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授業に役立つ本 その20 投稿者:新井 明 投稿日:2008/04/03(Thu) 18:27 No.178

卒業,大学の発表が続き,本の紹介の間隔が空いてしまいました。継続は力ですから,また再開します。いや,まだやっているのかな?

さて今回紹介するのは,ロバート・H・フランク『日常の疑問を経済学で考える』日本経済新聞出版社,です。

本書は、経済学の体系をストレートに体系的に語る本ではなく、タイトルどおり日常生活の中の疑問を経済学、もしくは経済的な見方や考え方で解いてみたらどう納得できる回答がえられるかが書かれている本です。

これまで本コーナーで取り上げてきた本の系譜でいえば、吉本さんの『スタバではグランデを買え』や、大竹先生が編集された『こんなに使える経済学』などと同じ流れの本と言えるでしょう。

この本の英語のタイトルはThe Economic Naturalistで、直訳すると「経済的生物学者」。いったいこれは何という疑問がわくでしょうが、これは著者が作った言葉で、生物学とくに進化論の知見に触発されて、日常生活のなかの不思議を解いてみようという趣旨の言葉だそうだ。

本書のなりたちは、経済学を大学で教えている著者が、経済学を専攻した学生でも基本的な概念をマスターしていない現実にショックを受けたことが起点になっています。また、経済学のテキストで数学がでてくると思考停止をしてしまう学生の現実を突破したいという思いから出来ています。著者がそれらの問題を突破するために発見した方法は、学生に日常生活の疑問を提示させて、それに自分自身で経済学を踏まえた回答をレポートさせるという方法でした。

課題は「あなたが観察した出来事や行動パターンについての疑問を提示し、授業で学んだ原則を一つまたは複数用いて回答しなさい」という形式で、500ワード以内という条件もつたそうだ。さらに、数式やグラフを一切使わずに、経済学を学んだことのない親戚に説明するように書くというのも条件につけたとのこと。

著者に言わせると、このような物語を作って回答する形式は、教育学者のブルームも推奨する理解を深める方法で、実際に学生に取り組ませてみて効果ありということである。

内容的に本書は11章にわかれており、それぞれ「直方体の牛乳カートンと円筒形のソーダ缶」(製品設計の経済学)とか「無料のピーナッツと高価な電池」(行動における需要と供給)などのタイトルがつけられて、たくさんの疑問と回答が列挙されています。その数137もあります。すごい。

とはいえ,疑問の中には、コンサートの連続チケットが格安なのはなぜ?とか、ドリンクのお代わりを無料で提供するレストランが多いのはなぜ?のように、日本を含め全世界共通の問題もありますが、中には、多くの高校で、卒業生総代の選出を廃止したのはなぜ?とか、トップランクの大学がすべて非営利なのはなぜ?のように、アメリカ生活の実態をしらないとわからない疑問も数多く取り上げられています。その意味では、玉石混交といえますが、授業の中で生徒に質問してみたいという使える事例は必ず発見できると思われます。

解答の基底あるキーワードの一つは、「テーブルの上に現金はない」です。「唯の昼飯はない」はよく聞く言葉です。それに対して,これはあまり見ることはなかった言葉でしたが,なかなか有効な言葉だと感じました。

さて、この本の面白さは何か。三つ上げておきましょう。

一つは、あれだけ小さなときから経済教育をやっているはずのアメリカでも経済学を教えることは大変だということが分かる点です。

それを象徴しているのが序章にでてくる機会費用の理解度の話です。これは、数年前にニューヨークタイムズのコラムで取り上げられ経済教育関係者の間では話題になった話で、学生だけでなく,なんと教える教員側も機会費用をきちんと理解していないという現実が暴露された事例です。

ちなみに、筆者は偶然ネットでこの話題を見つけて、2005年度の経済教育学会で紹介したことがあります。そのエピソードが載っていました。

少し横道にそれるますが、出来なかった問題は以下のようなものでした。
「エリッククランプトンのコンサートのチケットが無料で入ったとする。転売はできない。同じ夜にボブディランのコンサートもあり、どちらか行きたいと考えている。ディランのチケットは40ドルだが、50ドルまでは出すつもりだった。結局、クランプトンのコンサートにゆくことにしたが、このときの機会費用は次のどれか?
a 0ドル  b 10ドル  c 40ドル  d 50ドル 」

さて、皆さんの答えはいかがでしょうか?

二番目は、経済学教育批判の面白さです。例えがいいですよ。これは最後の謝辞の箇所にあります。現在の経済学教育は、仮定法過去完了を教えているようなものだというのが著者の診断です。アメリカ人の著者でも仮定法過去完了は知らないといます。それを読んで,そうなんだ、英語を使う人間でも知らないんだと一安心。でも,日本の受験生は大変だなというのがもう一つの素直な感想。お互い大変ですねというのが自然に出てきた感想でした。

三番目、これが一番役立つ部分でしょうが、生徒に疑問を持たせて解答させるという方式です。ブルームを持ち出すまでもなく、たしかに解答が正しくなくとも、まず身の回りを振り返り疑問を持つというのは、物事の本質を知る第一歩になるだろうということはすぐわかるます。

疑問を、これまでに身に着けた理論や概念で解いてみるというのは、社会科教育の中でも「問いを立てる」ということで言われ続けてきましたが、その実例がここにあるという感じです。もちろん、先ほども触れたようにすべての問いや役立つわけでもないし、解答がただしいわけではないでしょうが、教育の方法としてこれは使える、面白いと思います。

現実に役立つ学問、というのはアメリカ流プラグマティズムですが、その見本かなと思う本であでした。一読あれ。

最後に,私の世の中への疑問を一つ。それは,経済学がこれほど役立つのに,どうして経済学への偏見や抵抗が消えないのでしょうか?その理由を経済学的に説明できたら面白いですね。




Re: 授業に役立つ本 その20 新井 明 - 2008/04/03(Thu) 18:28 No.179

役立つ本 その21でした。訂正です。



書評:山岡・浅野『アメリカの高校生・・経済の教科書... 投稿者:TM 投稿日:2008/03/23(Sun) 18:47 No.177

書評:山岡道男、浅野忠克『アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書』(アスペクト、2008年4月)

まさに出たばかりの本で、米国のNCEEが提案している高校生向きの経済教育のスタンダードに沿った上で、日米の違いを考慮して日本の教育現場に合うように内容を調整した教科書とのこと。
確かに目次を見ると、以下のように分かりやすく簡潔かつ興味を引くようになっています。

第1章 家計の経済学:どうすればお金を増やせるのか?
第2章 企業の経済学:経営者は利潤の最大化を目指す
第3章 金融の経済学:銀行から上手にお金を借りる方法
第4章 政府の経済学:政府も市場も失敗をする
第5章 貿易の経済学:日本は再び鎖国できるか?

