[使いかた] [ファイルの投稿方法] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
おなまえ Eメール(任意)
URL(任意) アイコン  (ファイルの参照はクリアされます)
タイトル
発言内容

ファイル 1 各種のファイルを投稿できます。
ファイルの数 投稿するファイルの数を変更できます→ (ファイルの参照はクリアされます)
削除キー ←英数字で8文字以内。自分の投稿内容を修正・削除する場合に使うパスワードです。
文字色
・・・枠のある画像はクリックすると拡大表示します・・・

出戻り非常勤日記 43 投稿者:新井 明 投稿日:2016/08/15(Mon) 11:05 No.843

8月某日
 夕方より、旧知のFPの人たちの集まりにでかける。
 その前に、古本屋に寄ったら100円のコーナーで面白そうな本や、探していた本があり7冊も買ってしまった。それでも700円+税である。
 面白そうな本は、飯嶋和一の『黄金旅風』。鎖国がはじまる時代の長崎が舞台。主人公は末次平蔵とその子供。図書館から借りてあったが、図書館の本は線が引けない。私は、小説でも線を引きながら読む。100円で入手できたのはラッキー。
 探していた本は、スチュアートの『経済学原理』。岩波文庫版である。この本、なぜか我が家には1巻だけがあり2巻、3巻がなかった。品切れで古書では高い。それがなんと、二冊、それも2,3巻だけがあった。こんなこともあるものだ。
 ほかには、ペティの『政治算術』、ラッサールの『間接税と労働者階級』などが100円であった。このうち、ラッサールは買おうかどうしようか迷ったが、ラッサールの「夜警国家」という言葉がどこから出てきたのかが、教科書、資料集、用語集のどこにも書いていないので、この本あたりにあるかと思い購入。それでも100円である。
 古本屋でうろうろしていたら、集合時間に遅れてしまう。
 会合は、ソバ屋で日本酒を楽しみながら語らうという内輪の会である。買った本の話、歌の話、食べ物の話、各地の酒蔵の話など「至福の時」を過ごすことができた。

8月某日
 前日購入した、ラッサールの本を読む。
 ラッサールという人物がどんな人間だったのかという事自体にあまり関心を持っていなかった。これを読むと、大変な人物、ロマン主義者のようだ。最後は決闘で死んでしまったということがわかりがぜん興味がわく。マルクスとも知り合いで、『ゴータ綱領批判』というパンフレットは、ラッサール派への論難の書であることも、改めて思い出した。
 購入した『間接税と労働者階級』には、夜警国家という言葉は出てこなかった。でも、間接税が下層階級に大きな不利益となるという主張は、現代の消費税論議と同じだということが発見でき、その点では面白かった。
 さて、夜警国家はどこからということになって、家中の関連の本をひっくり返す。
 そこでわかったこと。小泉信三の本にそれがあるらしいということで、見てみると、あるある。むかし小泉信三の著作集の経済学の部分だけ10冊が、これも1冊100円で古本屋にあって、なんと購入していたのである。
 小泉の『近世社会思想史概要』という大正15年に初版が出された本のなかで、ラッサールの国家観として夜警国家という言葉が登場している。そうか、ここからなのかということなのだが、それではその原典は何か、実物を確かめなければということになる。
 小泉は、ラッサールの『労働者綱領』を翻訳している。どうもここが怪しいということで、これは、ネットで検索。アマゾンの古本で140円也ででている。さっそく注文。
 こんな芋づる式読書で一日過ごす。
 ちなみに、小泉信三の著作集にあった、『近代経済思想史』という本は、昭和24年初版刊行であるが、ケインズ、サムエルソンまで登場する経済学説史の本で戦後すぐに、このような広い視野で経済学説をみていた人物がいたという点で、えらい人物だと改めて感じる。

8月某日
 眼科に出向く。
 涙の通り道が詰まってしまう症状で手術をして10年近くなる。よかったり悪かったりの日々だが、一年に数回、眼科で涙道の検査をしてもらう。そのための通院である。
 その眼科、西高の近くなので、西荻窪から歩く。徒歩で約20分。古い住宅街を通ってゆくのだが、行くたびに建築工事をしている場面にあう。昭和の初めにつくられた住宅街なので、代替わりで土地が放出され、そこに新しい建物を建てているらしい。
 住人がもういないのではないかと思われる屋敷もあり、街を維持してゆくのは結構たいへんだろうなと思う。
 本日は、比較的涙道は詰まっていなかったが、いつまた詰まるかもわからない。詰まったらどうなりますかと聞いたら、もう手術はできないからがまんするしかないでしょうねとお医者さん。根本的には、鼻中隔湾曲症からくるアレルギーが原因ということなので、これはまあ運命か。あとは管理をしっかりするしかないと覚悟する。
 午後は、老人ホームへ。

8月某日
 夏の教室が始まる。
 名古屋に向かう。朝4時に起き、支度をして5時前の電車に乗り、6時の新幹線で名古屋へ。東京はうすぐもりだったが、名古屋は晴れ。暑い。
 昨年は名古屋に行かなかったので、二年ぶりの名古屋での教室の進行役である。
 午前講義が二つ。栗原先生も、河原先生も、加藤先生もさすがである。昼はきしめんを食べたいと思い探したが、どうもむかしあったきしめん屋がソバ屋にかわってしまったようで、ソバを食す。名古屋でソバはいただけない。
 午後も、安野先生、奥田先生の実践報告、野間先生の講義と順調。安野(やすの)先生を「あんの」先生と言ってしまった。申し訳なし。
 ホテルは、定宿。駅近くの古いビジネスホテルだが、部屋が広いのが気に入っている。早めにひきあげ、すぐに寝る。

8月某日
 名古屋二日目。本日も暑いが、ビルに入ってしまうと別世界。
 午前は、大杉先生の講義、金子先生の実践報告。これがとても面白い。昼は、駅の方に戻り地下街の立ち食いの店で待望のきしめん。これが意外にうまい。やったね。
 午後は、鈴木さんの講義、中川先生の講義と続く。中川先生の講義は、主権者教育に経済の風を当てたいという期待通りのものであった。
 帰りは、駅のデパ地下で手に入れた弁当とビールを新幹線で食して夕食とする。
 9時半過ぎには帰宅。家人いわく、「あら、早いのね」。

8月某日
 名古屋の記録の整理をはじめる。
 生徒がノートを整理するのと同じで、聞いた講義や実践報告を配布資料を見ながら思い出してゆく。こんな方法が、思考を整理するのにちょうどいいのだろう。
 『黄金旅風』読了。長崎という町、朱印船貿易、キリスト教弾圧、海外勢力の暗躍など江戸初期の歴史のおさらいしながら、登場人物を活躍ぶりを楽しんだ。活躍といっても悲劇的な死を遂げるが、最後にやや希望があるのが救い。

8月某日
 夜警国家の出典、発見。
 ラッサール『労働者綱領』にあった。岩波文庫版p63の以下の記述である。
 「…ブルジョワジイは道徳的国家目的を斯う解して居ります。国家の目的は、専ら又一に、個人の人格的自由と其所有を保護することに存すると。諸君、これは一個の夜警観であります。…」
 これが文脈から派生して、夜警国家という言葉になり、福祉国家に対する夜警国家という形で高校生に教えられているわけである。
 夜警国家という言葉は、もう市民権を獲得しているが、そのルーツを知ったうえで使うのとそうでないのではかなりの違いがあろう。「見えざる手」なども同じである。
 今度何かの折に解説を書くことがあったら、『労働者綱領』という本まで紹介しておこうと思う。

8月某日
 老人ホームに行く。
 母が深夜キャラメルを包装紙ごとたべたのが見つかり、キャラメルを没収されたということで、その後始末。
 入れ歯も合わなくなった母は、歯なし生活。食事も流動食の手前の切り刻んだものをたべている。その母の楽しみが甘いものを食べること。いろいろ試して、キャラメルが一番いいということになったのだが、食べ過ぎ。
 昼間は黙認してもらっていたが、夜も寝ながらこっそりたべていたようだ。それが発見されたというわけである。
 完全没収というわけにはいかないので、一日6粒(一箱の半分)に小分けにして、これを限度で配給してもらうようにヘルパーの人たちに頼んだ。手数がかかるが、仕方がない。
 「早くお迎えが来てほしい」と常々言っている母だが、食欲はあり「おなかがすくんだ」ともいう。私は、「食欲があるうちはお迎えは残念ながら来ないね」と返答。
 本日、立秋。それでもはじめてひぐらしの声を聞く。

8月某日
 急に暑くなる。
 娘から仕事が遅くなったので、迎えに行ってもらえないかというSOS。
 これも動ける老人のつとめ。クルマを出す。

8月某日
 数学教育と経済教育の関連についての論考に取り組む。
 9月に経済教育学会で発表予定のレポート。半分くらいまで書いて、そのままになっていたので、再開する。
 江戸時代の『塵劫記』、明治大正の黒表紙、昭和の緑表紙まで書いたので、戦後の生活算数からはじめてその後と書き続ける。
 戦後の生活算数にはびっくり、かつ、こんな取り組みがあったのだと感激。でも、初期社会科と同じく、否定されてゆく。このあたりの動きが面白い。
 生活算数にからんで、『山びこ学校』を思い出す。
 生活綴り方、初期社会科の見本と言われるが、生活算数とのかかわりはどうなのだろうかとふと思い出して、『山びこ学校』を引っ張り出す。
 こんなことをやっているから、なかなかレポートが進まないのだ。でも、面白そうなテーマだ。

8月某日
 妻の実家に往復。
 恒例の墓掃除とご近所へのご挨拶。
 6時前に自宅をでて、約3時間で到着。墓地は数年前に近所の人たちが整理したので、それほど草もなく、比較的楽に掃除ができる。
 土地を耕作してもらっているところからは、どっさり食べきれないほどの野菜をいただく。有り難いことだ。
 親せき宅で少し休養をとり、帰宅。帰りも、3時間のクルマの運転。
 帰宅して、ぐったり。夏のドライブは予想外に疲れるものだ。昼寝ならぬ夕方寝。夜は、いただいた野菜を中心としたメニュー。新鮮な野菜をたべられるのはぜいたくである。
 食べきれない分は、ご近所におすそわけ。

8月某日
 本日は、山の日でお休み。
 こんな日はいらないと思っていたが、勤めている娘はありがたいという。人によって、立場によってとらえ方が違うと思う。
 数学のレポートを書き続ける。

8月某日
 大学図書館に行こうとしたが空振り。
 東京学芸大学の図書館で、数学関係の資料を見ようと思って自転車ででかける。平日なので空いていると思ったら、これが全学休校。事前に、HPで確認しなかったのが間違いだった。
 でも、体を動かしたのだからよしということで、納得する。

