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授業で役立つ本 その17 投稿者:新井 明 投稿日:2008/01/13(Sun) 17:19 No.130

読書日記(続き)必ずしも役立つ本かどうかは分かりませんが,続けます。

◆某月某日 冬休みに買った本がたまっているので、片っ端から読む。

 まず、仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想』NHKブックスに手をつける。経済の本ではないけれど、教科で「現代社会」を担当したり、大学入試の小論文などを指導したりするためには、こんな本も結構読んでいるのだ。

 仲正さんは、政治思想史、比較文学の専攻の若手学者の一人。若手といってももう44歳だから、中年おじさんになろうとしているかな。このところ新書類を猛烈な勢いで書いている売れっ子である。

 この本、内容は戦後の思想史を辿りながら、特に1980年代に焦点を合わせて論じている概説本である。テーマは日本のポストモダン思想がなぜ流行し、それがなぜ消えていったかである。80年代、特にその後半は経済ではバブル期であった。思想もバブルだったのかもしれない。

 浅田彰、中沢新一、柄谷行人などの名前が出てくる。このうち、浅田さんは、京大の経済研究所の先生であり、柄谷氏は、東大の経済の出身でもある。現代思想と経済は意外と近いかもしれないぞなどと思ったりする。

 この本、ポストモダン思想の受容と流行、その変容をとてもわかりやすく書いている。多分、大学での講義もこのスタイルでやっているのだろうなと思わせる言文一致に近い文章であり、個々の内容と全体の見通しを得るには役立つ本。

 それにしても、ポストポストモダンの時代に、モダンの思想にもとづく新古典派的な経済教育を進めなければならない教育の世界って、何週遅れのランナーなんだろうと思ってしまう。

◆某月某日 飯田泰之『歴史が教えるマネーの理論』ダイヤモンド社、を読む。新学期に国際経済を教えなければいけないので、そのための予習というか頭のトレーニングのための本である。

 飯田さんも若手のバリバリ(32歳)で、このところ沢山本を書いている。『経済学思考の技術』ダイヤモンド社、『ダメな議論』ちくま新書などをすでに読んでいて、なかなかよくわかる本を書く人だなと思っている。

 この本は、語り口はやさしいけれど、すっと頭に入ってこなかった。やはり貨幣をきちんと理解するのはとても難しい。この本は三部に分かれていて、第一部は貨幣数量説の栄光と挫折、第二部が為替レートの悲劇と喜劇、第三部が金融政策、特別対談として作家の佐藤雅美氏と筆者の対談が最後についているという構成をとっている。貨幣数量説は、MV=PTというフィッシャーが定式化したものだが、それは現実的にも理論的にも問題があるという。要するにすべてのインフレ現象を貨幣数量説では説けないというのだが、確かにそうだろうとは理解するのだが、じゃあどこまでを貨幣数量説で説明していいのという疑問がのこってしまう。

 例えば、ポトシ銀山からの銀の流入によって価格革命が起こったと世界史では説明されている。なぜそうなるの?と生徒が政経の我々に質問をすることがある。そのときに、貨幣数量説で説明すると、生徒はすごく納得する。

 経済学者や経済史研究家では、厳密に歴史的な現象を分析して理論的な妥当性を吟味するのだろうが、高校段階くらいまでは骨太のというか、かなり大胆な理論で現象を説明してもいいのではなどと「ふとどきな」ことを思ってしまう。

 こんなことを書くと、飯田さんに言わせると典型的な「ダメな議論」なのだろうが、これが現場の感覚と研究者の感覚の違いなのだろうと思っている。ついでに「ダメな議論」でいえば、飯田さんがダメな議論の典型の一つにあげる「天ぷらそばの話」は私も教室でよく使ってしまっている。

 さて、この本、取り上げられている事例は多くが高校の歴史の教科書で取り上げられているものが多い。例えば、幕末の金の流出、金解禁時代の三井のドル買いなど、結果だけを暗記するような勉強をしている生徒は疑問に思わないけれど、自分で納得したい生徒はこのあたりは必ず疑問に思う箇所である。これらの時期の経済現象をきちんと説明できる高校教師はそう多くない。できれば、もうすこし丁寧にこのあたりを説明してもらえるともっと役立つ本になったと思うのだが、それは目的が違うのかもしれない。

 巻末の佐藤さんとの対談は大変面白い。江戸時代の学者で、それも一生懸命勉強したまじめな人間ほど、「貴穀賤金」(穀物が貴重で、お金はいやしい)と考えていたと佐藤さんは指摘する。これって、現代でも同じで、「品格」を主張する私の学校のOBなどもこの流れなんだなと改めて思う。また、新井白石と荻原重秀との葛藤を、白石側から書いた『市塵』という小説を書いた藤沢周平さんも、同じ流れだなと思う。

 私は藤沢周平が好きだが、白石の萩原批判の部分は、やはり違うのではと思うが、それは余談。

 この対談に刺激されて、佐藤さんの『大君の通貨』文春文庫を買って読んだが、数年前に文庫化されているのに手に入れたのは初版であった。経済を扱う歴史小説は、売れていないんだなあとあらためて感じる。小説を読んだら、ハリスという人物はとんでもないやつだと思わされたが、本当はどうなんだろう。オールコックの『大君の都』あたりまで呼んでみようかと思うのだが、そこまで手を伸ばすことはできない。

◆某月某日 竹森俊平『1997年−世界を変えた金融危機』朝日新書、を読む。

 会議で都心にでたので恒例の本探しをしていたら、平積みになっていて面白そうだというのが理由の一つだが、もう一つは、世界史の先生から「1997年のアジア通貨危機って一体どんなことだったんですか?」と聞かれたこともある。私「かくかくしかじかだけれど、なぜそんな質問をするの?」、相手「センターの世界史で出るんですよ」、私「そんなところまでやらなければいけないから、世界史は嫌われるのかな?」という会話をしていたことがあるからである。

 さて、この本、プロローグで1997年に起こったことを簡単に紹介し、これが昨年発生したサブプライム問題に本質が引き継がれているという。その上で、第1章で1997年の日本の不良債権問題を引き金にした金融危機、前後して発生しているアジア通貨危機をトレースする。第2章では、両者に共通する原因を、アメリカのシカゴ学派、といってもフリードマン流のものではなくその前であるが、創始者であるフランクナイトが提起した不確実性に求めて、その紹介をする。つまり、企業家の利潤の源泉は不確実性をひきうけることにあるが、不確実性にかけるわけだから楽観論と悲観論が交錯する。そのうち金融機関への悲観論が強くなると金融危機が発生するというのである。