特に「家計」から始めているところが、大学でのスタンダードの経済学の教科書の内容につながるようにみえます。また内容のレベル、説明の方法、表現の仕方、具体例やイラストの使い方など、すべて高校生に無理なく理解できるような工夫がなされており、その点は高く評価できると思います。

ただし、テーマ的な配分や説明の内容についてみると、大きな問題が残り、以下がその主なものです。
1)第1章の「家計の経済学」の中に、「希少性」「インセンティブ」「選択」などの基本的な概念を入れて説明しているため、経済学全体の基本となる概念と、家計や個人の選択の行動とが混同されて理解される恐れがある(実際に説明も明確に分けていない)。同様に第1章の中に、「通貨供給」や「インフレ」の話しが入っているので、金融全体の問題と個人がお金を使う話しが混同される恐れがある。

2)第2章の「企業の経済学」の中に、市場での価格のメカニズムの説明を入れているために、企業の競争的な行動と市場レベルのメカニズムが混同される恐れがある。実際に企業競争についての説明で、価格競争だけでなく、「競争が技術進歩と経済成長を生む」といった表現で、色々なレベルでの問題を混同した説明になっている。
さらにこの続きとして、「経済成長と生産性の向上」という節が、「政府の経済学」の章に入っており、経済成長が説明されていないにもかかわらず、生産性の向上が取り上げられており、議論が整理されていない。

3)第3章以下の「金融」「政府」「貿易」の説明についてもいくつか細かなコメントがありますが、何といってもこの教科書の最大の問題点は、競争市場での価格のメカニズムによって「効率的」な資源配分がなされるという重要な命題の説明がないことです。つまり何が経済全体にとっての効率性かという説明なしに、市場での均衡価格の成立について一言だけ「市場経済では価格は・・需要と供給の相互作用により、自動的に均衡点に調整されて、資源配分が効率的になされます」(p. 194)と述べるだけで、その後すぐに「市場の不完全性」の説明に入っていってしまうことが問題です。
つまり、現実を説明する道具としての競争市場の需要供給分析と、それとは別に効率性や最適性の基準に照らした資源配分を議論した上で、競争市場がその基準を満たす資源配分をもたらすこと、また市場が完全でなければ効率性や最適性の基準を満たす資源配分が得られないという分析が分けて説明されていません。

もっとも、この問題はこの教科書に限らず特に高校レベルの経済教育の教科書や資料に共通のもので、この本でも同様の盲点があるといえます。したがって、この本はそれなりによい本で、高校生の経済教育に役立つことは確かですが、もっと経済学の基本と本質を理解させるようなよりよい教科書が必要であるといえるのではないでしょうか。
TM



経済教育国際セミナー@早大(2/16)の要旨をアップ 投稿者:TM 投稿日:2008/02/17(Sun) 15:57 No.175

経済教育国際セミナー@早大(2/16)の要旨をアップ

16日(土)に、経済教育ネットワークの「お知らせ」にも載っている「早稲田大学経済教育国際セミナー」(司会:阿部信太郎先生)に参加しました。
スピーカーは、ハワイ州経済教育協議会(HCEE)のメンバー3人の先生方で、本当に色々と参考になるプレゼンでした。
その内容の要旨を日本語と英語でまとめて、写真とともに、以下の私の 経済教育のブログにアップしましたので、ご参考までにお知らせいたします。
http://blog.so-net.ne.jp/miyao-blog

TM



経済教育国際セミナー@早大(2/16)の感想 新井 明 - 2008/02/17(Sun) 17:55 No.176

宮尾先生 さっそくご報告有難うございました。

参加者として,感想を二三書き留めておきます。

@ 経済教育だけでなく,アメリカの教育界をとりまいている状況の一端が良く分かりました。
特に,No Child Left Behind Actが実施されてからの学校の変化,教員の締め付けというのが日本と同じ(日本が同じ?)なので改めてびっくりしました。テスト結果の公表,予算の傾斜配分,教員の資質向上をスローガンとしながら逆にベテラン教員を排除してしまう逆機能…。本当にどこかの国も同じ道を歩んでいると思いました。

タマリブチさんは,この問題への評価は口をにごしていましたが,批判的であることが伺われました。問題は,この法がブッシュ政権でなくクリントン政権でも推進されてきているところだろうと思います。また,教育関係者が反対しているというのも似ています。

A 経済学キャドルプログラムが参考になりました。
@との関係もあるのでしょうが,経済学を自信をもって教えることのできる教員の再教育プログラムをつくり実践しているところが,やはりアメリカだと思いました。30人を選抜して奨学金を与え,学習させ,成果を出させる。日本でも同じことが必要ではと思わせる企画でした。

B 経済教育と文化の関係について考えさせられました。
ハワイの伝統文化や投資や金融教育への抵抗感との衝突を調整しながらパーソナルファイナンス教育の教材を作ってゆく。経済教育がもつアングロサクソン的価値観とそれぞれの地域が持つ価値観との衝突は,日本でも経験しているものです。その一つの回答がここに提示されていると感じました。

C すぐれた教授法の一端をみせてもらいました。
ランキン先生の教授法の一端が紹介されましたが,優れた授業者は優れたパフォーマーであると同時にしっかりした理論を踏まえていることがあらためて確認されました。

体験したことは忘れないということで闘牛士になる利潤の授業,マージナル概念を教えるためのレモン絞り,など「教室は舞台,教師は役者」であることをしっかり見せてくれました。また,AP経済学の教え方なども経済学をしっかりマスターしている教師が行うからそこまでできるのだろうと思わせられる内容でした。