8月某日
 『山びこ学校』と佐野眞一『遠い山びこ』を読む。
 佐野さんの『遠い山びこ』は単行本として出た時に、学校の図書館から借りて読んでいた。あらためて文庫本で手に入れて、しっかり読み始める。
 最初の関心は、生活算数に関する記述がどこかにあるはずという予想からだったが、それ以上に、無著成恭という人物と生徒たちのその後の軌跡が印象的だった。
 僻地山村の新制中学校で格闘する20歳の青年教師。その教え子たち。出版後、マスコミに翻弄される姿。石もて村を追われる無著。そして卒業後の生徒たち。佐野さんは、それをしっかり追いかける。このルポは傑作だ。
 無著さんの軌跡は、石川啄木を思い起こされるし、現代では尾木ママかもしれない。卒業生では、佐藤藤三郎さん、江口江一さんの軌跡が印象的。そのほかの卒業生たちの生き方も感慨深いものがある。
 昨年だったか、ある学会で、「生活綴り方」を社会科教育に再生しようという趣旨の発表に、「われわれ教師にもう生活がないのだから、それは無理だ」と発言した。佐野さんの本を読んで、あらためで私たちには生活はないと思わざるを得なかった。
 でも、これは「私たち」ではなく、私個人なのかもしれない。
 最初の目的の、生活算数とのかかわりは、大熊信行という経済学者が「生活綴り方の伝統をうけつぎながら生活算数への道をひらいた」という発言を残していることが記述されていて、目的は達成。
 時間があれば、大熊信行の発言全体を調べてみたいと思う。
 それにしても、教育は、ひとと時代が交錯するところで、その人だからできる、できたという属人性が強いものということを改めて感じる二冊の本だった。
 ちなみに、ネットで調べたら、無著さんは現在も大分で健在とのことである。

8月某日
 数学と経済教育のレポートを一応完成させる。
 だいたい20枚(1600字詰め)くらい書くと、いやになってしまう。このテーマ、深堀すると結構いい論文になりそうだが、根気が続かない。
 政経の教科書分析をした時も、これを発展させればいい線行くよと言われたが、そのままになっている。
 伝統継承をお願いしたいところだ。




出戻り非常勤日記 42 投稿者:新井 明 投稿日:2016/08/01(Mon) 10:18 No.842

7月某日 
 かかりつけの内科に出かける。
 薬がなくなっているのを見落としていて、慌てて予約を入れたら満杯。しかたがないので予約なしで、覚悟して出かける。それでもそれほど待たずにいつもの1分診察(どうですか?おかげさまで変わりありません)をすます。これで二か月は行かないで済む。
 午後は、孫の写真の整理。デジタル時代なのでSDカードには入っているが、それをプリントアウトする。昔のようにきちんと写真の形で残すのは難しい時代になった。孫1用と孫2用にわけて整理する。半日がかり。

7月某日
 入試問題本の編集者からのお問い合わせがくる。
 これがくるとグルーミーになる。ミスったなという思いと、残念という思いが同時に来る。今回は、記述問題の大学だったので、高校生が書ける範囲は何かという点での指摘が多かった。これは編集サイドの指摘に従う。
 ひっかかったのはグラフの読み取りの問題。日本の労働時間の推移のグラフから何を読み取るかを書けという問題。私の解答は編集部の指摘するとおり間違えていたのだが、編集サイドが提案してきた別解も納得できず、長考。結果として、編集サイドも違っているぞという返信をする。
 経済だけでなく、同一のデータやグラフでもどう読むかというのは難しい。よく言えば良問。だからこそ、解答例を出題側も出すべきと今回も思う。

7月某日
 オレオレ詐欺を扱った小説を読む。
 妻の趣味が読書、それもエンターテイメント系で、警察小説などをよく読んでいる。その妻がこれは現代的だからぜひ読めといわれたのが、鳴海章『刑事道』という小説。刑事小説だからアチャーというような設定が多いのだが、この本が扱っているのはオレオレ詐欺の実態部分。
 オレオレ詐欺は高度な知能犯であり、その組織はいいかげんな組織論ではできないことがよくわかる。メンバーの選抜や教育などもリアルに書かれている。こんな連中にねらわれたらよほどしっかりしていてもやられるなというリアルさであった。エンターテイメント、恐るべしである。

7月某日
 一日家で閑居。というより何もせずぶらぶら。月末までにやらなければいけない原稿の改定の仕事があるのだが、どう手をつけてよいかイメージがつかめない。
 こういう時は、手あたり次第周りにある本を読む。そのテーマに関する本よりも、遠い本の方がこんな時な良いようだ。本日は、最近買いためた数学に関する本に目を通してすごす。
いいアイディアが降ってこないかと思うが、だめのようだ。

7月某日
 ルノアール展にゆく。
 私はルノアールがそれほど好きではないけれど、妻がゆきたいというのでお付き合い。人気の展示会なので、朝一でゆくことになる。そのため久しぶりに混雑した電車にのる。
 展示会は予想よりよかった。結論、ルノアールは職人。19世紀フランスの時代の表の顔がそこからよくわかるのに感心。有名な「ムーラン・ド・ギャレット」にでてくる男女は、産業革命後の労働者である。ルノアールの奥さんは、元お針子。お針子は、『レ・ミゼラブル』でもコゼットの母親である。ユーゴの暗さの裏がルノアールの明るさだ。
 ルノアールには、二月革命もパリコミューンも出てこないが、時代背景のなかでもう一度絵を読み解くとこんな面白いものはないという感想をいだいて帰宅。

7月某日
 メールが不調になる。
 前から調子は悪く、何とかごまかし使ってきたがついにアウト。メールが動かないと仕事にならないので、慌てる。
 結局、今回もマイクロソフトに電話をして、遠隔操作で新しいソフトを入れる。新しいソフトになれるのはちょっと時間がかかりそうだが、これで文字化けもなくなるのではと期待している。
 妻の時もそうだったが、ネット時代の便利さと怖さを感じる。

7月某日
 『赤と黒』読了。
 これを読もうと思ったのは、猪木武徳さんの『自由の思想史』のなかで、高校生の時に読んだという記述があったこと。もうひとつ、大岡昇平の全集を借りて、スタンダール論を読んだことがきっかけ。
 昔読んで挫折した本なので、今回はとにかく全部読んでみようということで手に取ってみた。正直、面白くない。ジュリアンソレルという人物が私には魅力的でない。
 ただ、1830年代誌とサブタイトルにあるように、当時のフランス社会の様子、修道院が貧しい子弟の上昇機関であったこと、貴族は大土地所有者であることなどがかろうじて興味をひきつけるものだった。
 それでも、後半のジュリアンとマチルドの駆け引きはゲーム理論だと思いながら読む。まあ、暇人だからこんな小説の読み方もいいのだろう。まちがっても現代の高校生に読んでみたらとはすすめないな。

7月某日
 夕方から孫2を預かる。
 ママが定期的に通院をしているので、帰るまでの保育園代わりである。天気が悪い日だったので保育園では閉じ込められてエネルギーが余っているのだろうと思い、自宅の近くの散歩に連れ出す。
 小さい子をつれて散歩すると、見知らぬ人でも声をかけてくれる人がいる。また、犬を散歩している人とも声をかけてくれる。孫をつれての散歩は、地域デビューの一つなんだろうなと感じる。
 予想より早くママが帰ってきたので、家まで送る。
 夜は、テレビで『バケモノの子』を見る。昨年話題になったアニメである。細田守という作家を注目しているのだが、この作品も面白くできている。ただし、「ドラゴンボール」と「西遊記」と「千と千尋の神隠し」を足したような作品でもある。
 ここでのテーマは父性と成長である。鍛え方、生き方が代理父から伝えられるという話で、母性がでてこない。それが逆問題かとも思う。それにしても、アニメからいろいろ考えることができる。現代だなと思う。

7月某日
 久しぶりに本屋にゆく。
 この頃、アマゾンで本を買うことが多くなり、町の本屋さんにはなかなか足が向かない。これはあかんというということで、買い物ついでにじっくり書棚を見回る。
 今回は数学書のたなや資格試験のたななどあまり普段は見ないところも見る。文庫や新書、全書類などもチェックする。
 巨大書店ではないが、それなりの広さの店なので、1時間以上滞在。結局、『とんでもなく役に立つ数学』という文庫本とマクロ経済の解説本を買っただけ。面白そうな本は結構あるが、それをみんな買うわけにはゆかないのは当然。
 豊富、いや過剰ななかの選択は難しい。

7月某日
 飯嶋和一という作家の作品を読みだす。
 ノーマークの作家だったが、面白いよと教えてくれる人がいてそれではと読み始める。
作品は『狗賓童子(ぐびんどうじ)の島』という本。隠岐を舞台に、そこに流された大塩平八郎の乱に参画した人物の子供を主人公にした話。大塩の乱の評価、隠岐というトポス、主人公の人となりとそれを取り巻く人々など、よくかけた小説である。しっかり書かれすぎてベストセラーにはならないのだろうと逆に思わせる内容。感想は、現代のプロレタリア小説じゃないかというもの。それも良質なものといってよいのでは。
少しこの作家の作品を読んでみようと思う。

7月某日
 床屋にでかける。
 夏バージョンにしてくれといったら、ものすごくカットされた。でも、頭も薄くなっているし、うっとうしくなくていいやと思う。
 終わってから「これでいいですか」と鏡で後ろをうつしながら言われたが、もう切ってしまったのだからいいも悪いもない。
 本日、ヘイトクライム発生。ついに日本にもというより、この種の犯罪はいつでもおこりうるという気持ちになってしまう。容疑者の親は教員という情報もあり、考え込んでしまった。

7月某日
 勉強の一日。
 午前中に、シルバー民主主義打倒陰謀会議、別名三賢人ユースデモクラシー確立会議を開催。学会発表の準備、杉田先生の授業案の検討などを行う。
 昼は、神保町で本屋めぐりと昼食。
 午後は、経済学寺子屋。テーマはマクロ経済学の基礎理論。今回は、私の先達にあたるベテランの葦名先生が参加して、少人数だが密度の濃いレクチャーと討論を行う。
 その後、金子先生の授業案の検討をして、夜は伝統継承の会。飲みかつ話して10時過ぎまで。
 結局、朝の10時から夜の10時まで、勉強漬けだった。でも、こんな日はなかなかあるものではないという意味で、貴重な一日。

7月某日
 前日張り切りすぎたせいか、一日グダグダ。調整日。
 こんな日は本を読む。前日購入した、リスト『農地制度論』岩波文庫を読む。訳者の小林昇さんは、私の大学の経済学史の先生だった。私が入るまでは経済学史は四年生配当の必修科目だったが、紛争で自由化され、私の時は自由選択科目になっていた。
 一限の授業だったので、怠惰な学生であった新井君は、2回出ただけでやめてしまった。その2回は、そうなんだという新鮮な驚きの授業(スチュアートのところでindustryには二つの意味があるという箇所は今でも覚えている)であったが、朝起きられず教科書を読めばいいやということで行かなくなってしまった。結局、テストも受けず、経済学史は履修しないで卒業してしまった。今思うともったいないことをしたなあと思う。
 その後、小林昇さんの著作集を買ったが、それも積読(つんどく)で古本屋に売ってしまった。結構いい値段だった。それだけ知る人ぞ知る碩学だったのだが、あらためて、その訳書と解説を読むと、研究者のすごさがわかる。すこししゃきっとした。
 あとは、飯嶋和一の本。『雷電本記』が面白い。これは、江戸時代の雷電という伝説的相撲取りの話。やはり一揆の話や幕閣をはじめとする支配層への批判が印象的。また、主人公のパトロンとなる人物の造形も好ましい。これを読むと、相撲がもっている本来の姿がよくわかり、今の相撲が失ったものもよくわかる。
 失ったものは相撲だけではないだろうなと思いつつ、読了。