 第3章では、1997年危機のその後を日本、アメリカ、IMFなどのうごきを紹介しながらまとめる。特にアメリカではグリーンスパンの「適切」な運営により楽観論が復活したことが紹介される。しかし、金融のイノベーションによって新たに発生したナイト流の不確実性がサブプライム問題となり、現在それが暴れだしているという。

 この本のなかで取り上げられているロシアの通貨危機に端を発するLTMCの危機問題などは、こんどはセンター「現代社会」でも取り上げられている。1997年はオンリーイエスタディであると同時に現代そのものでもあるということだ。

 竹森さんは、しめくくりに歴史は繰り返すとしている。サブプライム問題をどう金融当局や関係者は対処するのか、注目したいと思った。

◆某月某日 新学期。とはいえ、現在は二期制になっているので年が改まってもちっとも改まった感じがしない。授業時数の確保が至上命令になってしまっている現在の学校は、季節性という大事なものを捨ててしまっていると強く感じる。

 三年担任をしているので、クラスの生徒に調査書を渡す。ところが、取りに来ない生徒が何人もいる。学校にくるより自宅で勉強ということなのだろう。受験直前であせる気持ちもわからないではないが、それでいいのかとも思う。まあ、機会費用を考えると経済的には合理的な判断ではあろうが、複雑な心境になる。

 そんなことを考えながら、冬休みに買っておいた、中島隆信『子どもをナメるな』ちくま新書、橋本治『日本のゆく道』集英社新書、荒井一博『学歴社会の法則』光文社新書、の三冊を読む。新書ばかり読んでいるが、研究者とちがって現場教員はハードカバーの本格的研究書をじっくり読むということがなかなかできない。新書はインフレ気味だが、雑誌感覚で現在を読み解いたり、エピソードを拾ったりするのに重宝している。生徒だけでなく、現場教員も知的劣化が進んでいることのあらわれか?

 さて、この三つの本、中島さんと荒井さんは経済学者、橋本さんは小説家・評論家・そのたもろもろ文化批評家とでもいうべき人。なんで三冊一度に紹介するかというと、いずれも学校を扱っているからなのだ。

 私としては一番面白かったのは、中島さんの本で、消費者の立場で学校教育を見直すことにより、直すべき点、新たに付け加えるべき点が見えてくるというのはその通りだと思った。特に、子どもをナメるなという第二章では、モラルよりも損得で、コストを教えようというのは、私の年来主張している経済教育論の根本であり、わが意を得たりという気持ちである。しかし、実際に現場に立ってみると、本日の最初にも触れたが子どもの「合理的行動」を肯定ばかりしていると、教員としての存立がなくなるなということも実感としてはあり、やはり元気でかっこいいのだが、複雑な気持ちになるのである。

 中島さんの明快さに対して、同じ経済学者でも荒井さんの本は、苦虫を噛み潰したおじさんの本という感じである。ちなみに、荒井さんと私、新井は同い年。中島さんとは11歳の年齢差がある。

 荒井さんは、新古典派の経済学をベースとした労働経済学を大学では教えている人だ。イリノイ大学でPH.Dもとっているということだから、古い言葉で言えば立派な近代経済学者だ。この本でも、学歴社会論を論じるのに、内部収益論とシグナル論を利用して説明する。このあたりは荒井さんの『教育の経済学』有斐閣の成果を新書向けにダイジェストした部分で実証研究を踏まえた部分で、なかなかおもしろい結果がでている。

 ところが、研究のベースとしている新古典派の経済学を荒井さんは批判する。例えば次のような箇所がある。第6章「いじめ」を経済学で解決するという箇所だ。

 「今日の日本人は新古典派を基盤とする自由主義に強く影響されているため、人間は私利を追求して生きればよいと考える人がきわめて多くなっています。このような考え方でいじめは解決できるでしょうか」と問題を提起して、新古典派は私利追求思想に基づいているから、いじめをすることも傍観することも結論的には合理的な行動となるとして、結論では「今日の社会を支配している新古典派経済学の考え方でいじめを解決することは不可能」と結論付ける。

 そして、いじめの根絶には、ネットワーク理論を使って生徒のインフォーマルネットワークを解体するために、いじめのネットワークに参加する便益を小さくする、参加する費用を小さくする、ネットワークを破壊するという三つの原理的な対策があり、最も有効なのはアナウンス効果を使って、いじめを絶対に許さないこと、制裁措置を与えるというアナウンスや、抵抗する生徒を賞賛する、被害者を全面的にサポートするアナウンスをすることが有効だ、と言う。

 この方法は正しいと思うが、これって主流派の経済学、新古典派とよばれる経済学でもとりあげられている内容ではないのかと思ってしまう。自らの基盤の経済学を否定してでてくる結論かなと思ってしまうのだ。

 新古典派はたしかに欧米、特にアメリカ文化からでてくるし、日本には日本の文化的伝統があるが、費用と便益で考えるという功利主義はエゴイズムを助長するというのはちょっと一方的な決め付けだなと思ってしまう。

 日本では、立派な近代経済学者ほど近代経済学を批判すると言われているけれど、最初に提起している理論と後半の日本文化の強調との間のギャップにとまどうのは私ばかりではないと思うのだが、いかがだろうか。でも、同世代としてなんだか荒井さんのいらだちが良く分かってしまうのはなんだろうかとも思う。ここでも複雑である。

 同世代(団塊世代)でも、橋本さんは文藝世界の人だけあって融通無碍である。おなじいじめを扱っても、いじめの蔓延は、学校以外に行き場がなくなった現代の若者が起こすのであって、それが証拠にはいじめっ子や不良がいなくなり、いじめが広がったのだと言うのである。その学校も一部のエリート志向の若者は別として、「行かなくてもいいのになんでいかなきゃいけないの、勉強なんかしなくてもいいのになんでしなくちゃいけないの」というエネルギーの不完全燃焼が起こすのだという。

 行き場所がないからいじめる、おなじベクトルで、行き場所がないから自殺するという行動が起こるとも指摘する。生徒の行動や自殺する同世代を思い浮かべると、なかなか鋭い指摘だと思う。

 では、橋本流結論は何か。それは産業革命前に戻せといういきなりのジャンプである。要は、にほんはもっと小さく、貧乏になればよいというのである。小さな職人国家でいいじゃないか、自分のものは自分で作る、そうすればやることはみんなできるし行き場所はできるし、いじめなんかやっている暇はないということなのだ。

 経済学的言えば、絶対に無理な結論であり、ロマン主義そのものだが、なんだかスカッとする結論でもある。でもそのスカッと、というのが要注意だとも思う。下手をするととんでもないイデオロギー運動になる可能性もある。そうならない歯止めをきちんとかける。ここに経済学的な考え方の大事さがあると思いながら読んだ。