一日のセミナーでこれだけ多くのものを与えてくれた山岡先生ら早稲田グループの関係の方々に感謝します。

ただ,もったいないなと思ったのは,参加者が決して多くなかったということです。これだけの内容が,もっとひろがってよいのではと思いました。



授業で役立つ本 その20 投稿者:新井 明 投稿日:2008/02/13(Wed) 22:29 No.174

授業で役立つ本 20

バレンタインデー近し。今日はそれにちなむ話。

某月某日  『チョコレートの真実』(英治出版)を読む。

この数年、南北問題を扱う時に、教室でフェアトレードのチョコレートを食べさせる。かつての大津和子さんのバナナの授業の向こうを張っているわけではないのだが、バナナより軽いし、チョコレート好きな生徒は多い。この季節だとバレンタインデーと関連させて、さりげない説教もできる。

さて、この本、著者キャロル・オフさんは、奥付けでは所属などがよくわからないのだが、CBSテレビに勤務するカナダ人ジャーナリストのようである。

腰巻には、「カカオ農園で働く子どもたちは、チョコレートを知らない」とあり、児童労働、政府の腐敗、巨大企業の陰謀…、チョコレートの魅力的で危険な世界へ。ともある。

この本は、チョコレートの原料のカカオ栽培から、フェアトレードまで、チョコレートを巡る歴史、現状、問題点を幅広く取材し、チョコレートを巡る苦い事実を告発したルポである。

全体は12章に分かれている。序章では、チョコレートは「善と悪が交錯する場所」で作られていると問題が提起される。

第1章と、第2章は、チョコレートの歴史である。中南米原産のカカオがヨーロッパに渡り、最初は神秘的な薬品として、その後は、コーヒーや紅茶と同じような飲み物として特権階級に愛用されるが、カカオバターの処理がうまくゆかず、人気が低下してゆく。

第3章と、第4章では、チョコレートが現在の形になった過程が紹介される。変わった飲み物であったカカオ飲料を現在のようなココアの形にしたのが、オランダのバンホーテンである。バンホーテンの製造法で飲料としてのココアが確立。それにミルクと砂糖を入れて固形にしてチョコレートにしたのが、フライ一族。そのフライの板チョコを商品として大量に販売したのが、イギリスのキャドバリーであり、アメリカのハーシーである。この間に、ミルクを入れてミルクチョコレートがネスレにより作られている。私たちの知っている有名企業が続々と登場してくる。

ちなみに、チョコレートをバレンタインデーと結びつけたのは、イギリスのキャドバリーであったとのこと。また、カカオを巡る奴隷労働問題はすでに19世紀末にはイギリスのジャーナリズムによる反キャドバリー社キャンペーンとして張られているということもこの本では紹介されている。

第5章から第11章までは、カカオ豆を巡る暗闘が紹介される。南米原産のカカオ豆は、アフリカに移植され、カカオプランテーションが作られ、それ以来、植民地宗主国と現地との葛藤がくり返される歴史が描かれる。

本書によると、アフリカへの移植は、イギリスによるものではなくアフリカ人の苦闘の末とのこと。カカオは豊かな実りをアフリカに与えるものであったが、その後、ガーナ、マリ、コートジボワールなどカカオ産地国における、宗主国とそれに結びつくチョコレート資本による様々な介入によって現地の小生産者が打倒され、現在のチョコレート産業や国際食品商社による支配が確立してゆく。

この間、ガーナのエンクルマが打倒されたり、告発者が暗殺されたり、カカオを巡る暗闘は金やダイヤモンドを巡る暗闘に近いものがあったようだ。また、奴隷労働や児童労働などの現実が暴露されるのに対して、対抗キャンペーンが張られるなど、チョコレートの真実がどこにあるかはきわめてあいまいにされてきている。そんななかで、崩壊国家の背景にある、利権の争奪にチョコレートも一役買っていることが丁寧なルポで紹介されている。

最後の第12章では、ほろ苦い勝利として、巨大資本に支配された現在のチョコレート産業に対するもう一つの選択である、オーガニックチョコやフェアトレードチョコの現実も紹介される。本書によると、フェアトレード運動も一種の産業化されていて、本当に悲惨な現実を転換させるものかどうかはわからないという。

また、大企業製造のチョコレートを食べることは、アフリカや中南米のこどもたちが学校に行けない現実を作るという、単純なスローガンを教育に持ち込むことになったとも指摘している。このあたりの指摘は、授業で同じようなことを述べている私にとっても耳が痛いものだ。

最後に著者は次のように言う。「チョコレートには、何百人というこどもを奴隷にするという計り知れないコストが含まれているのを、今や彼ら(奴隷労働に従事させられた人達)は知っている。彼らはチョコレートの味を知らず、これからも知ることはないだろう。チョコレートの本当の歴史は、何世代にもわたって、多かれすくなかれ彼らのような人々の血と汗でかかれてきた。未来を見通してみるとすれば、ずっと続くこの不公正がただされる見込みは、ほとんどない」と。

さて、最後のこの展望は果たして正しいのか。経済学からはこのペシミズムに対する回答なり処方箋を出す必要があろう。また、私たちは、教室で生徒とともに考えたいところだ。これはグローバリズムに対する評価問題と絡んだ、なかなかハードな課題といえるだろう。

なぜならば、単なる同情でもなく、豊かな国に生まれてよかったという感想でもなく、前向きな回答が簡単に教員や生徒に出せる問題ではないからだ。それを超える授業は簡単にはつくることはできないからだ。

食を巡る話題は、中国製の冷凍餃子から農薬が検出されるなど、大きな問題となっている。チョコレートのような少年労働や奴隷労働という問題だけでなく、えびの養殖など環境破壊と食の問題も考える必要がある。えびに関しては、村井吉敬さんが岩波新書で『エビと日本人U』を出して、エビ問題の最近の動向を報告してくれている。

