済教育の目標のからも、この種の本を参考に授業に臨むのも大事なことだと思っています。

ほかにも、北朝鮮やパキスタンで大量破壊兵器がなぜ作られるのかの経済分析など政治とは別の角度からの分析も興味深いものがありますが、それはどうぞ各自で確かめてみてください。

私の戦争に対する結論は単純で、戦争は経済的に見合わない、だから基本はやるべきではないということです。でも、義を見てせざるは勇なきなりで、時には仕方がない場合もあるのかもしれないというものです。問題は、義とは何かということで、ここまでくるとまた別の価値観による判断がでてきて話は振り出しに戻ってしまうのですが。経済学徒としてはこんなところが結論です。

さて、はたして平和教育をテーマとしている先生は、この本を読んでくれたかな?これも限界費用と限界便益の問題かな?



新井先生の提起した「経済学に対する疑問」を解く 投稿者:TM 投稿日:2008/04/06(Sun) 07:22 No.180

新井先生の提起した「経済学に対する疑問」を解く

本日(4月6日)付の日本経済新聞の「読書」欄の「今を読み解く」のコラムで、日経の編集委員が「経済学とは何か」について書いています。そのなかで、この前の投稿で新井先生が書評された『日常の疑問を経済学で考える』と、そのまた前の投稿で私が書評した『アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書』が、『ヤバい経済学』や『まっとうな経済学』とともにまず読むべき本として取り上げられています。

最初の『日常の疑問を経済学で考える』については、新井先生が取り上げたのと同じ「機会費用」の例が引用されていて、いかにこの「機会費用」が経済学を習う場合に象徴的かつ印象的な概念であるか、また(目に見えないものだけに)いかに一般に理解が難しい概念であるかを感じさせます。肝心なことは、「経済を見るセンス」であり、この本は、「センスを磨く時間を省けるという意味で経済的だ」と、この日経の編集委員は半分しゃれたつもりで述べています。

また、『アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書』については、「ある程度体系立った見方を身につける」ために、「インセンティブ(経済的誘因)という切り口を基に、経済学の基本を具体的に解説」している読みやすい本として推薦されています。

この編集委員の解説を読みながら、この前の投稿の最後に新井先生が提起された「経済学がこれほど役立つのに,どうして経済学への偏見や抵抗が消えないのでしょうか?その理由を経済学的に説明できたら面白いですね」という疑問に対する答えが一部見つかったような気がしました。私なりの答えは以下のとおりです。

1)本当に役立つ概念や手法が教えられていないため。これには2つの意味があります。
まず第1に、経済学というと「機会費用」がすぐ取り上げられるということが象徴しているように、それを知っていたからといって現実にあまり役に立たないばかりか、そもそも経済学の実証面(選択や競争の説明)でも規範面(効率性や最適性の定義)でも必ずしも必要のない概念が、まず教えられることに問題があります(この概念がよく取り上げられるのは、試験問題に適しているからだけではないでしょうか)。
第2に、「日常の疑問」を経済的なセンスで「しゃれた答え」が出せる点を強調するだけでは、「本当に役立つ」とはいえず、生活や仕事にどうしても必要であるか、知っていると目に見えるプラスの効果があることを示さなければなりません。そのためにこそ、身の回りの消費者や家計の行動、つまり消費や貯蓄や所得や労働の議論から始めことが必要で、そうすれば金融機関などが提供している金融教育や雇用情報などに関する資料などが有効に利用できるようになると思います。

2)経済学の体系を学ぶ意味が教えられていないため。
この日経の記事でも、ある程度は体系立った見方を見につけるべき理由として、「酒場でウンチクを傾けたとき馬脚を現さない」ためと半分冗談のように述べているだけで、この編集委員自身が本当の理由をよく理解していないことをいみじくも明らかにしています。
いうまでもなく経済学を体系的に学ぶ意味は、個々の経済主体が自ら選択する最適化行動が、市場のメカニズムを通じて、社会全体の希少な資源の配分をもたらすことを理解し、その配分が社会的な「効率性」や「最適性」の基準を満たす場合と満たさない場合があることを明確に理解できること(もちろんマクロ的な経済制御についての理解も加えるべきでしょう)、そしてそのために経済政策の評価や経済社会の制度設計に役立つこと、といえます。
この「社会的に役立つこと」をもっと強調して、分かりやすく教えることは、ちょうど物理学や化学や工学などを学ぶ意味を教えることと同じように重要で、真剣に学ぶ学生や研究者に正しい「使命感」や「目的意識」を持たせるために必要不可欠と考えます。

ということで、新井先生が疑問とされる「経済学への偏見や抵抗が消えない経済学的な理由」は、経済学を学ぶ上記のような個人的メリットや社会的なメリットが理解(説明)されていない一方で、学ぶコストは目に見えない事柄を「翻訳された輸入学問」(この日経の記事の最後でも「経済学の古典が読まれないのは、訳文が障壁になっている面もある」と指摘されています)で説明しなければならないという多大な心理的苦痛をともなうことにあるのではないでしょうか。
したがって、経済学を学ばない(また学ばせない)口実として、「たかだか金儲けに役立つか役立たない程度のものを学ぶ必要もないし、それを子供たちに教えるのは言語道断」といった偏見や、「マルクス経済学の名残のあるものを学ぶのは不必要で、かえって有害」という抵抗がいつまでも消えないのではないか・・・。
以上、日曜の朝の頭の体操として書かせていただきました。
TM