授業で役立つ本 その16 投稿者:新井 明 投稿日:2007/12/31(Mon) 17:37 No.129

 私のモットーは「継続は力」ですが,ちょっとこの間,あわただしさにかまけて中断が続きました。そこで,今回はこの間に読んだ本の日記風紹介とします。直接役立つというより,現職教員の読書日記としてお読みください。

 某月某日 経済教育学会での発表に関連して金融関係の本をあさる。
 本屋で目に付いた,勝間和代『お金は銀行に預けるな』(光文社新書)を手に取る。著者は公認会計士で経済評論家の肩書きの女性。経歴をみると19歳で会計士補の資格をとり,その後,外資系金融機関やコンサルを経て独立し,2005年にはウオールストリートジャーナルから,世界の注目すべき50人の女性に選ばれたという。これだけ見ると,キラ星のような「勝ち組」のご宣託をならべた本という感じがしないでもない。しかし,内容はしっかり書かれている。
 第1章で,日本人に金融リテラシーが低いのは,学校や家庭で教えられていないこと,社会人になると忙しくて金融リテラシーを磨く暇がないとしっかり指摘している。特に前者では,お金について語るのははしたないという価値観や,労働で稼ぐことが大事という価値観が問題であることが指摘されている。このあたりはそうだと思う。
 しかし,金融商品別の問題点をあげてある第2章はスキップ。儲けたい思う人,損をしたくないと思う人にとっては重要なことなのだろうけれど,教室では使えないなというのがその理由。それでも,株式はプロが得して個人が損するという箇所はちょっと注目。金融教育では金融商品について扱うことがあるが,個別の商品をどこまで学校で紹介するのか,また,その特質をどこまで紹介するのかに関しては,もう少し論議が必要だろう。また,デリバティブ商品が紹介されているが,仕組みとしてのデリバティブを教えることと,金融商品としてのデリバティブを紹介することの区別も必要かなと思う。
 第3章は実践編。ここでは,金融リテラシーを身につけたかどうかは,外貨の債権や株式を買った時,円安と円高どっちが有利という質問に即答えられることがリトマス試験紙になるという。確かにそうだと思う。また,金融でしっかり儲ける原則があげられていて,分散投資,5%の年間リターン,タダの飯はない,投資にはコストと時間が必要,管理できるのはリスクのみという5つが指摘されている。これも納得。タダの飯はないというのは,経済的な見方の大原則と共通するもの。ただし,この箇所での説明はちょっといただけない。儲かることもあるけれど損することもあるという説明になっているけれどこれは違う。資源は希少だから,一見タダに見える行為も常になんらかのコストはかかっっているということを意味するはず。そのあたりをきちんと書いて欲しかったなあ。
 第4章では,金融を通した社会的責任が論じられる。ここでは,現在の小さな政府化政策のなかで,金融リテラシーをマスターしていないと自分の身がまもれないことが指摘されている。そうだなと思う反面,小さな政府路線を与件としてその上で身の処し方を考えるという姿勢は狭いとも思う。現代の資本主義社会に格差や企業の不祥事が発生していることを指摘しながら,その問題を社会的責任投資に加わることで変化させる可能性があるという書き方はあまりにも金融,それもパーソナルファイナンスの視点が強すぎるのではないか。規制の強化や社会的再分配を良しとする路線選択だって可能であることも書く必要があるのではと思ってしまう。このあたりが,現場教師とコンサル出身者との違いであろうか。最後に,自身がかかわっている「キッズ・マーケットキャンプ」の紹介があるが,小学5,6年生,中学1年生にリスクやリターンの話しをしたり,株式投資を実践させたりしている。このあたりもちょっと違和感ないし危うさを感じる。このくらいの子どもたちには投資のリスク・リターンよりコスト概念をきちんと教えることが経済教育では大事だと私は思うのだが,いかがだろうか。

 某月某日 橘玲『亜玖夢博士の経済入門』文藝春秋社,を読む。
 橘氏は『臆病者のための株入門』を,拙書『高校生からの株入門』を書いていたときに読んで,その筆力に脱帽した人だ。だから,小説のスタイルで経済をどう処理しているか興味があり,購入した。
 新宿歌舞伎町の雑居ビルの置くに事務所を置く亜玖夢博士という人物が主人公。「地獄を見たら亜玖夢へ」というチラシをみた人物が彼のもとに吸い寄せられる。その事務所に吸い寄せられる人物一人分が一話分となって話が進む構造になっている。扱われている経済理論と話題は,多重債務がカーネマンの行動経済学,やくざどうしの利権争いがゲーム理論,いじめがネットワーク理論,マルチ商法が社会心理学,自分探しがゲーデルの不完全性定理という具合に,経済というより人間行動が,理論ではオーソドックスな経済理論ではなく現代の先端的なものがひろく取り扱われている。その意味では,小説で経済が分かるというより,現代社会の一端を知るための本という感じである。特に,歌舞伎町のようなある種日本の底辺であり先端である場所を舞台に選んでいることで,いながらにして現代風俗を知ることができる。経済理論に関してはまあこれで何かが分かるというより,こんな理論があってこんな風に説明できるのだというイメージが形成されればよしというところだろう。橘氏本人も,スラップスティックな物語に経済理論をあてはめると本書のねらいを発言している。
 教員として参考になったのは,第二話のゲーム理論の箇所と,第三話のいじめの物語の箇所,さらに第五話のなかの自己言及のパラドックスの箇所である。第二話は,高校教科書やセンターテストでも取り上げられているゲーム理論の「囚人のディレンマ」の脱出方法である「しっぺ返し戦略」が取り扱われていて,こんな風に噛み砕くといいんだという参考になる。第三話は,日々学校で発生しているいじめからどのように逃れるのかのヒントが書かれている。閉じられた空間のネットワークから抜け出すことが解決策として提示されているが,それもありだなと考えさせられる。第五話は,「わたしってうそつき」という自己言及の適否が提示され,結局自分探しというのは幻想であることが説明される。このあたりはアイデンティティ論を語る従来の青年期学習を超える可能性があるなと思う。
 いずれにせよ,このような軽い読み物で現代の一端がわかり,学問って面白いと思わせることができれば上出来だ。