実物教材を教室に持ち込む、というのは授業を活性化させる一つの方法だが、何をどのように持ち込んで、どうそれを使って内容を展開するか、その手がかりとなる正確な情報がもっと欲しいところだが、この本はその手がかりとなる本だと思う。

ちなみに,フェアトレードのチョコレートを食べた生徒の感想は,高い,苦いである。思想で値段の壁はなかなかこえられない。苦いは,二重に苦いと受け止めている。一つは,チョコレートそのものの苦さである。ビターチョコだから仕方がない。もう一つは,チョコレートの背景を知ってしまった苦さであろう。

この本の元タイトルは,Bitter Chocolateである。生徒はタイトルどおりの反応をしているとすると,まだまだ捨てたものではないかもしれない。



こんな本が発行されているんですね 投稿者:新井 明 投稿日:2008/02/03(Sun) 17:29 No.173

先日,本屋で経済書のコーナーを見ていたら,子安増生,西村和雄編『経済心理学のすすめ』有斐閣刊,という本が目に入りました。

子安さんというのは知らない名前ですが,西村さんは有名な経済学者ですから,ぱらぱらみていったら,経済学と心理学の連携と共同とあります。奥付けをみたら子安さんは,京大の教育心理学の先生でした。

この本,平成13年度からはじまった,心理学と経済学の共同研究をまとめたものということがわかりました。

こういう研究が進んでいたのですね。勉強不足で全く知りませんでした。

全体は二部に分かれていて,T部は,経済心理学の理論的基礎,U部が経済心理学の応用的展開となっています。それぞれ,心理学者と経済学者が研究成果をまとめています。

経済心理学というのは,あまり聞かない用語でしたが,心理学者が主に用いていて,経済学者は行動経済学,実験心理学という名称を用いるという指摘がありました。それで納得。

経済心理学者の大物としては,ノーベル経済学賞をとったカーネマンと,サイモンの二人がいるという指摘があり,そうなんだと今更ながら納得。

カーネマンのプロスペクト理論は,橘玲『亜玖夢博士の経済入門』のなかにも取り上げられていたのですが,心理学者と経済学者の共同研究でしっかりフォローされていることを改めて知りました。

経済心理学は,要するに,経済学の理論モデルの前提になっている経済人仮説や,完全情報が現実にはありえないこと,では,どのようにありえないのか,それに変わる経済における人間行動はどのようなものか,それは理論モデルとしての普遍性を持ちうるか,というような展開をしているように読みました。

このあたりは,私のような現場教師ではちょっと厳しい分野ですが,実は,この本,最後の二章に「高校生・大学生のための経済学教育」と,「子どものための経済学教育」という二つの論文を載せ,学校における経済教育の現状と今後の課題に触れているのです。

二つの章とも,書かれたのは心理学者です。中に,山岡グループの経済理解力テスト,株式学習ゲーム,それをとりいれた新井の実践などが触れられていました。

私の実践などは,「経済に対する関心や,メカニズムに関する理解が一部の生徒のレポートをもとに主張されている」として紹介され,それでは「単に手続きとしてのシミュレーションや討論を用いることだけでは,経済学的思考を十分に深めることにはつながらないであろう」と限界を指摘される。そのうえで,「子どもの認知発達の観点から」の方法の提言がなされています。

これを読み,心理学者は良く見ているなと思いましたね。実践論文の持つ限界がしっかり指摘されていると思いました。たしかに,一部のレポートでは実証とはいえないことは確かだし,生徒の認識の変化をきちんととら記述していないことも事実だからです。

これを書いた藤村さんは,「経済学的因果関係について子どもが既有知識にもとづいて自己説明を行い,その説明をクラスの場で交流することが,多様な知識を子ども自ららが関連つけることにつながり,知識の精緻化や素朴理論の変容をもたらす」はずといい,「こうした契機を含むような討論やシミュレーション等の集団活動を組織すること」を経済教育の課題としてあげています。

中学や高校の教室でこの要求にこたえる授業ができるかどうか,ちょっと疑問もありますが,心理学からの挑戦として,受け止め,吟味してみたい気持ちがわいてきました。

とはいえ,現場は厳しい。それでも経済学と心理学という二つの分野のコラボレーション。大変刺激的で,面白く読みました。



授業に役立つ本 その19 投稿者:新井 明 投稿日:2008/01/30(Wed) 23:33 No.168

役立たない「読書日記」です。

◆某月某日 センター試験終了。

 生徒はいよいよ本格的受験戦に突入する。私の担当している公民科では、二年続けて「現代社会」が難しく、かなり「倫理」に流れたので、今年はどんな問題が出るか注目していた。結果としては、やややさしくなって平均点は昨年より約10点あがり60点台になったが、依然として「倫理」「政治・経済」に比べると低い。リスキーであったことには変わりなかった。

 まあ、受験者の母集団が違うので(「現代社会」は14万人、「倫理」は3万人、「政治・経済」4万人)だから難易度の比較は簡単ではないが、平均の差は受験生にとっては死活問題だ。それでも、昨年のように「現代社会」ができなくて真っ青になっていた生徒が出なかっただけでも、ほっとしている。

 経済と関係する問題では、「現代社会」では比較生産費説、「政治・経済」ではゲーム理論の囚人のディレンマ(これは二度目)など、知識だけではなく理論を問う問題が目に付く。このような傾向は有難い。知識よりも考え方を、という私自身のスローガンをおろさなくて済むからだ。

 多くの学校の教育内容を規定しているのが受験による圧力であるとすると、センター試験問題を広く教育関係者が検討、批判する必要があるのではと思う。

◆某月某日 神野直彦著『教育再生の条件』岩波書店、を読む。

 経済の本の紹介がこのコーナーの目的なのだが、どうしても職業柄、教育問題に関心が行ってしまう。この本、サブタイトルに経済学的考察と銘打っているし、神野さんは東大の財政学の先生だから、経済書として扱って良いのではと思う。しかし、本屋では教育書のコーナーにひっそりと置かれていて、探すのに結構手間取った。