Re: 新井先生の提起した「経済学に対する疑問」を解く 新井 明 - 2008/04/08(Tue) 00:26 No.181

宮尾 先生

早速の反応有難うございます。

問題提起というほどのことではなかったのですが,経済学のサイドからきちんとした回答がでてきて参考になりました。

経済学を学ぶコストに比べて,メリットが十分伝わっていないこと,また,その裏返しとして,ある種の偏見が日本では大きいことが理由だというのはその通りだと思います。

メリット面で,個人的なメリット,社会的なメリットと区別されたところがポイントかと思います。

経済を学ぶと得をするといいますが,その得というのが,通俗的にはお金儲けであり,もうすこしレベルが高くなると,世の中の動きを知ることができるという個人的なレベルにとどまっていることが,大いに問題だろうと思います。

先生が指摘している,社会的な効率性や最適性の理解まではなかなかたどり着かないのが現実で,だから,経済学の知見をもとにした制度設計という考えがこれからの教育のなかで必要なものになるのかと考えました。

コストの点で言えば,翻訳学問の宿命はあるのでしょうが,やはり効率性や最適性という私たちの文化のなかでは意識されていない価値,もしくは感情的に反発がでてくるような価値の世界に入るまでのバリアはかなりあると感じています。その点では,テクニカルな問題より,価値論の問題が大きいかなというのが実感です。

だからいわゆる近代経済学を学んだ人でも,経済学を学ぶと競争原理が内面化されて,ごりごりのエゴイストができるのだと批判をする人がでてくるのではと思います。

一点,先生の指摘でちょっと違うなと思ったのは,一番最後の「マルクス経済学の名残のあるものを学ぶのは不必要…」というのは逆で,マルクス経済学の名残りは社会主義への共感というのではなく,歴史主義的な思考法だと思います。その歴史主義的発想(一種の発展段階説)は教育現場ではまだ色濃く残っていて,制約条件下での最適問題を解くという発想を排除する一番のものではというのが実感です。

つまり,演繹的な発想や方法が現在の経済教育ではほとんど無視されるか自覚されずに,経済事象なり経済問題を帰納的,もしくは情緒的に扱うという傾向は強く,それが前記の,ごりごりのエゴイストを作るという偏見と結びついているというのが現状ではと考えています。

それを逆転させるのは,大変難しいというのが実感ですが,「読み書きそろばん,経済」となるために何がどう必要か,私たちの努力が試されていると感じています。



Re: 新井先生の提起した「経済学に対する疑問」を解く TM - 2008/04/09(Wed) 22:55 No.182

新井先生 お返事ありがとうございました。いろいろと参考になります。

以下は、新井先生が指摘された2つの重要なポイントについて簡単な感想です。

1)「コストの点で言えば・・・やはり効率性や最適性という私たちの文化のなかでは意識されていない価値,もしくは感情的に反発がでてくるような価値の世界に入るまでのバリアはかなりある」という点についてですが、これについては、「効率性」や「最適性」といった一種の専門用語がマイナスに働いていると思います。
しかし内容的には、これらの価値はたとえば最近流行語のようになっている「改革」や「格差」の価値に対応していると考えられますので、専門用語を使わずに現実の経済ニュースの記事を使いながら中高生にも分かりやすく教えられるのではないかと思います。
例えば、なぜ小泉政権以来の「改革路線」を評価する人と評価しない人に分かれるのかは、「効率性」の基準で評価する人と、「分配の最適性」を重視する人(しかも再分配は難しいので改革によって大多数の人の満足度が下がったとして改革そのものが社会的に望ましくないとする人)とがいるためといったような説明です。

2)「歴史主義的発想(一種の発展段階説)は教育現場ではまだ色濃く残っていて,制約条件下での最適問題を解くという発想を排除する一番のもの・・・つまり,演繹的な発想や方法が現在の経済教育ではほとんど無視されるか自覚されずに,経済事象なり経済問題を帰納的,もしくは情緒的に扱うという傾向が強い」という点はよく理解できます。それは、ある意味で経済学も含めて「科学的思考」そのものがよく理解されておらず、十分に教えられていないという深刻な問題提起ではないでしょうか。
ただし、あえていえば、演繹と帰納の違いは、理論と歴史の違いに必ずしも対応していないので、経済学的分析を歴史的な事象に応用して、歴史主義者と同じ土俵に立って、経済学の有用性を実際に示すことが望まれるともいえます。
これをある程度実践しているのが、クリオメトリックス(Cleometrics:計量経済史)のグループで、さらに青木昌彦教授が展開している制度論的なアプローチのように、歴史的初期条件を考慮しなければ現実の経済に対する十分な理解が得られないとする立場もあるので、私たち経済学を学ぶ者はもっと歴史を勉強して、歴史に取り組まなければならないと自戒の意味も込めて言いたいと思います。
以上
(宮尾)

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