 某月某日 お金の教育が必要と思ってはいるけれど,なんだか薄っぺらなハウツー本が多くちょっと欲求不満になったので,古い本だけれど本棚から,今村仁司『貨幣とはなんだろうか』を取り出して再読する。といっても,一度目によんだのはもう10年以上前だからすっかり忘れてしまっていたので,実際にははじめての本と同じだ。
 今村氏は,今年惜しまれてなくなった学者だ。一度お目にかかり話を伺ったことがある。書くものは難解だが,ご本人は大変気さくな学者だった。氏は京大の経済出身であるが,経済学者というより経済思想史学者なり社会哲学者といったほうがよいだろう。この本は,ちくま新書の001番で,創刊時から13年たっているけれどちっとも問題は古くなっていないと思った。
 内容は,経済学からの貨幣の扱いである貨幣ベール論,道具論,機能論からもっとひろく貨幣の本質を論じる第一章からはじまる。氏によれば,貨幣は人間関係の本質,さらに人間存在の本質である死の観念や,暴力性を包み込むものとして存在するという。それはこんな表現になっている。「貨幣形式そのもの,つまりは貨幣のなかの形而上学的観念性自身が死の観念を内に抱えているのだ」。このあたりは日常感覚から言えばずいぶんの飛躍のようだが,哲学的にはそうともいえるだろうなと思う。最初にこの本を読んだ時は,この部分でもうつまずき,それ以上を読む気力がなくなったのだが,今回はとても面白く感じる。私にとってのこの十年間のもろもろの出来事がやっと今村氏の問題意識とすこし重なり合ってきたということなのかもしれない。
 さて,死の観念性を抱える貨幣の本質という論を補助するものが,第二章以下に展開される,ジンメルの『貨幣の哲学』であり,ゲーテの『親和力』であり,ジッドの『贋金つくり』である。三冊とも恥ずかしながら読んでいない。ジンメルは社会学者として有名だが実際にその著書までをあたったことはない。ゲーテの『ファウスト』は途中で挫折,ジッドは『狭き門』を読んだのみ。ジンメルはタイトルで分かるけれど,ゲーテやジッドが貨幣論でなぜ扱われるのかは,本書を読み進めるうちになんとなく分かってきた。要するに,貨幣と死,犠牲の関係が恋愛や結婚,家族を扱う小説の中に必然的に出てくるということなのだ。とは言え読んでいない本を他者の解説で理解するのはなかなか難しい。それでもふむふむといいながら読むことができる。第五章は,文字と貨幣を論じている。言語と貨幣ではなく文字までさかのぼったところに今村氏の真骨頂があるのだろうが,このあたりはやはり簡単には分からない。分からなくてもいいのかもしれない。現代哲学をああポストモダンねと簡単に言葉でくくって分かった気になるより,自分にとって本当に腑に落ちる時までわからなさを持ち続けることが大事だろうと勝手に思う。
 最後のエピソードで,貨幣を巡る問題は,神話にミダス王の話が出てくるようにギリシャの昔からの問題であることが指摘される。そして貨幣を巡る哲学闘争は,貨幣を便利な道具としてみるソフィストと,ロゴスと精神のなかに商品と貨幣が浸透して人間を堕落させるとするプラトンの対決の形をとり,それが西欧思想史をつらぬく通奏低音となるとも指摘する。このあたりはとても面白い。要するに,現代のお金を語る人間はほとんどソフィストであるということなのだ。だから科妻さんの本は面白いけれど軽いわけだ。とは言え,では現代でプラトン的にお金を語るにはどういうスタンスで,またどのような内容で語るのか。その答えは自分で考えよということになるのだろう。
 昔,マルクスの経済学哲学草稿に引用されていた,シェークスピアの『アテネのタイモン』のなかの台詞に震撼した人間にとって,お金をどう考えるかは青春の問いでもあった。しかし,中国の文化大革命,カンボジアでの虐殺などユートピアを目指した運動の逆機能を目のあたりにした中年のソフィスト教員にとっては,この種の問はいささか重い。小さな本だったけれど,結構中身のつまったいい本だと思った。現代小説を追いかけるより,古典に戻ってものを考えるのは,老人の特権かなとも思う。手に取る本がまた増えそうだ。



授業で役立つ本 その15 投稿者:新井 明 投稿日:2007/12/31(Mon) 17:34 No.128

「スタバではグランデを買え!」吉本佳生著(ダイヤモンド社)

 うーんと間隔があきましたが,本の紹介を続けます。
 今回は,宮尾先生も紹介されていた,吉本さんの本です。朝日新聞(07・10・7)にも紹介されてご存知の方もいらっしゃると思います。正直,この本を読んだときに,こういう本を書きたかったと思いました。面白いだけでなく,経済学のバックグランドをもったしっかりした本です。ただし後述しますが,ここから経済学へどのようにすすむかが大事だと考えさせられる本でもあります。

 著者の吉本さんは,著者紹介をみると特にどこの大学の先生ということが書いてありませんが,南山大学の助教授だったことがある方です。なぜ肩書きを書いていないのかが不明です。南山をおやめになっているのでしょうか?

 吉本さんの本は,これ以外に,『金融広告を読め』光文社新書,『ニュースと円相場から学ぶ使える経済学入門』日本評論社,など多数の本を書いていて,いずれも使える本として重宝しています。

 さて,『スタバではグランデを買え!』ですが,全体は8章+αからなっています。αは終章で身近な話題をケーススタディ風にとりあげている,いわば付録です。8章の中身ですが以下のようになっています。
1章 ペットボトルのお茶はコンビニとスーパーのどちらで買うべきか?
 裁定と取引コストの話。一物一価にならないのは取引コストが違うからという話。機会費用という言葉は直接出てきませんが,コストの違いが消費行動や販売戦略の相違を生みだすという話です。丁度,となりの先生から同じ質問を受けていたので,早速この本のこの部分を紹介して読んでもらいました。
2章 テレビやデジカメの価格がだんだんと安くなるのはなぜか?
 規模の経済性と多機能であることが消費者の取引コストを節約するという話です。
3章 大ヒット映画のDVD価格がどんどん下がるのはなぜか?
 価格は企業の平均コストと消費者の評価(満足度)の間できまるので,価格差別をすることで満足度をたかめて販売するという話です。
4章 携帯電話の料金は,なぜ,やたらに複雑なのか?
 これも価格差別の話。複雑な価格設定をすることで消費者を選別するという話。複雑さに屈する消費者は価格差別の餌食になるという警告もついています。
5章 スターバックスではどのサイズのコーヒーを買うべきか?
 タイトルになった話。追加的コストと価格差から,買うほうも売るほうも最も得なのはGサイズすなわちグランデであるという話です。ちなみに,いくら得でもGサイズは勘弁というのが私の実感です。そんなに飲めないよということです。
6章 100円ショップの安さの秘密は
 中国での現地調査も含めてコストダウンの秘密を紹介しています。その秘密とは,@労働賃金の安さ,A隙間の時間を使って高級感のあるものを生産する,B大量注文,C現金払いでの注文,D100円ショップ用の少量製品の製造,E倒産商品の買付け,F賞味期限付きの商品の大量仕入れ,の七つです。外国製品ではなく日本製品が100円ショップにある場合は,追加コストがその秘密で,その構造を解説しています。
7章 経済格差が,現実にはなかなか是正できないのはなぜか?
 評者(新井)が一番面白かった,ここは使えるぜと思った箇所です。ここでの目玉の理論は,リカードの比較生産費説です。比較優位を自覚さえしていれば,いくらでも仕事はあるというのが結論です。ただ,自分の比較優位が何なのかを自覚することは難しいことです。それをどう自覚するか,また他者が努力している人をどうみわけるかもあわせて難しいことが紹介されます。その時のキーワードはモラルハザードです。モラルハザードを起こさない方法に関してはインセンティブが大事ですが,それについては残念ながら触れられていません。
8章 子どもの医療費の無料化は,本当に子育て支援になるか?
 ここでは,無駄な公共投資がなくならない理由と,医療費の無料化に代表されるばらまき型の政策が取り上げられます。前者ではサンクコストが,後者では混雑による時間コストの上昇が結果として不平等を生み出すことが指摘されます。
終章 身近な話題のケーススタディ
 日本が石油製品の輸出を増加させているのはなぜ,牛肉をステーキ店と焼肉店のどちらで食べるかなど,6つの事例をとりあげています。