 内容は、全8章からなり、第1章は、歴史の「峠」における教育危機、というタイトルではじまる。

 ここでは冒頭に、教育危機は社会の危機の反映であり、「峠」というのはひとつの歴史段階が終わって過渡期であるという神野さんの認識が表明される。終わりを告げるのは、重化学工業を基盤とした福祉国家であるとする。そして、過渡期を過ぎた次の社会の道を神野さんは二つ上げる。ひとつは、市場原理主義が支配する新自由主義路線、もうひとつは「協力社会」の道という。

 もちろん、神野さんが支持するのは後者の路線であり、この本は、以下新自由主義批判、「協力社会」モデルとしてのスウエーデンを紹介しつつ自説が述べられてゆく。
 
 第2章は、教育の意味を問うというタイトルで、盆栽型と栽培型の教育があり、栽培型が望ましいことが表明され、盆栽型教育に道をひらく人的資本論、シグナリング理論が批判される。その上で経済社会の発展と教育の関係がスミス、の教育論を中心に解説される。

 そしてこの章の最後に財政による公教育の成立が紹介される。ここで、財政専門の神野さんと教育の接点が明らかになる。

 第3章は、学校教育の展開というタイトルで、公教育の歴史が概観される。公教育の無償と義務化が国民形成のなかで追及されたこと、その結果近代化の担い手を大量に生産することに成功し、平等をもたらす前提が作られたが、反面、学校を通して市場社会がもたらす不平等を正当化する側面も持ったと指摘される。

 ここでは、脱学校論を唱えた、イリイチが登場し、私などなんだか30年近く前に引き戻された感覚を持ってしまった。それを受けて、学校教育超えた学びのこころみに取り組んだスウエーデンのケースが取り上げられる。

 ちょっと長すぎたので、以下簡単に内容紹介する。第4章は、学校教育の行き詰まり、第5章は、工業社会から知識社会へ、第6章は、知識社会における学校教育、第7章は、知識社会における教育の体系化と続く。ここでは、タイトルどおり、現代社会の大きな変化のなかで学校が苦しんでいる様子が紹介され、それを超える試みを続けているスウエーデンと日本が対比されながら論が進められてゆく。

 最後の第8章では、日本の教育改革が進めようとしている新自由主義の路線には未来はないという立場で、あらたな「学び社会」へのシナリオが提示される。そこでは、教育を受けるのは消費者としての国民ではなく、主権者としての国民であり、スローガン風に言えば、「国民の国民による国民のための教育」に転化することだと結論つけられる。このあたりは、前に紹介した、中島隆信さんの『こどもをナメるな』が徹底した消費者になることが教育問題解決の突破口であるというのとはだいぶ違う。

 途中かなり端折って紹介したが、要するにこの本は新自由主義批判、モデルはスウエーデン、という本であり、これまで紹介してきた本とはかなりスタンスが異なっている本である。

 もっとざっくり言えば、基本的人間観は性善説、小国寡民の思想で教育問題を捉えていると言ってもよいだろう。競争より共生をというのがそれであり、スウエーデンをモデルとするところにもその特徴がよく出ている。ちなみに、スウエーデンの人口は900万人である。

 悪口を言えば、神野さんは「出羽の守」である。これは神野さんだけでなく、私たちにも色濃くある特色である。アメリカでは、ヨーロッパでは、古くはソ同盟では、中国では…と続く。理想的モデルを持つことは大事だが、ちょっと待てよという気持ちになる。

 もうひとつ悪口を言えば、経済学的考察となっているが、専門の財政学の知見が教育改革の提言では具体的に全く取り上げられていない。公教育のより高いレベルでの変革が必要だというのはそのとおりなのだが、そうなると高負担にならざるを得ないはずで、それへの合意はどうするかという道筋は語られていない。

 専門家ならではの数字に基づいた議論が読みたかったというのが感想である。

 では役立つところはないのかというとそうでもない。私が一番印象的だったのは、神野さんが企業に勤めていたときの企業内教育の箇所である。ただし、それはわずか1ページにも満たないあとがきにしか触れられていない。就職した自動車会社(日産自動車)で技能工の教育ニーズを把握するために、寮でともに生活した。それが原点であるという箇所である。私の教育実践は「単純だだけれども過酷な労働の、苦しみや悲しみを分かち合うことから始まる」という部分である。

 残念なことに、それ以上の記述はない。もったいないと思う。ちなみに、日産自動車には神野さんが敵?とする市場原理派とされる中谷巌さんもつとめていたはずで、おもしろいなと思う。個人的には、私が東京学芸大学に派遣されたときにお世話になった、労働経済学の梅谷俊一郎先生も日産自動車につとめていたことがある。日産は経済学の世界へ人材を輩出しているのだということになりそうだ。

 もうひとつの功績は、この本で新自由主義的教育路線批判の概略は分かるということである。でも、大変失礼な表現になるが、このレベルの批判では二つの道の片方への流れは阻止できないのではと思ってしまう。

 私自身、教育改革の中ではバウチャー制度や通学区の自由化などは、絶対に導入してはいけないと思っているので、もっと説得力のある経済学からの支援が欲しいと思っている。



授業に役立つ本 その18 投稿者:新井 明 投稿日:2008/01/20(Sun) 18:31 No.138

役立つか,役立たないかは読む方次第ということで,続けます。

大竹先生の本なので,本当は宮尾先生の紹介の後に続けるべきなのですが,独立に投稿させてもらいます。

◆某月某日 センター試験間近で、3年の生徒の欠席が目立つ。いっそ、もう自宅学習にすればいいのだがそれも出来ず、問題演習などをやる。合間に、大竹先生が編集された『こんなに使える経済学』ちくま新書を読む。

この本、週間「エコノミスト」に連載されたものを新書のかたちに再編成したもので、連載当時から毎週、どんな内容を取り上げるのか興味深深で読んでいたものだった。今回、冒頭に大竹先生が執筆された、「経済学は役立たず」は本当かという序がついて全体が見通せるとともに、経済学とは何かという明快なガイドがついてそれぞれのトピックに共通する問題がよく分かるようになった。

大竹先生が定義する経済学は、肥満の経済学(第一話)の例で言えば、肥満になるような人々の意思決定の仕組みを調べた上で、肥満を防ぐようなインセンティブをどうやって与えるかを社会の仕組みとして考えるということになる。