7月某日
 メルマガ原稿に取り組む。
 飯嶋和一の本を読み続ける。『神無き月十番目の夜』。これは暗くて、ちょっといただけない。『雷電』が比較的明るさを持っているのに対して、暗い。でも作家は書かざるをえなかったんだろうなと思わせる話だ。
中身は、江戸初期の自治権をみとめられていた山村の抵抗と崩壊の話。この作家、経歴がよくわからないが、全共闘体験がありなのではないかと思う。
 午後、近所の古本屋にでかける。チェーン店なので、ゲーム本やマンガ、文庫本が中心の大した本屋ではないのだが、掘り出し物もあるときがある。
 今日は、文庫本で、大岡敏明『武士の絵日記』という本と、上野健爾さんの『誰が数学嫌いにしたのか』という本を購入。どちらも面白い。
 前者は、幕末の埼玉の忍藩の下級武士の絵日記で、当時の武士の生活ぶりがわかる。とにかく、仲間との交流ぶりがすごい。飯嶋和一の本と対比をすると面白い。
 後者は、数学者のエッセイ。数学嫌いにした犯人は、文科省の数学教育の関係者、それを黙認してきた数学者、あと検定教科書を無批判に教えてきた数学の先生というのが上野さんの答え。それが正しいかどうかはわからないが、「数学のみならず、日本の初等・中等教育が無責任体制の中で場当たり的な対応をしてきた」との指摘は、深くうなずくところと、そうはいってもというところがあり、複雑。
 でも、二冊ともこれまでは視野に入ってこなかった本で、収穫。

7月某日
 やっと締め切り原稿にとりかかる。気持ちが乗れずなかなか取りかかれなかったのだが、追いつめられるとやれるものだ。
 送信したら気分が楽になった。でも、まだ修正がはいり、終わるまでは時間がかかるであろう。

7月某日
 庭の草むしり。
 半月前にやったが、もうちょっとうっとうしくなる。気分転換もかね、妻の指導のもとで挑戦。たがが草むしりというなかれ。それなりのノウハウがあるというのが妻の言い分。
 完全武装で1時間。垣根もついでにちょっと切り、すっきりした。頭と同じで、夏バージョンにした庭は気持ちがいい。

7月某日
 都知事選挙にでかける。
 なんだか行く気がしない選挙だが、這ってでも行くべきと説いている身なので、言行一致のための行動。
 午後は、老人ホーム。いまのところは元気。
 7月もあっという間に終わる。経済関係の本は、本当に読んでいないなあ。



出戻り非常勤日記 41 投稿者:新井 明 投稿日:2016/07/18(Mon) 20:57 No.841

7月某日
 テストの採点と分析を行う。
 手抜きの知識問題は、まだ本格的に受験モードに入っていない生徒もいて結構差がついた。お目当ての論述は、予想よりもしっかり書かれていた。事前に予告して、考える時間があったのだろう。内容は、年齢別選挙制度の支持が予想通り多い。これは誘導しているから当然。選挙へのバリアを低くする提案では、ネット選挙が多かった。いずれはネット選挙の時代なるのだろうな。問題は本人確認だが、そのあたりまで踏み込んだ考察はなかったが、これは仕方がない。今後の課題ということなりそう。
 生徒の答案を見て考えてしまったのは、授業評価のやり方である。教育研究では、授業をやった、生徒はこんなに変わった、だからこの授業は成功だというパターンが多いが、本当に生徒が理解して、態度が変化するにはかなりの時間や発酵期間が必要のはずで、そこまでを見越した授業評価はどうあるべきか、などと思いながら採点をする。

7月某日
 息子一家と会食。
 孫1のママが6月のバーベキューに不参加だったので、孫1のママも含めて息子一家と会食に出かける。コスパがよくて、こどもがいてもある程度ゆっくりしゃべることができて、かつそれなりに慰労できる場というのはなかなか適当なところがない。
 結論。息子の家の近くの和食のファミレスとなる。出費側はありがたいが、もう少し慰労をしてやってもよいのではと思うが、それでよいということで決定。
 くるまで行くので、アルコールが飲めない。残念。でも、最近のノンアルコールビールはそれなりに我慢できる範囲にはなっているので、それで納得。孫1のママが最近はじめたバイトの話などを聞く。こんな機会もいいものだ。

7月某日
 休日だが都内某所で会議。
 すでに何度か書いているが、官庁文書作成のプロセスをたどることができて、ほとんど私は貢献していないが、勉強にはなっている。

7月某日
 庭の手入れをする。小石川はテスト中なので自宅研修が許され、本日は技術家庭科の研修となる。
 年に一度は植木屋さんに来てもらってばっさりやるのだが、時々は手入れをしないとうっとうしいことこの上ないことになる。虫に食われて枯れた木もあるが、生き延びている木はこの時期、本当によく茂ってくる。植物の我慢強さと生命力はたいしたものだと感じる。
 本日は、垣根のかなめもちと梅の木の飛び出た部分を刈り込む。それで終了と思っていたら、雑草もとれとのご命令。「はい」と私。普段はほとんどなにもやらないので、こんな日は従順な作男役を演じる。それでも、自然と格闘するのはいい気持だ。こちらもうっとうしさが少し消えた。でも、すぐにまた生えてくるだろう。

7月某日
 一日在宅。
 前日の労働の後遺症かもしれない、前夜夢を見る。授業準備をしていなくて慌てている夢。よくテストの夢を歳をとっても見るというが、授業準備の夢とは、教員という職業にかなり冒されているということか。
 午後は、借りてきた本をどんどん眺める。読むのではなく、何が書いてあるかを確認する作業。よく言えば速読。すぐ忘れる読書法でもある。

7月某日
 答案返却のために小石川に出講。
 昼は、新井コーヒー店を開業。授業は答案返却、プラス飛び入りのアメリカからの女子学生(ボストン大学の2年生)のスピーチと質疑。これは、世界史の先生の知り合いのまた知り合いの方が女子大生をホームステイさせていて、その彼女が日本の学校や授業の雰囲気を知りたいということで来校したもの。
 スピーチは、たどたどしい日本語と英語で行い、質疑は同じく英語と日本語で行う。小石川の生徒でも予告なし準備なしの状況での質疑はとまどったようで、最初は出なかったが、アメリカの大統領選挙の話をこちらで振ったら、何人かから同種の質問がではじめた。
 彼女曰く。「トランプは問題外、ヒラリーも嫌い」、なぜ?と聞いたら「彼女はうそつきliarだ」、「トランプはテキサス、南部、私たちはボストン」ともいう。アメリカの地域性は結構きつそうだ。やりとりはスムーズではなかったが、面白い時間だった。アドレスを交換してこれから質問するといった生徒もでたようだ。
 それで1時間。もう1時間は、イギリスのEU離脱の国民投票とこれからの世界について語る。そのなかで、「最後通牒ゲーム」を組み込んだ。
 なぜ「最後通牒ゲーム」なのか。英国の労働者や離脱派は、「やつら」と「われわれ」という意識があるのではないか、そして毒くわば皿までという意識で、経済的な合理性を訴える「やつら」に一泡吹かせたいと思っているのではないか、それは行動経済学的には非合理の合理性ではないかという仮説を考えたからである。
 そんな仮説検証的な意味よりも、受験講座にもこの種のゆとりもほしいということもある。ただの遊びではなく、かなり本格的な実験なのだが、それを発見できるかどうか。ゲームのからくりを説明したらじかんがなくなり、リアぺは後で回収ということで終わる。

7月某日
 上智経由、小石川と周り本をたくさん借りる。
 上智では、数学教育と大隈関係の本を借りる。
 小石川では新書と新しく購入した本を10冊ほどかりる。これは夏休み前に返却しなければいけないだろうから、あと一回は小石川にでかけることになりそう。
 本日は、数学の先生にインタビュー。私見でもいいから現在の数学教育に関して何を過大と考えているかを聞いた。教務の仕事の合間だったので、じっくり聞けなかったが、生徒に適切なインセンティブを与えれば、小石川の生徒は取り組むという。大事なのは計算のアルゴリズムをしっかり理解させることだともいう。分数のできない大学生の話題に関しては、やらなければ忘れるのは当然で、それをもとに危機感をあおるのはどうかと懐疑的であった。もう少し聞きたかったが時間切れ。
 そのあと、成績の合算と確認を専任の先生とやって帰宅。
 帰ったら、孫2のお迎えの要請があり、アッシー君をやる。

7月某日
 雨の一日。老人ホームに行き、母の顔をみて爪をきってやる。

7月某日
 参議院議員選挙。
 近くの中学校に出向き投票。帰宅して、部屋の掃除。
 プリント類がたまり、参考文献などもたくさん机、いやこたつ台のまわりにたまったので、一回全部出して掃除機をかけ、もう一度整理をしながら戻す。すこしすっきり。
 夜は選挙結果のTVを見る。
 結果はマスコミが予想した通り、自民党の圧勝。戦略勝ちだし、戦術的にも民進党はお話にならないだろう。
TVでは、池上彰の放送を見たのだが、圧倒的に面白い。比較をしたわけではないが、いまや池上氏は怖いものなしの感じで切り込んでいる。回答がでたところの寸止めと一言コメントはもはや芸である。

7月某日
 選挙結果は、改憲派が三分の二を超える。
 ただし、この改憲派という分類はくせもので、どこをどう変えるかは自民党が全体像を出しているだけ。自民党案に賛成する人間は多数とは思えない。
 それでも、社会科教員にとっては新しい段階が来たことは事実。慎重にかつ大胆に、理論的な背景と価値観をもって、各自が授業に臨む必要がますます出てきたといえよう。
 午前中は、府中東高校へ。
 塙先生の公共料金の経済学の授業見学。最初、クルマでゆこうかと考えたが、私的な授業見学でも事故でも起こしたら問題だろうということで、電車と徒歩でゆく。直線距離だと近いが、結局電車には11分乗っただけ。徒歩は30分以上。乗り換え時間を入れると1時間弱かかった。
 授業は、短縮40分だったこともあり、生徒に考えさせる場面が少なくなってしまい、駆け足の感じでもったいなかった。どのテーマも経済学の知見をもとに授業のレベルに落としてゆくのは難しいが、このテーマも独特の難しさがあるなと感じる。
 終了後、図書室で待機。どこの学校でも図書室は面白い。検討会をそこでやってしまう。
 吉田先生からは、数学の教科書をお借りする。明治期の自修書と戦後の生活算数の時代の本。実物の力は大きい。イメージがぐっとわく。
 帰りに、田んぼの中にしめ縄が張ってある。近くの人に聞いたら、大国魂神社に奉納するコメを作っているのだそうだ。まだ、伝統が残っているのを確認する。

7月某日
 東京学芸大学の図書館に出かける。
 数学教育の本と教科書を見るため。学大は我が家から自転車で西に10分ほど。
 ここは一般市民も手続きをすれば利用できる。数学教育の本はたくさんあった。緑表紙本の著者といわれる塩野直道氏の本などもあり、教育系の大学はちがうと感じる。
 本日の収穫は、算数、数学の教科書を手に取ってみたこと。教科書図書館にもあるのだが、前回いった時には昔の教科書を中心にみたので、今の教科書は見る時間がなかった。正直、今の教科書はよく工夫されている。びっくりである。これが本当に活用、マスターされていれば素人目には申し分ないという感じである。特に、T社版はすぐれていると感じたが、専門家はどう見ているのだろうか。