 内容紹介でも分かるとおり,この本の目玉概念はコストです。取引費用概念が最も利用されていますが,他にも時間コスト,機会コスト,サンクコストなどのコスト概念で経済現象が説明されています。値段から社会の仕組みが見える,経済学的な考え方が分かるというキャッチフレーズがあてはまる本といえるでしょう。

 ただ問題点もあります。それは,この種の本は一般的にそういえるのですが,事例がおもしろく,説明に意外性があって読めるのですが,それ以上にならないで理解が進まないうらみが残ることです。経済学の体系(特にミクロ経済学)を一度マスターしている人にとっては,その知識なり方法があたまのなかにあるから,この本でとりあげられている事例がうまく位置づき,納得できるのですが,体系を持っていない人にとっては,個別の事例の説明のトリッキーさが印象にのこるだけ,「ああ面白かった」で終わってしまう可能性が大いにおこりうることです。ベストセラーになった『さおだけや』でも,それだけ売れても,経済学の理解が深まったり,会計学の知識が普及したりしたとは思えないのはそのあたりに原因がありそうです。

 体系と部分の問題はどんな学問分野でもある問題ですが,経済学のようにしっかりした体系を持っている学問分野では,特にまず経済学全体の構造や発想方法をしっかりマスターしてから問題を考えることが大事なのではと思いますが,いかがでしょうか。

 そうなると,問題はいかに体系的にしっかりして,なおかつ興味深い事例をたくさん盛り込んだ学習しやすい経済学のテキストが必要になるということです。かつてのサムエルソン,現在のスティグリッツ,マンキュー,レベルの本格的教科書が日本でも望まれるゆえんです。



授業が取り上げられます 投稿者:新井 明 投稿日:2007/11/13(Tue) 21:41 No.126

投資教育、金融教育が話題になっています。

株式学習ゲームを継続して授業に取り入れてきたので、賛否には興味があります。

とはいえ、ではどんな教育をしているのかなかなかその実際は目にすることが少ないと思います。

先日、授業風景を撮影させて欲しいとの依頼を受け、授業風景の収録をしました。拙著の『高校生からの株入門』祥伝社を知ったTV局からでした。

ただし、スカイパーフェクTVなので、見ることが出来る人は少ないと思います。もし、その環境がありまいたら、ご覧になってご意見をいただければ幸いです。

放映予定は以下の通りです。

放送局: スカイパーフェクTV!(ch766 ダイワ・証券情報TV)
番組名: 「ワザあり!菅下清廣の株式道場」
※番組HP  http://daiwa766.jp/program/wazaari.html
放送日: 平成19年11月17日(土) 11:00〜12:00

先日も、佐和先生のインタビューがありましたが、地上波の放送局で経済教育がとりあげられると有難いなと思います。



「投資・金融教育」についての賛否 投稿者:TM 投稿日:2007/11/09(Fri) 15:27 No.125

「投資・金融教育」についての賛否

11月8日(木)の日本経済新聞「マーケット総合2」のページでは、朝刊でも夕刊でもたまたま「投資・金融教育」に関連する内容のコラムが掲載されている。
朝刊の「大機小機」というコラムでは、「パピ」という筆名の著者が「貯蓄から投資へ」という題名で、「貯蓄から投資へ」という掛け声で、個人に預金を下ろして株式や投資信託に乗り換えろという必要があるのか疑問を呈している。
その部分は特に問題はないが、それに続いて「基礎学力の充実が急務なときに、子供のころから『金融経済教育を一層充実させることで金融リテラシーの向上を図る』必要があるのか。そうしないと先進国から落ちこぼれるのか。お金のことなど考えるのは卑しいと言うつもりはさらさらないが、かつてはお金のことは専門家に任せて仕事に専念できる方がいい社会だと考えられていたことも事実だ」と述べて、結論として個人が安心してお金を預けられる預金(低金利の是正も含む)の機能を回復させることが必要としている。

これに対して夕刊の「十字路」というコラムでは、城下賢吾山口大学経済学部教授が、「米国の投資教育の実用性」という題名で、米国で15歳の高校生向きの英語読解テキストで、株式市場の説明がいかに実用的に書かれているかが紹介されている。
例えば、多くの株式への分散投資して生涯保有し続けたことで生涯2200万ドルの資産を作った女性の話、強気市場ですべてのお金をなくした男性の話、将来を憂える女性グループが作った投資クラブの話などが載っているという。
そして結論として「日本で投資教育がなかなか進展しないのは、授業の中で当り前のように教材として用いられるほど生活に密着していないこと、実践性を重視しないことにあるのだろう」と結んでいる。

経済新聞の同じ日の朝刊と夕刊でこれほど両極端の意見が並ぶこともまれであるが、前者のような意見が日本で根強いからこそ、もう一方の極端(いわば「ハウ・ツー志向」)な意見が出ているのかもしれない。
投資・金融教育に限らず経済教育一般についても、本筋をはずれない議論を一般化させることがぜひ必要であり、それこそが経済教育ネットワークが目指すべきものではないだろうか。
以上、ご参考までに。
TM



話題の本『スタバではグランデを買え!』を読んで 投稿者:TM 投稿日:2007/10/18(Thu) 01:35 No.120

話題の本『スタバではグランデを買え!』を読んで

「何」を教えるかVS「いかに」教えるか

今書店で平積みになっている話題の本『スタバではグランデを買え!』を読み始めましたが、その冒頭に「同じモノがちがう価格で売られている例」が出てきます。
これまでこの例は、「一等地のコーヒーの価格」や「山の上のジュース」の話とし出てきたもので、これをどう説明するかが比較できます。
これらを比較すると、何とそれぞれ説明がまったく違います。