インセンティブをうまく設計して、社会全体が豊かになるような仕組みを考える学問が経済学、という定義はこれまであまり主張されてこなかったように思う。希少な資源の効率的配分を考えるというのが多かったと思う。

どちらも基本的には同じであるのだが、大竹先生の提示する経済学の定義はたしかに経済学に対するイメージを大きく変える可能性があるなと感じる。

そのことに触れる前に、この本を簡単に紹介しておこう。取り上げられたトピックは全部でなんと27ある。それが大きく、健康、教育、日常生活、お金、政府、法律という6つに分けられている。

トピックには、ダイエット、タバコ、臓器移植、みため、生まれつき、出身大学、教師の質のような、こんなものまで経済学の対象になるのかというものから、貯蓄率、セット販売、裁定取引、贅沢と株価、担保、貸し渋りなど、経済というイメージに近いものまでとにかく多様だ。

なかでも私が関心を持ったのは、職業柄もあるのだろうけれど教育関係の第2章だ。例えば、教師の質はなぜ低下したのか、という話題では、でもしか教師である私などタイトルそのものにドキッとしてしまう。内容は、公立学校不信、その背景にある教師への不信、つまり求められる教師像と現実の教師とのギャップが不信になるとの問題意識が述べられる。

その上で、なぜそのような教師像とのギャップ、すなわち教師の質の低下が起きたかの研究を紹介する。結論は、日本では、雇用機会均等法以降、優秀な女性が教師を志望しなくなったことがあるとされる。それを、教員養成系の大学の学部偏差値が低落していることから説明する。また、賃金格差と偏差値は逆相関があるとのデータも示される。

私は男性だし、転職組なのでちょっと複雑な気持ちになったが、このように数値で示されると納得させられることも多い。その上で、公立学校を労働市場のなかで魅力的な職場にするには、給料を上げる、社会的地位を高める、外部から参入しやすくするなどの提言が書かれている。要するにこれが制度設計のためのインセンティブということになるのだろう。

ここまでの分析は一応納得できるが、紙数の関係が一番なのだろうが、やや短兵急な箇所も目に付く。

まず、公立不信の原因に教師の質の低下をあげているところが引っかかってしまう。たしかにそれはあるけれど、ワンノブゼムで、もっと根本的には授業時間数などを縛る文部行政の仕組みがあるように思うが、どうなんだろうか。

また、学校を魅力的な職場にする提言として、給料を上げるがあるが、教員にとって給料はインセンティブになるのかは疑問だと思う。それよりも「われに自由と時間を与えよ」というのが実感である。

個人的な話をすれば、教員にトラバーユする最大のインセンティブは、夏休みなどの休みがあること、東京の場合は研修日が一日あったことなのだ。今、長期休業期間の自宅研修はほとんど認められず、研修日も剥奪された。指導案を毎週提出してチェックを受ける。こんな職場に魅力は正直ない。とはいえ、この年でほかにトラバーユもできないので、しがみついているといいうのが実情である。

だから、余裕のある人、もしくはもういやだという人は、どんどん定年前にやめている。まあ、このあたりはモノローグ、長広舌なのでやめておこう。いずれにしても、経済学できちんと説明できるのは、ある部分であり、その部分は説得的だが、それは「その他の条件が一定」という世界だからだという経済学の特色がよく出ている箇所だなと思ったということである。

さて、もうひとつ関心を持ったエピソードに触れると、「出世を決めるのは能力か学力か」である。なぜなら、そこに例示としてあげられている、1969年東大入学試験中止の余波をもろにかぶった世代だからだ。この年は、東京教育大も入試を中止しており、受験戦線は大混乱をした。

当時私は浪人中で、受験校の玉突き現象が起こり、ほとんど全ての大学に影響が及んで大波を受けた。私もその波をかぶったからだ。

私は東大を受けるほどの力がなかったが,私の高校の同期で当然東大にいける力を持っている人間は苦渋をなめた。だから,私の同期で東大卒は、現役か二浪以上の人間である。また、その世代が卒業した73年に、私も社会人になっているので、この話題は穏やかに読めなかった箇所なのである。

ここでの結論は、優秀な人間はどこで選別されても高い給与なり、高い地位を確保できるという「セレクション仮説」は必ずしもあてはまらないという数値結果だそうである。

これもそうだろうな、と思う結論である。ただし、官庁に関しては推定が本当にあっているかどうかは疑問もある。それは、有名な話だが、京大法学部では70年に大量の流出者を出したという事実があるからだ。多分、京大だけでなく早稲田や慶應などでも同じ現象があったのではと思われる。そのあたりをきちんと推定した分析結果かどうかは、この文章だけからはわからない。

ともかく、この話題がでてくると、具体的に、あいつ、こいつと高校の時の知人、友人の顔が浮かぶ。もし、東大入試があれば別の人生を歩んでいたはずという連中である。みんな優秀だったが、ほとんど別の大学に入っている。かえって二浪した連中の方が、得をしているという実感もある。

だから、できるだけ現役で入れ、翌年があるなんて考えると何が起こるかわからないぞ、なぜなら…、というのが私の生徒に対するメッセージである。それにしても、環境は人をつくるというのは本当だなと改めて思う。

ここまでは私的な思いである。

さて,もう少しこの本について言えば,取り上げてられている経済学のゲーム理論、情報の経済学、実験経済学、また、マーケットデザインなど最新の経済学に関する概略がそれぞれもう少し詳しく紹介されていると、ありがたかったなと思った。しかし、それはこの本の目的、つまり経済学はこんなに使えるということを示すこととは、新書という狭い枠では両立できないだろうから、これでもよかったのかもしれない。

とはいえ、これは面白いと思った人間が、では次にどんな本や文献にあたったらよいかは、どこかで示してもらえると読者としてはうれしいなと思った。また、編集方針なのだろうが、さくいんをつけてもらえると、自分でさらに深めたいと思うときに便利だとも思った。