7月某日
 40年前の資料を探し出す。
 二校目の赴任校の学校である。そこの卒業生と会うことになり、昔の授業記録などが投げ込まれている段ボールを引っ張り出して、何があるかを探し出すことにした。
 プリント類などは異動のたびに整理するし、引っ越しなどもありほとんどないのだが、なんと1979年度(昭和54年度)のプリントが出てきた。二校目の学校ではじめて担当した「倫理社会」の2学期までのプリントである。3学期がないのがおかしい。
 プリントを見ていたら、当時の悪戦苦闘ぶりが思い出された。なによりも驚いたのは、現在の授業スタイルの原型があったこと。結局何年たっても変わっているわけではないということを再発見した。

7月某日
 小石川に出かける。
 先週借りた本を返還することと、非常勤の先生とランチを食べることが目的。
 本を返したのだが、夏に少しまとまったものを読んでみようということで書庫に入り、大岡昇平の著作集の何冊かを借り出す。この手の全集ものが結構あるのだが、だれも借りる生徒はいないので、書庫に入ってしまっている。普段は書庫までははいらないが、こんなときだからということでカギを借りて覗く。
 ほかにも借りてみようと思う本があったが、ハードカバーの大冊が多く、持ち帰れないと思い断念。
 数学の先生から、T社の中学数学の教科書の見本をお借りすることができる。だれも使いませんからということで、夏休み中拝借できることになる。学大の図書館でちょっと感激したものだが、じっくり見たらあらも見つかるだろう。
 ランチは近くのすし屋。1000円なりで結構なボリュームのおいしいすしが食べられた。
 帰宅して、孫2のお迎えの要請があり、アッシー君再び。

7月某日
 雨の中の国立ランチ。
 本日のお相手は、先日プリントを発見した二番目の学校の卒業生。現在は落語家の奥さんになっている。本人もテレビのタイムキーパーの仕事やいろいろな活動をしている。お子さんが大学生になって、ひと段落で自分の人生の振り返りなどもあったのだろう。私と話をしたいということでランチとなった。
 近頃、人と会うときに、どんな話をしたいのか、A版1枚でレジュメをつくる。今回も、思い出話の背景も知ってもらいたいということで、それを用意する。
 しっかりした中堅校からスタートした学校が、学校群制度のなかで翻弄されて低落傾向を示していた時期の生徒である。教師も中堅校ゆえの安楽状態を抜けきれず、よく言えばぬるま湯的な環境に安住していたのではと思う。
 生徒の立場からそんな学校や教員がどう見えたのか、厳しい感想などを聞くことができた。生徒に誇りを持たせることができない学校や教師、それに無自覚な教員集団のある種の無残さ。厳しい環境のなかで頑張っていた、優秀な生徒だった彼女だけでなく、当時の生徒に対して申し訳なさを感じる。
 それでも、つたない授業のなかで、何かを感じてくれたのだろう。こういう形での再会ができるとは有り難い話だ。
 積もる話がつきず、4時間近く話し込んだ。貴重な時間だった。
 本日も、孫2ママから会議が長引き引き取り時間までに帰れないのでよろしくというSOSがはいる。孫2をピックアップして、我が家でママの帰りまで遊ばせる。
 むかし、「親になったか運の尽き」という言葉を聞いて納得するところがあったが、いまは「孫をもったが運の尽き」なのかもしれない。

7月某日
 この間借りて読んだ本の一部を紹介しておく。
ドナルドキーン『石川啄木』新潮社。近代人啄木とした自伝。
筒井康隆『モナドの領域』新潮社。神論、世界論、哲学論の小説。とても面白く読んだ。
稲葉振一郎『不平等との闘い』文春新書。文春がこの手の本をだすとは。要は編集者がポイントなんだろうな。
橘木俊詔・参鍋篤司『世襲格差』中公新書。橘木さんとお弟子さんのリサーチもの。タイトルで内容は尽きている。
橘木俊詔『新しい幸福論』岩波新書。岩波新書としてはゆるい本。
平田オリザ『下り坂をそろそろ下る』講談社現代新書。雑誌『本』の連載をまとめたもの。
もはや日本は成長社会ではないというテーゼにもとづく実践論。内容は感心するが、どこまでそれが普遍的になるかは疑問。入試改革への楽観論はいただけない。「絶対に無理」といった地方の進学校の先生の発言をこえる力はないように思う。
半藤・佐藤『21世紀の戦争論』文春新書。両者とも露出度がたかく、特に新しい知見はないが、安倍流の改憲論への抵抗感を確認するには役立つだろう。
山口真美『自分の顔が好きですか』岩波ジュニア新書。心理学者による顔を通した人間論。面白かった。
 全体として、脱成長論、反成長論の本が多かった。本当にそうなのか、それができるのか、すべきなのか、真剣に考える価値ありのテーマだと思う。もうすこし、いろいろ読んでみてもよいかと思う。
 以上は、小石川からの新刊本。この手の本をこんなに読めるのはありがたい限り。

 ここまでで7月も半ば。時のすぎるのは早い。



出戻り非常勤日記 40 投稿者:新井 明 投稿日:2016/07/05(Tue) 12:46 No.840

6月後半部分です。

6月某日
 小石川に出講。
 少し早めにいって図書館から新刊の新書をたくさん借りてくる。授業は国際政治に入る。必修の授業が国際をやっているので、重複を避ける意味もあり、かなり駆け足で概略を語るだけになる。生徒は二度同じ個所をやるのだからかなりしっかり理解してくれていると思いたいが、そうは問屋はおろしてくれないだろう。

6月某日
 昨日借りてきた本を暇に任せて読み続ける。
 借りた本は以下のものである。(一部)
 沖大幹『水の未来』岩波新書。水資源の専門家の本。ウオーター・フット・プリントなどの新しい考え方が紹介されている。有益だった。
 飯倉章『第一次世界大戦』中公新書。プロパガンダポスターなどを切り口とした第一次世界大戦史。切り口は面白いが、重厚さはない。
 近藤成一『鎌倉幕府と朝廷』岩波新書。黒田権門体制論批判派の鎌倉時代論。東大系。
 石川明人『キリスト教と戦争』中公新書。愛を説くキリスト教がなぜ戦争を行うか。ある程度分かっている内容だったが、整理されて提示されるとそれなりに面白い。
 本間龍『原発プロパガンダ』岩波新書。今回一番の収穫。もと広告会社社員の体験を踏まえた原発安全神話の刷り込み作戦の暴露もの。ずーーと昔広告の世界をのぞいていたことがあるので、リアル。
 大浜啓吉『法の支配とは何か』岩波新書。オーソドックス、リベラルな行政法の入門書。エキサイティングな本ではないが、堅実な本といえるだろう。

6月某日
 一族集合、バーベキュー。
 孫2のパパがアウトドア派で、バーべキューセットを購入。一度みんなで集まろうということになり、近くの公園のバーベキュー場で一族集合。ただし、孫1のママは仕事で今回は欠席。
 私は全くのインドア派なので、子供たちとこの種のイベントはやったことがなかった。だいたい、バーベキューは炭を食べているようなものなので、嫌いなのである。しかし、孫2のパパは、用意周到、技量満点、メニューから下ごしらえ、焼く順番までパーフェクト。私はただ見るだけでよかった。網がこげないように、最初は野菜から始まり、さいごは牛肉で終わるというコース。たっぷり食べて、子供も満足そう。
 孫1とパパを自宅まで送る。

6月某日
 恒例の老人ホーム訪問。
 最近は大きな変化がなく、爪をきってやったり、トイレの介護をした程度で滞在時間が短い。まあそれでいいのだろう。

6月某日
 小石川に出講。
 必修の担当者と授業内容の突き合わせをする。二つのうち一つのクラスは、2時間で国際関係を全部しゃべってしまおうと思っているので、細かいところまで内容を確認して、チェックをしてゆく。
 授業で「ここはやったはず」という言い方で生徒に迫れるのが収穫。

6月某日
 近所の図書館に出かける。
 今回は、数学関係の本の探索。公立の図書館には数学関係の本が予想よりも沢山あったので驚く。そのうち研究に役立ちそうな本を数冊みつくろって借りてくる。ついでに、気になった本も数冊借りる。そのなかの一冊に、佐藤優『知の読書術』集英社インターナショナル、なる本があった。
 佐藤本は膨大に出版され玉石混交、同じようなことの繰り返しになっているが、この本は比較的面白く読めた。ホブズボームの『20世紀の歴史』、レーニンの『帝国主義論』など結構読んだ本がたくさん取り上げられていたことが第一。外国語(英語)の勉強法が書かれていて、文章丸暗記法が推奨されていたことが第二。第二の方法は野口悠紀雄氏と同じ方法。佐藤氏は、ハーンの「怪談」のなかの「術算」という短編を勧めている。なかなかのセンスだと思った。ただし、私は暗記が苦手。だから、英語は絶対に上達しないなと思いつつ、読み進める。

6月某日
 小石川に出講。本日、九州は大雨。
 数学の先生に、数学史に興味があり、何かいい本はありませんかとお聞きしたら、その先生、数学教育の学会や数学史、和算などに造詣が深く、本をお借りすることになる。教務部長なので、普段は事務的な話しかしないのであるが、何か予感がしたのか、偶然そんな話から糸口がつかめてきた感じである。
 授業は国際関係を2時間で暴走する。考査前の授業はこれで終了。あとはテスト。

6月某日
 イギリス国民投票。まさかの結果。
 ロゴスがパトスに負けたといえるし、逆に行動経済学的にはこれが予測可能な結果かもしれないし、レファレンダムの危険性かもしれないし、逆に民主主義の健全性を表すものかもしれないし、ともかく様々な解釈ができそう。
 歴史的には、帝国の没落期における次の相対的安定期までの混乱の一コマともいえるし、経済的にはグローバリズムの行き過ぎの結果かもしれない。
 ともかくこの現象を少し突き放してみながら、どう生徒に教えてゆくか、社会科教員として面白い事態になったと思う。これを教材化せずしてなんの社会科教員ぞ、という気分にもなる。考査後の1時間を使って取り組んでみよう。出戻り教員のメリットである。

6月某日
 妻のパソコントラブルが発生。
 ウイルス対策ソフトを入れているが、このPCは危険ですという警告が出続け、それを回復できない事態となる。ネットニュースを見たり、趣味の宝塚に関する情報を入手するくらいで、重要な情報をやりとりしているPCではないので、放っておいてもいいのだが、高いソフト代を払っているのだから何とかしなくてはということで、私が引っ張り出される。
 いろいろ自分でやるより電話で聞いた方が早いということで、指定の番号に電話をする。中国語なまりの日本語が飛び込んでくる。サポートセンターはたぶん中国にあるのだろう。結局、そのサポートセンターから妻のPCをリモートコントロールしてソフトの不具合を修正した。その間、約30分。こんな日本の家庭の端末が海外からコントロールすることができるという現実を見て、サイバー戦争こそが現代戦なのだという実感がする。
 貴重な体験だった。

6月某日
 一日伝統継承の会。
 午前中は、経済学寺子屋。テーマは市場の失敗。歴史の吉田先生が参加して、経済学とはまた違った角度から質問や意見をだしてもらえ、活発な討論ができる。
 午後は、新井、杉田、金子の三巨頭もしくは三馬鹿トリオによる陰謀会議。主権者教育の在り方、選挙制度に着目させるのか、財政問題にシフトするのか、白熱の討論?をする。
 夜は、居酒屋放浪記で紹介された神保町の店で、伝統継承の会。ここでも議論をしながら飲む。
 頭を使った一日だった。経済学寺子屋はネットワークのHPにひっそりと紹介されて記録もアップされている。探してみられたし。