まず、丸紅経済研究所『コーヒー1杯からわかる経済』の「1等地のコーヒーはなぜ高い」(p. 40)では、需要を強調しており、土地代が高いからコーヒーが高いのではなく、高く売れるので結果として地価が上がるとしています。

次に、和美智子・河原和之『日本経済学園指定教科書』では、「山のジュースは上になるほど高いねん」(p, 28)の節で、山の上では下と比べて需要が増えるのに対して、供給が減るので価格がより高くなると説明しています。

そしてこの吉本佳生『スタバではグランデを買え!』では、すべての価格差は「コスト」の違いによって説明できるとして、供給側を強調しています。本文の中でも、小見出しで「同じモノがちがう価格で売られている理由は『取引コスト』」、さらに「取引コストが存在しなければ、裁定が価格を等しくする」となっています。

以上3つの説明のうちどれが正しいのでしょうか。答えはどれも一定の仮定のもとで
正しいのです。我々経済学を習得しているものにはその仮定が何かが説明なしでもある程度分かるのですが、これを中学生や高校生に教える場合は、何を教えるかの内容に注意する必要があります。
つまり私がここで指摘したいのは、「経済教育」ということで「教育」に重点を置いて、いかに分かりやすく面白く教えるかという「How to」を議論することも必要ですが、その前に「経済」を重視し、「何」を教えるかについて、きちんと整理して教えなければ、結果は生徒の理解を妨げ、混乱させるだけに終わる危険があるということです。
少なくとも「経済教育ネットワーク」における経済学者の役割りは、「いかに」よりも「何」を教えるかについてきちんと論点を整理し、共通の理解(答え)を出しておくことではないでしょうか。
TM(宮尾)



「金融教育:パーソナル・ファイナンス」の入り口 投稿者:TM 投稿日:2007/10/13(Sat) 17:23 No.119

「金融教育:パーソナル・ファイナンス」の入り口

9月15日の経済教育ネットワークの総会で配布された「金融教育」や「パーソナル・ファイナンス」に関する膨大な資料に改めて目を通してみましたが、実に色々な内容で、「お金を知る」から「多重債務に陥らないために」まで多岐にわたっています。もちろんそれぞれの問題は重要で、それなりに役立つのでしょうが、どうも経済学の視点から見ると何か統一性に欠けており、経済を理解する入り口としてはかえって全体を分かりにくくしてしまうような気がしました。
例えばもっと簡単に、以下のように整理してみたらどうでしょうか。

1)まず、生徒たちに1ヶ月の収入(小遣いやバイト収入など)をリストさせて、さらに1ヶ月の支出を書き出してみると、1ヶ月の収支がプラスかマイナスかが分かります。
2)プラスならばその分だけこれまでの貯金が増える(借金が減る)ことになり、マイナスならその分だけこれまでの借金が増える(貯蓄が減る)ことになります。
3)以上の点だけでも、毎月の収入や収支といった「フロー」の概念と各時点での貯金や借金といった「ストック」の概念が明確になり、違いもはっきりします。
4)その上で、お金の機能として、フローのやりとりをスムーズにする機能と、ストックを現金という形で持つ機能とがあることが具体的に分かります。
5)さらにカードの使い方も、お金の機能に準じて、フローのやりとりをスムーズにする役割(毎月末にローン残高をゼロにする場合)とストックの構成を変える役割(月末にローン残高が残る場合)があることを生徒たちに説き、その関連で「ストック」のポートフォリオの選択と運用を教えます。
6)つまり現金、銀行預金、株・債券を持つことのプラス・マイナスを教えるとともに、ローンのプラス・マイナスと資産保有(たとえば住宅ローン)との関係も解説します。
7)以上の枠組みがだいたい理解できれば、多重債務などの問題も、どこから問題が発生するかも含めて理解させることが可能になります。

このような「フローとストック」のアプローチの利点は、この発想が家計だけでなく、企業経営にも生かせること、また簿記の概念や財務諸表の読み方の基礎にもなる一方で、経済全体を理解する場合に、GDPや財政収支のようなフローの概念と土地や株の時価総額や国債残高のようなストックの概念とをきちんと分けて理解する上でも役立つことです。
日本人はともすれば「バランスシート感覚」に欠けるといわれていますので、最初からフローとの関係でストック面を強調することの教育効果はかなり大きいのではないでしょうか。
以上、ご意見やコメントをいただければ幸いです。

TM(宮尾)



授業で役立つ本 その14 投稿者:新井 明 投稿日:2007/09/17(Mon) 09:26 No.118

だいぶ間隔があきましたが、久しぶりに本を紹介します。

今回もちょっと毛色の変わった本で、小村智宏著『未来への経済論』弘文堂刊です。この本、サブタイトルが「映画で読み解く私たちの未来」となっているように、映画を通して現代の経済を読み解こうという趣旨の本です。

著者の小村さんは、肩書きによると三井物産戦略研究所主任研究員となっています。長銀総研出身のエコノミストのようです。もっとも、先日の総会での佐和隆光先生の講演によると、エコノミストと呼ぶのはPhD.を持っていることが条件だとすると、小村さんは、大学を出て銀行に入って営業を担当したり、業界分析に携わったりして事業調査や産業調査のプロになったという点では、日本的エコノミストということになりそうです。

それはともかく、「はじめに」を読むと、この本は経済について書いた本だとあり、難しい、分からないとされている経済を基礎の基礎から考え直す本という性格付けがされています。このあたりは、私たちが日々教室で直面する問題意識と変わりありませんね。

さらに読むと、この本は通常の経済学の本とは違うと言っています。映画を通して分かりやすく経済を整理してみようという趣旨の本だと言います。「経済学で使うような、難しい理論や専門用語、数式やグラフ」を使わないと宣言します。このあたりも、私たちの問題意識にクロスするところがありそうです。

そして、現在だけでなく、未来を考える本であり、映画の本でもあるといいます。とにかく、映画を切り口にして現代の経済社会、さらにはこれからの社会を考えてみようという意欲的な本です。

全体の構成は6章に分かれています。
1章は経済の概論です。そこでのキーワードは社会的分業と市場です。あわせて通貨の条件も考えています。
2章は仕事。「働く」ことの意味、失業や家庭と仕事などの問題を映画を通して考えています。
3章は企業。企業の本質、企業金融、株式市場の役割などを取り上げています。
4章は政府。公共事業と政府の役割として、政府の役割や社会的合意の問題を扱っています。
5章は進歩。豊かさへの道程というサブタイトルで、競争、情報、豊かさへの原動力などを扱っています。
最後の6章は未来。ただし未来を予測するということではなく、環境や進歩、格差問題など直面する難題をとりあげ、そこから未来社会を構想します。