この本のエピソードやテーマを実際に教室に持ち込むとすると、臓器交換、みため(昨年の実習生で実証済み)、出身大学、生れ月、贅沢と株価、騒音おばさん、捏造ブランド、解雇規制などがあがるなと思った。いずれも導入のエピソードなどで、生徒は、何これ?と思うものだろう。また,臓器交換のように本格的に生徒に考えさせた上で,経済学の知見を紹介することもできるテーマである。その意味では、話題のネタ本としても経済学習の手引きとしても有難い本だと思う。

本当は,関連してもう一冊紹介したい本があるのだが,仕事で首が回らなくなってしまっている。乞う次回ということにしておきたい。



Re: 授業に役立つ本 その18 大竹 - 2008/01/20(Sun) 22:51 No.139

 新井先生、丁寧にご紹介頂き、ありがとうございました。教育の部分は、教員の方々には失礼なタイトルをつけてしまいました。中学生の息子からも「「教師の質は下がったのか」なら読書ノートで先生に本のことを書きやすいのに、「教師の質はなぜ下がったのか」だと書きにくい」と文句を言われました。ご指摘のように広い意味で労働環境を良くすることがいいと思います。その一つは休みをしっかりとれる職場ということでしょうね。
 東大入試がなかった年の話は、簡単にいうと民間では東大かどうかはあんまり関係ないが、役所では東大が大事だということです。ご指摘のとおり、そのことを知っていた学生たちは、他大学に入学していても翌年東大に入りなおして役所に就職したのです。統計はそのことをきれいに出してくれているのです。分量が短いので少しわかりにくかったかもしれません。
 参考文献の中でも一般の方が読めるものは、ホームページにアップしてもいいかもしれないな、と思っています。世代の議論については、『日本労働研究雑誌』の2007年12月号に特集があります。http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/12/index.htm
半年たてば、論文全文がダウンロードできるようになりますので、ご関心の方はお読み頂ければ幸いです。
 宮尾先生にもご指摘を受けましたが、経済学的な解説を付け加えるというのも一つだったかもしれません。バランスは難しいところで、教科書的になってしまうと、面白さがそれだけ減ってしまう可能性もあります。経済学に関心をもってもらうこと、経済学という学問の実態を一般の方に少しでもわかってもらうことを、今回は目指しました。関心さえもってもらえれば、すぐれた入門書はたくさん書かれていますので。
 



Re: 授業に役立つ本 その18 新井 明 - 2008/01/22(Tue) 23:34 No.153

大竹 先生

勝手な,それも自分の世界に注目した紹介に対して,丁重なご返事を有難とうございます。

それにしても,ご子息の指摘は鋭いですね。確かに,教師の質はなぜさがったかというタイトルをみただけで血圧が上がる先生はいるでしょうね。

とはいえ,今の教師はあこがれの職業ではなく,スティグマをもった職業になりつつあり,バーンアウトするリスクに満ちた職業になりつつあります。そういった学校や教職をとりまく困難さのようなものを少しでも和らげる視点からの研究,処方箋が欲しいと感じています。

また,世代論をきちんと調査している研究があることも先生の文献紹介で知りました。赤林先生などもお書きになっているのですね。論文全体を後日読んでみようと思います。

経済学への言及については,おっしゃるように一つの本のなかにあれもこれもというより,事例の多様さや分析の面白さが浮かび上がるほうが新書というスタイルではふさわしいと私も思います。私がコメントした教育以外にも,多数の事例が紹介されているので,さらにじっくり読んでみようと思っています。



どうすれば? 投稿者:IT 投稿日:2008/01/13(Sun) 23:55 No.133

宮尾氏のメールで新井さんのメール確認。
少し困ったなったと思ったのは、新井さんの書きものが書評として分かりにくいこと。
特定の人には、特に、その本を読んだ人はよいかもしれないが、ほとんどの人は、長広舌を読み来るのは大変かも。

飯田に限らず、ほか多くの事実誤認がある。膨大でブログのような一人語り。霞ヶ関、あるいは元霞ヶ関の特定の方を対象とするならともかく、多くの方々に一般化するのは難しいのでは。ブログでは、餌食になるような記述も、この討論室では、反論も応酬もない。
逆に言えば、柄谷、浅田などの空虚で現実と無関係なペダントリーが開陳されているからかも。

もし、少しでも建設的で、創設的な議論を可能とするなら、案外、限定した方がよいかもです。

書評は、amazonにあるように、ほどほど、多くの人々にその是非を問うものにしたら意味を持つのかもしれず。投票も含めて、
その書評は、「みんなの意見は案外正しい」のかもしれません。



Re: どうすれば? 新井 明 - 2008/01/14(Mon) 22:50 No.136

返信有難うございます。

私の文章に対する批評だと思うのですが,意が通じていない箇所がありそうです。

@授業に役立つ本として,紹介からはじめたもので,書評ではないのです。ですから,著書の内容をできるだけ噛み砕いて説明しようとしていますが,それでもなかなか一冊の本を自家薬籠中のものにしてから紹介するのは難しいなと思っています。その点,まだというか当然というか,修行不足です。

Aだから,もし事実誤認があったら,ご指摘下さい。可能な限り読み直して訂正したいと思っています。

B霞ヶ関,あるいは元霞が関の特定の方って誰なんでしょう? 私は特に読者を想定せず,一人の現場教員がこんな本を読んで,こんな感想を持っていますという読書の記録として書いています。その意味では,当初の,役立つ本の紹介からずれてきていることは確かですね。また,長広舌というのもあたっているかも知れません。この点は,反省しなければいけないところでしょう。

C限定というのは,紹介する本を限定ということでしょうか?となると経済学ないし狭い意味での経済関係の本ということでしょうか?