6月某日
 67歳になる。
 誕生日の頃は、梅雨のじめじめして蒸し暑い日々で、かつ一番疲れている時期でもあり、毎年グルーミーだったのだが、今年はさわやかな日だった。昨年も同じような状況だった。これはきっと第二次リタイアをしたことによるご褒美なのかなどとくだらないことを思う。
 誕生日だからといって何もしてくれるわけではないので、近所のケーキ屋さんに自ら出向き、誕生ケーキを購入しようとしたら、そのお店が「当分の間お休みを取ります」との張り紙。当分の間はずっとなのかもしれないと思ったりする。街の小売店は大変だと思う。
 ということで、ごちそうなし、ケーキもなしの67歳であった。それでもここまで生きてこられたことに感謝。

6月某日
 最近、ゼレンカというチェコの音楽家の宗教音楽を聴いている。
 きっかけはネットで入れているナクソスで、シュプラホンというチェコのレコード会社が音源提供をはじめて、そこにゼレンカがあったことである。
 ゼレンカは17世紀後半から18世紀前半に生きた音楽家でバッハと同時代人。チョコ人であるが、ザクセン選帝侯国のドレスデン宮廷の音楽家で、器楽曲と宗教曲を残している。その宗教音楽はカトリックに基づいている。ところが、結構派手な音楽で、その後否定的に扱われて、忘れられた音楽家となっていた。
 これを発掘して演奏しているのがコレギウム1704というプラハにある団体。この団体なかなかいい演奏をする。そんなこともあり、ここ数日、CDの音源だけでなく、YouTubeを通して聞いている。
 チェコという国は、面白い国で、クンデラの小説などを読んでも、文化的な爛熟と、ある種のしたたかさを感じさせてくれる。ゼレンカの音楽にもそんな要素があるなと勝手に感じつつ、聞き続ける。でも、すぐ飽きるだろうな。

6月某日
 先輩の先生と南大沢ランチ。
 これまでは国立でランチを食べながら情報交換をしていたのだが、今回はその先生のフィールドである南大沢に出かける。
 南大沢は多摩丘陵の西の端にあるニュータウンで、首都大東京のある町である。また、近年はアウトレットが進出して駅周辺が活性化しているという。我が家からはいくつかルートがあるが、本日は、八王子、橋本経由、南大沢というコの字型に回るルートででかける。
 八王子に出るのは久しぶり、また、橋本も久しぶりなので電車の外を子供のように見ている。でも最近の子供はゲームなどをやっていて窓の外をみることはないのかもしれない。
 お店は、鄙には珍しいといってもよいくらいのいいお店だった。決して高くはないのだが、家庭的な雰囲気のレストランである。フルートの演奏がついていたのがちょっと誤算で、おちついてゆっくり話をするという感じではなかったが、バックグラウンドとしてはいい演奏をしてくれていた。
 情報交換では、倫理の話、経済教育の話など、リタイアしているにもかかわらず、授業の話や教育の話になる。スズメ百まで踊り忘れずである。
 帰りは、多摩センターからモノレールで立川にでるルートをとったが、昼食時のアルコールのせいか、モノレールの途中で眠くなり、景色をしっかり見ずに終わる。
 こんな一日もリタイア教員の特権かもしれない。現役の先生ごめんなさい。

6月某日
 いろいろあった一日。
 まず、朝、孫2が発熱ということで、病院に送る。娘(ママ)は休暇をとるということで、病院から娘の家に親子を送り届ける。
 ひと段落して、上智経由で小石川へ。
 上智では図書館にゆき、数学教育の文献を探す。何冊か収穫があり、借り出す。大学図書館では、小石川の卒業生とでっくわし、向こうもこちらもびっくり。聞いたら経済学部とのこと。うーん。これからの成長を期待しよう。とにかく図書館であったのだから、大丈夫だろう。
 その足で、小石川に。本日は定期考査で、答案を回収する。非常勤講師は試験監督をしなくともよい規定なので、答案回収だけが本日の仕事。ぱらぱらと答案を見たら、予想以上にしっかりと「選挙とシルバー民主主義」に関してのエッセイを書いていたので、ゆっくりと採点して、分析をしようと思う。
 自宅に帰り、孫2の様子を聞いたら、かぜらしくそれほど心配はないとの連絡が入る。笑ってしまったのは、薬を処方されたのだが、子供向けに甘くしてあり、飲みたがらないという。孫2は甘いものが嫌いなのである。娘曰く「おせんべいみたいな味か、ふりかけにできるような薬だとありがたい」。

 私の嫌いな6月もこれでなんとか乗り切れたようだ。



シュプリーム コピー 投稿者:シュプリーム コピーシュプリーム コピー 投稿日:2016/06/28(Tue) 13:04 No.839

に、一気に商品の高級感をアップしました。Iphone 6対応のケースなので、間違って商品をご購入なさらないようご注意くださいね。
シュプリーム コピー
www.piccol.com/



出戻り非常勤日記 39 投稿者:新井 明 投稿日:2016/06/19(Sun) 10:37 No.838

6月某日
 6月になった。メルマガ6月号配信される。
 いつも6月には、いやだ、きらいだと書く。また国民の祝日がないのは許せないと書く。メルマガも4年担当しているが、今回もそれを書いた。まあ、メルマガの内容を記憶している人もいる人はすくないだろうから、同じことを書いても許されるだろう。

6月某日
 9月末の経済教育学会にでるつもりで、神戸のホテルを予約に行く。最近はインバウンドの影響で安いホテルでもすぐにいっぱいになってしまうという話なので3か月も前なのに行動することにした。
 結果は、その代理店が持っているプランでは希望のホテルはすでに一杯であった。親切にも他社のプランを探してくれて、一室だけ空いているということがわかりそこに予約をいれる。
 別に、そこのホテルでなくともよかったのだが、交通の便利さと、息子の結婚式の時に泊まったという縁もあり、ちょっと執着してみたのがこの結果である。街角消費ウオッチャーがいるが、それ流にいえば、まだ消費景気は低下していないということかと思う。

6月某日
 入試問題の解答に取り組む。
 これは20年近くやっているアルバイトである。アルバイトといっても、自分の勉強と入試動向を実感するためにやっている仕事でもある。本日取り組んだのは、某公立大学の小論文入試。
 小論文入試は、出題者の「趣味」がかなりロコツに出るのでとても面白い。とはいえ、なかなかの難問でもある。今回は、本田由紀さんの『もじれる社会』を引用文とした問題だった。
 本田さんの本は結構読んでいるが、この資料文、若者の悲惨をやや性急に告発しすぎという感じである。例えば、「今の状況の中で、だれが無関係でいられるか、悲惨から遠いように見える人々の生活は、悲惨を受けている膨大な人々のことを、だれが否定できるのか」という文章がでてくる。これって、一種の倫理的恫喝じゃないかとおもってしまった。
 本田さんの言わんとすることはわかるし、これまで結構共感をもって読んできた、こんな告発をされたら、どう答えたらよいだろうか。
 高校生になって模範答案を書いてみたが、はたして編集者にうけいれられるのか。うけいれられても、出題者にはどうか。もっといえば、当の高校生は、この資料からどんな思いを描いて、答案を書いてゆくのか、考えてしまった。

6月某日
 本日は、いろいろやった。
 まず、朝一で、水道橋にでて大学でキャリアガイダンスの講義を行った。これは、昨年の続きで、大学一年生に「職業としての教師」という話をするもの。クイズ形式で教員という職業の裏表を話して、将来の選択の一つとしてもらえればラッキー、いや不幸のはじまりかもしれないけれど、ともかく職業としての教員を認識してもらうのがねらい。
 幸い、一応おもしろかった、わかったという反応をいただく。なかには、いままで教師を選択肢にしていなかったが、考えてもよいかというようなコメントもあった。いいようなわるいような気分ではある。
 次に、授業見学で雪谷高校にゆく。水道橋から最短時間でゆくにはということでいろいろ考えて、南馬込まで地下鉄でいって、そこから歩くということにした。これがとんでもない間違えであった。
 南馬込から高校までは直線距離では大したことがないのだが、坂あり谷ありのアップダウンがすごいところであった。道路地図ではその事情がわからない。また、学校のすぐ横を通る新幹線は切通にしてしまっているのでその高低差がわからないのだ。歩き始めてこれは失敗とおもったら、ちょうどタクシーをつかまえることができ、坂道の上下を繰り返しながら、約束時間前に着いた。以前にも書いたが、高校の最寄り駅が御嶽山(おんたけさん)である理由が反対側から来てよくわかった。
 授業は、企業の社会的責任をビジネスエシックスの視点から考えるというもので、選択授業だったが、生徒が活発にグループ学習をやっていて、同じ学年なのに、今教えている小石川の生徒たちとの違いが興味深かった。
 授業見学後、翌週にある取材の打ち合わせをする。
 帰宅後、小石川の教育実習生の授業案に手をいれる。彼は、私が小石川にいった年に教えた生徒。実習の担当者から授業案をみてもらいたいという要請を受けて、権限外だが引き受けたもの。
 よく勉強しているけれど、この授業をとおして何を生徒に伝えたいのかという一番肝心な部分がない。そこを指摘して、生徒の活動などをいれるようにアドバイスのメールを出す。いまは、メールと添付でいろいろな作業が簡単にできる。でも、やはりかゆいところに手が届くような指導をするにはフェイスツーフェイスでなければ。来週は、時間をとって話をしようと思う。

6月某日
 休日だが、『レインボーニュース』のコラムの会議。
 会議のまえに、久しぶりに本屋によって何冊か仕入れてくる。メインは、猪木武徳さんの『自由の思想史』新潮新書である。ほかに、古典や歴史の本。いずれも経済との関連をテーマにした本である。あと一冊は数学の本。これも経済と数学を扱った本。学校の図書館から新書をたくさん借りているし、なかなか腰をすえて本を読むことがなくなっているが、当分は関心のある本をどんどん目を通してゆこうと思う。
 会議は、和気あいあい、いろいろな情報交換をしながら2時間ほど。本日は、懇親会にでずに急ぎ帰宅する。
 
6月某日
 朝一で雪谷高校の取材に。むかし小石川にでていた時と同じ7時前の中央線に乗って、新宿、五反田経由で学校まで。
 授業は、3年生の必修の一時間目。月1というのは最悪時間帯の一つなのだが、このクラスは遅刻者ゼロ、欠席者ゼロ。見事なもの。内容は先週見学したものと同じであるが、必修クラスではやはり反応は微妙に違う。それでもグループ学習、発表など日頃の授業の反映だろう、しっかり取り組んでいて感心。
 取材終了後、簡単なインタビューを行う。
 その足で、小石川へ。今回は五反田、目黒経由都営地下鉄千石というルート。これが一番スムーズだったようだ。
 昼食のコーヒータイムに間に合う。午後、実習生を呼んで、授業案のレクチャー。教員第一志望ということを確認して、それならこれをやらねばという形で指導する。教育学専攻で彼を教えている先生たちにも知り合いがいるのだが、どうしても教科の内容(今回は外国人の人権保障)に関してのリサーチ不足、というより基本的な見通し部分がかけていることが気になる。こまかい関係の本は読んでいるが、憲法学の初歩的な基本書を読んでいない。この授業で何を伝えたいのと聞いたら、判例をもとに批判的に考察させたいという。判例を使うのは目標ではなくて一種の方法でしょと言ったら、そうですねと素直に納得。このやりとりを通して、残された時間は少ないが、準備した内容を再検討して、しっかりした授業に構成してくれるだろうという感触はえられたので、よかったと思う。
 その後、これが本務の選択授業を1時間。急ぎ足で帰宅。孫2のお迎えに行く。