紹介されている映画は、分業で「エデンの東」、「モダンタイムズ」などの古典的作品から、株式会社では「ウオール街」、公共事業と政府の役割で「七人の侍」、公共の利益と規制の役割でフランス映画の「ショコラ」、環境問題では「もののけ姫」など、幅広く30本あまりの作品が取り上げられています。いずれもビデオやDVDで簡単に手に入るものですから、教室で取り上げやすいでしょう。

さて、では映画を使って経済をどのように紹介しているでしょうか。冒頭の「エデンの被東」での例をあげてみます。まず、最初にストーリーを要約します。次がこの本のメインで、経済学のないし経済の観点から映画を処理します。「エデンの東」では、主人公のキャロルの父アダムが、鉄道を使って冷凍野菜を輸送する新事業を始めるエピソードから、社会的分業を解説します。次に、アダムの挑戦が失敗して、それを心配したキャロルが大豆の先物取引で儲けて、その利益を父に贈ろうとするエピソードから、デリバティブ、リスク、それを拒否する倫理観などが解説されます。まとめとして、どんな事業にも意味があり、それが社会的分業の一環となって経済社会が構成されると解説されます。さいごに「ここでのポイント」として分業を再論して解説を閉じます。

このような解説が、とりあげた映画ごとに紹介されてゆきます。

映画好きからは、「エデンの東」をこんな形で、部分的に紹介されてしまうのは本意ではないでしょう。事実、取り上げられた作品の解説では違和感がある、むりにとってつけたなというものも結構目に付きました。それでも、経済と結びつけてこんな見方もあったのだと思うだけでも、この種の本は成功かもしれません。

では、この本を手がかりにして、経済の授業はどう構成されるでしょうか。私も映画を使った授業を何回かやったことがあります。プラスとマイナスというか、うまくゆく要素と難しい要素があることが分かってきています。

プラスは、具体的イメージがあるので、生徒の関心が高まることです。特に、多くの生徒が見ている、知っている作品が使えれば映像効果は大です。共通したイメージから解説をすることで抽象的なものに入りやすくなります。

例をあげると、同じスタインベック原作の「怒りのぶどう」があります。戦前の映画で古いのですが、オクラホマのシェアクロッパー、ジョード一家が土地を取り上げられるシーン、カリフォルニアに向かう途中で、ブドウ摘み募集のチラシをみて夢を語る人々に戻ってくる農民が、現地で何が起こっているのかを語るシーン、労働者キャンプを出て政府管理のキャンプに移ったときのシーンなど、授業で使えるシーン、エピソードが豊富にありました。それを視聴して経済を解説することができました。

しかし、難点、マイナスもあります。最大の問題は時間でしょう。映画のシーン、エピソードだけを使えればいいわけですが、長いストーリーの一部をカットして使うと全体が見えませんから、どうしてもよく分からないうちに話が進みます。どんなに短くても90分、長いものでは120分を超えます。50分授業の中高では2回分の時間を使っても途中カットということになります。この時間はもったいない。宿題にするわけにもゆかず、時間とのたたかい、いかにカットしながらエピソードを授業のポイントと結びつけるかが問われることになります。そのあたりに、教師の問題意識、教材選択の力量が問われることになります。

紹介した本『未来への経済論』に戻りますが、私たち教員にとってもヒントがたくさん詰まった本、ガイドブックとして活用できる本だと思います。このようなストックを私たちもそれぞれ持って、時間と闘いながら経済を面白く、また興味深く教えるハウツーをみんなで共有できるといいなと思います。

ちなみに、経済だけでなく、『シネマで法学』、『シネマで社会学』ともに有斐閣、がすでに刊行されています。「ショーシャンクの空に」は『未来への経済論』と『シネマで法学』の両方に取り上げられています。また、「クレーマー、クレーマー」は『経済論』と『社会学』で取り上げられています。比較して読むと経済の取り上げ方の特徴が浮かび上がるでしょう。



経済教育について佐和教授のTVゲスト出演 投稿者:TM 投稿日:2007/09/14(Fri) 08:46 No.117

佐和隆光教授のTVゲスト出演:経済教育について

9月14日(金)〜16日(日)にCS(ケーブル)TV で放映・再放映される「日経CNBC」の番組「三原・生島マーケットトーク」で、15日(土)の経済教育ネットワークの総会で基調講演される佐和隆光教授がゲスト出演されて経済教育について話されます。
私が司会役(代役)ですので、もちろん「経済教育ネットワーク」にも言及します。ぜひ皆様でご覧ください。

より詳細な放映日時は、14日(金)の午後9:00-9:30、15日(土)は午前10:00-10:30と午後9:00-9:30の再放映、 さらに16日(日)にも午後10:00-10:30に再放映予定です。
以下が番組のHPです。
http://www.nikkei-cnbc.co.jp/program/markettalk/



書評:『日本経済学園指定教科書』 投稿者:TM 投稿日:2007/08/06(Mon) 16:55 No.107

書評:泉美智子・河原和之著『日本経済学園指定教科書』
日本経済新聞出版社(発行日:2007年7月25日)

『とびっきりやさしい経済の本:日本経済学園指定教科書』という目を引く題名の本が書店に並んでいるので手にとってみると、著者の1人が昨年11月と12月の経済教育ワークショップに参加された河原和之東大阪市教育センター指導主事なので、購入して詳細を検討することにしました。

まず目次を見ると以下のよう構成になっていて、この種の入門書としてはかなり包括的で幅広いテーマの取り上げ方であるように見えました。
1章 経済って、おもろいな
2章 会社を知ったら、経済が見えるで
3章 政府の仕事って、一体なんやねん
4章 世界って、ホンマ1つなんやな
5章 働き方が変わってきたんで
しかも、各章の中の項目も以下のように面白そうに見えました。
例えば、1章の最初の5つの項目は以下のとおりです。
1 たかが紙切れ、ほしくないわー貨幣のはなし
2 借金した弟がなんで金持ちになるねんーインフレとデフレ
3 山のジュースは、上になるほど高いねんー値段の決まり方
4 100円ショップはなんで安いんかなー海外でモノをつくる
5 円安しらんかったら損するねんー為替と暮らし