Dあまり建設的,創設的な議論を期待しているわけではないので,もしそれをここに期待されるとちょっと荷が重いなという感じです。

E最後のセンテンスは良く分かりませんでした。

ともあれ,自分に課題を与える意味もこめて,もう少し続けようと思っていますので,お手柔らかに。



大竹先生の1/14「経済教室:脳の特性から経済を解明」 投稿者:TM 投稿日:2008/01/14(Mon) 10:11 No.134

大竹先生の1/14「経済教室:脳の特性から経済を解明」について

私が昨日(1/13)投稿した「書評:大竹文雄編『こんなに使える経済学』」に対する大竹先生への私の問いかけに対して、直接大竹先生からお返事をいただいただけでなく、タイミングよく本日(1/14)日経の経済教室に大竹先生の脳科学と経済学に関する上記の論文が載っています。そのサブタイトル「発達する学際研究:制度設計への影響の可能性」という言葉が重要なポイントをよく表現していると思います。

脳科学の発展と経済学を含めた他の学問分野への影響が今後とも進むことは確実で、特に経済学においてその影響がどこまで従来の体系の再編に影響するか注目していくべきではないでしょうか。
これまで経済学の体系に多少とも影響を与えたものとして、最近では例えばゲーム論、複雑系、制度論等々ありましたが、脳科学の影響は従来のものと違い、人間の「非合理」と思われていた行動が、単に偶然や社会的産物というよりも、もともと人間の脳の構造に由来しているという深刻な問題を提起し、その結果は個人の行動から社会全体の制度設計に至るまで根本的な再検討を迫るものだけに、これにどう向き合うかが経済学誕生以来最大級の課題となる可能性もあります。
しかも、大竹先生のお返事の中にもありましたように、「身近なことほど、非合理性が表に出てしまう」ということがあるので、これが子供も含めた一般の人の(「一般知」からの)経済に対する疑問に、従来までの経済学(「専門知」)が答えられなかった一つの理由を明らかにするかもしれません。
それは少し言い過ぎかもしれませんが、いずれにしても今後経済教育に携わる者としても目が離せない問題を指摘していただいた気がしています。
TM



Re: 大竹先生の1/14「経済教室:脳の特性から経済を解... 大竹 - 2008/01/14(Mon) 20:06 No.135

宮尾先生、日経の記事もご紹介頂き、ありがとうございました。

神経経済学は、経済学者もそうですが、一流の脳科学者が参入してきているので、脳科学でもホットなトピックのようです。記事にも書きましたが、まだまだはじまったばかりの分野だということには十分注意する必要はあると思います。

神経経済学の研究結果も興味深いのですが、ヘックマン教授たちの教育の経済効果に関する研究には私自身は衝撃を受けました。教育が所得に与える純粋の効果はプラスだということは、双子の研究などでずいぶんわかってきました。でも、就学前の教育の効果が一番大きいというのは、驚きでした。でも、教育の現場にいらっしゃる先生方の間では常識だったのかもしれません。



書評:大竹文雄編『こんなに使える経済学』2008年 投稿者:TM 投稿日:2008/01/13(Sun) 19:07 No.131

皆様
しばらくこの討論室からご無沙汰していて久しぶりに見たところ、新井先生が依然として精力的に書評を書かれていることに刺激されました。そこで本日読んだ本の書評を書いてみます。

大竹文雄編『こんなに使える経済学――肥満から出世まで』ちくま新書(2008年1月)

新年早々に読んだこの新書は一見すると経済学を知らない一般の人のために面白い例を使って経済学を解説する入門書のように見えますが、実際は経済学の最先端の動向までよく伝えていて、経済学者にとっても大いに役立つ刺激的な内容を含んでいます。
これは『週刊エコノミスト』に2006年9月から2007年4月まで何人かの経済学者が寄稿した「よく効く経済学」のコラムを一冊の本にまとめたもので、大竹文雄教授が分かりやすい序文「『経済学は役立たず』は本当か」を寄せています。

その序文によると、「経済学は役に立つのか」に対する答えは「通常、人々が経済学に期待する意味とは違う意味で役に立つ」。特に経済学の面白さは、「社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考える」ところにあるとのこと。まさに同感です。
例えば、臓器移植を効率的に促進するための(必ずしも価格メカニズムを使わない)メカニズム・デザイン論など、2007年にノーベル経済学賞が授与されたハーヴィッチ教授らの業績にも関連する話しがでてくるところなどは圧巻といえます。

ただしそれだけでなく、注意すべきは、通常そのような仕組みを考えるための前提にある「人間は合理的な行動をする」という仮定そのものを再検討する必要についても取り上げられています。
特に、最初の2つの節にある「肥満」と「たばこ中毒」の例、および「理論を逸脱する日本人の行動」(第3章第3節)、そして「相続争いはなぜ起こる」(第6章第4節)といった例は、「人間の合理的でない行動」にかかわるので、その他の多くの例とは多少質的に異なる内容を含んでいると考えられます。

合理的でない個人を前提とする経済分析が難しいのは、最適性や効率性を評価する基準そのものがあいまいになってしまうところにあり、社会の仕組みを考えることがそれだけ難しくなることです。
その点を読者にもう少し分かりやすくするために、章立てや解説をもう少し整理してほしかったというのは、伝統的な経済学者の「非合理」な要求でしょうか。
いずれにしても、お正月気分を振り払い、さらに経済学を学ぼうとする意欲を起こさせる本としてベスト!
TM



Re: 書評:大竹文雄編『こんなに使える経済学』2008年 大竹 - 2008/01/13(Sun) 23:37 No.132

ご紹介ありがとうございました。

「合理的でない個人を前提とする経済分析が難しいのは、最適性や効率性を評価する基準そのものがあいまいになってしまうところにあり、社会の仕組みを考えることがそれだけ難しくなることです。
その点を読者にもう少し分かりやすくするために、章立てや解説をもう少し整理してほしかった」

確かに、おっしゃるように合理性から入るのがわかりやすく、その限界を後から示すほうがよかったかもしれません。この本では、序章で全体の話をしておいて、あとは、身近な話から入っていくという手法をとってしまいました。身近なことほど、非合理性が表に出てしまうということがあって、ご指摘のようなことになってしまいました。英語でもよく使う動詞ほど不規則変化するというのと似ているかもしれません。現実問題を経済学で考えてみせるということで、基礎的な経済学の枠組みを学ぶ動機づけにしてもらえればと考えています。各章に解説を加えるというのも手だったかもしれません。私としては、素材をそのまま出して、議論の題材にしてもらえればという気持ちでした。系統だって理解してもらえるようにするには、もうひと工夫いるというのはそのとおりです。将来の私の課題にしたいと思います。

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