6月某日
 天気が悪く、孫2のお迎えをやる。
 最近、孫2は成長したのか、言葉も増え、動作も面白い。本日は、ママに早く靴下をはきなさいといわれて、ぐずぐずしていたらしく、手に靴下をいれてでてきた。そのしぐさがなんともかわいい。子どもは三歳までにほとんど親孝行をしてしまうという話をむかし読んだことがあるが、たしかにそうだなと思う。
 ただし、この孫2は、とんでもないわがままでもあり、先日は、散歩の犬を見て、一緒にいきたいと言い出して、ついには道路に寝そべってしまった。置き去り事件が話題になっているが、置き去りにしたい親の気持ちもわかるような行動をする。
 まあ、本日は年寄りを楽しませてくれたからよしである。

6月某日
 兄弟での謀議を行う。
 母の介護と財産管理のための話し合いである。とはいえ、実態は近くの喫茶店での雑談。兄は、私と同じ高校の日本史の教員だったので、この間に疑問に思った、日本中世史と市場経済の関係や、明治初期の大隈財政に関する質問をする。ちょっとした首実検でもある。さすがに専門家。それなりに納得がゆく回答をした。悪い弟である。

6月某日
 朝から小石川へ。
 実習生の授業見学に。製造物責任ではないけれど、かかわった授業案なので早朝からでかけることにした。実習生はちょっと驚いていた。
 授業はかなり改善されていた。ただ、やはり最後のおとしどころが時間切れもあり、決まっていなかった。でも、陶冶性があるのでいずれはいい教師になりそうだ。
 授業まで時間があるので、図書館に行って新着の本を借りてくる。
 午後は、3時間本務の授業。政治学習で、憲法の後の統治機構の話になる。日本で一番力がある個人や組織はどこだろうという問いかけをする。財界、官僚、安倍首相などが出てくる。鉄のトライアングルの話が教科書には出てくるが、このあたりは本気で考えさせた方がよい内容だろう。昨年は、ちょうどこの時、管理職の授業観察(非常勤講師も観察の対象になる)があり、政経出身の副校長に問いをふったら、彼は「国民」と模範解答をしてくれた。今年の生徒で国民の回答はなかった。でも、本当はだれなのか。マスコミ?安倍の背後にいる人物?それとも無責任のもたれあい体制?

6月某日
 アマゾンで注文した本が到着。
 横山和輝『マーケット進化論』日本評論社である。この本の横山さんは、『経済セミナー』で連載中から注目していた。さっそく読みだす。「鎌倉・室町時代から昭和初期まで、市場の機能を活かす経済設計を通じて、日本は経済発展を実現した」というのが本を通底するテーゼである。たしかにその通りだろうが、歴史書としても経済史の本としても中途半端だなというのが読後の印象。個々の事例や分析には面白いもの、鋭いものを感じるところが多いのだが、残念。一度きちんとした日本経済の通史を書かないと説得力のある分析はできないのだろうなと思った。
 この本でこれは面白いと思ったのは、最後に出てくる、金利計算と金融教育、小学校教育と経済発展の箇所である。昨年の夏の教室でも大竹先生が戦前の小学校の算数の教科書を紹介されていたが、算数教育と経済は密接な関係があるはず。そこに切り込んだ文章は刺激的だった。ただ、ここも算数教育や数学教育の関連が薄く、この分野との知見のすりあわせがもっと必要かと感じた。
この本に刺激をうけて、この分野をうすこし探ってみようという気になって、文献をネットで検索してみたが、あまりまとまった研究がなさそう。そもそも経済と数学は近いのに自覚的にその役割や意義を探求してこなかったのかもしれない。これは面白いテーマになりそうだと意欲がわく。
算数ができない新井先生だから取り組んでもいいテーマかもしれない。

6月某日
 小石川に出講。
 18歳選挙権に関する授業を行う。インセンティブ、機会費用など概念を紹介し、R=P×B−C+Dモデルで考察させ、選挙制度の提案を考察させるという流れの授業である。
 受講生が4名の選択講座で、一人欠席なので3名と対話をしながら授業をすすめる。経済の学習を済ませていない生徒たちなので、経済概念でちょっと戸惑い、モデルでもっと戸惑い、シルバー民主主義では納得の表情を浮かべ、選挙制度になったら困惑していた。45分の授業(小石川は45分×7時間でやっている)なので、内容の紹介で終わってしまった。授業後「おぼろげながらわかったか?」と聞いたら、ええ何となくと言う答え。
 期末考査で論述のテーマで生徒たちの考察の深さを測りたいと思う。

6月某日
 江東区にある教科書図書館へ。
 経済教育と算数教育の関係の実際を知るために、教科書図書館へ出向く。ここは、全部ではないが、戦前の教科書、戦後の教科書を見ることができる。
 今回は、戦後民主化のなかで「生活算数」というのが取り入れられていたということを知ったので、その時期の小学校、中学校の教科書の実物を見るのが目的。
 結果は、予想以上に「生活算数」はよくできていた。これが「はい回る経験主義」とか「学力低下」の非難のなかで消えていったのは残念という印象。ここでもしっかり金利計算など経済生活の中での計算能力を高める単元がおかれていた。ちなみに批判派には、遠山啓さんらの数学教育協議会(水道方式を提唱したグループ)があり、その後の遠山さんたちの軌跡(遠山塾など)を見るとそのねじれがなぜなのかをもっと知りたいと感じた。
 とはいえ、消滅するにはそれなりの弱点があったはずで、それも理由があるなと思わせる構成になっていた。
 もう少しいろいろ文献を調べてみようと思う。
 夜は、東京部会。
 今回は実践報告の検討が中心で、充実した内容だったように思う。東京部会らしい会だったという感想も聞かれた。実践報告の検討では、経済学の知見と一般常識、教員の発想のギャップが話題になり、篠原代表からも多くのコメントをいただいた。概略は報告のページを参照されたし。
 懇親会にでて、久しぶりに午前様。

6月某日
 一日家にいる。
 現役の先生方は、前夜の研究会、そして朝からの勤務で大変。それにひきかえ退職教員の気楽さはこんなところにありということか。だから、年金などぜいたくは言ってはいけないのだ。
 この間に読み散らした本の整理などをする。
 やはり一番印象的なのは、猪木武徳先生の『自由の思想史』である。「読書と経験を振り返りながら、自由の歴史を考えてみたい」「自分の来し方に、何らかの意味を見出そうとする老いた者によくある願望」とあとがきにあるが、とても共感する。
 内容もインスパイアされるものが多い。また、著者が影響された本、見た映画なども興味深かった。著者とはわずか4年しか違わないのだが、生育のなかの知的環境の違い、ストックの違いに圧倒される思いである。もし自分がこんな本を書くとするとどんなテーマで何がかけるか、考えてしまった。
 以下6月になって読んだ本のリストを全部ではないが、上げておく。みんな新書である。
 八代尚宏『シルバー民主主義』中公新書、授業の参考書だったが、団塊世代向けのメッセージと受け取った。これは購入。以下は図書館。
 柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書、面白い解釈だけれど、ほんまかいなという本。
 金子勝・児玉龍彦『日本病』同、批判派の本。反面教師で読める本。
 『一票には変える力がある』同、あまり説得されるような文章はないが、三木義一さんの税金の部分は納得。
 伊東光晴『ガルブレイス』同、老碩学の思いがこもっているが、どこまでその言が有効かの吟味は必要。
 佐藤親賢『プーチンとG8の終焉』同、ジャーナリストによる世界政治の流動化、Gゼロの分析。現状を知るにはいい手掛かりになる。
 平田直『首都直下地震』、山岡耕春『南海トラフ地震』両方とも岩波新書。地震への覚悟を呼び起こす本。
 五味文彦『中世の始まり』岩波新書、歴史への新たな関心から手に取った。
 今井むつみ『学びとは何か』同、認知心理学からの学びの本。アクティブラーニングの軽薄さがわかる。
 薬師寺克行『公明党』中公新書、キャスティングボードを握る政党の現在までを整理する本。現代日本政治の動向がわかる。
 こう見ると、岩波新書が好きなのだろうと思うかもしれないが、ここにあげた岩新はすべて図書館から借りてきた本。ちなみにアマゾンのランキングでは二冊入っているだけだった。新書がインフレになっている状況、また、新井君の趣味が偏向していることがわかるかもしれない。
 もうすこし付け加えると、身銭を切って購入する本は線を引きながら読もうと思う本。図書館から借りてくる本は、授業の参考にしたり、現代の動向を学校という視野からみようと思う本。この二つにわけて本は扱うが、身銭を切っても駄本を買うことはある。ベストセラーは買わない。数年たつと1円で購入できる。とにかく、本が売れないのではなく、つまらない本があふれているだけではないかと思う。
 でも、しっかりした本を読むだけでなく、書いてみたいという欲望はのこっているが、まあ力不足だね。



出戻り非常勤日記 37 投稿者:新井 明 投稿日:2016/05/21(Sat) 07:57 No.835

 連休後半もあけたらばたばたと生活がはじまり、あっという間に5月も後半になってしまった。遅ればせながらの非常勤日記。

5月某日
 老人ホームの母の衣替えをきっかけに妻とやりあう。
 だいたいあなたは頭でっかちの口先男で、生活能力が欠けているというのが妻の言い分。そうはいってもそれはしかたないだろうというのが私の言い訳。この種の争いはたいてい女性側が勝利する。くやしいが、衣食住に関してはたしかに自立していない部分が多い。上野千鶴子ではないが『おとこおひとりさま』の覚悟とスキルを身につけなければ対抗できないなとあらためて感じる。

5月某日
 本日は食事作りに挑戦。しかし、味付けを間違えてとんでもない甘いものができてしまった。まだまだ修行がたりないと妻。まあ三日坊主であろうが、こころしてできることはやってみようと殊勝に思う。

5月某日
 経済学寺子屋開催。
 午前中は、主権者教育と経済教育の関係に関するしかけに関する杉田、金子、新井による「謀議」。昼はヘギそばを食す。午後からは本題の経済学のレクチャーと討論。
 今回はミクロ経済学の基礎部分。需要曲線と供給曲線の導出をきちんと説明しようとするが、なかなかすっきりとはいかない。大学でもこのあたりは苦労するのではと思われる。新古典派の経済学、特にミクロ経済学は一種の論理学なんだと感じる。受給曲線の導出で一番わかりやすいのが留保価格を使って説明することだと改めて思う。留保価格を使うと余剰概念もすっと入ってくる。高校の「政治・経済」ならこの説明の方法を入れても生徒は理解できるのではとも感じる。これはこれからの人たちの課題。
 伝統継承の会も開催。充実した一日だった。

5月某日
 休日なのだが、一日都内某所で会議。晴天で一日部屋にいるのはちょっともったいない感じ。それでも人のいない官庁街もいいものである。昼休みには皇居と国会を眺める。ぜいたくな一日かもしれない。

5月某日
 小石川に出講。授業の前に、一時間ほど日本史の先生に中世史の最近の動向について伺う。教科書の著者でもあるので、大学の研究者の動向や大学入試の動向など興味深い話が聞ける。
 桜井英治氏の見解などもかなり教科書に反映されていて、実際に東大の入試問題にも出されているという。歴史教科書が変わってきているのを関係者からリアルに聞くのも勉強だ。
 それに刺激されて、学校の図書館にある新書の棚から何冊か借りてくる。歴史の中の市場経済をどうとらえるか、面白いテーマにぶち当たった感じである。