そこで読み出してみると、文章は非常に読みやすく、またマンガやイラストも適度に入っていてなかなかよさそうでした。内容を読み進むと、まったく経済を知らない生徒たちの興味を引きそうな具体例やエピソードなどを交えて巧みな説明がなされており、やはり現場で苦労されてきた結果が出ているようでした。
ただし、私のような経済学者が見るとどうしても、このテーマであればこう説明してほしかったとか、これも入れてほしかったといったといった思いが生まれてしまいます。
以下具体的な例としていくつか挙げたいと思います。

まず、貨幣がについては、今は「紙切れ」だが昔は石や貝でできたお金を使っていたこと、そもそも取引は物々交換から始まり、それを便利にするために金、銀、銅などの貨幣ができたこと、また貨幣には3つの機能があること等々の「教科書」的な説明がなされています。
それはいいのですが、そこまででかなりの紙面をついやしたので、紙幣になり、あまり紙幣が発行されすぎるとみなが大切にしなくなるので、中央銀行だけが発行するようになり、通貨を守るためにいろいろと工夫しているというところで終わっています。
恐らく教科書の説明を補足するためにこのようになっていると思いますが、経済学者としては、例えば「たかが紙」であれば、なぜ「自分たちが紙で貨幣が発行できないか」、「何か買ってから『後で払う』という約束を紙に書いた場合」といった方向に議論を展開したり、ボランティア活動に対価として「エコマネー」や「地域マネー」を受け取る場合などという現実の動きを考えたりしたらいいのでないかと感じてしまいます。もちろん紙面の制約があるので、これらはまた別の節で取り扱うべきかもしれません。

次の項目の「借金した弟がなんで金持ちになるねんーインフレとデフレ」は「昔ドイツで秒刻みで値段が上がった」という話で生徒の興味を引こうという内容になっています。それはいいのですが、この例にほとんどの紙面が割かれて、デフレの説明が不十分になってしまっています。
さらに「たしかに技術などが進歩して、モノを効率的に安くつくれるようになるのはいいことです。ただし、世の中の活気が失われてモノが売れなくなり、それで物価が安くなるのはよくないのです」といった貨幣的でない筋の話しが入ったりしていてかえって分かりにくくなっています。しかもあまり説明がなされないまま、「ほんの少しインフレが起こっている世の中が住みよいと考えられています」という結論が書かれているのが少々気になります。

次の「山の上のジュース」はよく取り上げられる例ですが、ここでは単に「需要と供給で価格が決まる」という例として使われているのは惜しい感じがしました。同じものなのに、山の上と下で価格が違うのはなぜかいう問いは、単に需要と供給が違うということ以上に、その差が何で決まるかも議論できる面白い例ですが、それが十分に利用されていないのは惜しい限りです。

最初の方だけでなく、最後の方についても「働き方が変わってきたんで」という章で、若者が興味を持つと同時に大きな社会問題になっているアルバイトやパートの話をもっと取り上げてもよかったのではないかと思います。

といったように、経済学者としては内容についてついつい注文をつけたがるわけですが、これもこの本の体裁、章立て、項目のテーマ、文章のよみやすさ、イラストやマンガの使い方など、どれをとってもこれ以上は考えられないほどのよい出来であるために、つい内容についても期待を高めてしまった結果といえます。
もちろん経済学者の観点からの説明が現場で生徒たちにアピールして興味を引くことができるかは別問題で、そこに経済教育の難しさがあることも確かです。
そこで私の提案は、せっかく経済教育ネットワークが結成されたので、今後はこのような本や教材を作る場合に、現場をよく知っている先生方と専門的な内容に関心をもつ経済学者や現実の経済をよく知るエコノミストやビジネス関係者との間で意見交換を行って練り上げたらどうかと思います。
できれば経済教育ネットワークで協力して教材の決定版をつくるのも一案ではないでしょうか。
以上、書評というよりも、この本に刺激されて、私なりの提案をさせていただいた次第です。
TM



Re: 書評:『日本経済学園指定教科書』 新井 明 - 2007/08/21(Tue) 15:09 No.110

書き込みが遅くなりました。『日本経済学園指定教科書』を読みました。その感想です。

基本的な部分は、宮尾先生のご指摘の通りだと思いました。

まず、タイトルが斬新です。「日本経済学園」とはよく考えたものだと感心しました。本は本当は中身が大事ですが、同じいやそれ以上にタイトルも大事です。「見た目が9割」ということは半分は真実だろうと思います。その意味では、この本は成功です。

内容的には、「一番やさしい」かどうかはなんともいえませんが、中学生をメインのターゲットにして、導入のお話プラス解説というスタイルで、とても読みやすくなっています。特に、お話部分は、大阪弁をそのまま取り入れていて、生活のにおいがあふれていて、身近な感じがします。

ただ問題は、ストーリーが中学生向け(中学生を題材としている)のであれば、解説も中学生向けにするのか、それともおとなの読者向けにするのか、そのあたりの焦点がしぼりきれていないうらみがあるところかなと思いました。

というのは、解説を中学生向けにするなら、もうすこし丁寧に用語などの説明が加えられるべきかなと思う部分があります。逆に、大人向けとするなら、経済学的にしっかりした記述がほしいなと思う箇所がいくつか目に付いたからです(たとえば、国債=国の借金、でいいのかどうかなど)。

このあたりの按配は一番難しいところで、一般書として日本経済新聞社が出していますから、当初の読者層は中学生ではなく大人ということになると、最初のストーリーが中学生ということでどうしても内容的に限定されるところが出てきてしまうことになってしまうからです。

それがでているのが構成の点です。総論、企業、政府、国際、労働と5章に分かれているのですが、企業と政府を扱うのであれば、家計についてまとまった形で扱えなかったかなと思います。国際も、最初の総論の部分に扱われている為替や国際分業の問題などを加えて、全体でひとつのまとまりになっているといいのではと思ったりしました。

ほかにも、労働があるのであれば、福祉関係もほしいなと思ったり、労働の箇所には、宮尾先生も書かれていますが、いま問題になっているフリーターやニートなどの問題なんかも扱われるといいなと思ったり、読者は欲張りですよね。

でも、最初にも書いたように、おもしろく、読みやすく、役に立つ本という点では、イラストなども効果的で著者の工夫がいかされていると思いました。

私の願望としては、まとめと高度な質問(大人の読者向け、もしくは中学生向け)があるともっといいなと思っています。できればさくいんなどもある本だと、永続性があります。

本を書くことは本当に大変だし、難しい作業です。でも、ストーリーからせまる、この主の本がどんどん出されて、経済への興味を喚起することができればいいなと思います。もうひとつ、経済教育の観点から包括的なテキストのようなものも同時にほしいところです。両者を一緒にする大きなテキストができるともっと面白いのですが、そのためには、ネットワークがもう少しひろくかつ深化してゆく必要がありそうですね。

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