5月某日
 兄と、ホームの母に関して会談。
 そんなに大ごとではなく、年に何回かの情報交換。昨年、入院騒ぎをおこしたときはこれでダメかと思ったが、戻ってきたら元気になってあと10年は持つなというのが共通認識。長生きはリスクだなあということで笑って別れたが、笑いごとではない。

5月某日
 小石川に出講。
 本日は授業が3時間。日本国憲法の成立を扱う。この部分はこだわりがあり、細かい日付や、草案をつくったGHQの民生局のメンバーの話などをしてしまって受験講座としては出過ぎた話になる。
 それでも、いいものを押し付けられた「ねじれ」というのをどう受け止めてゆくか。社会契約論の文脈の中で憲法を語るとすると避けて通れないテーマである。加藤典洋『戦後入門』ちくま新書や半藤一利『昭和史』などをひっくり返しながら、話を進める。
 夜は東京部会。
 夏の教室の内容の確定や塙先生の授業案などの検討を行う。部会の活動から経済の観点をしっかりもった授業案が発信できることが大事だと思う。翌日の見学があるので終了後はすぐに帰宅。

5月某日
 本庄まで工場見学に出かける。
 行った先は、ガリガリ君の赤城乳業である。集合時間に遅れないように一本前の電車に乗れるようなスケジュールを立てたが、予定より少し前に最寄り駅に着き、ホームに停車していた電車に飛び乗ったら、あとは順調。新宿でも、赤羽でも全く待たずにホームの電車に乗れる。
 高崎線は湘南新宿ラインや東海道線と相互乗り入れをしていて遅れが常態化していると聞いたが、予定より40分以上早く本庄についた。とにかく、あんなに長距離(例えば、高崎発熱海行きなど)を走らせるのはシステム上無理なのではと思わないでもない。
 赤城乳業の工場は最新の設備と見学コースに面白仕掛けがあり、なかなか見ごたえがあった。インタビューでも、ガリガリ君開発やマーケッティングの秘密、値上げCMの秘話などを聞くことができた。予想外だったのは、ガリガリ君の一番の購買者層が40代男性だということ。その秘密などは『レインボーニュース』に掲載の予定。乞うご期待。

5月某日
 日経新聞の土曜の別刷りをみたら、前日訪問したガリガリ君の工場が、工場見学人気ランキング2位に入っていた。タイムリーな見学だったということだ。(補足、後日5月19日付の「ニューヨークタイムズ」にもガリガリ君値上げが取り上げられたそうだ。)
 土曜なのだが、学校公開で授業があり、小石川に出講。
 6年生の授業は公開しないので、気は楽。小学生と保護者、また在校生関係の保護者などがたくさん来ていた。祖父母の姿もちらほら。小石川はSSHの指定校なので、理科の授業などは廊下にあふれている。人気がないより、あった方がいいが、学校も変化していることを感じる一日だった。

5月某日
 渡辺房雄『お金から見た幕末維新』祥伝社新書という本を読む。
 夏の教室で、篠原先生に「大隈・松方、高橋財政」の話をしてくださいとお願いをした。お願いした以上こちらも勉強しなければということだったのだが、松方、高橋はそれなりに有名なので文献は結構あるのだが、財政家としての大隈を扱った文献は少なく、イメージがわかなかった。そこでわかりやすい本を探したらこの本がでてきた。
 渡辺さんはNHKのディレクターだった人で、経済の専門家ではないが、明治初期の経済面からの「くにのかたち」づくりに関する本を多く書いている人だ。この本を読んで、教科書に出てくる明治初期の経済問題の背後にある大隈の功績がよくわかった。ただしこれは著者の価値観もかなり入っているので、本当はどうだったのかさらに見てゆく必要はあると感じる。
 中世の経済史とならんで、明治期の経済史も興味の対象になり、ディレッタントだなあと自ら苦笑している。昔読んだ日本経済史関係の本を引っ張り出したり、『近代日本経済史要覧』東大出版会などの資料集や『近代日本総合年表』なども引っ張り出して眺め始める。
 妻は読まない本は早く処分しろとうるさいが、ストックした本もこんなかたちで再登場することがあり、なかなか手放せない。

5月某日
 本日は土曜日に出講した代休。
 家の垣根の剪定を手伝う。本当はおとこがやらなければいけない仕事なのだろうが、我が家では妻が結構、庭木の手入れをやっている。本日は、梅の木のアブラムシ退治と垣根のかなめもちの剪定をやる。ふくろ4杯ほどの切り枝が出た。こんな労働もよいものだ。ただしやりつけない仕事をすると腕が痛くなる。日頃の鍛錬不足でもある。
 塙先生の授業案にコメントするために、井堀利宏『ゼミナール公共経済入門』日本傾斜新聞社、などをひっくり返す。この本、一度目を通しているのだが、一般向けのわかりやすくなかなかよくできているテキストだと思う。

5月某日
 大隈関係の本を読み続ける。
 佐賀藩の明治期の役割なども政治的には再評価されるべきものらしい。図書館から借りてきた、毛利俊彦『幕末維新と佐賀藩』中公新書という本などを読むと、江藤新平などの事績も佐賀の乱の首謀者という教科書の書きぶりだけで理解してはいけないとの説もある。経済もそうだが歴史は資料の発見や読み直しが進む中でどんどんその像を変えてゆく。何が真実なのかは様々な文献をもとに自分なりに頭をはたらかせて考えなければならないテーマである。



Re: 出戻り非常勤日記 37 新井 明 - 2016/05/21(Sat) 08:00 No.836

訂正:日本傾斜新聞ではなく日本経済新聞です。傾斜したら困る。



出戻り非常勤日記 36 投稿者:新井 明 投稿日:2016/05/06(Fri) 01:47 No.834

4月某日
 一歩も家を出ず。依頼された税金の原稿を書く。
 税の原稿をかいているせいか、歴史書などを読んでも税に関する記述が気になる。税の歴史はとろうとするものととられるものとのいたちごっこではないかという気がしてならない。だからパナマ文書で暴露されたタックスヘイブンのような話がでてくるのだろう。
 そういえば、岩波新書で『タックスヘイブン』を書いた志賀櫻さんは昨年末になくなられていたこと。この本、『タックスイーター』と並んで、国税庁のキャリアの生々しい税の実態報告であった。どう考えてもなかなか納めるより取られるという実感が抜けない。

4月某日
 市の図書館に行き、6冊ほど本を借りてくる。
 わが市は昨年市長選挙があり若い新市長が誕生したのだが、最初からつまずき、本年度の予算案が否決された。図書館で、暫定予算なので新刊書が購入できないという張り紙をみる。おいおい何とかしてくれよという気分である。
 借りた本の中に、大沢真幸・成田龍一『現代思想の時代』という対談集があった。このなかで桜井英治『贈与の歴史学』中公新書を絶賛していたので、アマゾンで注文した。芋づる式読書である。
 桜井さんのこの本は中世史のなかで室町時代には商品経済が発達し本格的な市場経済が展開されたという内容。それに贈与経済が付随するという。少々目からうろこの本。これがどの程度学会や教育界で認められているのか、若い先生にメールを出して聞いてみる。

4月某日
 名古屋部会に出席のために名古屋まで。
 始まる前に大学時代の友人と会い、今回は七里の渡しを見て、元祖ひつまぶしを食べに行く。ひつまぶしは今や全国展開であるが、この店の登録商標とのこと。うまいけれどコスパはあまりよくないなと思う。まあ、ウナギの値段が上がっている状況ではしかたがないのか。熱田神宮の近くにあり、待ち時間の間に神社に参拝にゆく。
 名古屋部会は少人数であったが、面白かった。渡辺先生の実践はよくやっている。商業科であること、選択授業の少人数であること、公民科との連携がないなどの課題があるが、使える実践である。私と杉田先生は主権者教育に経済教育の風をいれるという趣旨の報告を行った。反論があると議論になるのだが、ご説拝聴ということで終わる。政治と経済を統合しようという発想そのものがまだ機が熟していないのだろう。あとは実践あるのみ。

4月某日
 一日都内某所で会議。
 報告書作りのお手伝い。この種の報告書は言外の意図を読むのが大事ということをあらためて学ぶ。

4月某日
 小石川の授業。
 45分のために半日使う。時間コストの安い退職教員にとってはありがたい仕事である。本日は日本国憲法の成立がテーマなのだが、帝国憲法の確認までで終了。帝国憲法の原文を読み、解説するだけでも時間がかかるが、大事な学習だと感じる。
 本日のクラスは6人の少人数なので、質問をしながらすすめる。これもなかなか良しである。
 図書館により新書など10冊近く借りる。『100万分の1回のねこ』という本が面白い。これは先日なくなった佐野洋子さんの『100万回いきたねこ』へのオマージュである。この絵本に触発されたモチーフで江國香織さんら作家たちが短編を連作してゆくという企画で、それぞれの持ち味がいかされた刺激的な本である。
 佐野さんの絵本を、青年期の教材で使っているので、余計に感じるところがあるのだろう。

4月某日
 手伝っている冊子のルポの取材準備で都立雪谷高校まで出かける。
 新幹線から学校がみえているのと都立高校で甲子園に二度いっているので親近感があるのだが、はじめてである。
 山手線の五反田から東急池上線にのって「御嶽山」という駅で降りる。タモリではないが、駅名に山がついているのはなぜと思っていたのだが、武蔵野台地のいちばんへりの場所でたしかに周辺より高い。地名は情報の宝庫であることを確認。
 学校はおちついた住宅街のなかにある。古い住宅街なので庭の手入れや生け垣などが整備されている。そんななかにマンション風の老人ホームがあって周辺の雰囲気とよく調和している。
 打ち合わせは順調。取材の方向などが決まる。

4月某日
 妻の実家にクルマを走らせる。
 恒例の地代あつめ。途中新緑のなかまだ桜がさいていていい風景である。
 いままでお願いしていた耕作者が高齢を理由に辞退をしたので、新しい耕作者をお願いする。新しい方は協同組合をつくって放棄地がないように請負っている人である。耕作者が変わると農事委員会に書類をだして確認をする必要がある。そんな手続きを依頼したり、前の耕作者にお礼と変更書類の印鑑をもらったり、妻は大変である。
 それでも次の人がみつかってよかったというのが日本の農業の現状である。

4月某日
 桜井さんの本がきっかけで、日本史の教科書を読み直すことにした。明治以降の箇所はよく読み直すのだが、中世や近世はなかなか手が届かなかった。
 こんなに変わった日本史の教科書などという番組がTVなどであるが、たしかに昔とはかなり違っている。でも、そういう箇所はさりげなく書いてあるので、よほど関心をもたないと何が変わったのということにもなりかねない。桜井さんの執筆部分もよく読めば新しい研究動向を反映しているが、よほど注意しないとその記述の背景まで届かないなという感じである。
 教科書なので自説を強調するわけにもゆかない。大学入試の圧力もあるだろう。このあたりは公民科でも同じである。読み流しではなく、今回は少し細かく見てゆこうと思う。これは連休中の課題か。

4月某日
 連休始まる。
 前半は息子と孫1(5歳の女の子)が来宅。はじめて我が家に泊まる。孫1のママが大阪で結婚式に出席するのでその間、息子が面倒を見ることになり、我が家への来訪となった。
 ついでに娘と孫2(2歳の男の子)も来宅。夕食をともにすることになった。二人とも一人っ子なので、複数の同世代がいると嬉しいのか、はしゃぐことはしゃぐこと。孫2はいつもは食べないほうれんそうなどの野菜を食べたと娘が驚いていた。

4月某日
 孫1親子と動物園に。
 孫1は動物よりも園内にあるアスレチック施設に興味があるらしく、そこで遊び続ける。まあそんなこともあろうということで、こちらは園内を軽く一周。
 長生きで有名な象のハナ子も生きていた。ハナ子を身を乗り出して眺めている半世紀以上前の幼稚園時代の私の写真が残っている。親子三代に見られる象というのも貴重な存在。とはいえ、狭い園舎のなかでしか生きられなかった象もかわいそうである。
 サル山のサルは本日はあまり元気がない。そのほかの動物も久しぶりにみるといろいろ発見がある。子どもを山車にしてずいぶん学んだが、今度は孫を山車にして学ぶこともありそうである。

4月某日
 二泊のおとまりから孫が帰宅。
 疲れがどっと出る。連休後半はすこし落ち着いて生活したいと思う。



出戻り非常勤日記 投稿者:新井 明 投稿日:2016/04/19(Tue) 10:36 No.833

4月某日
 エイプリルフール。
 恒例の花見にクルマででかける。府中と国立である。すべて車窓より見学といういい加減なもの。それでももう十数年続けている。
 桜は満開。でもよく見ると街路樹の桜なのでかなり手を入れていて、枝を落としているので見事さが最初に始めたころに比べてそれほどでもなくなっている。それでも国立の一橋大学前の大学通りはボランティアの努力で一時衰えていた樹勢が盛り返したようだ。それにひきかえ、桜通りの桜は樹齢がきたのか、手入れが遅かったのか、一時ほどの見事さではなくなったようだ。自然を管理するのは難しいものだ。
 メルマガ4月号配信される。冒頭から間違いを発見。アチャーである。

4月某日
 経済学寺子屋の二回目。本日は私をいれて五人。
 経済学史の後半をやる。スミス以降の重要人物の簡単な内容とその時代、問題意識を確認する。全体を見通すにはとてもいい機会。
 伝統継承の会では、大塚史学がなぜ没落したのかなどの話題がでる。たしかに今の高校生は大塚久雄さんの名前は知らないよな。碩学の時代は終わったのかもしれない。
 寺子屋開業の前に、上智の図書館で財政や税制の本を何冊か借りる。そのために書庫をみていたら福本和夫の著作集があったので思わず手にしてしまう。福本イズムなどという言葉を知っている先生方もほとんどいなくなっただろうが、戦前の共産党の指導者のひととりで一時は強い影響力をもった人物である。若い時に歴史に名を遺した人物の後半生とはこんな風になるのかと思わせる奇書であった。

4月某日
 老人ホームに行く。
 本日は、大雨。これで桜も散ってゆくのだろう。母は相変わらず。いつも同じものを着ているので着替えろというのだが、これでいいと言い張る。年寄りにもライナスの毛布のようなものがあるのだろうかと思ってしまう。ヘルパーの人も、細かくこんな年寄りのわがままを手なずけながら着替えさせるのは大変。お風呂に入ったら着替させてもらえと言って着替えを用意して帰る。

4月某日
 小石川から非常勤講師の準備をしてくれとの連絡が入る。特任申請を出すとのこと。もう一年、教壇にたつことになりそうだ。
 年を取って気が早くなったせいか、さっそくかかりつけの内科に出向き、レントゲンを撮り、血圧をはかり診断書を書いてもらう。健康診断は保険がきかず実費を払う。毎年の健康診断の時には、この忙しいのにと文句を言ってきたが、正規の人間は見えない形で保護されているんだということがよくわかる出費であった。

4月某日
 新年度会に誘われて会場に向かう。
 会場は何回かそこで会食をした店なのできちんと地図を確認せずに出かける。いつもとは違い一つ前の駅で降り目指したのだが、なんだか様子が変だ。こんなところだったけ、といったん思ってしまうと、不安になり確認したくなる。ところが携帯電話を持たないので連絡の取りようがない。公衆電話を探したのだが、これがまた見当たらない。周りをぐるぐる回ってやっと公衆電話から主催者に連絡がとれ、無事に店に着いた。
 よく振り返ってみたら、店のすぐ近くまで来ていたことが分かり、人間の認知力のあやふやさを実感。それと携帯電話を持たないリスクも確認。とはいえ、携帯を持つつもりはまだない。どこまで持たないでやってゆけるか、実験である。

4月某日
 妻と自転車をこいでちょっと遠くの公園に桜見物に行く。川沿いに枝垂桜が植わっていて見ごろは過ぎたけれどまだ咲いているというので遠征となった。はけの道という段丘崖下にある野川という川のほとりで、大岡正平の『武蔵野夫人』の舞台になった場所である。
 桜は散りかけていたが、今年最後の花見となった。帰りに桜餅を買って食す。

4月某日
 一日閑居。荒川義彰『思想史の中の近代経済学』中公新書を読み直す。
 この本、15年ほど前に購入して一度は読んでいる。そのときはミクロ経済学の説明がほとんど理解できなかった。寺子屋で次回はミクロ経済学を扱うので、読み直してみることにした。問題意識はこれだけ批判されている新古典派の経済学がなぜ成り立っているのか、その思想的な背景や意味は何かというものである。
 新古典派は、方法論的個人主義、最適化仮説、均衡理論という三つの分析道具で市場経済をとらえようとするものだが、その分析道具の背景や特質は何かというのがこの本の内容。読み返してかつては飛ばしていた部分もわかるようにはなったが、この本の結論、分権的完全競争の理論の試みは完成と同時に、内部から崩壊する結果になったというのはやはりよくわからない。崩壊するはずのものが生命を保っているのはなぜか、もうすこしいろいろなところから考えてみたいと思った。
 それでも、この種の本をそれなりに読めるようになったのは少しは進歩したのかもしれない。とはいえ、この齢だから理解と同時に知性は内部崩壊ということもありうるななどと思う。

4月某日
 午後老人ホームへ。
 昼食後に面会に行ったら、お昼はまだかというようなことを言い出した。いよいよ認知症かと緊張する。とはいえ、いつも同じような生活をしているので病的なものというより環境がなせる業かとも思う。
 本日、特任解除の連絡も来る。出戻り講師二年目である。

4月某日
 小石川に出講。
 いつでもスタートできるようになっていたので、本日からさっそく授業に入る。今年は18歳選挙もあるので政治学習から始めることにした。計算をしたら1学期に18時間しか授業時間がない。受験講座の中で知識を確認しながら少しレベルの高い話、大学との接続を考えた内容なども入れるとなるとなかなか大変。でも、制約条件のなかの効率性の追求は経済学の課題でもある。ポイントを絞りながら話をするのも挑戦である。
 終了後、東京部会に出席。
 夏の教室の準備や、教材検討を行う。新学期早々で参加者は多くなかったが、高橋勝也先生が2年間の長期研修(大学派遣)から復帰。
さすがに一日動くと疲れるが、この種の疲れはありがたい。本日、熊本で大地震発生。

4月某日
 娘と孫が遊びに来る。
 遊びというより、娘の亭主がぎっくり腰になり、家で安静をさせるための避難である。
 2歳の孫、言葉が出るようになり、発達しているのがよくわかる。頭の中がどんどん爆発的に拡張しているのではないかと思われるような雰囲気である。かたことがおおむがえしになり、文章になりかけている。2歳の記憶は残らないがこの時期の子育てがいかに大切かを感じる。

4月某日
 仕事場(PCが乗っているこたつ)の周辺に本があふれ出す。
 現在の関心は、原稿書きのための税金関係の本、寺子屋のミクロ経済関係の本、選挙関係の本、大学図書館から借りた本、小石川の図書館から借りた本、その他趣味で買ってくる新書や文庫本などである。
 税金関係の本では、諸富徹さんの『私たちはなぜ税金を納めるのか』新潮選書が面白い。一般向けだがしっかりした本だ。税金は納めるのか取られるのか、イギリス、ドイツ、アメリカの歴史と税制を追いかけた税制思想史の本である。この本を手引きにして島恭彦『近世租税思想史』や池上淳『財政思想史』なども借りてきて、眺めている(読んでいるというレベルではない)。
 ミクロ関係は、公務員試験向けの本からクルーグマンのミクロまでいろいろな入門書を比較しながら利用している。先にも書いたが、なぜこれだけ批判されているのに生きているのか、そこに関心があるがなかなかそんな疑問に答えてくれる本は少ない。
 選挙関係は、公共選択論で選挙を扱っている文献を探し出して眺めている。ダウンズの翻訳なども借りてきた。古本でかなり高値がついているし、これで何か研究などするわけではないので借りるだけにしている。大学の図書館はその意味でありがたい。
 小石川からは、反知性主義関係の三冊を借りてきた。一つは、森本あんり『反知性主義』新潮選書である。森本さんは小石川の卒業生。アメリカの反知性主義とキリスト教原理主義との関係をわかりやすく書いている。二冊目は、『日本の反知性主義』晶文社である。これは内田樹編でいろいろな人たちが書いている。特徴的なのは、書きあぐねているとか了解したけれど躊躇しているという告白から始めている文章が多いこと。それだけ反知性主義という概念が複雑で難しいのだろうと思う。
 三冊目は、ご本家のホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』みすず書房。この本を高校の図書館に入れる選書に脱帽。この本、訳者が田村哲夫とある。どこかで聞いたような名前だとおもって紹介をみたら、渋谷幕張の校長の田村さんだった。単なる校長ではなかったんだと確認した。この本の後半には「民主主義国の教育」というタイトルでアメリカが大衆化とともに教育内容を変化させていった歴史がトレースされる。この部分を読むと、日本はアメリカを追いかけていることがわかる。今の教育改革、アクティブラーニングの行き着く先がどんなものなのか、想像がつく。田村さんの学校の卒業生は反知性主義になるかどうか、一つの学校だけでなく私たちの課題でもあるなと感じた。

4月某日
 はやくも4月後半になってしまった。ホームにでかける。
 桜は散り、新緑の季節が始まろうとしている。熊本で地震続く。支援をするとともに次の変動に備えなければいけないと思う。
 ホームの母は、相変わらず同じベストを着ている。認知症ではなかったようで、本日の対話はしっかりしていた。私もそうだが人間の脳みそはまだら模様なんだと思う。






メルマガの訂正 投稿者:新井 明 投稿日:2016/04/02(Sat) 10:28 No.832

メルマガが昨日送付されました。
お気づきの方もいたと思いますが、冒頭がまちがっていました。四月は卯月です。
執筆者である私の責任です。

今の学生の教養のなさをなげくことが多いのですが、ミスを気付かなかったのはお恥ずかしい次第です。
本HPのものは訂正したものをアップしていただいています。

エイプリルフールで月が戻ったわけではありません。
お詫びと報告をいたします。

[直接移動] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39]
投稿記事のbニ、投稿した時のパスワード(削除キー)を入れると修正・削除ができます
記事の修正では、ファイルの追加削除も出来ます。お気軽にどうぞ。
処理 記事No パスワード

- Joyful Note -
- JOYFULYY v2.45 :Edit by Yamamoto -